第14話 Harvester of Sorrow
お姉ちゃんの元気がなかった。元気がないというなら、江泊全体がそうだった。みんな熱は下がったけど、男たちは帰ってこなかったし、女たちもぼんやり海を眺めていることが多かった。大地くんも江泊から去ってしまって、いま江泊には女しかいなかった。
「創子」
桟橋の端っこに立って海を見てるお姉ちゃんに声をかけると、お姉ちゃんははっとした表情で振り返った。
「冷えちゃうよ」
わたしがそう言うと、お姉ちゃんはうっすらとした笑いを口元に浮かべ、去っていった。お姉ちゃんの代わりに桟橋に立つと、涼しくなりはじめた風がわたしの身体に当たる。もうすぐ、夏が終わる。目の前には、いつもと変わらない真っ青な海が広がってた。お姉ちゃんは、女たちは、そこに何を見てたんだろうか。男性を待ってたんだろうか、それとも、水竜だろうか。あれから、水竜は姿を消した。氷を呼ぶ水竜、嵐を呼ぶ水竜、そして、病を呼ぶ水竜。三匹の水竜が殺された。でも浜辺で産み落とされた赤ちゃんの育ったものが水竜ならば、もっとたくさんの水竜が海にはいるはずで、それらが姿を見せないことは、なにかの予兆に感じられた。
つまり水竜たちは、もう一度、江泊を訪れるはずだ。今度こそ、女たちを海に還すために。
そのときに戦うであろう男はもういない。女たちも戦うはずもなかった。もう彼女たちは、受け入れようとしてた。自分たちが産み落としたものによって呼ばれることを。
もしも戦うとすれば、わたしだけだ。わたしの手元には、大地くんに預かった毒刃がまだ余ってた。でも、わたしは戦うんだろうか。なんのために? そもそも、わたしって何だろう。男でもなく、女でもなく、そのはざまにたって選択肢を示されてる。
わたしは海の前に立ち、何を眺めるでもなく、ただ想うことにする。わたしはばかだから、何もわかんないから、ただ想う。たとえどちらを選ぶのだとしても、ただ、しあわせな結末でありますようにと。
そして、来るべき日がきた。周りから水竜の「けけけ」という鳴き声が聞こえ、それは次第に大きくなり、重なり始めた。江泊のまわりがたくさんの水竜によって囲まれてることが分かった。水竜たちは江泊のまわりをぐるぐると泳ぎ、それは大きな波を起こし、集まって一匹の巨大な水竜へと姿を変えた。
「すごい」
お姉ちゃんはその水竜を見て、そう呟いた。あたかも、受け入れる準備ができてるかのように声がすわってた。
「創子」
わたしはお姉ちゃんの手をとり、ぎゅっと握る。
「死ぬの?」
わたしはそう問いかける。お姉ちゃんは、彼女らしくもないやさしい表情でわらった。
やがて、水竜の起こす巨大な津波が江泊を襲った。桟橋は次々と波に飲み込まれ、わたしとお姉ちゃんは、手を繋いだままその水竜の巨大な口に吸い込まれた。
目を覚ますと、あたりには何も見えなかった。ただ生暖かい肉のかたまりに包まれて、なんだか気持ちよかった。ドクン、ドクン、という鼓動にあわせて肉が振動し、わたしを安心させた。
いやここは、水竜の身体のなかなのだ。このままでは吸収されてしまう。眠ってしまいそうになる頭をぶんぶん振って気力を戻し、お姉ちゃんの姿を探す。何も見えないけど、手にはお姉ちゃんの感触が握られたままで、向こうにはお姉ちゃんがいるだろうと思われた。
(創子……創子……)
お姉ちゃんを呼ぼうとするけど、うまく息ができなくて声がでない。むりやり声にしようとすると、喉が圧迫されて苦しくなる。
(想子……そこにいるの?)
向こうから、お姉ちゃんの声が返ってきた。声、というか、耳には聞こえない。ただ、頭のなかに響く。たとえば山口の高校で、トイレの水を通じてお姉ちゃんと会話をしていたときのあのかんじ。海をつうじてお姉ちゃんと繋がってる。
(創子……たすけてよ)
お姉ちゃんにそう言葉を送ると、お姉ちゃんからは、
(なんで……?)
と返事があった。
わたしはお姉ちゃんのその言葉が、予想できてた、と思う。お姉ちゃんは、死にたいんだ。海に還りたいんだ。
(水竜はね……あたしたちの産んだ赤ちゃんが成長した姿……海を選んだ人間なの……生きものは……ずっと陸か海かどっちかを選んで進化してきた……)
お姉ちゃんの言葉が頭のなかに響く。
(そろそろあたしたちも……陸の時代が終わろうとしてる……あたしたちはもっと……それらしい姿に変わる……)
なにいってんのか、わかんなかった。ただ、ああこれはお姉ちゃんだ、そのことだけは分かった。お姉ちゃんが望んでることだ、そのことだけはわかった。
(選ぼうよ……海に還るか……陸に戻るか……ひとつになって死ぬか……生きてふたつに離れるか……)
わたしの返事はきまってた。
(ずるいよ!)
右手に握られたお姉ちゃんの手の感触が、すこし強張った気がした。
(創子のなかで、どっちを選ぶか決まってるんでしょ。じゃあ、そうしてよ。ひとに選択肢を押し付けないでよ)
そう言いながら、わたしも狡かったと思う。わたしは、選べなかったんだ。そのための勇気も覚悟もなかった。だから、お姉ちゃんの答えに従おうとした。
(むずかしいことはないよ……)
お姉ちゃんはそう言った。
(想子はね……想う子……て書いて想子でしょ……だからね……想子は……想えばいいよ……想子が想ったものなら……あたしはなんでも創ってあげるから……)
想い、とはなんだっただろう。わたしが想ったものは、なんでも叶ってきた気がする。お姉ちゃんの言うとおり、創ってもらえた気がする。
わたしは、それがいやだった。
(創子は、創る子って書いて、創る子でしょ。じゃあ創子、創ってよ。創子が創ったものなら、わたしは何でも想ってあげるからさ)
わたしはそう返事をした。
創ることと、想うことと、どっちが先にあるべきなんだろう。わたしは、どっちでもないと思う。海と陸も同じだ。男と女も同じだ。すべての選択肢は、わかんない。どっちでもいい、そんなわけない。どっちかしか選べないんだ。片方を選んだとき、もう片方は消える。つまり。ああ、そういうことじゃないか。わたしは、お姉ちゃんと別れないといけないんだ。生きるということは、別れるということなんだ。
(なんでも想ってくれる……?)
お姉ちゃんはそう言った。
(あたしの子を……ハイドラを殺したみたいに……?)
わたしはわかんない。わたしはばかだ。想うことはばかだ。そしていつか幸太郎さんに言われたみたいに、想うことは、殺すことなんだ。
じゃあ、創ることは、生かすことだろうか。
ちがう。セックスだって、ばかだったじゃないか!
(さびしい……さびしい……さびしい……)
お姉ちゃんが初めて、さびしい、と言った。お姉ちゃんはいま、ハイドラのことを考えてる。ハイドラのことを想ってる。お姉ちゃんが、創子が初めて、想ってる。
じゃあわたしは……想子は?
(創ってよ)
その言葉は、お姉ちゃんからじゃなかったと思う。ふいに何処からか聞こえた。大地くんか、幸太郎さんか、一也くんか、ママか、ハイドラか、全てか。
世界がわたしに、生きろ、と言った。
わたしは左手に握った毒刃を、思い切り目の前の肉に刺した。そこからは生暖かい液体が溢れてきた。わたしは構わず、毒刃を使って肉片を打ち付け続けた。肉片に穴が開き、そこが裂け始めた。わたしは両手を使い、思い切りそれをこじ開けた。そして再び肉片を刺し、裂き、こじ開け。
向こう側から、うっすらと光が見え始めた。それはだんだんと明るくなり、わたしはなんだか、出産されるみたいだと思った。ママのことを考えた。わたしとお姉ちゃんを迎えてくれる世界のことを考えた。ああなんか、生まれることは、とても。
ママ、ありがとう。
水竜の身体を裂いて外に出ると、一面の青い世界が広がってた。海でなければ、陸でもない。ただ天と地がひとつになったような、美しい世界だった。
わたしとお姉ちゃんは、世界に降り立つ。
わたしもお姉ちゃんも、衣服が胃液で溶けてぼろぼろだった。
「レイプされたみたい」
お姉ちゃんは笑ってそう言い、わたしたちは抱き合った。
なんだか、生まれることは、とても。
わたしたちは選んだんじゃない。選ばれたんだ。どうしようもなく。そうするしかなくて。
わたしたちはきっと、運命に、天地に、レイプされたみたいに生まれた。
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