Divine


 「いや、困ると申されましても……困るのはこちらとしても同じでして……」


 元から細い目をさらに細めて、調査部隊の統括指揮官という役職についているリー・バレムという名の男が、弱った愛想笑いを浮かべて頭上をあおぎみる。


『――だって! だって! この子、人間だよ!? 子供だよ!? 生きてるんだよ!? そんなのを僕たちに託されたって……――どうしようもないじゃないか!!』


 リーが制止の意味を込めて両手を前に突き出しているその上前方1mもない場所に、その巨大な鋼鉄の顔は在った。


 正確に言うならば、人の顔のようなそれだった。

 完璧に人間の形にして造られているわけでもないそれだが、その圧倒的な質量感と視覚索敵用カメラレンズ――通称モノアイ――の鈍く赤い光が、人間のそれとは全く異なる威圧感をもって苦笑いのリーを捉えていた。


「いやぁ、それはもっともなご意見ではありますが……何と言うか、こちらとしても限りなく想定外の副産物とでもいうべきか……つまりはそういう事ですので、我々の方で処理してしまうにはあまりに重大な事柄という訳で」


『どういうワケなんだよっ?! ――ああっ! もうともかく! 僕たち知らないから君らでなんとかしてよね!』


 リーの目の前まで詰め寄ってきたその人工の顔は、その赤い一つ目を点滅させて抗議の意をしめすかのような表情を見せる。

 そしてさらにズウンとでてきた、これまた人間の手を10倍のサイズで造ったかのような鋼鉄のマニュピレータが伸びて、リーにその右手の中のものを押し付けるようにする。


「いやいや、やはりここは落とし物を拾った人間が責任を持って交番に届けるという、人間的常識を踏まえた上でもナインさんたちにたくすのが筋かと」


『なんだよそれ! そんな話で誤魔化されないよっ! っていうかコレ落し物の部類に入んのぉ!? ――いや! そもそも君らが調査を依頼した遺跡で出てきたもんなんなら、君らが責任とって持って帰るべきだよねっ!?』


 突き出された鋼鉄の右手を押し返すかのように両手を突っ張ったまま――それでも笑顔のリーは――サイズの違いからか、傍から観ればドでかいてのひらに寄りかかっているかのようだった。


「なんのなんの、私どもが依頼をしたのはあくまで調査隊の物理的支援でございまして……調査そのものをナインさんたちに依頼した覚えはつゆともありません。そちらが興味本位で勝手に詮索せんさくして見つけてきたものならば、やはりここはナインさんたちが責任を負うのが普通かと」 


『うわっ! ひっどい言い草だなそれー! ぼくらが侵入して内部からセキュリティ乗っ取らなかったら、ずっと指くわえて見てるしかなかったってのにさぁ!』


「もちろん、そのことに関しましては迅速な依頼遂行ならびに契約条件の一切を破ることがなかった手前、深く感謝いたしておりますし、報酬も上乗せでお支払いする所存でございます。――あっ、なんでしたら、この”遺跡の一部”も追加報酬としてナインさん達にお渡しするというのではどうでしょう?」


『い、遺跡の一部ったって、生きてる人間……それも、お……女の子を……――報酬としてなんか貰えるかよおおおぉぉっ!!』


 一体どれだけの規模の空洞が広がっているのか想像すらできない洞窟の中、彼の愛機AMG頭部に設置された外部スピーカーからナインの絶叫が木霊こだました。










 

 

 ――事の要約をするならばこうだ。


 リディアの依頼を快諾かいだくしたナイン達が、迎撃システムの完全無傷での施設掌握を実現させるため、GK社が調査用に持参した装備をフルに活用し、なんとかかんとか施設内への物理的侵入を可能にし、あとは性能の違いをまざまざと見せるべく中枢コンピュータへとクラッキング。

 トゥリープ一人でセキュリティの完全掌握を成し遂げた。


 とまあ、ここまでは良かったのだが、問題なのはその後だった。


 意外にも事がスムーズに向かい、調子を良くしたナインが施設の最深部にまで探検に出たいとダダをこねだしたのだ。


 無論GK社の調査隊は、無闇やたらに遺跡を荒らし回らんでくれと懇願した。

 だが「調査隊が心置きなく遺跡調査に踏み入れたのも全ては自分のおかげ」といったよう事をかさに着てナインがぶーたれ始めた。


 結局、調査隊の人間が折れたという形で話はまとまったのだが、そこで、またまたナインがとんでもないものを見つけてきてしまったのである。


 それらは長さ約2mほどで直径が1mにも満たない、細長い円筒形の入れ物だった。


 それが危険なものかどうかもわからないにもかかわらず、平然と――というか深く考えないナインは「なんか知らんがお宝だ!」と叫んではAMGを駆使してのそれらをありったけ回収してきたのである。


 そして問題発生。


 回収してきたそれらは調査隊の調べで、コールドスリープカプセル――細胞を絶対零度で保存して腐敗や病原菌の進行を防ぐ手立てとしての技術――であることは判明したのだが、その中の一つに未だ生命反応を色濃く示す一体が残っていたのだ。


 しかもそれが人間――完全な形での人間、これといった異常は見受けられないおそらく正常で健康であると推察される十代半ばの少女が、奇跡的に生き残っていたカプセルのなかで人工の眠りについていたのであった。


 以上、要約終わり――。










 

「それで、いいように丸め込まれたワケですね」


 未だに第一、第二、第三と連続的に調査隊を送り続けているGK社の調査隊本部。

 様々なコード類がひしめく異様な空間にたった一つだけ設置された、まる囚人を拘束するためのような台に、寝かしつけられたままのトゥリープが虚空を見据えたまま呟いた。


 補助電源も有しているというごわごわしたボディスーツ、黒地のぴっちりとしたラバースーツの上に白と水色を基調として縫い合わされた布地をそのまま羽織ったような衣装、売り文句をそのまま口に出すなら「機能とデザインを両立させた超高性能スーツ!」という事らしい。

 無論、ナインが何を考えてこの人工ボディ用のスーツを購入したのかは謎である。


 そのスーツから露出した人工肌に直接無数のコードを差し込まれているという異様な状態のトゥリープのその脇で、しょんぼり感を余すことなく表現している――膝を抱えて部屋の隅で丸くなってる――装いの当のナインが、ガクンと項垂うなだれるようにうなずいた。


「だってあのひと、口がやたら上手いし……」


 すこし涙声にすらなっているナインに、トゥリープは視線をうつさず、ただやはり虚空を見据えまま呟くように喋る。


「まあ、見つけてきた物がモノですからね。第一、あれほどに技術的価値の高い遺産を必要ないと豪語してまで厄介払いをしている手前、そんなものを勝手に掘り出してきた、ナイン――あなたにも問題はあります」


 先ほどから一点を見つめたまま身動みじろぎ一つしてないトゥリープは別段、不甲斐無い事この上ない主人に辟易へきえきしてるためとか、そういう理由ではない。

 ただ単に、旧時代のセキュリティとは言え、自分一人で施設の全機能を掌握という大胆な作戦を展開したことは意外にもトゥリープの電子脳に負担を与えていた。

 そのためのシステム修復と、防衛のために流されたかもしれない潜伏型のウィルスに感染してないかどうかの検査のために調査隊本部の多機能なマシンを使って、人間で言う健康診断みたいなものを受けている最中なのだ。

 故に機能の一部――人造ボディへのハードウェア出力――をいちじるしく制限しているので、傍からみれば口だけしか動いていないトゥリープが映るのだった。



「だってさぁ……そもそも、僕らが見つけ出さなかったとしても、調査が進めば直に出てくるモンだったんじゃないの?」

「その場合はしかるべき状況対処をしながら慎重に作業を行っていたでしょうね。何もわからないままカプセルだけを強引に引っこ抜いて持ってくるなど、まずしないでしょう」

「……うぅっ……」


 トゥリープのその言葉に、ナインはまたしてもがっくりと頭を落としていじけだした。


 そう、ナインが「お宝だ」とかぬかして掻き集めてきたものは、正確にいうならばコールドスリープ装置そのものではなかった。

 ナインは何を考えたか――いや、恐らくは何も考えてない――、コールドスリープの装置ではなく、その被験体がはいっているケースの方を引っこ抜いて持ち出してきたのだ。

 本人の弁によれば、「だってあんまり大きいからAMGでも運び出せなかったんだもん……」と、限りなく普段から何も考えずに行動してます風情ふぜいな言い訳だ。


 それはともかく、ナインのその行動は非常に危険な側面をはらんでいた。


 コールドスリープとは、つまりは冷凍保存である。

 無論、死滅した細胞をそのままの状態で保存するなどということもあるが、そのためならばわざわざコールドスリープなどという大掛かりな装置は必要ない。

 問題は生物を生きたまま保存するという事である。そのためのコールドスリープ装置であり、技術なのだ。


 つまりそれがどういう事かと言うならば――

 人工冬眠している間も生存を可能としなければこの装置の意味はない。

 被験体の生命維持装置は必要不可欠で、勿論もちろんその生命維持装置はケースではなく装置そのものに内造されている。

 それをナインはぶっこ抜いてきたのだ。


 幸いにも調査隊の話では元の装置がかなり信頼性の高いものらしく、なにか不慮ふりょの事故で装置とケースが分断されても被験体の生命活動がストップされるようにはなっていなかったらしいが。 


 そして、ナインの行動はもう一つとんでもない問題を引き起こしている。


 何の目的でかは言うまでもなく不明だが、少なくとも何らかの理由が存在して、この少女はコールドスリープについた――あるいはつかされたのだ。

 それをナインが無理矢理叩き起こしたに近い行動をとった。これで問題が発生しない確率はおそらく低いと考えられる。


 さらには、その叩き起こしたに近い対象が旧時代の人間であるということ。

 その一点こそが、先ほどの繰り広げられたナイン対リーの言葉の攻防戦――結果は明らかだったが――の要因だった。


 そう、問題はその被験体がイヌやらネコやらではなく、自分達と同じ、少なくとも自分達と同様の思想やら感情を有する存在だということ。

 そこには何らしかの複雑な人間的事情が絡んでいることに違いはなかった。


 はたして、その少女が一体いつの時代にコールドスリープなどという――所謂いわゆる、現存しているタイムマシンに一番近い機能を有している装置を駆ってまで、何を成し遂げようとしているのか。

 あるいは何かやむ負えない事態により人工冬眠などについたのか。


 ともかく総じて言って、そこらへんからは厄介事の匂いしか漂ってこない。

 それも、普段ナインたちが味わっている問題事なぞとは比べ物にならないスケールの事態であることは確かだ。

 何故ならば、その少女は旧時代――最終戦争以前の施設で人口冬眠についていたのだ。

 目の前の施設に誰か――現代の人間――が手を加えていない限り、この事実は揺るぎ無い。


 そして、そんな掛け値なしの厄ネタを好む人間は極めて少ないのだ。


 ならばもっと巨大で国家規模の機関に託してしまえばいいという考えは、今この時代を生きる人間にとって意味を成さない。


 この惑星を牛耳ぎゅうじる統合連邦政府などという機関が存在していること確かだ。しかし、その機関の役割はこの星に生きる人間の統括統治などでは決してない。

 統合連邦軍が考えているのは専ら、この惑星の再生と自分たち――“ガーデン”の中の人間とそれに付属して暮らしている人々だけの事なのである。


 “ガーデン”とは――

 この惑星の中枢都市とも言えるピースクラフト並びにそれに匹敵する規模を持ち、テラ・フォーミング化されている大都市のこと言う。まさに安全で快適な人造の箱庭を指しての名称だ。


 そして、それ以外の砂漠に住む人間を“アウター”と呼んで区別しているのだった。


 “アウター”と呼ばれる人々を“ガーデン”の人間は「人」と見していない。

 たとえ自分たちの町、テラ・フォーミング化されたオアシスの外でどれだけの人間が野たれ死んでいようとも、“ガーデン”の人間は眉を顰めてこう囁くだけだ――「まったく、また町の周りが屍骸で汚れていくじゃないか」――と。


 どれだけ助けを請うても、“ガーデン”の人間が町の外のへ出てきて手を差し伸べたりしない。

 差別などという生易しいものではなく、例えば目の前で蟻がまさに息絶えようとしていてもその蟻を救おうと考える人間がいないように、彼らはこの町の外に自分たちと同じ人間が生活してるなどいう事実は意識すらしないのだ。


 だからこそ、そんな機関があの少女を保護してくれることなど考えられない。


 万が一、興味を示そうとも、研究施設で監禁状態か、下手をすれば何の躊躇ちゅうちょもせず解剖されてしまうかのどちらかでしかない。


 いくらナインたち砂漠に住まう人間が、弱肉強食の力だけがモノを言う世界で生活を続けているとはいえ、一人の人間をそんな場所に押しやったり、もしくは砂漠に放りだすなどという事ができるほど、ナインもGK社の人間も外道ではなかった。


 だが、だからと言って損害にしかならない要素をえて招き入れる程、お人好しもこの世界には住んでいない。

 そこはみな、一様にしたたかだ。


 故に、先ほどのナイン達の激しい論争である。


 そしてその結果、面倒事は言うまでもなくナインに押し付けられた。よほど、厄介事の神はナインに入れ込んでいるらしい。



「それで、その少女はまだ?」


 ナインの「うん」という鼻声と、トゥリープの体の各所に繋がっていた大小様々なコード接合部分が軽い破裂音を残して外れたタイミングが重なる。


 トゥリープはゆっくりと上体を起こして各部の連結が正常に行われているかを確かめるために、手を開いたり握ったり、首を巡らしたり瞬きをしたりした。

 まあ、その仕草が相変わらず人間としか思えないのは、ナインの変態さ加減を内包ないほうした――技術力の優位性ということにしておこう。


「あ……どう? 何の問題もなし?」


 さっきまで愚図ぐずっていたナインが打って変わって明るい能天気な声をかける。


「私の方は問題ありません。それよりどうするのですか、ナイン」


 とても中身が無機質な材料で造られたと思えない柔らか動作で、トゥリープは備え付けの寝台から降り立った。

 そして、いつものようにその青玉せいぎょく色の瞳でナインを捉える。


「うーん……トゥリープ、君はいつもそうやって解決のための手立てだとか、結論だとかを急かし立てるよね。僕ぁはそーゆーの、良くないと思うんだけどなあ。ホラ、結論って急ぐとロクなことないっしょ? もっと過程を大事にしなきゃ。なんたって人生は結論じゃなくて過程なんだから」


 さっきまでうずくまるように丸まってたにも拘わらず、今度は胡坐あぐらの上で腕を組んで、まるで悟りを開いた僧侶のように、したり顔でウンウンと頷いている。


「では過程を十二分に堪能しながら、可及かきゅうすみやかに解決のための手立てを実行してください」

「うぅーん……なかなか、難しい要望だね、それ」


「ナイン、あなたは常日頃から『事態を悪化させないためには、何よりも行動を起こすことが大事だ』と、そう仰ってましたね?」

「えーっと……」


 冷や汗をだらだら流しながら、それでも首を90度近く傾けて反論を考えてるナイン。


「あなたのその豊富な経験と人間理論に基づく明光な思想は、私の電子脳では到底及びません。よって、事態の処理はあなたのその豊かな人間的思想に委ねます。どうぞご自分が気の済むようような方法で見事解決してください、ナイン」

「――偉そうなこと言ってゴメンナサイっ! 僕のチンケな脳じゃあ何の解決策もうかんできませぇん……! だから、お願いだから……何とかしてトゥリープぅぅ……ぅぅっ……」


 音を立てる勢いでトゥリープの足元にすがり付いて泣きはらすナイン。

 そしてそれを冷ややかな眼差しで見下ろすトゥリープ。


 今、第三者がこの二人を目撃したら一体どのような関係と勘違いするだろうか? ――間違いなくアンドロイドとその所有者には見られまい。



 調査隊の本部といえども、たかだか移動用の大型ホバートラックである。内部は人間が10人は入れない構造になってる。

 運転席を除いても本部として人が出入りするには少々不自由に思える車内は、実際ナイン達を除けば留守番役とでも言うべき通信士が二人しかいない状態だった。

 その通信士たちもよほど暇なのか、二人でカードゲームに精をだしていた。


 そしてその脇をズルズルと異様な音を立てながら通り抜けていくトゥリープ。もちろんその右足にナイン一人の体重を引き連れたまま。


 運が悪く――というよりは当たり前の結果か、トラックの外へと通じるそれなりの段差でナインはトゥリープの右足を引っ掴んだまま、顔から地面に激突する。

 体重というよりは重心の違いで、全体重をトゥリープの足に任せていたナインの上半身は無論、トゥリープが段差を越えるために踏み出した足より早く地面に落ちる。


 それでもなお、両の腕を放さなかったのは何の執念なのか。その腕のおかげで、トゥリープの電子脳で行われた歩行制御に修正がかかった。

 当初踏み下ろすはずだった地点よりも若干ずれた、ナインの頭の上という地点に足を下ろさなければ姿勢を保てなかったのだ。


「――ぶげゃっ!!」


 半べそで顔を上げようとしていたナインの後頭部にトゥリープの全体重――カーボン合金と特殊シリコンのボディ単体で80キロに、スーツの背部補助電源20キロがプラスされている――を乗せた足が踏み落とされる。


「失礼、ナイン。それで、その当の少女は今どちらに?」


 ナインの頭を何事も無かったように踏み越えたトゥリープだったが、踏まれた状態のまま動かない主に仕方なく歩を戻す。


「説明するまでもないとは思いますが、今のはあなたに問題がありました」


 地面に伏したままのナインを中腰で見下ろすように、傍まで戻ってきたトゥリープが声をかけるが、ナインからは返事の一つも返ってこない。


「…………………」


 しばらくはその状態のまま静寂の時が流れるが、次第にナインのすすり泣く声が漏れ始めたので、ただ単にいじけているだけということが判明した。

 しまいに「もう僕知らないからねっ! なんにもしないからねっ!」と叫びだした、そのナインの言動が何よりの証拠だった。


「そうやって事態を放棄することはあなたの勝手ですが、それによって伴う損害も全てあなたのものですよ、ナイン?」


 そんな風なことを母親が子供を諭すように語り掛けるトゥリープだが、ナインの方からは「うう……」だとか「ぐぅ……」だとかいう、何かの鳴き声のようなものしか戻ってこない。


 しばらくは、ありきたりな言葉でナインを説得しようとしていたトゥリープだが、今回のナインは本格的にからこもってしまったようで、なかなかすんなりとは機嫌を取り戻すことは無かった。

 トゥリープは何度か、理路整然とした――なおかつ、ナインの不甲斐無さによってもたらされる事態の深刻さを鋭く突く言葉でナインを説き伏せてみたが、むしろさらに追い詰めているらしい事を知って、手法を変えることにした。


「――わかりました。今現在の状況では、これからの行動の基準を定めることができません。少なくとも、私がシステムを休止させていた間の事態の推移は、今ここにいる人間の中ではあなたしか知りません。ですからどうか、いつもの考えなしのあなたに戻って、行動を起こすために状況の説明を強く望みます」


 降参という意味を示すための動作である両の手を頭の後ろに持っていく仕草をしながら、トゥリープは丸まってるナインの背中に言葉を掛ける。

 とりあえず、この場は何であれその存在が必要不可欠であるという事を強く押して、根拠のない自信に満ち溢れたナインに戻ってもらわなくてはならなかった。


「……ほんとに……?」


 そうまで言った所で、ようやくナインはいじけて背けていた顔をあげたのだった。


「ええ。少なくとも、事態がどうなっているのは私には把握できてませんので、この場はあなたに状況の詳しい説明をしてもらう事が必要です」

「ま、まあ……僕がいなきゃどうにもできないって言うんなら……仕方ないから協力してあげないことも無いけど」


 その「必要」という言葉にどうやら自信と存在の定義を確立したらしいナイン。先ほどよりは幾分澄ました顔で立ち上がると、払った程度では取れそうにない泥をそれでも勿体ぶって払い除けながらそう言っていた。

 しかしながら、言うまでもなくこの問題はトゥリープにではなく、ナイン本人に降りかかっているという事を正しく理解できていないようだった。


 そこには、取り敢えず今は触れないようにしながらトゥリープは訊ねる。


「ともかく、その旧時代の少女を、現段階では私達でどうにかしなくてはならないという事ですね。もっとも、今この場で放棄を決め込んで逃げ出すなどという選択肢はあなたの中には初めから無いのですから、結局はいつも通り、差し引きでは損害にしかなりませんが……」


 そこで言葉を切って、どうしようもなく厄介事に巻き込まれるその不運をあまり深刻に考えてない自分のマスターを見据えながら続けた。


「それでもあなたは自ら進んで引き受けるわけですね?」


「まあ、これも人助けだよ。リディアちゃんところも、ただでさえこんなどデカイ遺跡の調査に追われてるんだからさ。これぐらいはね」


 そう言って力無く笑ってみせるナイン。

 ナインのそのヘタレっぷりも才覚の一つだと言うのならば、この気弱な笑みを浮かべながら「人助け」などと進んで言い、そして実行できる部分もナインの才能なのだろう。


 しかしまあ、いずれにせよその事で不運を呼び寄せているのも自分自身だということにそろそろ気付いて欲しいというトゥリープの儚い願いである。



「取り敢えず、その事態の中心とも言えるそのコールドスリープされていた少女に会って話を聴いてみない事には何ともならないですね。その少女はもう意識は取り戻しているのですか?」

「さあ……。ジェシーの話だと、脳波とかにも異常は見受けられないからその内に目を覚ますハズだって言ってたからどうなんだろう? 目を覚ましたら連絡くれるとは言ってたから、多分まだなんじゃないかな」 


 ナイン達がこの遺跡を発見し、GK社が乗り込んできてから、かれこれ12時間は経つとういうにも拘らず、未だこの遺跡を取り巻く喧騒は変わらない。

 おそらくGK社の調査部隊全員がここに集結しているのではと思わせる程の数の人間でごった返していた。


 トラックの外、本来は薄暗い空洞であるが――今はこれでもかというライトやらの照明で照らし出されている広大な洞窟の中は、まるで人工の太陽が照らし出す“ガーデン”に装いが酷似してるように思える。もっとも、「不朽ふきゅうの都市」とまでよばれる“ガーデン”にしてはあまりにも殺風景な背景だろうが。



「ジェシー……ジェシカですか? こちらに来ていたのは知りませんでした」

「ああ、うん。あとから合流してきたみたい」


 目が眩む程の明かりの中、ナインの行く先に歩を合わせながらトゥリープは訝しむ。


「合流と言っても、ジェシカは確かGK社の開発部付きではなかったのですか? 調査隊に追従するには管轄違いでは?」

「聞くところによると、何が埋もれてるか見当もつかない遺跡だから彼女のチームの新装備とかでって、調査隊を技術的にサポートするってのが名目らしいよ。あと彼女等、やることないからって回されてきた仕事以外にも顔出してるって話だし。今回もそんなトコじゃないの?」


 トゥリープの怪訝けげんにさしたる興味を示さないナインが、いつもの能天気な口調で言う。 

 その後を付かず離れずトゥリープは後を追う。


「その程度の理由であって欲しいものですが……」


 そんなトゥリープの呟きを思いっきり呆けた表情で見返しているナインだった。



 ジェシーというのは――本名はジェシカ・ルストン。

 何年か前にGK社の技術開発部に顧問兼技術本部長として雇われた女性の事である。

 というのも、彼女は技術者としての腕は一流以上なのだが、それ以外の――主に性格的な部分で問題を起こす事が多く、様々な企業や機関から鼻摘はなつまみ者として左遷させんされてきた人間なのだった。


 性格的な問題とは言ったが、かなり険悪な人間とかそういうのではなく、言うなれば職人気質の技術屋といえばまさに的を射た表現だろう。

 確かに人付き合いは悪いし、性格もキツイと言えばそうなのだが、それでも部下達の信頼は厚く筋の通った好感の持てる人物であるとはナインの弁だ。

 事実、配属されてから間もないのに部下達からは慕われているらしい。


 年の頃はというと、そろそろ40代を通過するらしいという事だけがまことしやかにささやかれてる具合である。

 というのも、本人の口からは自分は女を捨ててこの家業に骨を埋める覚悟だと言い触らしているにも拘わらず、主にその年齢にまつわる話題等が浮かびあがると決まって機嫌を損ねるそんな技術本部長を――そしてその事実を――配慮の利く部下たちは巧妙に包み隠してきているのである。


 そんな彼女は、同じく変り種であるナイン達をえらく好んでくれている。


 もともと面倒見はいい方なのか、ジェシカは自分の会社が押し付けている仕事の内容と報酬の不釣合いさに同情してやたらと世話を焼いてくれているのである。

 そんな経緯でGK社の技術開発部の面々とはそこそこ付き合いのあるナインたちだった。

 大企業の技術部と付き合いがあるというのはAMG乗りのナインにとってこの上ない程の特権である。最新の技術を未だ開発途上の新装備などで、モニタ――試験期間――として依頼された仕事で活用できたり、ときにはそのまま装備を貰えたりからだ。


 そして何を隠そう、実はナインの戦闘補佐――よりもむしろナインの保護者としての役割を余す事なく発揮している超高性能AIたるトゥリープのソフトウェアや基礎プログラムを手がけたのもこのジェシカなのだ。


 そんな背景からして、未だにジェシカはトゥリープを試験機の類として見ている節がある。

 事ある毎にバージョンの更新を薦めてきたり、電子脳内で追記されていく統計データやらの提示を求めてくるだけならばまだしも、しなくてもいいような様々な改良を施そう躍起になっており、それはもう改良というよりも改造に近い内容だ。


 トゥリープにとっては親にも似た人物でもあり、もし電子脳になんらかのトラブルがあったりした時などはこの上なく頼りになる人間であることは確かだが、自分がいい様にいじくられてしまいそうなのが恐ろしいところだ。


 そんな人間的な危機感を覚えれる自分の異常さをも試験機という事にまとめて、ナインの後に付き添って歩いていくトゥリープだった。









 ナイン達は、遺跡とその周りを無数に取り巻く照明やら調査用の大型車両やらが集結している場所から少し離れ、仮工事で取り付けられた移動式コンテナが規則正しく並んでいる区画にいた。


 広い空洞の中に建造されたこの遺跡も随分と規模の大きいもので、どうにも一日やそこらで調査を済ましてしまうには無理がある判断され、GK社からの派遣要員の仮住まいを含めた作業場の建造を優先された。

 その中の一つにジェシーら技術部が割り当てられたコンテナも在るらしい。



「――では、ジェシカさんのところで預かって貰っているのですね?」


 ナインの脇に並び、今までの経緯けいいを連れ立って歩きながら聞いていたトゥリープがいつもの抜けた表情で手を頭の後ろでくんでブラブラ歩いているような主人の顔を覗き込む。


「まあ、預かって貰ってるとゆーか、ジェシーの方が興味津々しんしんとゆーか。何てーか、あの人も損得関係なく自分が興味持つことにはかなりご執着するタイプの人間だから。何かもう全部任せちゃっていいんじゃないかって思えるぐらいだよ」


 常に張り付けてる――ある意味達観してると思わせる程に気の抜けた表情のナインが、大した感慨もなく答える。


「任せてしまう訳にはいきませんが――しかし、厄介をかけることになるのは間違いないでしょう。ナインの話ですと、結局何一つ状況は進展していないので現状把握もあまり意味は成さないようですし」


「だってまあ、こんなケースに遭遇することなんて万に一つも有得ない確率じゃん。それの対処法なんて……ねぇ?」


 特に深刻そうな雰囲気は微塵も感じさせず、ナインは唯一の相棒兼保護者のAIに同意を求めるように笑った。


「笑い事ではありませんよ、ナイン」


 あまりに楽観過ぎるナインの性格にぴしゃりと言い放つトゥリープだが、当のナインは叱られた子供の様に「はーい」と気の入らない返事をするだけである。



 話しながら目当ての技術部に割り当てられたという組み立て式の大型コンテナを探しあぐねいていたナインが、ようやく見つけたという顔で一つのコンテナの前で息を吐く。

 というのも、まだ組み立てられたばかりの無数のコンテナにはその所属を表わす類のものは未だ取り付けられたいなかったので、ナイン達は幾つもの同じ型でしかない巨大な長方形の箱を一つずつ回っていたのだ。


「こちらですか?」


 無論、疲れるという言葉が存在しない機械のトゥリープは、思った以上に疲れるらしいコンテナ探しでへばっているナインにちらりと目を遣る。


「確かココだったと思うけど……――ああ! なんで同じモンしか並んでないんだよ、ほんとにさあ!」


 そんなナインのぼやきは無視して、コンテナの中に通じるドアを開いて中に足を踏み入れていたトゥリープ。

 窓一つないコンテナの内部だが、空調の類はしっかりとされているらしく、暗くて湿気の多かった洞窟内とは違って人間が生活する上での快適な環境に整えられていた。

 その中で、GK社のロゴが入れられた白衣に身を包んだ何人かが仕事に従事している。


 そして、その様々な実験機で埋もれかけている部屋に入ってきたナイン達をいち早く気がついた馴染みの社員が親しげに声を掛けてきた。


「ああ、ドモっす。部長なら多分奥に引っ込んでると思いますよ。もう、呼ぶのも面倒ですから、勝手にあがっちゃってくださいっす」


 全くの外部の人間であるナイン達に惜しげもなくそう言ってのけては、また自分のデスクの方に向き直ってしまったその若い男。そして、挨拶一つで遠慮なく奥へと先進んでいくナイン。 

 その後ろにトゥリープも続きながら、技術情報の漏洩やその他の事を一切危惧しないここの社員達の豪胆さはドコから来るのか――と、明らかに開発途上らしい装備の数々の外装データだけでもをさりげなくインプットしながらそう感じていた。


 仮建設とは言え、それなりの大きさがあるコンテナ内部で、幾つかの部屋を抜けてジェシカがいるらしい最奥部の部屋の前まで辿りついた。


 そしてやはり、全くの遠慮もなく自動ドアで開いた部屋へと入り、能天気な声をあげる。


「やっほー。なんか進展あったー? ――って、暗!」


 ドアが開け放たれたのと同時に中に入ったナインだったが、その言葉通りに一切の明かりが灯っていない部屋の状況に思わずたじろぐ。

 そして恐る恐る中に踏み入り、「あれー、ジェシー居ないのー?」と部屋の中に声を掛けてる。


 だがその後ろ、人工眼に内蔵されているそれを暗視レンズに切り替えていたトゥリープは、部屋の中に一人の人間の姿を確かに捉えていた。


 トゥリープがその人物を自分の中に記憶されている人間と同じか照合するまでもなく暗い室内からナインの問いかけに答える声があった。


「こっちだ、こっち」


 その年季を感じさせる独特なしゃがれ声が自分のすぐ横から聞こえてきたことで、情けなく悲鳴をあげて尻餅までつくナイン。

 それと同時にまだ部屋の入り口の近くにいたトゥリープがすぐ側にあった電灯のスイッチを入れた。


「相っ変わらず、騒々しいヤツだねぇ……」


 明かりが灯った部屋のその中央付近――個人用としては随分大きい机から顔を上げた一人の女が、自分の脇でヘタっているナインを呆れたように見下ろす。

 どうやら電子顕微鏡のようなものを覗き込んでいたらしいく、その頭に付けられた暗視装置のようなゴーグルと机の上に置かれたそれらしい大掛かりな装置を取り外しながら不機嫌そうに髪を掻き揚げた。


 薄いグレーのスーツの上に他の社員達と同じ白衣を着て、長いセピア色の髪を無造作に括り上げたその化粧気のしない容姿に、少しつり上がった双眸としゃがれ声が妙な迫力をかもし出しているこの女性こそがジェシカその人だった。



「お、脅かさないでよ……。何で部屋の中真っ暗なんかにしてんのさ?」


 情けない声を出しながら心臓を押さえているナインが床に座り込んだまま、ジェシカの顔を見上げる様にして訊ねる。


「ちょっとした調べモンだよ。お前さんには関係ない」


 独特なハスキーヴォイスでにらみつけるようにして床の上のナインに言葉を叩きつける。

 目つきも悪ければ言葉もきついジェシカだが、少し付き合いがある人間なら判るように、根は面倒見の良い世話好きな人間だ。

 それを理解しているナインだけに、普通の人ならば縮み上がってしまいそうなその迫力ある睨みをどこ吹く風で受け流しては「関係ない」と言われた部分に食い下がる。


「なになに? 調べもんって何? 関係ないとか言われると逆に気になんだけど。てーか、それ僕にも見してよ」

「だからお前さんには見てもわかんないモンなんだ――って、こら! 勝手に覗こうとするんじゃないよっ!」


 ジェシカがしまいかけていたその装置に取り付こうとするナイン。

 それをさも鬱陶しそうに払いのけるジェシカだが、好奇心全開で無駄に動きの良いナインはそれを掻い潜って装置を覗き込む。


 何度かその頭を押しのけようと奮戦していたが、ついに諦めてナインに装置を譲り渡してしまい、胸のポケットからタバコを取り出して火を点け、溜息とともに煙を吐き出していた。


 そんなジェシカに頃合いを計っていたトゥリープが声を掛けた。


「お久し振りです、ジェシカ。どうしてまた、技研の方々が遺跡調査などに同行しているのですか? またいつものように何かのいわく付きですか?」


 トゥリープは開口早々遠慮なく、技術開発部――または技術研究部と呼ばれる部署の人間がこの遺跡に派遣されてきた事情を答えは特に期待せず問いかけた。


「どうしてって、そんなもんはあたしらだって知りたいぐらいさ。上からの命令だよ、命令。全く嫌になるねぇ。理由も聞かされずこんな所に飛ばされて」


 ジェシカはそう言ってまた不機嫌そうに煙を吐き出す。


 いつものジェシカは機嫌が悪くなくても悪く見られることが多々あるが、今回は本当に剣呑な表情を表わしていた。

 その表情からみても、どうやらジェシカも知らされていない事実があるらしいとトゥリープは読み取っていた。


 そして同時に少なからずトゥリープは困惑していた。――何故その部署を取り仕切っている人間にすら事情が伝わっていないのか、と。


「それよりもだ……」


 そんな懸念を感じていたトゥリープだが、ジェシカのそれまでの不機嫌さを払拭したかのようなそのご機嫌な声に危機を覚える。


「久し振りじゃないかい。――ところでトゥリープ、あんた最近、記憶中枢ちゅうすう回路や思考回路に定期的にノイズが入ることがあるだろう? 実はねぇ、この前の改修ん時に取り付けた集積しゅうせき回路のチップが高性能なだけあってずいぶん不安定な代物だったのさ。使い込めば込むほど、通常の生活の中からでも磁波の影響が少しずつ効いてきて、地味にチップを痛めつけてくもんでね。あんたみたいに高速処理を求められる純戦闘補佐タイプのAIにとっちゃあ、致命的じゃないのかい? どうだい? こっちに三日も預けてくれりゃあ新しいヤツと交換してやれるんけどねぇ」


 先ほどの不機嫌さを微塵みじんにも感じさせない口振りのジェシカが、椅子の上でタバコをくわえながら獲物を追い詰めるかのようにニヤリと笑う。


 トゥリープの状態やらを本人よりも間違いなく詳しく知るジェシカの事なので、電子脳の定期検診の度におそらくわざとこういった問題を残してトゥリープをいじる口実にしているに違いなかった。


「その代わりに、何かまたとんでもない新装備とやらの実験機として利用されるワケですね」


 さすがに溜息混じりとまではいかずとも、トゥリープも呼吸が可能ならば溜息の一つでも出していたいところだった。

 そんな人間となんら変わりない思考を有するAIを手がけた人物はと言えば、その独特なしゃがれ声でカラカラと笑いながら言う。


「さすがはあたしが製造つくった中でも類を見ない程の傑作機なだけあるねぇ。的確な状況把握だよ。……で、どうするんだい? なーに、確かにちょっと試したいことはあるけど、改修後のシステム効率は三割強ほど上がるし、それに何も爆弾組み込むってわけじゃないんだし」


 それすらやりかねない確率を計算し、その計算結果が自分の予想を遥かに上回る数値であることが解ってもトゥリープにはどうする事もできない。


 何故ならば、彼女の主は一切の常識的見解を持ち合わせず、おそらく何も理解っていないだろうジェシカの装置を覗き込んでは、「ほーっ」だとか「おおっ」だと「なるほど」だと「そう来ますか」だのその場のノリで声をあげているような人間なのだから。


「断っておきますが、そもそも私の所有権はそちらのナインが持っているので、基本的には拒否権も決定権もありません。ですので、そういう話はそちら同士で話しあって決めていただけますか」


 悲しき運命を背負った超高性能のAIが、皮肉でもなく悲壮でもなく、ただ無感動にそう言ってのけた。

 そんな悲しき運命も定めた生みの親も特に無感動に、「そうかい。そいじゃあ、もう決まりだね」とタバコをふかしながら言ってのけては――


「いいかい! そういう事だからトゥリープはこっちで暫くは預かる事になるよ!」


 ――と、未だ装置に釘付け状態のナインの頭を軽く叩いてから、話し合うではなく一方的に怒鳴る。

 叩かれた当人は「ほほー……え?」と間抜けな顔をしていた。



「そんな事よりもジェシカ、私達がわざわざ伺ったのは何もそのような理由ではないのですが……」


 本来の目的を一向に果たせないままジェシカの元に何日間か預けられるという状況になってしまった事を憂慮するべくもないトゥリープが、もう一つの本題に切り込む。


「わかってるよ。あのお嬢ちゃんの事だろ?」


 そう言った技術本部長などという不似合いな肩書きを持つジェシカが、渋い表情で咥えていたタバコを机の灰皿でもみ消して息をつく。

 そしてだるそうに立ち上がっては「付いて来い」と手で示して部屋の出口へと向かっていく。

 どうやら、その例の少女がいる場所まで案内をしてくれるらしかった。


 言われるがままに、トゥリープと、そして――先ほどの話の内容を把握できずに首を傾げたままのナインがその後ろを追って部屋を出た。



 コンテナの最奥部の長い廊下をジェシカの先導で進む三人。


 その中でいち早くナインが沈黙に飽きて先を行くジェシカに声を掛けていた。


「そいでどうなの? その子の事でなにか新しく判ったことある?」


 両手を頭の後ろで組んだまま、いつもの能天気な声をあげるナイン。

 その声に顔の半分だけ振り返ったジェシカが、眉間にしわを寄せた不機嫌な表情で一瞥いちべつをくれてから「付いてくりゃわかる」と短く返す。


 そのジェシカの雰囲気がどことなく曇っていることに気付いたナインは、トゥリープに後ろから囁きかけるように潜めた声で「なに? ジェシーどったの?」と喋りかける。


「理由は知りませんが、ともかく機嫌が良くないことだけは確かのようですね。あまり無思慮な言葉で彼女の神経を逆なでしないよう努めてくださいナイン」

「なんだかその言い方からするに、まるで僕がいつも考えなしで喋ってるみたく聞こえるんだけど?」

「実際にそうだと私は認識していましたが、違ったのですか?」

「…………………」


 トゥリープの言葉を反芻はんすうするかのように目をつむっていたナインが、次のその言葉を受けて硬直する。

 内心はあまり深く信じていなかったそのことを率直に、トゥリープに言い表されてかなりショックらしいナイン。先ほどよりかなり気落ちした表情そのままでトボトボとジェシカ達の後に続いていた。



 しばらく歩いたところで、先頭のジェシカがコンテナ内の他の部屋と何ら変わりない一つのドアの前で足を止めた。

 どうやら、先ほどの部屋とはそれほどの距離があるらしいわけでなかった。


 ジェシカはおもむろに白衣のポケットからカードキーを取り出してドア横のスキャナー部分に通す。

 甲高い電子音と共にロックが解除されたこと表わす青色のランプに変わり、同時に開いたドアの向こうから白い壁で囲まれた病室のような景色が飛び込んでくる。


 しかしジェシカは、その部屋の中には足を踏み入れようとはせず、ただ黙って後ろの二人に部屋の中を示して見せた。


 怪訝に思う間もなく、素直に指差す方へと目を遣っていたナインが小さく声をあげる。



 確かに、ジェシカが指し示した先、ナインの視線の先にその少女はいた。



 まるで病室のように幾つもの白いベッドが並んだその一つに、年齢は十代半ばから後半であろう――まだ幼さを残す顔立ちの少女が、ベッドの上で上半身を起こした状態のままで俯いている。


「良かった、もう意識は取り戻してたんだね。これで少なくとも話しなら聞ける……?」


 安心したように呟いたナインだったが、まるでその少女のまとう違和感に今気付いたというように言葉を止めて眉をひそめる。


「どうしたのですか、ナイン」


 言葉の途中で固まってしまったかのようなナインに、トゥリープは訝しげに訊ねる。

 しかしナインは、トゥリープのその声にも何も言わず、ただゆっくりとそこへ――自分たちがここまで足を運んだ目的でもあるその少女のもとへと、静かに歩み寄った。


 その後に続いて、部屋の奥、その少女がいるベッドの一つまで近づいたトゥリープも、そこまで来てようやくその少女の異常に気が付く。


 反応がないのだった。


 自分たちがこの部屋に入ってきた事も、ここまで近くに寄ってきたことすら、まるで気付いていないかのよう一切の反応を見せない。

 その少女はただ無表情に、一箇所に視線を固定したまま、身動き一つしようとしない。


「ジェシー……この子……」


 自分たちの後ろから遅れて足を運んできたジェシカを振り返って、見つめるかのような視線を送るナイン。

 その視線を受けてジェシカは、苦虫を噛み潰したかのように眉根を寄せて、ナインに対して静かに頷いてから口を開いた。


「数時間前にもう目なら覚ましている。けど、それからずっとこの状態さ。声をかけても、目の前で手をかざしてみても……何一つの反応を示しちゃくれない。これじゃあ、確かに目なら覚ましてるけど、意識を取り戻してると言えるのか……。まったく厄介なこった」


 そう言ってジェシカは、眉間の皺をさらに深く刻んで大仰な手つきで頭を押さえる。



 その少女――

 病院患者そのままの姿で、まるでよくできた人形かのように虚空を見据えたまま――視線を一つに集中した何ら反応を見せないまま、ただそこに居た。


 しかしそれは、そこに存在しているとは言うにはあまりにもろはかないほど不確かだ。


 視線の先だけを辿れば、部屋の壁の一点に向けられてはいるが、しかし、その瞳に焦点は合わされていない。

 まるでその壁を通り越して違うものを見ているかのようで、そこに生きて存在しているという感じが全く見受けられないのだった。



「どういう事でしょうかジェシカ? ナインからの話では、体内や脳内にこれといった異常は見受けられないと聞いていますが」

「確かに、あっちでも軽い検査はやった。その結果としちゃあ、異常が見受けられなかったのは事実だと聞いてるよ。ただ、きちんとした施設があるわけじゃない。検査といっても簡易止まりだろうさ。それに、こいつどっちかと言うと……」


 そう言って言葉を濁したジェシカだが、彼女が次の言葉を言うよりも早く、ナインが付け足すように口を開いた。


「……“心”の方か……」


 ジェシカやトゥリープ達に向けてというよりは、ただナインはその少女への視線を投げ掛けながらひとり言のようにそう呟いていた。


 その少女からは確かに、目が見えないだとか、言葉を話せないだとか、耳が聞こえないといったような具合の問題ではなく、人間としての根本的な何かが欠如していることが明確に感じ取れた。

 そう、魂とでも言うべき人間の根本をつかさどる何かが。



「では結局、この少女から話は聞くことは不可能ということですか?」


 目的を果たせなくなったと知ったトゥリープが、同時に唯一の手掛かりとでも呼べるものすらも消え失せたに近いということを言葉にする。


「おそらくではあるが、そうに違いないだろうね。もっとも、あたしは医者じゃないから詳しいことはわかんないさ。もしかしたら容態は改善されるのかもしれないしね。ただ、今のままじゃ話を聞くなんて無理だろう」


 ジェシカは片手を白衣のポケットに入れたまま、もう片手方だけでタバコを取り出し、咥えて火をつける。そうして苦そうに煙を吐き出しながら言う。


「まったく……ウチの会社もこの事を知っていてまで、この子を押し付けたワケじゃないだろうがさ。アンタら、つくづく厄介事に恵まれてるもんだね。星の巡り合わせか、前世でしでかした悪行のツケか」

「その件に関してはおそらく、ナインには無意識に不運を呼び寄せる才能があるのではないのかという推測が最も有力な説です」

「そんな特殊な才能を持ったのが主人で、アンタも鼻が高いワケだ?」


 ジェシカはそう皮肉に笑ってみせてから、付き合いきれないといったように煙と共に溜息を吐き出すのだった。



 結局、行き詰ったという結論だけを得ただけで、事態はひとつも進展する気配はなかった。 

 やはり、いつものごとくナインたちに降りかかる問題は一筋縄ではいかないようだ。

 それは判りきっていたことであり、しかもトゥリープには今この現状を打開できるレベルの策も恐ろしく皆無であるということも理解っていた。



 と、そこで、いつもなら嫌でも顔を突っ込んできそうなナインの声をまったく聞いてないことに気付き、トゥリープは未だその少女から目を離さないでいるナインへと視線を移した。



「ナイン?」


 いつもとだいぶ装いの違うナインに、トゥリープは声をかける。


 だが、そのトゥリープの気遣いにもまったく反応の鈍くなったナインが「うん……」と、やはり視線を他へ移さずにそう呟いただけだった。


 明らかに様子がおかしいのは違いないのだが、なにやら思い詰めたようなそんな表情を見せるナインに、それ以上の詮索を阻まれているようで、トゥリープは次の言葉を口にするのを良しとしなかった。


「なんだい、ナイン。あんたがこれだけの時間口を閉ざしてるなんて随分珍しいじゃないかい」


 あまり関心が無さそうに、しかしそれでも一応、普段と違うナインの様子にジェシカもからかうように声を掛けた。


「……ああ、いや、何でもないよ。うん、ちょっと考えてただけなんだけど……たぶん僕の勘違いだ。気にしないで」


 そういうとナインはいつもと同じの砕けた陽気な笑顔を見せる。


 その答えに、ジェシカはさらに怪訝な表情へと変わったが、ナインはそれ以上を語ろうとはせず、少しの間トゥリープ達に笑みをこぼした後またその少女へと向き直ってしまった。








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