Age of Godchild

猫熊太郎

Prologue



 雨はキライじゃなかった。

 

 けれどもぽたぽたとおちてくるくろい「ナミダ」が、あのヒトを見えないようにしてると思って……

 だからはやく空がはれてくれたらいいのにと、そうねがった。

 そうしたらあのヒトをもっとよく見れるのに。

 あのヒトのやさしいかおをもっとちゃんと見れるのに。


 でもどんよりとした雲が空にはたくさんあって、だからわたしはこの雨がすぐにはやんでくれないのがわかった。


 雨のいきおいがどんどんつよくなっていて、それなのにあのヒトはカサもささずにじっと立っている。

 外はまだすごくさむくて、わたしはあのヒトがどうしてじっとしているのかわからなかった。


 わたしはこの前買ってもらったお気に入りのカサをあのヒトに向けてさし出そうとした。

 けれどどんなにがんばってせのびして、うでをのばしても、とどかなかった。

 そのせいで、わたしにもつめたい雨がいっぱいかかった。


 そんなわたしを見て、あのヒトはいつもみたいにやさしく笑って、そして小さくしゃがんでくれた。

 そうするとわたしはあのヒトといっしょに入ることができた。

 でもカサが小さいせいで、あのヒトをぜんぶ雨から守ってあげれなかった。

 それでもわたしはうれしかった。

 いつもできるだけ大きく見あげないといけないあのヒトのかお――

 大好きなやさしいそのえがおが、今はわたしのとちょうどおんなじ高さにあったから。


 けれど、すこしだけいつも見ていたえがおとはちがった。

 雨でぬれたそのかおはいつもより元気がなくて、さびしそうに見えた。


「泣きそう?」


 わたしはよくわからなかったけれど、そんな気がしてあのヒトに言った。


「いや、大丈夫だよ」


 あのヒトはわたしのあたまに手をのせた。

 いつもならそうしてあたまをなでてくれるのに、今日はそのまま。

 それからわたしの目をのぞきこんだ。

 うす茶色の、いつものやさしいあの目。

 でもやっぱりそれはすごくかなしそうに見えた。


 雨はずっとつづいていて、カサの中ではその音だけがひびいていた。


 わたしはしんぱいになった。

 あのヒトはずっとそうしている。

 体がはみ出たまんま、ただわたしのかおをのぞきこんでる。


「びしょぬれだよ、おうちはいろうよ……」


 おばあさんにきいたことがあった。

 むかしの人がいっぱいお空をよごしてしまったせいで、今はつくられたお水じゃないと「ユウガイ」なんだって。

 だからそんな「ユウガイ」な雨にずっとうたれているあのヒトがしんぱいだった。


 けど、あのヒトはずっとわたしだけを見てた。

 そのかおはいつものようにやさしかったけど、でもなんだかくるしそうだった。

 だからわたしは思っていたことを言えなかった。


「セシル、聞いておくれ……」


 あのヒトが言った。

 わたしはちょっとおどろいたけど、すぐにあのヒトの目を見かえした。


「なぁに?」


 あのヒトはいつもとちがってたけど、でもわたしはそんなことぜんぜん気にしない。


「……とても怖い事が起きてしまった……」


 何がコワイのか、それでもあのヒトはぜんぜんあわてたりしてなかった。

 もし本当にコワイことがおこってるのなら、わたしなんかおちついてられないと思う。


 でも、あのヒトはつづけた。


「それはとても悲しいことで、そのせいで多くの人が傷つき……泣いている。本当は起こってはならないようなことのはずだった。けれど、もう実際に起きてしまった」


 そう言ったあのヒトはつらそうでかなしくて、どうしようもなかった。

 だからわたしはそれだけで本当にかなしいことがおこってるんだと分かった。


「そして、それを起こしてしまったのは他ならない……私なんだ……」


 言葉のさいごで、あのヒトのやさしいえがおがこわれた。

 かおをくしゃくしゃにするよう目をつぶった。


「全ての始まりは……この私だったんだ。何も知らぬまま、ただ力だけを追い求めていた。人の行き着く先にこそ永遠はあるなどと、在りもしないものを盲信し続けたその結果……私に残されたのは、多過ぎる犠牲と、あがなうことさえ許されないその罪だけだった」


 こんな声を出すあのヒトははじめてだった。

 わたしが知っているあのヒトはこんなにもつらそうなかおをしない。いつも、いつもおだやかでやさしい。

 わたしが知っているのはそれと、あとはときどき見せる、とてもかなしそうな……見てると心がいたくなる……そんなかおだけ。


「私にはゆるされることのない罪がある。それは十分承知していた。しかしそんな私にも、神は……罪を背負いながらも……人として生きていくことを認めてくれたのだと思った――いやそう願いたかったのだ。お前がいてくれたから」


 そう言ったあと、あのヒトはわたしをだきしめた。


 わからなかった。

 あのヒトの体はいつものように大きくてあたたかくて、やさしいにおいがした。

 だから本当にわからなかった。

 どうしてこんなにも、あのヒトはふるえていたのか。


「すまない」


 あのヒトはふるえる声でそう言った。


「全ては……おこがましいと知りつつ、人並みに救いを求めた私の所為せいだ。神が私の罪を赦してなどくれないことは、分かっていたことだった。なのにお前出会った時、私は……生きたいと願ってしまったのだ。――ただお前のために」


「どうした……の?」


 わたしは声を出すつもりはなかったのに、それでも知らないうちにそう言っていた。


「だが――たとえ神が私への贖罪しょくざいのためにこんな結末を用意したのであっても、そのせいでお前や、何の罪もない人々が傷つくのだとしたら……私は認めたりはしない、そんな贖いなど。護ってみせる――いつだってそう誓い続けてきた。私などがどうなろうと構わない。私は既に生きるべき人間ではないのだから。……ただお前だけは……絶対に護ってみせる――それが神への反逆になろうとも」


 だきしめられてるから、あのヒトがどんなかおをしているのかわからなかった。

 けどその声がすごくこわかった。

 あのヒトの事、「こわい」なんて思ったことなかった。

 すぐちかくからきこえてくるその声で、わたしはすごくイヤになった。


 今ここにいるのはわたしの知らないあのヒトだ。

 わたしは早くいつものあのヒトにもどってほしかった。


「人が何のために生きるのか、長年私はそれが分からなかった。だが、今ならば言える。セシル……私が生きる理由は……お前だ」


 あのヒトはわたしからすこしはなれて、それでもまっすぐにわたしを見る。

 それはやっぱり、わたしの知っているのと同じだけど――ちがった。


「……だから……だから私は行かなければならない。世界を護るなどという大それたことをしたいのではない。ただ私は……お前を護りたい」

「……ヤダ」


 あのヒトが何を言いたいのかなんてはじめからわからない。

 でも、わたしはこわかった。

 だから「ちがう」って言ってほしかった。


 でもあのヒトはこうつづけた。

 「さよならだ」――って。


「私は……私の打ち止められた過去――血と硝煙しょうえん瓦礫がれきまみれた過去との決着をつけるため、そして何より……お前の未来のために往く」


 あのヒトは立ちあがり、わたしからはなれた。


「ヤダッ! 行っちゃやだ!」


 わたしはこわくて――

 あのヒトがわたしの体からはなれたのがすごくイヤで――

 だから声をはりあげた。


 できるだけ大きな声でさけんだ。

 けれどあのヒトはもう一度わたしをだきしめてくれなかった。


 何かに気づいたように、あのヒトが空を見た。

 わたしもつられて、まだたくさんの灰色の雲ばかりの空を見る。


 あのヒトがなんで今、空を見上げたのかふしぎだった。

 けどそれはすぐ見つかった。


 どんよりの雲ばっかりの空。

 その雲がどんどんちぎれていった。 

 ナニカが空をとんでいて、それが灰色の雲を切っていく。

 そして、あっという間にこっちにきた。


 あれはなんだろう?

 わからないそのナニカがわたしたちのすぐ上をとおりすぎた。

 それから赤いお山を大きくまたいで、またこっちにくる。


 見上げると、そのナニカはもうわたしたちのそばにいた。

 その大きさにわたしは目をいっぱいにした。


 わたしはそれを知ってた。

 見たことはなかったけど、でも、おばあさんにも聞いたことがあった。


 それはキカイのお人形だった。

 わたしがもってるようなのとはぜんぜんちがう、もっといろんなことがたくさんできるお人形だった。


 おばあさんが言ってた、いまはこのお人形で「センソウ」をするんだって。

 「センソウ」っていうのをあまりよくは知らないけれど、それはとってもギラギラしていて、おなかがくるしくなるくらいイヤだった。


 でももっとイヤだったのは、うかんでいたそれがゆっくりとおりてきて、そのイヤなお人形にあのヒトがちかづいていったこと。


「行っちゃヤダ! 行かないで!」


 わたしはぜんぜんわからなかったけど、でもさけばないといけない気がした。

 だからできるだけの大きな声で言った。


 けど、あのヒトはふりかえってくれなかった。


 大きなキカイのお人形はもうそこに立っていて、それからあのヒトに向かってしゃがんだ。 

 そうするとおなかのところがけむりをあげてひらいた。

 あのヒトは、そこにとびのった。


「やだっ! 行かないで!!」


 わたしはいっぱいさけんだ。

 でも、あのヒトにはとどかなかった。

 それでもさけんだ。


 声が出なくなるまでつづけると、あのヒトはわたしの名前を大きくよんだ。


「やだぁ……行っちゃやだ……」


 わたしはくるしくて泣いてた。

 もう声が出なかった。


「闇の狭間を彷徨さまよい続けていた私にとって、お前は唯一出会えた光だった。お前は……私の未来そのものだ。だから……だからお前は生きていてくれ」


 あのヒトをのせた大きなお人形が、さっきのように空にうかんだ。


「愛している、ずっと、ずっとだ」


「行かないで! おとうさぁん!」


 さいごの力でそうさけんだ。

 でもあのヒトをのせたキカイのお人形は、ものすごいはやさでとびさっていった。


 そうしてお空にまた新しいキズがついた。




 あのヒトは行ってしまった。


 最後に見たその顔は、それまで私をずっと見守ってくれていた優しくて暖かい――

 いつものあの微笑みだった。


 あのヒトが飛び去ってから直ぐにも雨は上がった。

 普段と何も変わらない、けつく太陽が顔を出していた。


 雨はキライじゃなかった。


 けれど、まるで降りしきる暗色のしずく達があのヒトを連れ去ってしまったかの様に思えて……


 だから私は――

 あの日以来、雨がキライになった。




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