さんわめ

 探偵という職業が、どんなパブリックイメージを持たれているか。それを知るにあたっては、ベストセラーになっている漫画を一つか二つ手にとるといい。

 まず、不思議と手のこんだトリックを用いた殺人事件が起きる。その場に、偶然にもやって来ていた探偵ご一行が居合わせる。そして、並外れた洞察力やら便利アイテムやらを駆使して事件の謎をスマートにひも解いていくのだ。

 そこで、なにか思い浮かぶことはないだろうか。例えば、私の父とか。

 貞本小十郎は、希代の名探偵である。その血を継いでいる私も、父のような名探偵にいつかなれるのではないか。そんなことを、かつては夢想していた。

 希代の名探偵の娘は、美しき女探偵。このような広告が出れば、今の業務はさらに良い方向に向かうだろう。まるでビジネスマンみたいに、父は営業戦略を考えていた。これまでの探偵業でそこそこ稼いでいるものの、希代の名探偵はこじゃれたおっさんを抜け出せない。なればこそ、ビジュアル面は娘に託そうという算段だ。

 幸い、わたしはそこそこまともなビジュアルに育ったので、父の狙った戦略はなんとか軌道に乗るように思われた。父により施された洞察力等々の英才教育も、無駄にはならない――はずだった。

 道端にある探偵事務所の看板を見ると、いくつかの業務内容が書いてある。浮気、信用、企業調査などなど。もちろん、わたしの父もそれらの仕事を請け負っている。そして、それらの依頼を遂行するのに必要なのがなにか。

 違法行為だ。

 素行調査をするに際して、基本的に行われるのは尾行だ。しかし、それだけで人間のことを把握できるだろうか。答えは否だ。

 そこで必要になってくるのは、人の情報を知るためのアイテムの使用。そして、それをベストな場所に設置する能力。監視カメラや盗聴器はもちろんのこと、GPSによる位置情報を扱った機器も使用する。被調査人の持ち物に忍ばせることは基本中の基本。あくどい探偵なら、家宅侵入までやってのける場合もある。

 希代の名探偵である父は、もちろん素行調査などの依頼もこなす。というか、探偵の基本業務こそ、道端の看板に書かれたそれらなのだ。こなせなくては、なにも始まらない。

 合法から違法まで、業務に必要な技術をいくつも叩き込まれた。幸い、スニーキングや悪い手癖の才を父から受け継いだらしいわたしは、メキメキ上達。そこらの探偵を優に凌駕する素行調査の技術を身に着けることには成功した。

 だが、そこまでだった。

 優秀な父から指導を受けたおかげで、殺人事件などに際して、どういった部分に着目するかはわかる。また、シチュエーションにおける着眼点の違いなども知っている。だが、それらを結びつける能力が――クリエイティブかつやわらかい脳の使い方が、わたしにはできなかったのだ。


 ◇


「わたしに、探偵の才能なんてない」

 莉里香への懺悔がしたくて。でもこの言葉は、ただの言い訳でしかない。

「そう思うのは勝手だけれど、あなたには既に有名探偵の娘、もしくは女子高生探偵なんていうレッテルが貼られているのよ?」

「それは……私がつけたわけじゃない。誰かが勝手に言いだしただけよ」

 いつの間にか、わたしは床にへたりこんでいた。莉里香に向ける顔もなければ、終子に恥を晒したくもなく――しかし、眼から溢れ出す熱が収まりそうにない。

「私には、莉里香しか居なかったのに。こんな私を、認めてくれるのは」

 探偵として惨めでしかなく、誇れることなどなにもない。そんな私を見つめてくれるのは、褒めてくれるのは、リスペクトしてくれるのは、莉里香だけだった。

 でもその莉里香は――

 その時、すすり泣く声が聞こえて。優しい香りが、私を包み込んだ。

「……莉里香?」

「ごめんね、ごめんね、探ちゃん」

 終子に抱きかかえられていた彼女の姿はどこにもなく。目の前の存在が、ぬくもりを持って、柊木莉里香としてこの世に現存していた。嗚咽を漏らして泣く彼女は、私を強く、強く抱きしめている。

「どうして。あなた、血を流して」

「ごめん、ごめん……」

「っ、謝るだけじゃ、なにもわかんないよ!」

 でも、このぬくもりが愛おしくて、抱き寄せた。力を込めたら折れてしまいそうで。折れてしまえばいいとすら思えて。彼女がそこにあるという事実を、この胸に刻み込みたかった。

 ひたひたと近づく足音が聞こえて、上方を見上げる。そこには、目を皿のようにしてこちらを見据える終子の姿が在った。なぜだか一瞬、彼女がこの世のものではないような錯覚が起きる。それでも、彼女がなにを見ているのかだけは、理解に至れない。

「一人の少女が、何者かになりたいと願った。なぜと問うと、何者でもない自分が嫌だから。彼女の隣に立てる何者かになりたいから。そう言った」

 さながら語り部のごとき、浪々とした語り口。

「少女は己の境遇を憂い、己の周囲に現れたまばゆい存在たちに憧憬の念を抱いた。彼らと比べ、なにもない自分がここにいていいものか。苦悩の日々が続いた」

 それが莉里香の心境を語っていることは、すぐに理解できた。だが、現状でなにが起きているのかだけが、判然としなかった。

「転校してきた私は見ていたわ、あなたたちの美しくも翳りのある関係を。そして、莉里香さんにある提案を持ち掛けた。こうすれば、彼女があなたをどう思っているか、わかるのではと」

「それじゃあ……この騒動は、あなたが起こしたっていうの!」

「私よりも、見てあげるべき人がいるのではなくて?」

 そう言うと、終子はそそくさと教室から出て行った。教室には私たちと、嘘の血だまりだけが残された。

「……莉里香、あなた」

「わたし、なにも恩返しできてない。探ちゃんにも、家族のみんなにも。時々思うんだよ、なんであの時生き残ったんだろうって。探偵のお父さん、その才能を受け継いだ探ちゃ――」

「受け継いでない! 私には才能なんて」

「わたしにはもっとなにもない! なにも、ないんだよ」

「私がいるよ!」

 再度、彼女のか弱くて震える身体を抱きしめた。彼女を支えるためとかじゃない。私が抱きたくなったから、抱きしめたのだ。

「父親と比べてこすいことしかできない私なのに、莉里香は褒めてくれた。親に頼って事件を解決したときも、犯罪を犯してまで依頼をこなしたときも。あなただけが、私を救ってくれるの……」

 才能と現実に板挟みになって、家族のことゆえ探偵という世界から足を洗うこともできなくて。ずっと泥沼だった私をつなぎとめてくれたのは、莉里香だったのだ。

「探ちゃん……」

 全部吐き出さなきゃダメだ。これは私にとって莉里香がどれだけ大切な存在か、伝えることを怠って来た私への罰なのだ。今全て言いきらないと、莉里香は本当にどこかへ行ってしまうかもしれない。

「私のために、そばにいてよ。莉里香」

「いいの、こんなわたしでも」

「私の大好きな家族を、こんな、なんて言わないで」

「……ありがとう」



 莉里香をあの場に置いて、私は教室を飛び出した。すると、すぐそばの廊下にあの女――終子がいた。背中を向けて歩いていることから、去り際だったのだと推測できる。

 この事件は、まだ解決していない。

「始尭終子! あなた、何者なの!」

 あれだけのことをやってのけた始尭終子とはなんなのか。彼女の本来の目的はなんだったのか。考えれば考えるほどわからない。想像をつなげる力に乏しい私は、彼女に直接聞くほかなかった。

 始尭終子が、踵を返す。流麗な黒髪がふわりとたなびき、艶やかな唇が厳かに告げた。

「ただの百合オタクよ」

 世界が止まったような気さえした。

 百合。女の子同士の関係性を楽しむジャンルの総称。かつては禁断の愛というフレーズとセットで扱われていたが、最近では特段なにも禁断ではなくそんなことを言っていると時代遅れだいつまで異性愛が規範だと思っているのだこのヘテロ野郎と罵られてしかるべき。最近加熱をし始めているという、あのジャンルのことなのか。

 つまりあの女は、私と莉里香をコンテンツにして、楽しんでいたということなのか。

「行くわよ吉村。今回は良いものが見られたわね」

「そうですね。最高でした」

 始尭終子のそばに、素早く現れた少女――クラスメイトの吉村。あの子もグルだったというのか。

 完敗だ。なすすべなく、冷たい廊下にへたりこんだ。

 でもなぜだか、ぽかぽかと温かい感情が、心の奥底から湧き上がる。明日も明後日もいつまでも、莉里香と一緒に生きていこう。そう、強く想うことができた。


 おわり

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何が彼女らに起こったか? いかろす @ikarosu000

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