第40話 辺境の町

 森を出て平原に出たレオンハルトとイェルマ、そしてエマの3人は、遠目に見える町を目指す。森の中で数日過ごすうちにエマは、イェルマとレオンハルトに馴染んで、特にイェルマには心を開くようになっていた。そのイェルマは、森を出たとたんに人が変わったかのようにボーッとするようになった。

「行き先、そっちじゃないぞ」

 くるっと回れ右をしたイェルマの手をレオンハルトが引いた。こんなので大丈夫なのかとエマは心配したが、森を出た直後が一番状態が悪く、しばらくするとマシになってくるらしい。

「体内の魔素は十分なのに、なぜこんな状態になるのか分からない」

 ずいぶん前から神聖魔法を駆使してイェルマの身体を調べているが、何の手がかりもないのだとレオンハルトは言う。頼りにしていたイェルマの激変ぶりに動揺したエマも、魔法を使ってイェルマの身体を調べてみたが、エマにも分からなかった。

 実際、町にたどり着くと、イェルマが異常行動することはなくなった。だが、町の人のお薦めを聞いて町の「端」にある宿に行こうとしたら、町を流れる小川の「橋」に宿があるか調べようとするし、エマが空を見上げて「雲」がキレイねと言うと、家の軒下に巣くっている「蜘蛛」を掴んでエマに差し出してくるし、わざと?と思うくらいにとんちんかんなことをやらかしてくれた。

「ねえ、レオン様。どっちのイェルマが本当のイェルマなの?」

「どっちも、本当のイェルマだ」

 あまりの天然ボケぶりに呆れたエマがレオンハルトに問い質したのだが、レオンハルトの返答は明瞭だった。

「森の中だと理性が向上して天然ボケが目立たなくなるだけだ。今のお前には、理性が控えめなイェルマの方が、釣り合いが取れていいだろう?」

「それって、どういうこと?」

「お前、森の中にいるイェルマと同等に話ができると思っているのか?」

「…そ、それは……」

「だろ。かく言う私もそうだ」

「何よそれ!」

 エマはクスクス笑いだした。その様子をほほえましく眺めたレオンハルトは、町の教会の扉をくぐった。

 礼拝や祈祷の時間ではないので、教会の中はガランとしている。2~3人のシスターたちがはたきやほうき、雑巾を手にして、清掃していた。その内の一人が、レオンハルトたちに気付いて近づいてきた。

「すみませんが、今の時間は、一般の方の入場をお断りしています」

 申し訳なさそうに話しかけてきたシスターにレオンハルトは、手のひらサイズの中央に聖瓶を模した白金製の十字架を提示した。

「聖瓶軍副長のレンシェールといいます。この教会の司祭殿に挨拶したいのですが」

「えっ、まさか、司教猊下?!!」

 大きく目を見開いて両手で口元を覆ったシスターは、あわててレオンハルトに跪いた。

「かような辺境に、ようこそいらっしゃいました。早速、司祭のエルガーを呼んで参りますので、そちらにお掛けになってお待ち下さいますでしょうか」

「分かりました。突然の来訪にご迷惑をお掛けすると、言伝ことづてもお願いできますか?」

「かしこまりました。しばらくお待ち下さい」

 シスターはスッと立ち上がって一礼すると、そそくさとこの場を立ち去った。ボーッと突っ立っているイェルマを長椅子に座らせてその隣に座ったレオンハルトを、エマは見下ろした。

「へえ。レオン様って、てっきり誰にでもオラオラ系の話し方をするんだって思ってたから、意外」

「失礼なヤツだな。私のことを何だと思ってるんだ?」

「世界は自分を中心にして回ってると思っている人」

「んなわけあるか!」

 レオンハルトは立ち上がってエマにデコピンした。

「きゃっ」

 額を右手でさするエマ。そして不満そうに頬を膨らませた。

「イェルマには優しいのに、何でわたくしには厳しいの?」

「じゃあ、お前はイェルマにテコピンできるのか?」

「そういう言い方って、卑怯だわ」

「でも、お前はイェルマと違って、執行猶予中の身であることに、変わりがない」

「ムキー!」

 エマはレオンハルトの胸ぐらを掴んで頭を自分の頭の位置にまで寄せると、自分の額をレオンハルトの額にぶつけた。

「わたくしの方が年上なのに、ナマイキだわ」

「年上なら、もっと年上らしく振る舞えないのか?」

「ムキー!」

 エマはまた、自分の額をレオンハルトの額にぶつけた。

「こうなったら、レオン様の減らず口がなくなるまで、愛の頭突きをして差し上げますわ」

「分かった分かった分かった!」

 レオンハルトは右手で額を擦りながら、左手を挙げて降参の意思表示をした。

「お前の勝ちだ、エマ。悪かった」

「分かれば、よろしい」

 ふんぞり返るエマ。得意気になっているエマに近づく影が一つ。その影は、おもむろにエマの前に立つと、自分の額をエマの額にぶつけた。

「いったーい!何するのよイェルマ」

 自分の額を擦りながら、エマは抗議する。した方はというと、無表情に淡々と、

「なかよしのあいさつ」

 とだけ言って、何食わぬ顔で自分の席へと戻っていった。

 憤懣やり方ないエマは、生け贄の矛先をレオンハルトに向けた。

「ちょっと。何か言ってやってよ、レオン様」

「やり始めたのは、お前だろ。自分で撒いた種だ。自分で何とかしろ」

「それじゃ、レオン様はイェルマに愛の頭突きされたら、どうすんのよ」

「そもそも私は、頭突きなんて下らんことをしない。しないのだから、されない。つまらん仮定の話を私に振るな」

「ムキー!」

「おやおや、賑やかなことですな」

 エマが再び愛の頭突きの体勢に入ろうとしたところに、ある人物が声をかけてきた。典型的な司祭服に身を包んだ、初老の男性だ。レオンハルトは立ち上がって、その人物にお辞儀をした。

「突然の訪問にも関わらず、快く受け入れて下さり感謝です。聖瓶軍のレオンハルト=フォン=レンシェールと申します。そこの魔術師は、イェルマ=シー・クリールです」

「ご丁寧にありがとうございます。この教区で司祭を務めますエルガーです。高名なレンシェール司教猊下に来て頂けた幸運を、神に感謝します」

 エルガー司祭は、神に祈りを捧げる姿勢を取った。レオンハルトも司祭に倣う。

「つきましては、ここで祈りを捧げたのちに、司祭殿にお願いしたい儀があるのですが」

「ほう、それはどういうことでしょう」

 司祭の目がすっと細くなる。大聖堂の組織は大きく二つに分けられる。一つは、全国に点在する教会に在籍し、儀式を執り行って信者への応対をする教区神官団。もう一つが、怪異や異端審問のために神威を顕現させる神官戦士団。神官戦士団も細分化されていて、聖騎士で構成される聖杯軍、聖騎士以外の神官戦士で構成される聖瓶軍、審問や隠密などの暗部を司る聖器軍がある。レオンハルトは聖瓶軍の副長だが、莫大な神通力を保持しているため聖器軍の参事官でもある。若くして司教にまで上り詰めたレオンハルトには神官戦士団を中心として支持者も多いが、教区神官団を中心に妬む者も多い。そんなレンシェール司教からの「お願い」という名の「命令」に、教区神官の司祭が警戒の色をにじませてくるのは、いわば当然だった。

 レオンハルトはひとつ咳払いすると、微笑みを浮かべた。

「いえ、大したことではありません。彼女、エマ・ワトキンスというのですが、ちょっと変わった種族でして。ずっと人知れず山奥でひっそりと暮らしていたのですが、このたび我々の教えに帰依することになりました。今、私の元で精進中なのですが、そうであることを示す護符をしつらえようと考えております。つきましては、護符を作製する場所、そして材料をご提供して頂きたいのです」

「なるほど。そういうことでしたら、喜んで協力させて頂きます」

 司祭から、場所と道具、資材の提供を約してもらえたレオンハルトは、イェルマとエマとともに礼拝すると、翌日朝の再訪で了解を取り付け教会をあとにした。

 宿を見つけてチェックイン。部屋に荷物を置いて食堂へ行くと、中は賑わっていた。レオンハルトは聖瓶軍の神官戦士だが、特段変わった服装をしている訳ではない。イェルマも旅のし易さに重点を置いた機能的な服装。エマに至っては、長らく人里離れた山奥での一人暮らしだったから、かなりみすぼらしい服装。特に注目を集めることなく席につき、各々おのおの食事を注文して来るのを待っていると、一人の恰幅のいい女性が近づいてきた。

「あんたたち、冒険者か何かかい?」

「まあ、そんなようなものだね」

 レオンハルトは、お茶を濁したような答え方をした。レオンハルトは、隠れ魔族とか闇で活動する異端とかを探し出し、裁定して処罰することを主な任務としている。ゆえに、活動を大っぴらにすることをはばかっており、できるだけ目立たないことを心がけていた。だから適当に相手に合わせて話を切り上げたかったのだが、そうはいかなかった。

「その子の身なり、ちょっとかわいそうなんじゃない。少しはまともなもの着せてあげたらどうなの?」

 エマに視線を向けていた恰幅のいい女性は、憐憫を込めた声でレオンハルトに問いかけた。レオンハルトは肩をすくめた。

「そ、そうですね。いろいろありすぎて、気が回っていませんでした」

「なら、明日あたしの店に来ない?せっかくなんだから、身綺麗にした方がいいわよ」

 恰幅のいいオネーサンはドヤ顔で提案してきた。こんなところで断りづらい営業トークをかますオネーサンの商売上手に恐れ入ったレオンハルトは、苦笑を浮かべた。

「午前中は用事があるので、行けても夕方前になりますが、大丈夫ですか」

「もちろん。必ず来てよね。この子、絶対見栄え良くなるわよ。私の見立てには間違いがないんだから」

「へぇ。マチルダがそこまで言うとは、珍しいね」

 ハンチング帽を被った、表情は柔和だがマリンブルーの瞳が鋭い若い男が、恰幅のいい女性に問いかけてきた。マチルダと呼ばれたその女性は、億劫そうに振り返った。

「なんだ、クリスかい。アンタの目から見て、この子どうだい」

 マチルダは椅子に座っているエマの後ろに立って、クリスと呼ばれた男に問いかけた。クリスは顎に右手をやってじっとエマを見つめる。見知らぬ男に見つめられ、エマは戸惑いの目をレオンハルトに向けた。レオンハルトは立ち上がり、クリスに一言申そうとしたが、その前に大きくうなずいたクリスが声をあげた。

「さすがマチルダだな。この子は王都でも通用する。喋りと歌をモノにできたら、すごいことになるぞ」

「すみません。話が見えないのですが…」

 レオンハルトは、マチルダとクリスの間に割って入った。神妙なレオンハルトの表情を見て、マチルダが詫びの姿勢を取った。

「勝手に盛り上がってごめんね。コイツはクリスといって、数多くの歌姫たちを排出しているプロデューサーなのよ。王都での仕事が忙しいはずなのに、こんなヘンピな片田舎にしょっちゅう来るのよ」

「それは、マチルダがいるからだ。アンタのデザインセンスにかなうデザイナーなんて王都にもなかなかいない」

「そんなに褒めても何も出やしないよ。変なおべっかだけは上手くなって」

「まったく。たまにホンネを言っても、そう言ってはぐらかして」

「軽薄なアンタが、私みたいなオバサンを褒めてもねえ。でも、アンタの目から見ても、この子は格別かい」

「うん。内から湧き出る神秘性がすごい。是非とも連れて帰りたい」

「ち、ちょっと待って!」

 また、マチルダとクリスが盛り上がってきたので、レオンハルトがストップをかけた。

「この子は、山奥から出てきたばかりで、今、大聖堂の教えを受けるための旅をしている途中なのです。今、そういう話は…」

「おっと失礼。ところで、あなたは?」

 クリスはレオンハルトに向き合って尋ねた。レオンハルトは、典型的な礼拝の姿勢を取った。

「私は修験僧のレオンハルトと申します。こちらにいるのは、旅の同行者である魔術師のイェルマです」

「よろしく」

 優雅に一礼するクリス。そのクリスに、レオンハルトは申し訳なさそうにして釘を刺した。

「その子はエマというのですが、司教猊下より巡礼の旅に出て各地で奉仕活動をするよう命じられており、私がその見届け役を承っております。まだ巡礼の旅を始めたばかりでして、今すぐ王都へ向かわせる訳にはいきません。どうかご理解頂けないでしょうか」

「そういうことでしたら、仕方ありませんね」

 大聖堂の名前を出されてしまったら、引き下がらざるを得ない。クリスは視線をエマに移した。

「人里に出たばかりであれば、歌姫のことだけでなく、広く世間を知らないだろうから、見識を広めることが先決。それらが済んで、歌姫のことに興味があれば、王都に来て僕のもとを訪ねて欲しい。待ってるから」

「あ、ありがとう…」

 おどおどして小声で答えるエマ。真祖バンパイアという、不死者というよりは超越者に等しい存在なのに、この場の雰囲気に飲まれて小さくなっている。それがレオンハルトには少し可笑しかった。

 そんなエマに、マチルダが声をかけた。

「明日、ウチの店においでな。見違えさせてあげるから」

「は、はい…」

「へぇっ。マチルダ、この子に目を付けたんか。パッと見、そんなにすごい娘に見えんが」

 ジョッキ片手に四十代くらいの男性が近づいてきた。それに釣られて何人か集まってくる。そんな彼らにマチルダは片目をつぶってみせた。

「なら、ちょっとしたファッションショーでもしてみようか。場所は私の店。時間は、そうだね、3時くらいにしようか。午前中はエマちゃんたち用事があるみたいだから、3時頃だと何とかなるんじゃないかな」

「それは面白い。なら、ワシは果実水でも差し入れで持ってこようかな」

「なら私は、みんなでつまめるクッキーでも持って来るわ」

 何だか、ものすごいことになってきた。ふと横を見やると、レオンハルトたちの食事を持っている従業員が、目を泳がせてソワソワしていた。従業員ですら圧倒されるとは。明日が少し怖くなったレオンハルトだった。


つづく

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とある瀬戸際騎士の左遷珍道中 Yohukashi @hamza_woodin

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