Perfect Imitation




 修復作業を完全に終えたトゥリープが再びナインに声を掛けた。


「こちらは終わりましたよナイン。それで、彼女の事はどうしますか? コックピットに預けておいて、操作の邪魔になりませんか?」


 そう言ってかたわらの少女を向き示す。


「え? ああ、うーん……コックピット狭いからなぁ。ただまあ、他に選択肢がないからね」


 顔だけをひょっこりと出したナインが困った風に眉根を寄せた。

 できる事ならば機体の操作に集中したい所なのだろうが、少女をこのままAMGの手にでも乗せておく訳にはいかなかった。


 トゥリープはまだ意識を戻さない少女のぐったりしたその身体を抱きかかえ、ナインのいるコックピットまで運んだ。

 その鉄の箱の中は、確かに一人がようやく居られるという程に狭苦しいものだった。


 力なく横たわる無防備なその少女をナインに受け渡す際、なにかやたらと挙動不審な主の様子を目にしたトゥリープ。

 何故か頬を紅潮させて、視線を左右にせわしく動かし冷や汗を浮かべている。

 その詰まる所を察したトゥリープが、只でさえ無感情なその瞳をさらに冷たくした。


「こんな時に一体何をお考えですかナイン? 最低ですね」

「ちょっ、ちょっと! 違う――違うよっ!! 決してやましい気持ちなんてないから!!」


 服装というにはあんまりな布きれを重ねて貼り付けただけの少女の身体。つまりはまあ、ナインの動揺っぷりとはそういう事だった。


「変な気を起こさず、操作に集中していただきたいのですが」

「ももも、もちろんだよっ! 当たり前じゃないか――ぼ、僕は分別のあるちゃんとした大人だからね! いたってノープロブレムだよ!!」


 激しくどもりながらも必死に取りつくろって胸を張るナイン。

 しかし何というか、トゥリープはそんな主人がその年齢で女性経験がないだろうという事ぐらい見抜いている。無論口には出さないが。


 自らのそんな主を最後まで冷ややかな目線で見送って、トゥリープも自信のアンドロイド用ボディをAMGの腹部へと潜り込ませる。


 コックピットとは比較にならない狭さのそのスペース、当たり前だがその人工の身体を最小限に折り丸めて収容させる。

 常に行動を共にできるよう、無理な改修でこのような空間を作ったわけだが、その有用性はナインという人物のダメさ加減に比例していた。


 簡易な固定具で身体を留め、上のコックピット部分から垂れ下がっている主要ケーブルを自身の後頭部のコネクターに繋げる。

 そうする事でトゥリープの意識は、小さなAI用ボディから、機械の巨兵そのものへ移り、そこで完全にAMGと同化するのだった。



「破損した戦闘プログラムの代用は私の電子脳で行えるとしても、機体ナビゲーションまでも併用してこなすには処理能力が不足しています。そちらは……」


 コックピット内の音声装置から聞こえていたトゥリープのその声が途切れる。


「ん? トゥリープ?」

「……」


 不審に感じたナインが呼びかけるのだが、まるで返事がない。


「トゥリープ? トゥリープってば!?」

「……いえ、なんでもありません。少しノイズが走っただけです」

「ノイズ? さっき話してた、遺跡中央でのクラッキングのしっぺ返しってヤツかな」


「断定はできませんが、おそらくその可能性が高いでしょう。ですが、自分の状態はしっかりと把握しています。電子脳に損傷はありませんし、厄介なスパイウェアを流し込まされた形跡もありません」

「でもトゥリープ、君のその電子脳を持ってさえも検知できない程の――厄介なモノを流し込まれていたとしたら?」


「……たしかに、その判別をする術を今の私は持ち合わせていません。ですが、間違いなく可能性としては低いでしょう。なんせ旧時代のセキュリティが相手だった……筈です」

「まあ、そうまで言うならいいんだけど……。やっぱり、君にも随分な無理を強いてるからかなあ」


「無理を強いているのは自身もでしょう、ナイン? これまでの戦闘の連続、並大抵の疲労ではない筈です。そんなあなたに役立てて貰えることが、私の望みであり――使命ですから」

「うん、そうだった。頼りにしてるよ!」


 景気のよい声を上げて、ナインはAMGを立ち上げた。


 応急処置を施したとは言え、片腕はなく、外装のアーマーフレームは歪み、機体の至る所が裂けて内部機構をさらしている。

 それでもしっかりとした足取りで地を歩むその鋼鉄の巨兵。


 隠れていた倉庫から抜け出れば、施設内の無数の監視カメラがナイン達の姿を捉えてしまうことだろう。

 そうなれば敵AMGとの戦闘は必至である。



 だが、状況は彼らが思うよりも遥かに悪い方へと傾いていた。



 倉庫から出る一歩――

 それを踏む前に、通路側に設置しておいた動体感知センサーが高速で疾駆しっくする機体反応を捉えた。

 そしてナインのAMGのレーダーシフト――熱源探査のために狭窄きょうさくとなったその索敵範囲内にも反応が浮かび上がる。


 その数、四。

 もはや言うまでもなく、こちらの位置を先んじて突き止められていたのだ。


「しまった――なんて早さだっ!?」


 ナインが毒づく合間に、倉庫の扉を貫通して銃弾の雨が降りそそぐ。


 素早く倉庫の奥へと反転するナインだったが、その行動が先を見越してのものとは思えない。

 いわく、これでは袋のネズミである。



「ナイン、追い込まれています! このままでは危険です!」

「わかってるけどっ……! 完全に裏を取られた! だめだ、位置取りが悪すぎる!!」


 ナインの機体は敵の攻撃を避けるため、し崩しに奥へ奥へと追いやられる。

 それこそが敵の狙いであると気付けても、そこから脱し得る手段が見当たらない。


 激しい銃火にさらされ、反撃の糸口すら見えず、ただ遮蔽物しゃへいぶつに身を隠して伏せるナイン。

 そもそも、今の彼の機体に満足に反撃できる手段などないのだ。虎の子であったレーザーライフル――なけなしのその武装は、右腕と共に遺跡の外に転がっている。

 残っているのは左腕と一体化している特殊プラズマで形成される近接用のブレードだけだ。

 それとて、接近するための推進力が低下している現状だった。


 攻撃の手段といえるものが皆無であるという、どこまでも厳しい現実が彼らにし掛かっていた。



「……奴ら、不用意に距離を詰めてこないな。くそっ、こちらがろくな武器を持ってないと察しをつけてるワケか。ならもうちょっとめて掛かってもいいだろうにさっ」


 敵は圧倒的に有利な立場にいるというのにかかわらず、慎重に距離を取って射線を重ねている。 

 無理に距離を縮めれば確かに攻撃の命中率も上がるだろうが、それを行わず、被害を最小限に留めた実に堅実な攻勢である。


 さらには、無駄弾を避けるように的確にこちらの隙を狙ってくる。

 遮蔽物に隠れた亀の子戦法である今のナインにとっては、時間を十分に稼げるという利点があるものの、その稼いだ時間はどこにも当てようがないといった所だ。


「おまけに遺跡の内部だというのに、今までよりも思い切りよく発砲してるようですね。おそらく何らかの目的を果たしたのでしょう。それでもう、施設の被害を気にする必要がないと」


「絶体絶命ってヤツか。そこらの資材でも投げてつけてみようか? ……なんてね」


 冗談ともとれないそんな言葉を低い声音で口にする。

 久々に目にする渇いた表情のナインだった。


 その顔には憔悴しょうすいし切った雰囲気が余す事なく見受けられる。やはりナインとて人間だ。窮地きゅうちに立たされれば血の気も引くものだろう。



 その主の苦悶の表情をコクピット内カメラから窺っていたトゥリープ。そしておもむろに音声を出力する。



「ナイン、提案があります」

「提案? 何か良い策でも、トゥリープ?」

「ええ。おそらくこの状況を切り抜け得る唯一の策です」


「……ちょっと待って、唯一だって?」


 ナインはどこかいぶかしげな表情でトゥリープに対している。

 普段ならばこんな険のある顔を向けたりはしない。やはりこの男は、理屈云々では量れない感性の鋭さというものを持ち合わせているようだった。



「ナイン、少女を連れてAMGを降りてください」


 トゥリープのその言葉に、より一層ナインの眉間のしわが深くなる。



「後は私が機体を制御して、敵陣へ突撃を仕掛けます。運が良ければ数体は道連れにできるかもしれません。仮に敵機の数を一つも減らせなくても、生身のあなた方ならばこの遺跡のどこへなりと身を隠せれるでしょう。敵はおそらくこの遺跡に対する目的を果たしたようですし、そう長時間ここには留まらないでしょう。見つからずに逃れられる可能性は大きいかと」


 矢継ぎ早に、自身の立てた作戦を説明するトゥリープ。それらの提案が理に適っている事だけは確かだった。



「……その案を僕が呑むとでも思ってるの?」


「冷静に考えてください。あなた方が生き残れる方法は他にありません。相手は完璧なプロ集団です。それはあなたが一番よく理解しているでしょう? 相手の慈悲や気まぐれは一切期待できないのであれば、こちらから策を打って出し抜く以外に道はないはず」

「――そのためにキミを犠牲にしろって!?」


 元来、代替が利くAIの電子脳ではあるが、擬似人格を形成するのは蓄積された時間と経験でもあるのだ。

 つまり、今ここいいるトゥリープは、これまでナインと共に過ごした故に形成された自我であった。


 同じプログラム、初期条件でAIを一から作り直したとて、今のこのトゥリープになる事は有り得ない。

 無論、AIとしてのその機能だけをとって見れば何も問題は生じない。


 だがこのナインという男が、そういった割り切りができる筈もなかった。

 AMGと直結したままのそれは、機体の死がイコール彼女の死である。



「ナイン、き違えないで下さい」


 しかし彼女はまるで揺らがず、そう強い言葉を投げる。



「私は機械です――ただの道具なのです。どれだけ人間のように振舞えても、感情が実在するかのように見せかけていても、所詮しょせんそれはプログラムの一種でしかないのです。先程の言葉をもう一度繰り返します。ナイン――あなたに役立てて貰える事が私の使命であり、望みなのです」


「そんな事……分かってるさ……! ――それでもっ……!」


 震える声が響く。


 ナインにとっての彼女はただの道具などでは勿論なく、長い年月と数多くの死線を共にしてきたかけがえのない存在であるのだ。

 その事は多分、トゥリープ本人とて知っているだろう。



「どうか心積もりをしてくださいナイン。私にとっては、あなたのそんな胸の内の思いだけで十分なのですから……」



 似せられた感情――

 本当にそれは、偽りであるのだろうか? 


 ナインの耳朶じだに響いたその人工音声は、さざめくような優しい余韻をともなって彼の心の真芯を揺さぶるものだった。



 短くない沈黙の間も、彼らを取り巻く環境は変わらない。執拗に――しかし冷静に、4機の連携した攻撃が断続されている。

 機体を無闇にさらすことはしないが、それでも時間の問題のように思える。


 ナインの覚悟を待つトゥリープはそれ以上の言葉を掛けない。



 だが、コックピット内の沈鬱ちんうつとも取れるそんな空気を破ったのは意外な存在だった。


「……雨……ナミダ……」


 ナインは思ってもいなかったその後ろからの声に勢い込んで振り返る。


 気を失っているとばかり思っていた件の少女――だがその薄目は開けられ、コックピット内の低く薄暗い天井を捉えていたのだった。


「意識が……!?」


 少女は相変わらずぐったりと横になっているように見えたが、その瞳には今までのような空虚さがない。

 弱々しくあるがその瞳には意志を示す光が、人の心の確かな証明であることの確然とした輝きが宿っていた。



 そして、その瞳はゆっくりとナインの方へ向けられた。



「心は、あるよ。そこで触れ合った、時間と思いの分だけ」


 か細いが凛とした、そんな鈴のように透明に鳴り響く声色がナインの耳に届く。


「だから、痛い……辛い……」

「何を……?」

「お互いが通った、心だから……引き裂かれるのは、痛くて辛いの」


 横たわった少女のとび色の瞳とナインの青灰色の瞳が向かい合う。


「あなたも……痛い? 心が、裂かれるのは……辛い?」


 それまでは焦点の定まらないでいたおぼろげなその視線、しかしここに来てそれは実体を持ったものとなる。

 少女は手を付いて起き上がると、首をかしげるようにナインの顔を覗きこんだ。



 その問いかけに、ナインはしばらく呆然としてしまった。



 けれども次第、ゆっくりと口を開く。


「……うん、そうだな。心を引き裂かれるのは、やっぱり辛いよ」


 少女の切れ切れの言葉に、ナインはそう薄く笑んで答えた。

 すると、少女のその瞳も、つられる様に優しく細められたのだった。


「あのヒトも……心を、引き裂かれたの……」

「――あのヒト? 一体、誰の話を」


 少女の話に思わず不審な表情を返すナイン。


 そんなナインの見つめながら、今度少女がしばし逡巡しゅんじゅんし、けれども次にはゆっくりと言葉を繋げた。



「……あのヒトは……

 ――“顕現せしめる者マニフェスター”――」



 その少女の言葉を内部音声入力装置で拾ったトゥリープの電子脳に、これまでで最大のノイズ波が襲いきた。


 思考を寸断されるどころか、抵抗をしなければそのまま吹き飛ばされてしまいそうなほど圧倒的な量の情報が彼女の電脳内を駆け巡る。

 そんな彼女の異常は、メインモニタの両端に突如として羅列されだした解読不明な文字群が教えてくれた。



 突然のことに驚愕し、ナインは素早くメインモニタを制御しようとするが、それがまるで出来ないのだった。


 画面の両端に突如として現れた文字列は一向に収まらず、ひたすら流れ続ける。



「どっ、どうなってるんだこれはっ!? トゥリープ! ――トゥリープ!! どうしたんだ――返事をしてくれっ?!」


 必死に呼びかけるナイン。



 だが異様な事態はその程度では終わらなかったのだ。


 ――いや、そこからがこそ本番だったのだろう。



 突如として始まった異常。だが実際の所、それはトゥリープにではくナインにこそ襲い掛かったのだ。


 操作盤から手を離し、AMGの操縦かんを握ったまさにその時、彼――ナインの脳髄に津波のような何かが押し寄せた。


 それはどう表現すべきか、河川かせんを決壊させる程の激流――ナインの神経という伝達手段の限度を超えた、そんな莫大な量の何かが彼の全身を駆け巡ったと、そう言い表せたかもしれない。


 そして、それに耐え切れずにナインの意識は飛ばされた。





 次の瞬間に起こった事は、ほぼ実体を伴わないかのような、そんな夢幻の体感であった。





 ナインが意識を取り戻した時、彼の五体の感覚が消失していた。


 無論、五体の感覚が消失した”感覚”など知る由もないのだから、それはそういう風に呼べたというだけのものだ。


 はじめ、フワフワとした意識がかすみ掛かった遠い世界に浮付いていたかと思うと、幾筋もの光の奔流が辺りを過ぎる。

 それが一方向の流れを形作ると、途端、ナインの見ていた世界は現実味を帯びたのだ。



 見覚えのある光景、直角と直線で描かれた人工物の壁、柱、床。捨てられた資材や鋼鉄製のコンテナが散乱した倉庫のような部屋。



 そう、それは今さっきまでナインが居た場所。4機の敵AMGに囲まれ、コンテナを盾に身を伏せっていたさっきまでの場所だった。

 ナインがAMGのコックピットからディスプレイ越しに見ていた視界そのものである。



 だが、どうしてか違和感が残る。



 言うなれば、それは今までの二次的な映像でなかった。

 それまでAMGのモニター越しに見ていた光景を肉眼で捉えたかのような感覚。



 しかし、そんなものよりも大きな違和感――不可解がナインを襲っていた。



 それを認識したのは、目の前で繰り広げられた、その一連の動きを見て取ってからだ。



 まるで時空がよどんでしまったかのように、知覚できないほどの高速で彼に向かってくる筈のAMG用ライフルの弾頭が遅々とした動きで宙に在り、それが溶けるように空間を裂いて迫る。

 飛び交う弾丸をこうまでゆっくりと観察できた経験などない。


 向かってくるそれを身を捻ってかわすと、回転しながら近付いてきたその円錐形の物体は、後ろの鋼鉄の壁へとゆっくり吸い込まれ、火花を散らし、液体のように滑らかな動きで粉々に砕ける。


 それはおそらく、実際に見た映像を何百分の一という速度に加工して再生させたものなのだろう。



 だが、呆然とするナインがそこでさらなる事実に気が付く。


 それは今自らの肉体が人間のそれではないという事実だ。


 そう、今ナインは自分の愛機であるAMGそのものであるという壮絶な現実に感づいたのだった。


 いや、それを果たして現実と呼べたものかどうか。



 自らの手足を動かすように、呼応していAMGの身体が動く。

 しかしてそれは、目の前の光景と同じようにまるで時間を遅らされているかのごとくゆっくりと動く。



 確信などはなかった。

 それでもどこかしらの予感めいたものが、今のこの状況を説明付けてくれる。



 今現在、時の流れがナインだけ加速して動いている。

 そして彼の意識は今、AMGそのものと同化しているという事だ。



 それはあたかも、トゥリープが日頃体感しているような光景だったろうか。


 あるいは、そう錯覚させられているだけかもしれない。

 今、彼の体感速度だけが周りから切り離されているかのようで、そして自分がAMGそのものになったという錯覚。



 と、そこで、眼前に一機の敵AMGが横からゆっくりとフェードインしてくる姿を捉えた。 

 その位置からならば余計な遮蔽物はなく、まっすぐに攻撃されれば防ぐ手段はなかったろう。


 だが、それは今まではの話であった。


 飛来する弾の軌道など今のナインには容易く読み取れ、バーニアを使った急激な加速による回避行動などを取らずとも、AMGの手足の制御運動を駆使して躱す事ができたのだ。

 本当に、まるで自らの肉体かのように。



 その瞬間に、ナインの中の戦士としての本能が勝機という名の行動理念を呼び覚ましていた。



 ナインそのものも、時間の流れが淀み、遅延してはいるが、今のこの状況は途轍もなく有利なものであると確信する。

 貫性の法則による機体が流れる位置、その最初の出だしさえ見抜けば敵の動きを先読みする事が可能だったからだ。


 その理論を実践すべく、ナインは遅延した世界に向かって自らの足を踏み込んだ。



 反応がすこぶる鈍い。

 いや、鈍いなどという話では割り切れない。当たり前の話だったが、いつもの感覚ではとても制御しきれないのだ。


 しかしナインの天性はそれすら超えていた。



 敵が発射する弾丸の軌道は手に取るように予測でき、ナインはその未来位置に機体をさらさぬようAMG――自らを――を前進させる。


 敵のパイロットには、ナインの動きがどう見てえているのか気になる所だ。


 ナインは完璧なルートで敵機に肉薄し、唯一残された武器のエネルギーブレードをその敵機の胸部に正面から突き立てた。


 自分の身体ではないのに、自分の身体としてAMGが機能している――そんな奇妙な体験にも最早もはや慣れてきている。



 プラズマの剣を胸に突き立て、屠り去った敵から素早くライフルをもぎ取ると、意識をそこから離し、周りに展開する3機へと集中させる。


 さすがに遮蔽物のなくなったその場では、敵の交錯する火線を完全に避け切ることができないと、遅延した時の中で判断するナイン。

 しかし、要は直撃さえ避ければよいのだ。


 ナインは奪った敵のライフルを構え直し、ゆっくりと淀むように各個に動きだした3機の敵AMGの内の1機のその機動の痕跡――即ち、自身が発射するライフル弾が到達する速度と軸、敵機の機動する速度と軸、この二つが交差し、その地点に二つの物体が同時に被さるタイミングでライフルを連射した。


 遅々とした3方向からの火線がナインを掠めていくが、決して直撃する事はない。

 かわりにナインが狙い定めたその1機は、まるで自ら当たりに行くかのように見事そのからだを銃弾の前に晒した。

 側面から胸部に連続して3発を直撃させた事により、敵機はゆっくりとひしげるように大破した。



 もうここまでくれば、その理論に疑いの念を抱く必要もなかった。


 間違いなく、加速したナインの体感速度と自らの肉体と同等の究極のこの操作性は、この戦場で強力すぎる武器となっていた。



 残った2機がそれでも連携を崩さず、側面から回り込むように同時に迫ってくる。

 本来ならばここで意識が2つに牽引され、ナインは判断を見誤ったかもしれない。


 だが、今の彼らはとてつもなく遅いのだ。

 その2機がどう動こうとしているのか、それをじっくりと観察する事ができる。つまり今のナインは、常人よりも数百倍近い速さで思考ができるという事に他ならなかった。



 相手の動きを完全に読み切れる射撃と、同じく完璧な弾道予測による回避が可能となった今のナインに、敗北という二文字は存在しなかった。



 片方に向けて走り込むように近付きながら、ライフルを離れた位置のもう片方に向けて発射する――単純に言えば、それだけの行動。


 だが無論、加速したナインの思考は未来位置を完全に読み取っており、まるでそう描かれたシュミレータの映像の如く、離れた敵機は不可解なほどに正確な予測射撃の前に崩れ落ち、最後の敵AMGも至近距離からコックピットを打ち砕かれてその場に倒れ伏す。



 一体、現実の世界では何秒の事だったのだろうか。

 長いようで短い――その圧倒的密度の戦闘の幕が、今そうして閉じられた。



 そしてその際、何気なく傾いた意識がこの不可思議な空間の一点へと向く。



 そこに、居るはずのない人物をナインは垣間見た気がした。


 ボロ切れを纏ったような貧相な身形。顔はやつれ、死人の相をていしている。しかし、そのらんとした輝きの視線は、確かにナインを射止めていた。


 その顔にナインは覚えがあった。


 遅延した筈の世界で、まるで雷光のように、瞬間だけ、懐かしい顔をそこに見ていた。

 その人物を思い返した時、無意識にナインは声を上げていた。


 しかし、その声が発せられる事はない。

 今そこにいるナインは、巨大な鉄の塊でしかなかったからだ。



 そして、それを自覚する間もなく――





「ナイン! 目を覚ましてくださいっ! ――ナイン!!」


 突如の聞き慣れた叱咤しったの声が自身の耳に届き、身体を跳ね上がらせる。



「……どう、なってる……? ……夢?」


 気がつけば、自身の身体はいつものコックピット内に収まっていた。

 メインモニタの両端に流れていた意味不明な文字群も消えてなくなっており、そしておそらく、周りの時間も今は正常に戻っている事だろう。


「ナイン! 意識を取り戻したのですか!?」


「トゥリープ? 一体……どうなってるんだ……さっきまでのあれは……」


「わかりません、まるで不可解な事態が発生していたという事だけしか……。ともかく落ち着いて。ナイン、あなたが言う『さっきまでのあれ』というのは、目の前の……この現状の事ですか?」


 徐々に落ち着きを取り戻すかのように、次第、淡々とした口調に切り変わるトゥリープ。

 そんな彼女はAMGのカメラアイを操作し、周りのその光景をメインモニタに流した。


「これは……!?」


 そこに映し出された光景は言うまでもなく、無残に大破した連邦の量産AMGが死屍累々と横たわっているというものだ。



「……これを……僕がやったんだよね」


「――覚えているのですか、ナイン?」



 あの覆すことなど不可能と思えた窮地は、いまそうして物言わぬ残骸ざんがいと成り果てている。

 それはまぎれもない現実であった。


 だがそれでも、その張本人たるナインでさえ、本当は夢幻むげんの類ではないかという懸念を捨てられないでいた。



「私が巨大なノイズ波によるノックバックから回復したその時、すでにあなたはこちらの呼びかけにも応じない様子で……。そして、今まで見た事もないおそるべきAMGの操作を発揮して敵機を倒したのです」


「……うん、覚えてる。言った所で信じちゃくれないかもだけど……あの時、自分の肉体の感覚が消失して……そして僕はAMGと同化していた。それどころか、周りの時間の流れが遅延していたように感じられて……もう何が何だか……。けど、おかげで、敵の火線を容易く掻い潜る事が――」


 そこではっと気付いたように後ろを振り返るナイン。



 そこにはやはり相変わらずの様子でナインに視線を投げ掛けている少女の姿があった。



「き、君はっ――その、何か知らないかい? あの時、君は何て言ったんだっけ……確か……ええっと……」


 意気込んで質問を投げ掛けるナイン。


 あの時、この少女が言い放った言葉が、引き金になるかのように一連の異常が発生したように思える。


 だがそんなナインをまるで意も介さないよう、ただ柔らかく見つめ返している少女。



「ね、ねえ――ほら? 言ったよね、何かの言葉を……」


「セシル」


「――えっ?」


「わたしの名前、セシル」


「ああ、うん。そ、そうなんだ……。セシル――良い名前だね」


「あなたは?」


「――あい?」


「あなたの名前……」


「ああっ、うん。えと、ナインだよ。ナイン・クラウリィ。よ、よろしくね」


「うん。よろしくね」


 かみ合わない会話の最後、それでも少女は満足したように、その黒目がちな大きい鳶色の瞳を嬉しそうに細めて笑ったのだった。



「カ……カワイイっ……!!」


 純度100%のダメ人間へといつの間にか戻ってしまっていたナインが、左胸を押さえて硬直している。


 そのまま心筋梗塞で死んでしまって構わない――という、そんなAI思考プログラムのあるまじきバグが自分の電子脳の中から除去される日が訪れるのだろうかと、トゥリープは割かし本気で悩んでいる。



 ナインもトゥリープも、さっきまでの出来事が一体何であるかを知る余地すらなく、それでも運か実力か、ただ彼らは今日もこうして生き伸びた。


 それを、今はただ喜ぶべきだったろうか。


















 灯りも欠しい一室。

 青いスーツに身をやつした端麗たんれいな貴人が、一人で扱うには大きすぎる机に向かって数枚の研究資料を熟読していた。


 備え付けのスタンドライトの光以外、この部屋の光源は灯されていない。だが彼はそんな事には気も留めず、手元の紙切れに没頭している。



 ふと何かに気が付いたように、その紙束を机に置き向かって右横を振り仰いだ。


「”顕現せしめる者マニフェスター”――まさに事象の顕在化という訳か」


 芝居めいた口調と大袈裟な手振りは彼の生来の気質なのだろうか、しかしそれを向けられた暗闇からは何の返事も返ってこない。


「まあ、我々側の呼称など、君達にはとってどうでもいい事だろう。ただこちらは便宜べんぎ上、取り決めを行う必要があってね。これが中々に厄介で……。きっちりと名義しておくという行為は意外と重要なのだよ」


 軽やかな口調で闇のとばりに向かって話し立てるが、やはりそこからは一切の反応が送られてこない。


 だが、それをまるで見越しているかのように麗人は薄く笑んでいる。


「ふふっ……。まあ、応答がないという事は、これまで通りで良いという意味かな? ならこちらはその御意に沿うだけだよ。これまで通りね」


 そう言葉にし、うやうやしいというよりもわざとらしい一礼を見せる。



 手元の資料を片し、ゆるりとした端麗な動作で椅子から立ち上がる。そうして、彼はこの薄暗がりの部屋を後にするのだった。



 残されたのはごく僅かな光の領域とそれを取り囲む大きな闇の衣である。


 その明暗の境にぼうっと浮かび上がるは、陶器のような質感の不気味な顔だ。

 暗闇の中であってなお深く影を宿す不気味なその男は、消え行く残り火のように薄命なその灯りをそっと消したのだった。



















 赤く染まった熱砂の世界。

 時間と共に上昇する気温が大気を歪ませ、どこか幻想的な風景をかもしだす。



 そんな世界に壊れかけた人形がぽつりと鎮座していた。

 鋼色の光沢を帯びた巨大な人型。片腕はもがれ、もう片方がそれをを大事そうに抱えている。


 人類が生み出した最強の兵器であり、最高の個人武装たる神話の世界の巨兵。時に荒れた大地を悠然と走破し、時に天空をすら自在に駆け抜ける。

 そんな高度な技術の結晶たるそのAMGはしかし、壊れた玩具がんぐのようにそのからだを地面に投げ出して、まるで動こうとはしない。



「……ああー……やっばいねぇ、実際かなりやっばいよねぇ……」


 うずくまった巨人の足元、材質に光沢のあるテントが巨大なその脚をはりにして張られていた。



「先程から同じ内容の発言を15回は繰り返していますが、熱で言語機能に障害でも生じさせたのですかナイン?」


「うーん……暑さで頭がぼーっとする事は確かなんだけどね……ていうか、ぶっちゃけ今、命の危機なんだよこれ」


 強烈な紫外線から内部を守る断熱仕様の遮光しゃこうテントとは言え、中の人間が快適であるかと問われれば、勿論そんな事はない。

 現在の厳しすぎるこの惑星の環境は、技術によるどんな創意工夫がなされたとて充分ではないのだ。


 それでも一応はこの装備のおかげで、生身の人間が日照時にこんな砂漠の真ん中で生きながらえる事が可能だった。

 あくまで、生き永らえるだけだが。



「……ああああー……やっばいよね実際、実際コレ相当やばいよね……」


 テントの内部、伸ばし放題で手入れのされていない飴色の髪を力無く掻きほぐしながら、情けない表情の男が同じくらい情けない声を漏らす。


「水なし、食糧なし、燃料なし。気力の方も順調になくなってきたからねえ」



 今テントの中には3人――正確には2人と1体だが――がいる。

 ナイン、トゥリープ、そして詳細はまだ明らかでないが、自らをセシルとそう名乗った少女だ。


 彼女はそれまでの混濁していた意識からようやく目覚めらしいのだが、それでもまだどこかぼんやりとしている風だった。



「おまけにここの独特な地質の成分のせいで、通信手段のほとんどが役に立たないしねえ……」


「そんな状況に陥ると明らかに知っていて、無闇に行動を起こしたのはどこの誰でしたか?」


「だってさあ、あそこに留まってたらまた別の部隊でも送られてくるかもじゃないか。英断だったと、僕ぁ自負してるけどねっ!」


「確かに怖い物知らずの決断ではありましたね。なんせシステムと計器類の破損で方角も測れず、燃料すらも充分にない状態でこの砂漠地帯に飛び出してきたのですから」


「うう……」


 純白と呼べるほどに白い肌と透けるような青い銀髪が目を惹く美人が、傍らにへたり込むようにして足を伸ばしているナインへと顔も向けずに淡々とお説教を垂れている。


 トゥリープの行動用のそのボディは上に鎮座しているAMGとは違い、まだまだ充分な余力を残してはいるものの、だからと言って近辺の集落まで助けを求めにこの砂漠を横断できる程のものではない。


 なので仕方がなく彼女も、何をするでもなくそうやってナイン付き合って、ただただ座している。


 彼女のセンサーも隣にいるナインと、そして後ろで膝を抱えている少女の生体反応がかんばしくない事ぐらい読み取っているが、今のところ有効な手立てを行使できずにいる。



「ぐああああー……本格的にやばいよねえ……。汗が出なくなってから、もうこれで2時間は経つかあ……。いや、冗談抜きでやばい……」


「そうやって喋り続けるのもどうかと思いますよナイン。体力の損失は少しでも防ぐべきです」


「わかっちゃいるけど……喋ってないと気力が持ちそうにないよ……」



 ナインはちらりと後ろを振り返って少女を確認した。


 先程から彼女の事をナインなりに気遣ってはいるのだが、少女は未だどこか夢現ゆめうつつという感じで不安定なのだった。


 それでも時折、ナインの心配げなその視線に気付くと、顔を向けて薄く微笑んでくれる。

 その歳相応の愛らしい仕草にナインのニヤケっぷりは止まらず、どうやら口で言っている程には危うくはないのだという事がトゥリープに知れた。



 すると、そんな彼らの頭上から、天が急に唸りだしたかのような重低な爆音が響いてきた。


 何事かと不審な顔付きのナインを残してトゥリープは素早くテントを抜け出すと、近くの小高い砂丘へと走り出した。



 その頂上から、トゥリープの人間の何十倍の精度を誇る眼球が、はるか遠方の空より飛来する巨大な影を認識する。


 しばらく人間がそうするように眼を凝らしていたトゥリープだったが、向かってくるその大型航空機の尾翼に見慣れたGK社のロゴを確認すると、彼女は手早く発光弾を射出する準備に取り掛かるのだった。
















 GK社の大型空輸機の腹。

 貨物室に隣接して造られた小規模なそのスペースで、ナインは今まさに息を吹き返したかのような晴れ晴れとした表情でくつろいでいた。


「いっやはや! 一時はどうなる事かと思ったけどさー、やっぱり神様ってのは日頃の僕の行いを見てるもんなんだよなあ」


「流石ですねナイン。生じる結果の起因きいんとなる事象が常に貴方のもたらす行動であるという事をまだ理解できてないとは」


「なぁーにを尖った事言ってんのよトゥリープちゃーん! このままGK社の工場で修理どころか機体のオーバーホールまでしてくれるんだよ? これも全部僕の人徳ってヤツだとは思わないかい?」


 壊滅的な彼らの機体も今、この輸送機の腹の中に放り込まれていた。


「それを契機に、また何かの厄介を押し付けられるとは考えが行かないのですね」


「まったくもう、トゥリープちゃんってばホントに心配性なんだから」


 完全に世の中を嘗め切っている顔のナインが、妙ちくりんな仕草で向かいに座るトゥリープを仰いだのだった。



 そんな二人の元に、白衣を着た不機嫌そうな女性――ジェシカが姿を見せる。


 ジェシカ達を含めたGK社の調査隊の人間はナインらの奮闘あってか、ほぼ無傷で本社の方まで辿り着いたらしい。

 またその道中、車両を放棄して辛うじて生き延びた戦車隊の面々――マクダレン達も収拾されたという話だ。


 ただこちらの方はとても無傷とは言えない惨状であった。

 隊員の半数が帰らぬ人とはなったが、それでも戦車でAMGを相手取り、半数が生存というのは多大な戦果と言える。


 そんな彼女は、自身のコネでこうして大型空輸機をチャーターしてナイン達の捜索に事を及んでくれたのだった。


 本来ならば生存は絶望的と思われる所だろうが、ジェシカはナインのそのAMG乗りとして卓越した技量を熟知している。

 故に彼女は無理を押し通してここまで到来し、そして無事目的のナイン達を見つけてくれたのだった。



「ジェシー! ほんと助かったよ。今回ばかりは流石の僕も、人生を諦める瞬間が何度か訪れたもんで」


「そうかい。つってもあの状況からこうして生き延びてるんだ。ほんとにあんたら、大したタマだねぇ」


「それで、彼女の具合はどうでしたか?」


「ああ、体力を消耗してるだけで命に別状はないだろうさね」


 一時はしのいでいたが、やはり無理がたたったのか、輸送機に回収されるや少女は倒れてしまった。

 それを先程、ジェシカが医務室へ連れていったのだ。



「にしても、ああまで意識がはっきりと覚醒するとはね。こっちが撤収した後、一体あそこで何があったってんだい?」


「それなのですかジェシカ、私のほうからも幾つか確認したい事があるのです」


 そう言ってトゥリープは、たたずまいを直すように椅子に座りながら身体をジェシカに向けなおす。



「改まって何だい?」


「あの遺跡の事です。あの地下遺跡の事でそちらは何か把握している事実があるのでは?」


「知るわけないだろ、あたしらが。あの遺跡を発見したのはあんたらだろうに。何でこっちに話を振るんだい」


「そうでしょうか? 確かにあの遺跡の位置を発見したのは私達ですが、あの巨大遺跡――あるいはそれに類する施設の事を、予めそちらは何かしらで掴んでいるのではないのですか?」


「……一体、何を根拠にそう言い切るんだい?」



 弁の応酬に取り残されているナインが、ぼけっとした顔で二人を交互に見ているが、無論かまう事なくトゥリープは続ける。



「いろいろと腑に落ちない点がいくつかあるのですが……そうですね、まずは何より――ジェシカ、技術屋のあなたがこの調査に同行しているという点が最大の謎でしょう」


「というと?」


「あなたの性格は知っています。あなたのような一癖も二癖もある人物が、理由も知らされずに調査に同行という事自体が有り得ないと考えます。あなたの事ですから、何かしらの背景を掴んでいないとその重い腰を動かしはしないでしょう」


「ひどい言われようだねぇ。そんなにあたしは偏屈へんくつで通ってるのかい」


 そう不敵に笑んでから、ジェシカはどこか観念したかのような面持ちになった。そして、いつもの慣れた手つきで懐から煙草を一本取り出すと火を付けた。

 トゥリープが『機内禁煙』と書かれたプレートを指し示すように眼を遣ったが、当のジェシカはまるで気に留めていない様子だ。



「まあ、ちょいと事情があることぐらいは訊き出してるよ。けどその様子じゃあ、あんたらの方こそ何か掴んでるってな具合じゃないかい? まずはそっちの話を聴いてみたいもんだがねぇ」


 挑発するように紫煙を吐き出すと背をぐっと反らして、ナインとトゥリープの二人を見渡したジェシカ。



「思い違いをしていますね。我々が掴んでいる事など一つもありませんよ。ですが――」


 そこでトゥリープはさっきからほうけているナインへと視線を当てた。

 その当人はというと、初めは口を半開きにしたまま自我を喪失させていたものの、たっぷりの間を置いてからやっと合点がいったように顔を輝かせたのだった。



 ナインはあの地下遺跡内部での攻防、絶体絶命の危機に瀕した際に体験した、奇妙なあの一連の流れを掻い摘んで話した。



 黙って聴いていたジェシカだが、まるで雲行きが怪しくなるかのようにその顔色を変えていったのだった。


「なるほど……。――いや、あたしの方も確証と呼べるモンは一つとして持ち合わせちゃいないんだがね。ただ、ちょいとばかし小耳に挟んだ与太話を思い返しちまったよ……」


勿体もったいぶらずにお教え願えますか、ジェシカ?」


「…………………」


 トゥリープの性急な促しに、しかしジェシカ応じる事なくそっぽを向いて間を空けた。

 そして、ようやくして考えを変えたように二人に向き直ったのだった。



「大前提として、これから話す事柄は全て確証のない噂話みたいなモンだと思って聞いておくれよ」


 ジェシカは言いながら面倒臭げに髪を掻きあげた。



「あんたら――“星間戦争”って知ってるかい?」



 唐突なその言葉に二人は顔を見合わせた。

 だが早速というか、ナインが得意げな顔で何かを講釈ぶるのを――トゥリープが素早く制して口を開く。


「そのような根も葉もない空想話が、ここに来てどう関係するというので?」


「……まあ、そういう反応だろうさ。さっきも言ったけど、確証は一つとしてない話なんだ。空想話ってのもあながち間違いじゃないかもねぇ」


「その口ぶりから察するなら――“星間戦争”なる物がこの惑星の過去に実在したと捉えられるのですが?」


「――え? ちょっと待って? “星間戦争”って実在したんだよね? 違うの?」


「ああもう! 話が先に進まなくなるからあんたは黙ってなっ!」


 夢を忘れたくないアダルトチルドレンなナインがすっとぼけた顔で話に割り込んできたが、ぴしゃりとジェシカに釘を刺されてすごすごと引き下がっていく。



「まあ、誤解を与えないように説明するなら、“星間戦争”――即ち、星々の海を越えて移動できる程の超技術が存在したという確率が……今までよりも大きくなったと言い表すべきかねぇ……」


「それは、まことの話なのですか?」


「だから、確証もなんもない話だって始めに言ったろうに。……ただ、統合連邦政府が、そんな超技術を掻き集めてるって話なんだよ」



 その発言に、一同は銘々めいめいの驚きを見せた。



「連邦政府がそれらを見つけ出したかもしれないと?」


「ああ。けど相手はあの“ガーデン”の連中だ。やつ等んトコにスパイを送り込むなんて芸当、とてもじゃないが出来やしない。真実はそれこそ頑丈なあの要塞ん中さ」


「……しかし、無理矢理にでもそう仮定するならば、今回の襲撃の辻褄つじつまは合いそうですね。彼らが連邦の特務部隊――少なくとも精鋭中の精鋭であった事は確かです。大本の筋はそれで埋まるのではないでしょうか」


「さあ、どうだろうかねぇ……。だから今回、あたしも半信半疑で事に乗っかったクチなんだよ」


 ジェシカは深い溜め息をつくように煙を吐き出す。



 そんな中、少し顔付きを引き締めたナインが徐に言葉を紡ぎだし始めた。


「じゃあ、もしかしたら……本当にあの体験は“星間戦争”がもたらした超技術の片鱗だったとでも言うのかな……? あの地下遺跡には僕らが想像も出来ないような技術が眠っているって事で……でも、どうしてそれがあの時僕らに扱えたんだろう……」


 ナインは顔をしかめて唸っている。


 そんな彼を見たからではないが、トゥリープは自らの電子脳に介入されたかもしれないあの出来事を反芻はんすうしていた。



 AMGでの戦闘の最中に起こったあの強烈なノックバック。

 今まではあの施設が旧時代のローテクノロジーであると高を括っていたわけだが、これまでの話が真実そうであるならば、彼女の人工脳は既に得体の知れない超常的なテクノロジーによって別物に書き換わっていてもおかしくはないのだ。


 今そうしている自我でさえ、最早今は何か別の指向によって働きかけられているのかもしれない。


 全てが事実ならば、それを判断する術すら困難極まりないという事だった。



「それじゃあ、彼女は――あのセシルって子は何者なんだろうか……? 今までの話が全部本当の事だったとしたら、あの子こそが最も重要な存在って事になるんじゃ……」


 ナインが不明瞭な口振りでそう言葉にした。



 みな一様に答えを出せず、重い空気がその場にし掛かる。


 人間が容易に物事の全てを見通せない以上、それらは一つずつ解消していくしか手立てはない。されど、得てしてその道中は険しいものだった。


 今ナイン達が解消すべき問題を相手どるに当たり、そこに立ち塞がるのはあの強大な統合連邦という存在であるのだから。



「あたしらの及ぶところじゃないんだろうが、ただあの遺跡に連邦がご執心なのは確かのようだ。こいつはさっき入った情報なんだが、ウチが飛ばしてる無人偵察機――あの遺跡付近に辿り着くや、片っ端から撃ち落されてるって話だ」


「あそこへ後続部隊が投入されているという事ですか。どうやら、ナインの判断は正しかったようですね」



「ねえ……この話が嘘か本当かともかく、連邦のヤツ等はあそこにその超技術とやらが存在してると確証を持って動いていたんだよね? ならやっぱり、あの子は狙われる事になるんじゃないかな……? いや――あの子の存在があっち側に知れ渡ったとしたらだけど」


「その可能性は高いでしょう。やはり今回、途轍もない厄介事の種を仕込まれたようで」


「本当に、一体あの子は……」



「こっちが頭捻ったところで答えが出るモンでもないだろう。それよりも、本人に直接訊いてみちゃどうだい?」


「え?」


 そう言って、ぶっきらぼうにジェシカが開け放たれたままの部屋の入り口を指し示した。



 そこには、室内で渋い顔をして向き合っている3人をまるで不思議そうに、その大きな瞳を円くさせて佇んでいる件の少女が居たのだった。



「あ……も、もう平気なの? というか動き回って大丈夫なのかな、ジェシー?」


「あたしに訊かないどくれ。こっちは医者じゃないんだから」


「ともかく、セシルさんでしたね? こちらへどうぞ」


 若干あたふたし始めたナインと、さらに面倒臭げな表情に変わったジェシカらの手前、トゥリープはまだぼんやりとしている少女を促し、自分達の輪の中心へと座らせた。



「えーとその、唐突な話になるんだけど……君って一体誰なのかな?」


「セシル」


 単刀直入にそう切り出したナインに、少女がまた自らの名前を口にした。



「あー、うん……そうだった。名前はもう訊いてたよね。や、えっと、そうじゃなくてね……」


 少女はナインのその微妙な言葉の連なりを受け、ますますどこかおぼろげな表情を見せると、やはり首をかしげてナインを見つめ返した。



 今少女は、おそらくジェシカの物と思われる白衣を上から羽織っている。

 すそがだいぶ余っているらしく、ぶらんとした両腕がなんともだらしなくもあり、それが愛らしくも見える。

 赤に近い茶色の長い髪は流れるように左右の肩から胸の位置まで垂れている。

 すっきりとした癖のない顔立ちや、黒目勝ちな鳶色の瞳は儚げで、清らかで透明な好印象を与える。

 歳の頃は十代半ば程と見て取れるのだが、どこかあどけないというか、庇護欲をかき立てるそんな童女のような雰囲気があった。



「カ……カワイイッ……!」


 その無垢で無防備な大きな瞳に見つめられ、ナインがまたもだらしなく相好を崩す。



 免疫耐性の類が無さ過ぎるそんな主を押し退けて、トゥリープが少女の正面へと進み出た。


「セシルさん、あなたは自分の事を覚えていますか? 何故あの施設で人工冬眠装置に入っていたか、それらの記憶を持っていますか?」


 トゥリープの整然とした言葉を受けても、やはり少女の反応は寸分も違わない。どこまでもぼんやりと、月にかすみが掛かったかのような――そんな風なのである。



「それでは、自分の事で何か覚えている事はありませんでしょうか? どこに住んでいたか、家族はどのようなだったかなど――覚えている事ならば何でも構いません」


 ゆっくり言い聞かせるようなトゥリープの口調に即発されてか、ようやく少女はその細い眉を少しだけ寄せて、何事かを思案し始めた。



 そうして、同じようにゆっくりと言葉を吐き出す。


「わたし、おばあちゃんと二人でずっと暮らしてた」


「他に何か思い当たるものはありませんか? 些細な事でもよいのですが」


「んー……」


 だが、それ以上の回答を少女からは得られなかった。



 しばらくは根気強く質問を繰り返してみたトゥリープだったが、少女の記憶はその表情と同じく曖昧模糊あいまいもことした印象が否めないのだった。



「記憶喪失ってやつなのかね。コンテナで目覚めた時のあの感じといい、どうもそこら辺に問題があるように思うんだけどねぇ。何を切欠にここまで意識を取り戻したのか、逆に不思議なぐらいだよ」


 ジェシカはそう言ってお手上げとでも表現するように両掌を天に向けた。



「しかしそう考えれば、時間をてれば彼女の記憶もやがては鮮明になるという事でしょうか。どちらにせよ、彼女次第という部分は揺るがないでしょうが」


「けどさあ、さっきも言ったように“ガーデン”のヤツ等がこの子を狙ってるとしたら、相当厄介な事になると思うんだよね」


「その厄介事を請け負うという端を発したのは、あなたが考え無しに彼女のカプセルを無理に引っこ抜いてきたからというのを忘れてませんよねナイン?」


「……うん、あのー……――すんませんした」


 今ここに至ってようやく反省の色を示すかのように、ナインはトゥリープに深々と頭を下げる。


 そして、そんな二人を少女はこの上なく不思議そうに見つめていたのだった。



「まあ、この子の存在がばれて連邦の奴等が奪いに来たって、あんたなら撃退しちまえるだろう? なんたって、AMGにかけちゃ右に出る者なしな凄腕のナイン・クラウリィだ。気に病む事はないさね」


 限りなく人事の体でジェシカがからかうように声を上げる。


「ちょ、ちょっと! 今回だけで僕がどんな目に遭ったかはさっき話したでしょ!?ほっんと今回ばかりはやばいなんてもんじゃなかったからっ!」


「全くです。しばらくは目立つような行動は控えねばなりません。彼らの監視網は強力ですから、どこから割り出されるや。良いですかナイン、これまで以上に気を張り詰めておかないとですよ」


「うーん……。先の事考えるだけで……なんかもう詰んでるって感じがしてきた」


 苦い表情しか映さなくなったナインその顔をぼんやりと眺めている少女、はたして自分の件でこうまで彼が四苦八苦しているという事は理解していないと思われる。


 そんな純粋無垢な視線にナインがつられるように目を合わせると、少女――セシルは和やかに、そして嬉しそうに顔を綻ばせたのだった。



 セシルのその笑顔にどんな意味があるのかは定かではなかったが、純然たる単細胞ヘタレなナインの心臓を鷲づかみにする事は容易かった。



「トゥリープ……なんだか僕、今なら統合連邦政府を一人で相手にできそうな気がするんだ」


「どうぞ、お一人で頑張ってください」


 どこまでも清々しく一丁前な事をほざきだした主を、勿論トゥリープは止める気などない。



 結局、彼らはいつもと同じだ。

 貧乏くじという名の立ちはだかる困難を、それでも腕と知恵と幸運とで乗り切るしかないのだから。







 緩やかに死に迫りつつある惑星。

 しかし、そんな世界で尚、鈍くも輝きを放つ――人間という種族。

 驕りながらも、”答え”に近付こうとする生物。 






 そしてここに、名高い砂漠の傭兵ナイン・クラウリィとその相棒の物語がある。


 彼らはこれからも逞しく、そして頼り気無く、この干乾びた世界をAMGで疾駆していくことだろう。




 後にこの熱砂の星の一つの伝承となる事を――

 今はまだ、知らずとも。












〈to be continue ... 〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Age of Godchild 猫熊太郎 @pandlanz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ