Sand Masher



 薄暗く、じめじめとした地下空洞は今、尽きることないと思わせる喧噪けんそうに満ちていた。

 正確に言うならば地下空洞の中にすっぽりと収まっている巨大な人工施設の周りが、だが。 


 ここで人工施設と抽象的に表したのは、実際にその施設がなんの用途に使われていたのかが不明なためだ。

 ナイン達が敵の指揮官機をキャッチした場所を調査中、地下に繋がっていると思しき洞窟を発見した。

 ソナーで地深を計測してみたところ、歩行状態のAMGであれば十二分に活動できるという結果に至った。

 特に何も考えないナインのこと、そのデータだけでAMGで突入させた。幸いにしても敵のトラップの類は設置されていなかったが、そこでとんでもないものを発見してしまった。

 それが、この旧時代の遺跡と思わしき巨大な人工施設だった。


 ナイン達にとっても、実際にこういった代物をお目に掛ける機会などそうはない。

 そして、嬉々としてその施設に飛びつこうとしたナインの手前、旧時代の遺産収集や遺跡発見に力を入れている――今回の仕事のクライアントでもあるGK社にトゥリープが連絡を取った次第。


 すると、その情報を入手したGK社は驚くべき段取りの良さで調査部隊を送りこんできた。


 その不自然なまでの対応の良さにどう考えても裏があるという事ぐらい、瞬時に思い至るトゥリープだったが、何の疑問も感じていない横の主に視線を巡らすと、そんな詮索をしていること自体無意味に感じてしまう。


 大体、色々とプログラムの中身をいじられてしまった所為せいで、こんなにも人間に近い感情――擬似人格に付与されたパターン選出で表せられるそれら――を持つトゥリープだが、元々は人間が求める条件のみを遂行するという機械根本の理論を失ったわけではない。

 つまり、ナインが何を思う気が無ければトゥリープの関与するところではないのだった。


 たとえ騙されて危険な仕事ばかり押し付けられていたとしてもだ。


 そもそも今回の仕事も、ただの廃軍事基地跡地で発見された地下空洞の地盤の強度計測という容易い仕事内容のハズだった。

 もちろん、契約内容の文書には戦闘になるなどいう情報は一切入っていない。


 しかし、やはりトゥリープにはどうする事もできない状況なのだ。

 一応は、忠告ぐらいはしているものの、正しい意味でナインがそれを理解してくれたことはない。


 そんな中――

 今ちょうど、てんてこ舞いのGK社専属調査部隊が新たな入り口を発見したとか無線でわめき散らしていた。


 「電波なんていう旧時代の遺産的な物が、よく現役で使われているなぁ」と、その内容を勝手に傍受ぼうじゅしていたナインが他人事の様に呟く。

 もっとも、直線的なレーザー波を阻害するでこぼこな突起岩に囲まれた地下空間では、変則的な波状を飛ばす電波の方が確実な情報通信ができるということはナインも知っていよう。


 今は、GK社に立ち入り禁止とそれに伴う一切の関与を制限されているので、なにも出来ずにナインたちは自機AMGの前に張った野戦用テントの中でぼうっとお茶をすすっている。


 だがしかし、それぐらいでこの精神超低年齢のナインを満足させれるわけなく、トゥリープに調査状況の把握――調査隊のネットワークへのハッキングをさせているところだった。



「でも、旧時代の遺産ってことは、ここに眠っているのが全部、いわゆる“星間戦争”以前に活躍した失われた技術ってこと?」


 小さい子供の頃に聞かされた空想話を捨て切れない――大人になり切れない――ナインが目を輝かせて、横に座る人物に問い掛ける。


「全部とは言いませんが、可能性がないワケではないでしょう」 


 その隣の人物、先程から小型の携帯用端末に向かってなにやら操作をしている妙齢みょうれいの女性が、にこりともせず相槌あいづちを打つ。

 サファイア色の瞳と真っ直ぐな銀髪が目を奪う端整な顔付きをした美人だが、あまりにも感情が見受けられないその表情は無機質で冷徹な印象を与える。


 それもその筈だ。

 なぜなら彼女の中身は人間のそれとは明らかに違う。軽量カーボンファイバーの骨組みを特殊シリコンで覆った人間の形をしたアンドロイド――現在の技術を総動員し、人に似せて造り上げられた自律行動型のAI用ボディ――なのだから。


 そして、その機械人形の頭脳たる中枢回路にコアを移植され行動を起こしているのが、彼の唯一の相棒兼保護者であるトゥリープュナーその人だった。


 トゥリープは普段、AMGで出撃する時以外はこの姿で生活をしている。

 人間の思考に限りなく似させて造られているため、人間と共に生活を送るという感覚が備わっているが、無論、彼女がその理由だけでこの姿でナインのそばにいるわけではない。


 言わずもがな、ナインという人物は数分放っておくだけで何らしかのトラブルに巻き込まれてしまう。

 つまりは管理保護する人間は絶対的に必要なワケで、彼女はその役割を担っていた。

 人間の役に立つという事を前提とされている彼女からすればそれら迷惑以外のなんでもない事柄はむしろ本懐と言えるが、ナインの嗜好しこうにより無駄に人間的過ぎる思考の算出の仕方を設定されてしまった現在のトゥリープにとっては「いい加減にしてくれ」といったところだろう。


 そもそも、そんな風にトゥリープの中身をいじっている自体あまりまともとは言い難い。

 本末転倒というか、道具である彼女に一体何を求めているのか怪しくなる。

 そして、そんな中でいい歳をした大人のお守り役を受け持ってしまったトゥリープの苦悩は続くのだろう。


 が、そうは言っても、大前提としてナインが彼女の主であるのだから大抵のことは割り切っている。

 だがどうしても割り切れないのは、彼女が第一に与えられた役割である戦闘補助よりも実生活においてのナインの世話――炊事洗濯やらの家事全般――の方が主要になっていることだ。

 元々彼女にそんな能力は設備されていなかったのだが、市販されている様々な家事手伝い用の追加モジュールをどんどんと投入されていった結果、戦闘云々のスキルよりもそれらが大幅にグレードアップしてしまっている。

 唯一それだけは常日頃から抗議をしているトゥリープだが、逆にナインはそれらの事に楽しみを覚えたらしく、今度は『期間限定・超一流コックスキル投入の調理技術UP書き換え用プログラム・お徳用ハードウェア改修券付き』なるものをこの前買い込んでいた。

 そんな企みに無論気付いているトゥリープなだけに、本来ロボットにあるまじき頭痛に悩まされているのだった。



 先程、ナインが言っていた“星間戦争”について。

 これは所謂いわゆる伝承の一種だ。かつて、違う惑星の人類が星間を通り越してまで戦争をしかけにきたという話。その異星人の侵略の所為でこの惑星の生態系は絶望的な危機に追いやられたなどと言う、どこまでも馬鹿げた空想物語のことだった。


 その話の流れで、古代には今の技術を超越したテクノロジーがあった無かったと噂され、それがこのような古代の遺跡が発掘される度に眉唾まゆつばものの情報として広まってしまったのだ。


 そんな噂をまるっきり鵜呑うのみにしているナインだ。


 そもそも、時代がさかのぼるにつれて人類の技術が発展していたなどという話自体が荒唐無稽こうとうむけいすぎる。

 言うなればつまり、これから年月を重ねていくに連れて人間の科学力は低下していくと言ってるのと同じだった。

 第一、この惑星の生態系が壊滅的な打撃を受けたのは、その発展しすぎた科学力に問題があるわけで、もし時代を重ねる毎に人間の技術が衰えるならば、今頃、この惑星は原生林あふれる豊かな緑の星となっていたはずだ。



「ねえねえ、やっぱりさあ、大昔には空間を自在にワープできるどころか、時間軸まで自在に操れる装置とかあったんだよね? そいで何度も過去と未来を行き来してさ。ああっ、もしかしたら今この時代に来ている”古代人”がいたりしてね」


 幼い頃に叩き込まれた間違った知識を目一杯活用して、果てのない空想を広げようとするナイン。

 特にとがめる程でもないのでしばらくは放っておこうと決め込むトゥリープ。


「こう……なんでも出来るような万能ロボットがいて、みんな子供の頃から一台ずつ貰えて、高精度のそんなロボット達が人間に代わって働いてたりしてさあ。うーん、ロマンだなあ」


「ええ、確かに。育児補正用のロボットが時代を自在に遡り、空間法則や物理法則、果ては時間軸まで超越した恐るべき道具の数々でなんのかんのをする――そんなロボットのデータを先程見つけましたが」


 ナインの言葉通りの技術が果たして存在するか確かめるために、調査隊が持参してきた端末にハッキングし、GK社ご自慢の古代のデータを取り揃えたという巨大メモリーバンクを勝手に閲覧していたトゥリープ。

 そんな彼女は、主が喜びそうな情報をピックアップした。


「やっぱり! いやー、憧れるよねっ! ここにも、そういうのが眠っているといいなあ。そいで、それどういったロボット?」


「映像記録なら閲覧可です。見ますか、ナイン? ……実写映像ではありませんが」


 トゥリープはそう言って手にしていたスクリーンを兼ねている携帯コンピュータの投射部分を目の前のテントの垂れ幕に向ける。


 砂色の布幕に、荒い映像が映し出された。



「……ううん……トゥリープちゃん? えっと、これは何かなぁ?」


 目を輝かせて見入ったハズのナインは、ものの数秒で微妙な苦笑をトゥリープに向けた。


「旧時代の娯楽鑑賞用の映像フィルムです」


 にべにもなく答えたトゥリープ。

 目の前の布幕に映っているのは、旧時代のアニメーション作品だった。


「ほら見てくださいナイン。この青いロボットが腹部の収納空間から取り出す道具の数々は、明らかにに空間法則を無視しています」


 粗末な映写館となった野戦用テントに映し出された粗雑な画像の中では、ずんぐりした青いロボットらしき物体のお腹のポッケから、どこに仕舞えるスペースがあったんだと思う程の大きなピンク色の扉が取り出されていた。


「資料によるとこのロボットの腹部にある収納部は異空間に繋がっており、しかもそこは空間軸が四次元だそうなのです」


 反応の鈍くなったナインの代わりに、トゥリープが映し出されたロボットの細かな設定を付け足しながら説明していく。好物は何で、なにが一番苦手かとか。


「そ、そう……。それで、トゥリープちゃん? えーと、このロボットは実在したのかなあ?」


 微妙な苦笑いと、変な冷や汗をかいたナインが目の前を指さす。


「いいえ、現在まででこういったロボットが発見されたという事例はありません」

「そ、そっかぁー……」


「お気に召していただいたなら幸いです、ナイン」


 変な冷や汗で空笑いをするナインに、トゥリープは機械本来の役割を果たしたことを実感する。


「うう……! いいんだ、いいんだ……。キミが僕をからかっていることぐらい、薄々気付いていたんだっ」 


 しかし、次の瞬間には膝を抱えてぐずぐずと呟きだすナイン。


「薄々気付いていたではなく、出来れば機械にからかわれない様になっていただくと、私の苦労が格段に解消される事を提唱ていしょうします」

「からかっているのはキミ自身じゃないかっ!」


「そんな風に作り変えたのは他ならぬあなたですが、ナイン?」

「――ぐっ! 確かに……!」


 子供の理屈で反論しようと試みるナインだが、そんなものが初めから通用する相手ならこのような逆転関係にはなっていなかった。


「そんな事言うなら、トゥリープ! 元の状態にデバックしちゃうからね!?」

「むしろ私は強くそれを望みます」


 懲りずに今度は禁じ手でも使うかのような勢いで言い放つナインだが、その切り札をあっさりと叩き捨てるトゥリープ。

 そんな絶対的力量差を見せ付けられたナインは、今度こそ背を向けて丸くなりながら「えぐえぐ…」と本気で泣き始める他なかった。


 全くもって年甲斐の無いそんな主を眺めつつ、しかしトゥリープは安堵していた。



 初め、ナインがこの洞窟に入ったときは随分と思いつめた表情だった。

 それはおそらく、あの〈血の薔薇十字〉が関与していたからなのだろうが、この旧時代の遺跡を発見してからのナインは落ち着いているというか、新しいおもちゃに意識を奪われている子供のそれだ。


 過去に何があったのかなどという詮索をトゥリープがするわけはないが、それでもあそこまで激情を発するナインに危惧を感じないといえば嘘だった。

 主の生命維持を考えるのは彼女本来の役割の中でも最上級の事柄なのだから。



 ふと、ナインが飽きることなく愚図ぐずっている中、AMGの足をはりとして張られた野戦用テントに近づく人影があった。


 遠目でその人物がGK社専属の調査要員であることを見て取ったトゥリープは、直ぐにも、AI用ボディの後頭部と手に持つ小型の操作版とを繋ぐコードの類をしまい込んだ。

 別段、携帯型コンピュータと自分の電子脳とをダイレクトに繋いでいただけで、ハッキング行為がバレるわけでもないだろうが、どうにもやっていることが大仰おおぎょうに胸を張れるものでもないため、そういう行動を取っていた。

 もちろん無意識などという概念が存在しない彼女がこのような感じるのも、ひとえにナインの手によるところだ。


 近づいてくる人間にナインも気付いたらしく、まだ鼻をすすりながらだが、顔を上げていぶかしめな表情を作る。



「いやぁ、どうもどうも。突然お邪魔して申し訳ない限りで」


 その男、とても調査部隊とは思えない様な腰の低さと年季を感じさせる会釈で、一度は立ち入りを禁止した調査隊が今更何の用だと言わんばかりのふて腐れ顔のナインに見事に取り入る。

 明らかに調査や研究に取り付かれている人間の部類ではなく、誰がどう見ても営業回りしてそうな会社員じゃないかとナインは思う。

 一応、GK社のロゴ入りの白衣をスーツの上に着ているとはいえ、そんな物を着てる方が違和感を覚えるくらいだった。


「この度は有益な情報提供とそれに関する協力の数々を行っていただき、真にありがとうございます。弊社といたしましても、常日頃から多くの契約を結んでいただいているナインさんに対して、言葉では言い表せない程の感謝をしておりまして」


 流暢りゅうちょうに社交辞令を述べていく、温和そうな顔付きのこの初老の男に疑問を隠しきれないナイン。

 けれど、まんま見事に相手のペースに乗せられ、「あっ、いや、これはご丁寧に」などと同じようにヘコヘコしているのだった。


「――申し遅れましたが、私、この調査部隊の指揮統括をしているリー・バレムと申します。以後お見知り置きを」


「ああ、えっと、ナイン・クラウリィです。よ、よろしくドーゾ」


 柔和そうな細い目をさらに細めて、リーと名乗った男は粗末なテントの中で膝を付いてナインと握手する。

 彼の反応といえば、社会人前の若者そのものだった。


 ナインに握手を求めた後、不自然を感じさせない流れでトゥリープにも同じように接する部分などは――アンドロイドだからといってあからさまな侮蔑ぶべつを見せる輩もいるため――この男の生真面目さを感じさせるが、逆にこういう類の人間こそもっとも警戒すべきだということに気付けるナインではない。



「わざわざおうかがい致しましたのは他でもなく、ナインさん達が発見していただいたこの古代遺跡に関する事なのです。それに付きまして……大変申し訳ないのですが、我が調査隊の本部までご足労願えますでしょうか?」


「は、はぁ。……ええっと……」


 する理由もないにギクシャクしているナインが、何かを訴えかけるような視線をトゥリープに送る。

 その眼は明らかに、「どうしたらいいの?」と問い掛けている様なものだ。


「ミスターバレル、先程、この遺跡に対して一切の関与を禁止されたばかりなのですが。そんな我々が本部などに出入りしてもよろしいのですか?」


 保護者の役割を余す事なく発揮したトゥリープがナインの代わりに対応する。


 一度はねておきながら、いきなりやってきて本部まで来いというのはどうも変である。

 まさか自分達のハッキングがバレたとは思えないトゥリープだが、それでも警戒の色を示す。

 ちなみに、ナインなんぞは自分が頼んだにもかかわらず、既にその事が頭から抜け落ちているようだった。


「ああ、いえいえ……。その件に関しましてはナインさんたちに不快感を与えてしまった手前、深くお詫びを申し上げる所存です。いやぁ――なんせ研究者とかいう部類の人間は自分達の縄張りを荒らされることをいといましてな。まったく、私が到着する前にその様な粗相そそうをしでかしました事は、本当に深く謝罪させていただきたく……」


「――その事に関して、我々もそう深く気には止めていません。それよりも、一度関与を拒否したそちらがこうしておいでになるという事は、つまり自分達だけでは収集がつかなくなった事柄があると考えて宜しいのですね?」


 長々と口上を述べ始める人間を制して、トゥリープが考えうるもっともな事態の要約を突きつけた。


「これはまた、随分と優秀なサポートAIをお持ちのようで……。――いや、まったく、おっしゃる通りでございます」


 自分達の目論見を見抜かれたというにも拘わらず、リーという男は動揺どころか表情ひとつ変えずに平然としていた。

 どうも、トゥリープが思う以上に侮れない要素を含む目の前の男には、下手な探りなども通用しそうにない。


 ただ、トゥリープが警戒を強める中、ナインはと言えば何故か自分が褒められたかのように得意気な顔でいる。

 本当にどうして、これからまた厄介事を押し付けられるかもしれないということを理解できないのか、回路をショートさせそうなくらい日々悩んでいるトゥリープだった。



「その件につきましては、実は社長代理の方から通信が入っておりますので詳しくは本部に付いてから説明させていただきたく存じます」


「社長代理ってことは……――えっ!? リディアちゃんが?!」


 ナインの表情が眩いくらいに光り輝いて、それまでの鬱屈とした雰囲気から復活する。

 「社長代理」という言葉に、ナインを含めた特定の人間は恐らく全員がこういう反応を示すのだろう事は容易に想像できる。


 そして、またしても機械にあるまじき頭痛がトゥリープを襲ったのは言うまでもない。














『――大丈夫でしたかぁナインさん!? 報告を聞いてからというもの、リディアはもう、居ても立ってもいられなくって……ナインさんの身に、もしもの事があったなら……リディアは、リディアはっ!』


 コンソールパネルに映し出された映像の中で、黒髪黒瞳の愛らしい女性が涙で濡れそぼった長い睫毛まつげを不安気に揺らして俯いていた。

 ご丁寧なことに、ハンカチまでをも口元ででしっかりと握りしめて悲痛に声を押し殺す。



 本部となっている不整地走行用の大型ホバートラックの中に通されたナインは、すぐにも通信席に陣取り、GK社本社ビルからの拡張衛星通信を勢いよく開いた。

 だがそこに映し出された情景にナインは手足をばたつかせて動揺を示すのだった。


「わわっ! リ、リディアちゃん、そんなっ……な、泣かないで。ホラ、僕はこの通り、全然平気っていうかピンピンしてるから。だから、ね?」


 目の前で涙を止めなく流し続けてみせる相手に対して、ナインは自分の胸をドンと意気良く叩いてみせた。

 そうすることで、自分が何ともない事を伝えたかったのだろうが――強く叩きすぎたせいでその後咳き込んではいた。


『ですけど……今回の依頼をナインさんに受けてもらうよう、お父さまに推薦したリディア自身……。だから、そのせいでナインさん達を危険な目に遭わせてしまったのもリディアの責任なんですぅ。それでもし、ナインさんの身に何かが起こったと考えるだけで……涙が止まらなくなって……』


 アンテナを地上まで伸ばして繋がっている衛星通信の向こう――おそらく本社ビルの通信ルームにいるのだろうリディアが、崩れ落ちそうな姿勢からその潤んだ瞳を画面に向けた。

 それだけで、馬鹿一人の心を揺り動かすのは意図も容易いことらしかった。


「ああっ! リディアちゃん、君は……君はなんて優しい心を持っているんだ!」


 ナインは目の前の涙に触発されたのか、自身までもがぼろぼろと――感動の――涙を流し始めた。

 その後ろ、少し離れた位置から事を傍観していたトゥリープは、救い様のない事態にどうする気もなかった。


『そんな……リディアはただ、ナインさんが心配で心配でどうしようもなかったんです』


 人間の感情を表す方法である涙を流すという行為。

 それが意識的に流すことができる人間が存在することはトゥリープも知っているが、それをこうも自在に操れる人間をリディア以外には知らない。


「でも、大丈夫だよ! この僕はちょっとやそっとのことではやられはしないよ。それにリディアちゃんが僕の無事を祈ってくれている限り……――僕は死にはしないっ!」


 トゥリープの目の前には、画面越しに互いの名前を呼び合っているような、傍から見れば相思相愛のカップルに見えなくもない――そんな二人が周りを無視して盛り上がっていた。



 盛り上がりを見せるばかりで遅々として進まない話をトゥリープが矯正しようと思い始めたところで、意外にも、このやり取りを同じく傍観していたもう一人の観客が図りきったタイミングで声を掛ける。


「社長代理、積もる話はまたの機会という事で。ナインさんたちに、例の件のご説明を」


『あ、そうでした。ナインさん達にお願いすることがあったんですね。リディアったら無事だったのが嬉しくて、つい忘れてしまってました』


 未だにハンカチで目元を拭う仕草こそ見せるものの、その雰囲気は打って変わり、話を振られたリディアの切り変わりは素早いものだった。


 リーという人間が画面の向こうの女の正体に気付かないでいるとはとても思えない手前、然るに、初めからこの二人の間になんらかの打ち合わせがあったと見るのが妥当だろう。


 そんな二体の妖怪達のペテンに気付けない憐れな生贄いけにえだけが、ポカンとした表情で双方の顔を見比べていた。

 そして、その憐れな生贄と一心同体の運命にある彼女には、機能の一部――擬似人格のパターン感情選出――を一旦停止させて電子脳をニュートラルにすることしか出来なかった。



『実は、ナインさん達にお願いがあるんです』


 やはり来たというべきか。

 相変わらずの甘ったるい声で、画面の向こうからそう切り出すリディアの表情は沈痛なものに見える。


「お願い? やだなぁ、リディアちゃん。そんな改まって言わなくても、僕ができる範囲の事なら何だって協力するに決まってるじゃないか」


『――ええっ! 本当ですかぁ、ナインさん!?』


 明らかにそう答えると理解っていながら、これだけ白々しい台詞を平然と吐けるリディアの胆力は実に大したものだったろう。


「それでは社長代理、詳しい説明の方はお任せしますので。私は下準備の方に取り掛かりたいと思うのですが」


『ええ、ハイ。ではバレムさん、お願いしましたぁ』


 そんなやり取りを残して、リーという男はうやうやしい態度で車内から降りていく。

 その後ろ姿にトゥリープは不審を隠せないが、ナインには意識の中にすら入っていない。



「――そいで、僕らにお願いって、新しい仕事でも入ったの?」


『はい、その通りなんです。実は今ナインさん達の目の前にある、古代遺跡に関する仕事の依頼を新しく請け負ってもらいたいんです』


「遺跡? 僕らが見つけた、あれ?」


 トラックの内部から、方角だけを指差して答える。


『そうです。その遺跡は、そうそうない規模の旧時代の工場施設だということが判明したんですけど……規模が大きいという事は、それだけ設備や警備が整っているというワケだそうで……』


 リディアはそう言って、さも心苦しいという表情を付け加えてから続けた。


『こちらから派遣した調査部隊の装備では、遺跡内部への物理的な突破は無理なんですぅ。だから、つまり……』


「――我々でセキュリティの類を排除し、調査隊突入の橋頭堡を確保して欲しいと?」


 要領を得ないリディアの喋りの代わりに、トゥリープはそちらが望んでいるであろう条件だけを掻いつまんで言葉にした。


『あ、トゥリープさん、ご無沙汰ですー』


 白々しく、直接は二度しか会っていないトゥリープに画面の中から笑顔で手を振ってみせるリディア。

 その必殺の笑顔を躊躇ちゅうちょなく斬り捨て、トゥリープは話を元に戻す。


「それで、その条件で契約を結べばよいのですか?」


『ああ、いえ……正確に言うと、ナインさん達にしてもらいたいのは、調査隊の中枢部進入経路の確保だけなんです』


「つまりはさ、古臭いポンコツ警備ロボットを蹴散らして、調査隊をマザーコンピュータのある部屋まで連れてけばいいワケだよね?」


『違うんですぅ……それがダメなんですよぉ……』


 リディアの言葉に、椅子の上でナインが「へ?」と間抜けな声をあげる。


『だから、ガードロボや迎撃システム、トラップや隔壁に関しましても、一切傷つけずに、中枢部までの進入を依頼したいんですぅ』


「ええっ!? そんな無茶苦茶な……って――ああ、いや、もちろんリディアちゃんの事を言ってるんじゃなくて……ええっと、つまり……」


「十分無茶苦茶だと思いますが。その依頼内容も、そして依頼をする彼女も」


『リディアも、とても難しい条件を提示しているのは理解ってるんです。けれど……この工場施設のセキュリティがあまりにも厳重すぎて……。言ってしまえば、少しでも施設内に異常が感知されたら、施設ごとあらゆるデータが隠滅されるぐらいのシステムらしく……調査隊の人達も、容易に中に入れない状態でして……』


 リディアはしおらしく、ナインの表情を読み取りながら状況を説明していく。



「そんな、別に物理的な進入にこだわらずに、外部からコンピュータを乗っ取っちゃえばいいんじゃない? いくら厳重なセキュリティシステムって言っても、相手は前世紀の旧式なんだからさ」


『それが……』


 画面の中で俯いてしまったリディアは、か弱げな視線を這わせながら続ける。


『調査隊の人達が言うには、外部からのネットワークへの侵入は全く受け付けない構造になっているらしく……この施設自体が、自己発電まで行える完全に独立した施設だそうなんです……』


「うーん……。余程、トップシークレット的な何かが、この工場で製造もしくは生産されてたみたいだね」


 ナインは椅子の背もたれに深く体を預けながら、長く息を吐く。



 事態はナイン達が思っていたよりも、かなり厄介な側面を持っていた。

 数百年前に遡り、繰り広げられていた世界大戦――

 その暗黒時代には様々な兵器が活躍していたという事がGK社を始め、遺跡調査を生業とする企業によって明らかになってきている。


 ――最終戦争――


 この惑星の生態系にまでに被害を与えた規模の大陸破壊以降、相互に連絡が取れなくなった各地に、世界の状況を判断することが不可能なほどの災害が頻発した。

 そのせいで人類は個々に分断されてしまった。

 戦争こそ続けられなくなったものの、惑星までを痛めつけた人類の所業によってその後人間たちは暗迷の時代を迎えることとなったのだ。


 百数年の月日を得て、今でこそ地上は落ち着いているかのように思えるが、この星につけられた傷跡は未だ人間たちに苛酷な条件を突きつけ続けている。


 そんな時代の引き金となった最終戦争。その残り火が今でもこういった施設などには取り残されており、役目を終えることもなく眠り続けているのだという。



「ナイン、下手をすればとんでもない貧乏クジを引いてしまいます。もしこの中に核兵器や細菌兵器などの類が保蔵されていたら、事態は私達だけの問題ではなくなります。ここは状況から考えても、やはり引き受けない方がはるかに賢明かと」


「そりゃまあ、もっともだけど……」


 口ではそう言っていてもナインの反応は鈍い。

 ひたすら「うーん」と唸り続けては、きっぱりと答えを出してしまうのを嫌がっている風情だ。

 考えるまでもなくリスクは大きすぎる仕事だが、ナインにとっては核やウィルスの脅威よりも、リディアの申し出を断ってしまう方が回避したい事柄らしい。


『もちろん、今回の依頼の困難さはこちらも把握していますから、それなりの報酬を用意します。でもわたし、それ以前に、どうしてもこの依頼はナインさんに引き受けて欲しいんです……!』


 リディアが両の手を握りしめて画面に詰め寄った。

 その濡れた瞳が画面に大きく映り、それだけでナインの心臓を鷲掴みにできるらしい。


 ナインは胸を押さえながら、掠れた声で「と、と言うと?」と訊ね返していた。


『現在のこの苛酷過ぎる環境の中で、わたし達は様々な困難を乗り切ってきました。行き過ぎた科学の発展がこの環境を創りだしたのと同時に、わたし達はその科学力で今日までを生き抜いてきたんです! そんな科学の力をこれからも人々の良き力として役立てようというのが我がGK社の理念……――いいえ! 残された人類全体の信条とも言えます! けれども、わたし達がそうやって過去を戒めにしながら未来へと羽ばたこうとしている最中に、こうした過去からの呪縛が襲うのです……。ですがナインさんなら、この世界でもっとも強くたくましく生きてゆこうとしているナインさんなら、この過去の亡霊に打ち勝つ事が出来ると思うんです!』


 リディアの演説口調は止まる事を知らずに、白熱していく。

 誰が見ても立派な演説とは程遠いかもしれないが、単純すぎるナイン一人が目標ならば十分過ぎた。


『だからナインさん! ナインさんには是非この仕事を引き受けて、人類の素晴らしい未来のために貢献して欲しいんです! ――この熱砂の世界で、困難な仕事ばかりを引き受け、すずめの涙程にも及ばない報酬で日々強く生きているナインさんこそが、きっとこの時代を切り開いてゆける人間なんです!』


 困難な任務も、雀の涙の報酬も、全てリディアの会社からの来ているものなのだが、その事にナインが気付く日は果たしてくるのだろうか? 

 まず来ない――と、簡単過ぎる計算で結論を導きだすトゥリープ。



 事実ナインは、何かとても崇高な目的を眼の前にしたような――そんな清々しい笑顔をトゥリープに向けてほざく。


「トゥリープ――どうやら、時代が僕を呼んでいるようだね」


 自信と称賛に満ちあふれたナインがキザっぽく髪を掻きあげた。


「それは大変宜しいことで」






















 熱砂と乾き切った風に埋もれかけた都市――

 通称ピースクラフトと呼ばれるこの惑星隋一ずいいちの大都市はしかし、そのご大層な触れ込みとは裏腹に、経済やその他の治安機構を束ねる中枢都市としての機能を失いかけ、表向きにはもっぱら既得権益者や高給取りの官僚等のリゾート都市に成り下がっていた。


 だがその華やかな地上の外景から地下600mと掘り下げれられたその場所に、まさに“ピースクラフト”と呼ばれる由縁を模した統合連邦軍評議会本部が健在している。


 地上も地上で、まだ初歩段階であるテラ・フォーミング化の更生計画の一端である環境制御技術によって、この惑星では考えられぬほど快適な生活を保障されている。

 その管制および保持もこの本部施設が執り行っている。

 つまりは、この地下と地上に分かれる二つの大都市は、この惑星で類を見ない程、苛酷な自然条件から遠く離れた場所と言える。


 そしてここは、その本部施設の最奥に設けられた議事堂。


 各々の国家――とは言っても実際に正しく機能している国家などこの地上でもありはしないが――の代表たる面々が集い、この滅び行く惑星をよみがえらせるべく昼夜を問わず議論を続けている。

 みなそれ一様に先人たちと同じてつを踏まぬよう、自分達の潤いを優先させた利己主義的な立場を破棄してこの惑星の再建を最優先とする理念を持ってはいるものの――元来、均等な力を有する者達の議論というのは、どうあっても長引き、時間と労力を最大限に用いねば遅々として進行しないものだった。

 そもそも人間という固体自体にそういった特性が見受けれるとでも言うべくほど、どれだけネットワークで世界各国から繋がっていようと、人間の意識だけは互いに共有させることは不可能なのだ。


 そして今日もまた、非合理的すぎる時間を費やして議論は続けられている。


 旧世紀の高名な芸術家が創った守護天使の彫刻をモチーフに描かれた荘厳なレリーフが見下ろすその議事堂で、情報化され立体ホログラフとして映し出された議員たちが言葉を飛び交わせていた。


 そんな中、擬似視覚化されていない数人の連邦議員に混じって、場違いな程真っ赤に染め上げられた軍服を身にまとった女性士官がこの会議に出席していた。


 出席といっても彼女には実質的な発言権も自由も許されていない。

 この数時間、彼女にできることはただ黙ってこの情報化された言語の応酬が終わるのを待つだけだった。


 もし叶うなら、これらの言語を全てなにかの記号として流してくれていたらよかった――と、開始早々にそう思った彼女としては、今のこの時間は「無駄」と「苦痛」のどちらかでしかない。

 事実、今まだ繰り広げられているこの議論の内容は、数日前から少しとして結論に近づくどころか先にすら進んでいないのだった。


 少し癖のある赤毛が印象的で、目鼻立ちのすっと整った顔は美形に称されるであろう。

 この女性士官――ナタリー・エルスティン特務少尉はしかし、血を全身に浴びたかのような真紅の刺々とげとげしい軍服と、その左目の眼帯の存在、そして何よりその変化することのない冷淡な面持ちが、見るものを威圧し他人を遠ざけているようだった。


 だが、そんな彼女がただ唯一の例外として、その眼差しに親愛の情を宿す相手がこの議事堂にはいた。


 その相手は、特別に設けられた彼女の席から右前へ一列はさんだ場所でこの繰り返しの議論を傍聴している連邦議員達の内の一人。

 その中でも、一際ひときわ若さの目立つ人物――知性と品性に満ち溢れ、20代という若さで異例の連邦議員へと昇り詰めた事で世間を賑わし、未だ冷めやらぬ渦中の存在。

 ディラン・フォート・メディチ連邦議士その人だった。


 そして、彼女がこの議会の内容に未だ耐え続けていられる理由も、メディチの存在に依るところが全てなのだ。


 ナタリーは隣の老年の議員と声を潜めて何事か打ち合わせているメディチの横顔を見つめる。

 見返りを求めてその横顔を眺めていた訳ではなかったが、意外にもメディチはその視線に気が付いたようにふと振り返り、目を合わせる。


 そうして、ナタリーに対して眉を下げながら柔らかく微笑んだ。


 その微笑は、申し訳ないといった感じでもあり、困ったという表情ともとれる。

 つまりは彼もまた、ナタリーと同じくこの堂々巡りの議論に辟易している一人なのだった。


 メディチは同じような微笑みでしばらく目線を投げ掛けた後、また目の前の傍聴へと戻った。

 メディチのその微笑の意味をナタリーが理解したことは事実だが、彼女にとってその言い訳のような微笑みはまた違った意味も持っていた。



 当の会議はと言えば、内容は先ほどから進歩することなく、ホログラフ化されたその虚像たちの弁舌べんぜつだけが白熱していく様をていしている。



 本当に、わざわざこの議論内容を言葉として議会内に流す必要があるのか?

 ナタリーはさっきからその一点のみを考えあぐねいている。――結論を出すまでの時間は、充分すぎるほど残されていた。



「――もはや、『開拓時代』などと呼ばれる無統治の世界は終わっているのだ! いつまでもそうして、砂漠にならず者たちをのさばらせておいて良い筈がないっ! しかるべき統治と法による執行機関の各地設立を念頭に置くべきだ!」 


「――しかし、未だこの星はその機能の全てを甦らせたわけではない。やはり当初の方針どおり、テラ・フォーミングによる惑星再生を第一に考えるのは当たり前の事だろう」


「――何を悠長ゆうちょうなことを言っているのだあなた方は! 既知きちのとおり、テラ・フォーミングには膨大ぼうだいすぎる年月とその維持のための資源が必要となる! その間に世界は無法者たちで溢れ、覆われてしまえば! この惑星がいくら完全に甦ったとしても、先人たちと同じ歴史を辿たどることになるという事が何故わからない!」


「――無論、我々とて今の世界の現状を憂慮ゆうりょしていないわけではない。だが、大半が砂漠と化したこの星で人の営みを絶やして行かない為にも、彼らのような人種は必要だというのも事実であることは確かだ」


「――馬鹿な! 単純な武力だけが全ての人間達などにこの星を任せていたなら、我々の努力など顧みずに食い潰されてしまうのだぞっ!」


「――現在の人口の大多数はその武力だけが全ての人間とそれに追従して生きている人間だという事をお忘れか代表? それだけの人間に反感を与えるような政策は、根本として争いの火種としかならない。それとも、また大陸間戦争でも始めたいのかね」


「――争いの火種とはよく言う! ならばそちらがようしているあの治安部隊の存在は何なのだね!? あれこそが砂漠に住まう者と我々との確執たる要因そのものではないかっ!」


「――その議論なら先の連邦議会で解決案を承諾したばかりではないのかっ! それを蒸し返して議会を混乱させるとは何のつもりなのだ!」


「――ですが事実として、あの部隊の活動は停止されていない。それに先日の法案会議で特殊部隊の軍備拡張を旨とする法案が通ったとの情報も耳にしていますが」


「――なんだと! あの殺戮者集団の規模を広げる?! 一体、連邦政府はなにを考えているのだ! 議長! この件に関して連邦側に釈明の要求を提示します!」


「――現在の議題から著しく逸脱した内容へと話がり変わっている! 議論内容の訂正を! 議長!」


「――だまれ! 言い逃れするつもりかっ!」



 先ほどからナタリーが聞いていただけで、同じような内容が既に何回と繰り返されていた。


 言うまでもないが、議論とはあくまでも議論である。

 例えその内容がかげりないの道徳や人道主義に満ちていようとも、そのことで救われる人間が現れるのは長い時間を有してか、それとも現れないかのどちらかでしかない。


 例え双方の議員達がどれだけ己の信念と正義に基づいていようとも、それで救われる人間というのは少ない。


 今回の事で、とりあえずナタリーはそれだけを理解した。














 執務室と呼ばれているその部屋は、一連邦議員に与えられたものとしては異例なほどきらびやかで華やかなものだった。

 たとえばそれが、室内を彩る鮮やかな絨毯や壁に埋まっているのかと錯覚させる荘厳な彫刻の数々だけでなく、収まりきらずに部屋の隅で山積みされている色鮮やかな花束や贈り物の数々のせいだとしても、似つかわしくないことに変わりがなかった。



 ――道化の役に収まり過ぎている――


 この部屋を通るたびにナタリーはそう感じ、山積みとなった色とりどりのそれらに一瞥いちべつをくれるのだった。

 そしてあまりに広いその部屋の面積の四分の一も使いきれていない秘書官用のデスクがある場所にまで辿り着く頃には、ナタリーの気分は悪い方へとしか傾かないでいた。


 秘書はナタリーが部屋に入ってきたのに気付かないでいたわけでもなかろうが、まるで今そこに現れたかのように顔をあげてナタリーを確認する。

 そうして、何も言わずに手元のキーを操作して議員専用の個室へと繋がる扉を開ける。


 いくら特務少尉といえども、一介の士官が連邦の高官職の議員に然るべき正当な理由がない限り面会など許されるものではない。

 だがナタリーは特別だった。


 そしてその特別の理由を知っている秘書官も、何も言わず全てを黙認したようにただ今日も扉を開ける。

 その様は見ていて気分の良いものではない。少なくとも、ナタリーにとっては。

 しかし、この扉の先に居るもう一人に比べれば、この自分と同年代と見られる秘書官など可愛いものだと思える。


 だから、扉が開いてもナタリーは直ぐには足を踏み入れない。


 だが、もう一つ違った理由で、ナタリーは直ぐにでもこの部屋に駆け込めるものならそうしたかった。――なんの体裁も考えずにそんな行動がとれるならば。


 ナタリーにとって、この部屋はある種の不条理な空間となっている。


 その理由は一つ、この部屋の中には自分が恋焦がれる程に会いたいと思える人物とその真逆に位置する人物が同伴しているからだ。


 もしも、そのどちらか一人だけがこの部屋で待っているのであれば、ナタリーにとって何の問題もなかった。

 たとえ嫌いな人物だけがこの部屋にいようと、そのことで嫌悪感を顕にしたり、険悪な空気を醸しだす程ナタリーは子供ではないし、その場の空気に耐えられないわけではない。

 その程度ならば自分はドライに徹しきれるという自信もあった。


 問題なのは、その正反対の二人が間違いなく共にいるということだった。


 

 そんなナタリーの迷いはほんのわずかなものでしかなかったが、彼女が躊躇ためらいを払って足を踏み出すよりも早く、部屋の中から彼女を呼ぶ声がした。


 その声の主が今一番逢いたい人物だったことで、彼女の動作は軽くはなった。

 だが、部屋に踏み入ってナタリーはやはりと後悔する。


 目の前の黒塗りされた幅広の机に肘を突いて、こちらに優しげな目線を投げ掛けてくれる人物――部屋の壁から突き出たような美麗な彫刻に退けをとらない整いきった顔立ちの男性――こそが、今話題に昇っていまだ衰えすらしないディラン・フォート・メディチ連邦議員であり、ナタリーが親愛の情を見せる唯一の人間だった。


 彼のことはいい。

 問題なのはその右後ろ、部屋の片隅に佇んでいる漆黒の男だった。


 闇よりも深い色合いのダークスーツに身を包み、屋内だというのにレンズの厚いサングラスをかけたその長身痩躯ちょうしんそうくのハゲ男――それが、ナタリーがその男を語る上での全てだった。


 頭は禿げているというよりはまるで毛髪が存在しないかのような――金属か陶器のように無機質で、肌の色は浅黒いというのに眼の周りの皮膚だけ色素が抜け落ちているかのように白く、例えるならば爬虫類のそれによく似た気味の悪さを感じさせた。


 いつも同じ場所に佇み、注意して見なければ呼吸さえしていないのではと思えるほどに微動だにしない。

 表情一つ変えないどころか、感情すら持ち合わせていないといった装いのその男が、ナタリーがこの世で一番嫌悪感を抱く存在だった。



 だがナタリーは、そんな内心の不快を微塵に感じさせない動作で目の前に座るメディチに対して敬礼をしてみせる。


「ナタリー・エルスティン特尉、出頭いたしました」


 女性としては低い声色のナタリーが踵を合わせたその様は凛々りりしいという言葉がまさにぴったりとくるものだったが、ナタリー自身は、このように他人行儀な態度をとらなければならないことに歯痒さを感じていた。

 それも全ては、横にいる男の所為だ。


「君もだいぶ参った表情してるね、ナタリー? まあ、議会が初めてではそれも仕方ないことか」


 メディチは、いつもと変わらない柔らかな微笑を向けて席を立った。

 そうして、いつもと何ら変わりない自然な動作でナタリーの傍らへと歩み入る。


 いつもと変わらない――

 そう、まるで長年連れ添った恋人達の抱擁ほうようのような、そんな緩やかな動作で、メディチは目の前にいる敬礼したままの軍服の女性の腰を抱き寄せた。


 思わず上擦った声を上げてしまいそうになるのを抑えて、ナタリーは咎めるような響きを込めて「議員」と小さくささやく。

 しかし、すぐ近くにあるその美麗な表情の持ち主は、まるで悪戯の現場を見られてもまだやめようとしない子供のように――さらに距離を詰めて、彼女の耳元に口を寄せた。


「つれないな、二人の時は名前で呼んでくれて構わないと言ったはずだが?」


 ナタリーは、その男の存在をアピールするかのようにチラリと目線を投げ掛け、眉をしかめてメディチの言葉に抗議した。

 だが当の連邦議員は気付いていないかのように――もしくは、気付いていて知らん顔するように――大仰に手を広げて、彼女を解放した。



 本当に、どうしても信じられないのがこのメディチの行動だった。

 羞恥心やらの話ではなく、まるでこの男の存在を微塵みじんも気にしていないような、それとも存在していることにすら気付いていないような――そんな不自然な程、脇の男に頓着しない。


 あるいは本当に、今目に見えているこの気味の悪い人間は幻で、初めからそんなもの存在しておらず、ただあまりにリアルな壁の彫刻にメディチがふざけて服を着せているといった――そんな馬鹿な話であったならどれだけ良いことか。

 実際には、異様過ぎるほどの威圧的な存在感を纏って、その男は今日も静かに佇んでいる。



「さて……それでは少尉、計画の進行状況の報告を聞かせてもらおうかな」


 未だしかめ面が治らないナタリーに対して、おどけたような仕草で自分の机をコツコツと指で弾いて意識を向けさせるメディチ。


 ナタリーは軽く咳払いをしてから、また背筋をしゃんと伸ばした姿勢でメディチに向き直る。



「計画の進行状況は順調です。ラボの方から、本日、指定地区の中央層付近において目標“マニフェスター”の存在を確認したとの事。以後、なんらかの反応があると見て間違いないとの報告です。ただし、かの施設の同調機能が完全ならば、と付け足されておりますが」


 そうナタリーは、今朝早くに訪れたラボ――研究部――での報告を繰り返した。


「そのことに関してはプロフェッサー達に一任していると伝えてくれ。『キミたちを信頼している』とね。問題は“0”の行方だが……それは聞くまでもないか」


 その言葉にナタリーは少し気概を砕かれたかのように落胆した。

 別段、彼女を責めているような口調ではなかったが、メディチへの報告に中に、彼を喜ばせる要素が欠落していたためにだった。


 そんな彼女の内心を見透かしたかのように、メディチはナタリーに薄く笑ってみせ、報告の先を促した。


「ああ、それから……現存している“天使”達の中で、本物の“神の子”としての機能を保持できているのはあと何人だったかな?」


「はい――“1”から“6”までは既に見込みなしとして廃棄されています。“7”と“8”も能力的には数には加えられないでしょう。ラボの方から別件で引き取ったという報告を受けているので、後ほど詳細を送らせます。残るは“0”と“9”と“10”、および現在総力をもって開発途中の“E”シリーズのみとなっています」


「ふむ……。“E”が完成したとしても、まだまだ戦力不足は否めないか……。いや、それにしても、“0”は一体どういうつもりなんだろうか。あのご老体で、なにをしでかすつもりやら」


 メディチはまるで知り合いの愚行を非難するでもなく、かといって馬鹿にするでもなく、ありていに言えば「困ったものだ」とでも囁きあうような世間話としてナタリーに同意を求める。


 だが当のナタリーはその事に関してなんと答えてよいのか見当がつかなかった。


 ただ一点のみ、どうしても気に掛かってしまうのは、そのメディチの表情があまりにいつもと変わらないさまに――

 ナタリーは最近、言い表せない不安感を抱くことが多くなってしまった事だろうか。










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