銀河鉄道は星の夜に

サイトウトモキ


 今日は待ちに待った星祭りの日だ。ベルセウス流星群が訪れる八月十三日。薄めた牛乳をひっくり返したみたいな天の川が例の如く見下ろしている。さらさらと足下を流れる河が提灯のようなものを流し始める。

 

 《星降りの夜》から数十年の間、朝が来ないこの街では陽の高さで時間を測るのではなく北の空を見る。北斗七星の角度を確認すると、もう広場から烏瓜の灯を流す時間だ。息を切らした足音が夏草を掻き分けて近づいてくる。

 

 「レグル。やっぱりここにいた」

 

 声の主は乱暴に自分の隣に横たわった。

 

 「シグーニャ、今年は烏瓜を流させてもらえた?」

 「いいや。忌み子は祭りに顔すら出すなってさ」

 

 薄明かりでも判るほどに白い肌と鳶色の瞳は、レグルと呼ばれた青年の深く黒い瞳とは大きく異なっていた。

 

 「というか、レグルこそ烏瓜も流さずになんで毎年星の墓丘にいるんだよ。おかげでみんなレグルのこと変な奴だと思ってる」

 

 人当たりもよく真面目な性格のレグルが、毎年祭りの日になると喧騒を避けるようにこの墓丘で箒星を数えて過ごすのが、シグーニャにはいつも不思議でたまらない。そんな疑問すら気にも留めずに、レグルは光の軌跡の隙間を見つめている。

 

 「来ないかな、と思って。自分の番が」

 

 ぽつり、と呟いて右手に握りしめていた指環を空にかざす。古い指環はよく磨かれているようで、直角が優しくなっている。

 

 「また銀河鉄道に乗りたいなんて言って。乗りたくて乗れるもんじゃないだろ。星は無作為に乗客を選別してるって先生も言ってたし」

 

 一昨年は子供がうまれたばかりの牛乳屋と年老いた鳥刺し。昨年は泳ぎが得意な少女とレグルが仲良くしていた街一番の学者。《星降りの夜》以降、ケンタウル祭の日に街の住人が毎年二人ずつ失踪する。

 

 あの流星群の夜に、星が地上に落とした欠片を、この街の誰かの魂が取り込んでしまったらしい。その欠片を取り戻すために、星々は銀河鉄道を導き、人々の魂を母なる意識へと還すのだという。もし欠片が星へと還れば、この街にようやく待ちわびた朝日が訪れる、と街一番の学者はシグーニャとレグルに説いたものだ。

 

 こんな本当だかどうだかわからない話を、人々は自らが選ばれやがて消える恐怖を希釈するために頑なに信じていた。その象徴とも言える、下に死体のない墓標は、毎年きっちり二つずつ増えていく。また、星に還った人々を、烏瓜を流すことで想い偲ぶのがこの星祭りでもあった。

 

 「レグルじゃなくて俺が選ばれたら、銀河鉄道は終わりなんだけどな」

 

 ははは、と明るく笑うシグーニャを一瞥して、また星を眺める。

 

 「欠片を持ってるから忌み子になったとでも?」

 「そうだよ。先生も言ってたし。だから俺が選ばれたら、俺のこと朝日を見て思い出してよ」

 

 悲しげに笑うシグーニャにレグルは首を振った。

 

 「どうして」

 

 軽く膨れた顔に、仄かに光を放つ紙切れを差し出した。

 

 「なんだよ、それ、」

 「切符だ。さっき、手の中に滑り込んできた」

 

 ゆっくりと立ったレグルはヘビに呑まれる前のネズミのように、真っ直ぐに宇宙を見つめていた。汗がダラダラと溢れ出すのが分かる。どうして俺じゃないんだろう。なんで、なんで、レグルなんだ。

 

 「待って」

 

 跳ね起きたシグーニャは震える声を掛けた。餞別の言葉を覚悟したレグルは固い表情をシグーニャに振り向ける。シグーニャは口を開く前に握りしめられた拳を開いて見せた。

 

 「俺もだ。よかった。これでレグルも朝日が見られる」

 

 空いている左手が、指環を握る右手をくるんだ。すると、一閃、流星群のうち一つが大きく輝いて軌道を変える。軋む車輪の音が二人を包む。

 

 「レグル、朝をとり戻しに行こう」

 

 汽笛が鳴り響き、機関車は丘を離れ流星となって宇宙へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車内は暖かな色の灯がともり、星屑が車窓を流れていく。

 

 「思ってたより怖くないや。見てよ、あの赤い星」

 「蠍座のアンタレスかな」

 

 暗いガラスは互いを映す。無邪気な笑顔に自らも顔を綻ばせる。

 

 「南十字までどのくらいだろうね」

 「南十字?」

 「北斗七星の対の星座だよ。そこが終着駅だ。先生が言ってた」

 

 昨年銀河鉄道に乗った街一番の学者と、二人はとても仲が良かった。シグーニャは、きらきらと行き過ぎていく星々がこちらを見定めているような気がして慌てて窓から目を逸らす。

 

 「やっぱり、怖いよな」

 「怖くなんかない」

 

 脊髄反射で飛び出た言葉を自分に言い聞かせる。くすくすとレグルが笑う。

 

 「星から朝を取り返すんだっけ?」

 「…そうだよ」

 

 不貞腐れて応えると、ふと、腿の上で握り締めていた手に、暖かい手が添えられる。

 

 「最期くらい二人で、見れたらいいよな、朝日」

 

 金属を握りこまされる。

 

 「これ、お守り」

 「大事な母さんの形見だろ。レグルが持っとけよ」

 

 磨きすぎて意匠も分からなくなりかけている指環を押し返す。

 

 「持ってて、お願いだから」

 

 珍しく力ずくで物事を進めようとするレグルに根負けして、小さな指環を受け取る。

 

 「どうしたんだよ」

 「どうしても、心配で」

 

 顔を上げるとレグルも無理して笑っているのが分かって胸が詰まる。紛らわせようと話題を練り出す。

 

 「なんでさ、欠片を還す時に、魂をばらさないとだめなんだろうな」

 「びっくり箱は開けるまでびっくり箱って分かんないからじゃないかって先生は言ってたけど、実際、どうなんだろうな」

 

 南十字まであとどのくらいなのだろう。ひりひりと呼吸が痛い。今となってはもう意味の無い生存本能が叫ぶ。かたかたと小刻みに震えているのが判る。

 

 何ビビってんだよ。あの街に朝を取り戻す。忌み子だ忌み子だって虐げられてきた人生が、栄光で上書きされるんだ。命なんて惜しくないだろ。どうせ星に呑まれるんだから。

 

 でもレグルは。レグルはどうなるんだ。俺が先に分解されたら、レグルはあの街に戻れるのか?

 

 「シグーニャ、」

 

 ぽつり、と投げ出された声は振るえている。

 

 「ごめん、」

 

 そう絞り出すとレグルは唇を噛んで下を向いた。

 

 「俺が先に還れば、レグルは戻れるかもしれない。大丈夫。大丈夫だから、だから――」

 

 言葉は途切れたまま繋がらない。

 

 「違うよ、シグーニャ」

 「何が?」

 

 震える肩はようやく声を紡ぐ。

 

 「あの、星降りの夜に、俺、空から降ってきた光が、身体に入ったの、憶えてるんだ」

 「こんな時に…なに、言ってんだよ」

 「嘘じゃない」

 

 厳しい声で戸惑いを裂いたレグルは車窓を見つめている。

 

 「自分が欠片なんだって、判ってたんだ。実際、俺、あの夜から急に身長が伸び始めて、止まんなくなっちゃってさ。シグーニャの瞳は、生まれつきだろ。でも俺は違う」

 

 矛盾点を必死に探しても探しても見つからない。受け入れたくない事象を壊したくても壊せない苦しさが、余計現実感を増して苦しくなる。レグルの声が哀しく震え始める。

 

 「毎年、毎年、早く選ばれるように、目立つように、ずっと墓標の丘で待ってたんだ。今まで星に還っていった人たちに謝りながら、今年こそは、今年こそはそっちに行きますって」

 

 無意識にレグルの手を握り締めていた。朝を遠ざけて生き残り続けた罪悪感で人知れず苦しんでいた親友の横で、自分は朝を取り戻すだの、何をほざいていたのだろう。

 

 ぽと、ぽと、と暖かい雫が甲に落ちる。潤んだ瞳をどうしても見つめられなくて、窓の外に目線を逃がす。

 

 「南十字だ…」

 

 被せた手に力を入れる。

 

 「俺が先なら、シグーニャは帰れるかも」

 「そんなの嫌だ、嫌だ…レグル、嫌だ、やだ…………」

 

 情けないぐらい、ぐちゃぐちゃに泣き叫ぶ。顔を上げるのがひたすらに怖かった。暖かい手の感触を離したくない。

 

 「シグーニャ」

 

 握っていた手がふわり、と緩む。顔を上げると、車内全体が送り火のように淡く輝いている。

 

 「行かなきゃ」

 

 声が霞む。指の先から砂の城のように少しずつ、さらさらと解けていく。

 

 「バカ、何言ってんだよ、一緒に行くんだろ、行かせてくれよ、なあ」

 

 レグルはにこり、と笑うと、白い頬を解けていない指でなぞった。

 

 「よかった。俺が先みたいで」

 

 途端、淡い光に包まれると、笑顔はゆらり、と解けた。

 

 「レグル!!!!!」

 

 声帯が千切れかけるくらいに痛々しい叫びは届かない。窓の外に星と星の間の闇を塗りつぶすように億千もの流星群が尾を引く 。車内まで覆い尽くす白い光に、シグーニャは呆然と自らの消滅を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を醒ますと、丘の上に仰向けになって寝ていた。流星群はすっかり消えており、祭りの終わりを告げている。

 

 よかった。なんだ夢か。今年も結局選ばれなかったな。立ち上がった刹那、ポケットにころころとした感触を覚える。手を差し込むと、よく磨かれた小さな指環が指に触れて現実へと結びつける。緩んで解けていったレグルの手の感触が、まだ残っている。

 

 満天の星空が瑠璃色に透き通っていく。山脈の縁のコントラストが大きくなって山吹色に染まる。十五年ぶりに見た朝日は鮮烈な金色で、直視できないほど強い輝きを放っている。

 

 「あれ?シグーニャくん、君もここに来ていたのかい」

 

 聞き覚えのある声に思わず振り返る。

 

 「先生…!?先生こそどうしてここに?」

 

 昨年選ばれたはずの街一番の学者がそこには立っていた。それだけではない。数十は建っていたはずの死体のない墓標が一つも残らず消えているではないか。

 

 牛乳屋、鳥刺し、泳ぎの得意な少女。この十数年間で居なくなったはずの人々が、居なくならなかった人々が、みな丘に立って朝日を眺めている。牛乳屋の子供が泣きじゃくる声が今になって耳に入ってくる。

 

 「欠片が星へと帰った。仕組みはまだ分からないが、おそらくそのお陰で、我々の魂も再構築されてここに戻されたのだろう」

 「じゃあ、レグルも無事なんですか!?」

 

 大きな声を出すと、学者は不思議そうにシグーニャを一瞥した。

 

 「レグル?」

 「今年、俺とレグルが星に選ばれたんです。レグルが欠片を持ってたから、俺も帰れたんです」

 

 丘は一瞬静まり返ったが、すぐに笑い声が起こった。

 

 「何を言ってるんだね。今年は君ただ一人が選ばれて、欠片を還してきたんだろう。そもそも、レグルなんて人物、聞いたこともない」

 「先生こそ何を言ってるんですか、レグルは毎日あなたの書斎に通って銀河の話を聞いてたじゃないですか」

 

 目を白黒させてまくし立てるシグーニャを、人々は笑う。

 

 「シグーニャのやつ、欠片を還す時に夢でも見てたんじゃないか?」

 「きっとそうね」

 

 辺りのざわめきに胸が締め付けられる。どういうことだ。

 

 「何がともあれ、シグーニャ、君は英雄だ。この街に朝日を、光を取り戻したのだから。もう誰も君のことを忌み子だなんて虐げたりしないだろう」

 

 学者の言葉に目眩がして、がっくりと膝をつく。東からの光のシャワーに強く当てられる。

 

 「違う。レグルが欠片を持ってたんだ。俺じゃない」

 

 熱に浮かされたうわ言のように弱々しく繰り返すが、自分を讃える言葉にかき消されていく。

 

 よく磨かれた金属の塊が朝日に照らされてきらきらと光っている。手に握った古い小さな指環だけが、そっとシグーニャを励ましていた。

 

 「レグル」

 

 ふらふらとまだ残る夜へ向かって走り出す。人混みをかわして、広場の泉を通り過ぎて、協会の隣の小さな小屋を目指す。しかし、空を突き刺すように建てられた鐘塔の麓にあるはずの小屋がない。

 

 「どうしてだよ、なんで、」

 

 小屋があったはずの場所には、烏瓜が青々と繁っていた。空は水色に染まっていく。

 

 「嘘だ。レグルは居たんだ。俺が知ってるから、レグルのこと、どうして」

 

 ぼろぼろと溢れる涙が頬を伝って落ちる。朝を祝うパレードも虚しく、嗚咽を止めることはできない。ふと空を見上げると、視線を明るい流れ星が横切った。なんとなく、それがレグルのような気がして、指環を握りしめる。

 

 たとえこの街から存在していたことすら消えてしまっていたとしても、きっとこの先、ずっとあの夜のことを忘れられないだろう。

 

 シグーニャはふと思いついて、烏瓜の根本にリンゴほどの穴を掘る。そして、体温を吸ってすっかり温くなっている指環を、ぽとり、と土の中に落とした。

 

 「おやすみ」

 

 そう声をかけると、苗木を植え替えるときのように柔らかく土を被せた。短く祈ると、青年は最果ての茨の森へと人知れず消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 その年から、ケンタウル祭の翌日にパレードを開くのが慣例となった。しかし、パレードの主役であるはずの、朝を持ち帰った鳶色の瞳の青年はあの日から姿を消した。人々は彼の英雄譚を語り継ぎ、鳶色の瞳の忌み子を神聖視するようになったそうだ。

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