にわめ

 今でも鮮明に思い出せる過去がある。わたしの脳みそに染みついて、離れることはまずないであろう記憶。今のわたしという存在の、始まりについての記憶。


 その日、貞本家の三人はとある資産家のパーティに招かれていた。

 主催者と我が家の交友関係だが、前に父が解決した殺人事件の現場で初めて出会ったのだとか。重要参考人として疑われていたところを、父がズバリと真犯人を言い当てて助けたらしい。それからというもの、資産家のおじさんに気に入られた父はよく食事に招かれるようになった。また、どうでもいい依頼で呼ばれてたんまり依頼金を貰ったりと至れり尽くせり。このパーティに呼ばれたのも、それが由縁だ。

 たくさんの人が瀟洒な会場に集うのがパーティ。小学五年生であったわたしは、ハッキリ言ってその場の雰囲気があまり好きではなかった。

 いかにもお高い人ですよというタイプの人間が、一か所に集まってわいわいがやがや。そこかしこから香水の匂いがして、時々鼻をつまみたくなる時もある。つまるところ、騒がしいのが嫌いなのだ。

 だが、その騒がしさが、ある時を境に静寂へと移り変わる――たった一瞬のことだったが。

「いやああああああああっ!」

 絹を裂くような悲鳴が、パーティ会場に響き渡った。明らかに、事件の香りを孕んだ悲鳴。すぐに人々は騒ぎ出す。なにかしら。外の方からしたわ。うるさいなあ。怖いわねえ。

 父――貞本小十郎は、すぐさま現場へ駆けた。父の仕事に魅力を感じていたわたしは、好奇心に駆られて父の後を追いかける。これはすごい機会だ。本物の死体を見られるかもしれない!

 事件現場は女子トイレだった。大きなパーティ会場のトイレだけあって、無駄に広く無駄に豪華なつくりで、床の素材はおそらく大理石。

 そこに、男女の死体が転がっていた。身を包む正装からして、パーティの客だったことは明らか。死体にはあれこれ殺されるに際しての痕跡などが残っていて、探偵ならば真っ先に目をつけそうな特徴のオンパレード。日頃から父に探偵訓練を受けていたため、わたしはすぐにそれらに気付く。

 だが、これは過去の記憶。死体のディテールまでは記憶になく、わたしが強く覚えているのは、遺体の傍らでへたりこむ少女の姿。

 虚無。彼女を語るに際して、一番ふさわしい言葉はそれ以外に考えられなかった。

 ああ、あの子は知り合いを殺されたのだ。足し算よりも簡単な情報が脳に入って来ると同時に、わたしはあの子――柊木莉里香から、目が離せなくなっていた。

 殺されていたのは、莉里香の両親だった。他殺であるのは間違いないが、誰がどのような手口で殺したのかまったくもって不明。それらしい痕跡は残っているものの、誰もそれらのつながりを指摘できずにいた。

「それ……ここと繋がってたんじゃないですか?」

 父に鍛えられた洞察力(?)で、わたしはそれっぽいことを指摘した。すると、大人たちは興味深げにわたしを見る。流石貞本さんの娘さん。将来はお父さんみたいな探偵になるのだろうか。

 みんなに注目されると、父も頭を撫でまわしながら褒めてくれた。

「探、その調子だ。このまま美少女に育って、俺の後を継ぐ美少女探偵になってくれ」

 でも、それ以上に、気になることが一つ。わたしの指摘を聞いてなのか、莉里香の虚無が薄れた。その上、わたしの方を見たのだ。彼女がこちらに興味を示しているのは、明らかだった。

 結局その事件は、わたしが提示した要素の有無に関わらず、父がビシッと解決してみせた。父の観察力と想像力、それらを結びつける思考能力は尋常でなく、父と同じ血がわたしにも流れているのだと思うと誇らしさすら感じられる。わたしも、いつかは父のような探偵になれる。漠然と、そんな気持ちが湧いて来た――が、大事なのはそこではない。

 両親を失い、莉里香は行き場を失った。なんの因果か、彼女を引き取ってくれる身よりはなく、世界は彼女を一人にしてしまおうとうごめいていた。まだ小学校高学年の彼女は小さく、世界の荒波に抵抗できるような器ではない。

 わたしにはすごい父がいて、平凡な母がいて。だから、すべてを失った彼女の気持ちはわからない。だから、漠然と、可哀そうだという想いを抱くことしかできなかった。

 莉里香がこちらを見る。やめてくれ、わたしにはどうしようもないんだ。心でそう唱えても、伝わるわけがなく。彼女の、闇を携えた瞳と、見つめ合っていることしかできなかった。

「なあ探。新しい家族、欲しくないか?」

 突如上の方――父は身長が高いため――から浴びせられた言葉は、天からの奇跡。なにもできないわたしに代わって、父が、莉里香の前に歩み出たのだった。

「キミ、ウチの家族になる気はないか?」

 頭上高くよりの言葉に、彼女の虚無は、静かに霧散を始める。

 その日は、わたしの家に、新しい家族が増えた記念日となった。


 ◇


「お見通し。流石名探偵。いえ、名探偵の娘さんと言った方がいいかしら」

 血だまりの真ん中で、終子は笑みと共に告げた。

「どちらでも、ご自由に」

「なら、名探偵の娘さん。そのお見通しとやらの内容、お聞かせ願いたいわ」

 始尭終子は怪しい女である。それだけでなく、妖しい女でもある。そんな女が、わたしの家族にアプローチをかけて来た。ここまでは、なんの変哲もない学生生活と考えていいだろう。

 だが、わたしは聞いてしまった。

『夜、この教室で』と終子。

『……よろしくお願いします』と莉里香。

 即座にツッコミを入れてやりたくなる会話であった。しかし、始尭終子の正体を探るためにも、あえて野放しにしておくことを決めた。わたしの介入が許されるような雰囲気は、感じ取れなかったから。

 だが、なんの対策も取らないわたしではない。生徒たちの下校後、教室の様々なところに監視カメラと盗聴器を設置しておいた。そして、終子たちが来るであろう時刻より先に退散。アリバイを作るべく、わたしはその晩、ちゃんと家にいた。寝ても寝付けない、地獄のような夜だった。

 莉里香は、友人の家に泊まるという名目で、帰っては来なかった。

 ともかく、わたしが設置したいくつものアイテムのどれかが、確実に証拠を掴んでいるはずである。先ほど大げさなことを言ってしまったが、アレはある意味嘘だ。今の脳内で、彼女らのことはお見通しではない。だが、わたしのファンネルたちが、すべてをお見通しにしてくれる。真実を、白日の下に曝してくれる。

 これだって、立派な探偵の戦い方である。そもそも探偵というのは――

「あ、監視カメラと盗聴器はすべて見つけてあるから。監視カメラが五つと、盗聴器が八個だったかしら」

 背に氷塊を流し込まれたかのような悪寒。すべての思考がストップし、わたしの瞳は目の前の妖しい女に釘付けとなった。

「念には念を入れるのは大事なことよね。もしあなたがこの殺人の証拠を推理してみせたとしても、それがすべての証拠たりえるとは限らないもの。でも、あなたの凝った策はしかと封じさせてもらったわ。お見通し、と言えばいいかしら?」

 彼女の暗い瞳が、笑っていた。吸い込まれそうな深淵が、この状況を楽しんでいるとおごそかに告げているよう。所詮わたしは、彼女の愉悦の上で踊らされているだけなのか。

「さあ、聞かせてちょうだい。名探偵の推理を。あなたにはすべてお見通しなのでしょう? それともなあに、あなたは名探偵を謳いながら、貧弱な科学技術に頼ってお見通しです☆なんて格好の悪いことをしていたの……?」

 彼女の一言一句が染み込んできて、心の炉に薪がくべられていく。抑えきれない。わたしは。わたしは。

「……好きで名探偵やってるわけじゃ、ないのよ」

 心の奥底より飛び出て来た言葉――言ってから気付く。これは、わたしという存在を否定しかねない一言であること。

「オーディエンスはいないわ。安心して」

 廊下を見ると、たしかに他人の姿はなかった。ここにはわたしと終子の二人だけ。ほっと胸をなでおろす。同時に、彼女の言葉を受けて安堵している自分が心底嫌になった。

「教えて、あなたのこと」

「なんで、言う必要があるのよ」

 終子の顔を見続けるのが嫌で、目を逸らす。すると視線の先に、、莉里香が倒れていた。死を感じさせない、秀麗な姿。いつまでも綺麗な輝きをまとっていてほしかったという願いを、死という事実が、いとも容易く踏み砕いていく。

「あなたは、もう少しこの子を見つめてあげるべきだったわね」

 そう言って、終子は、莉里香の背に手を入れて、抱きかかえた。鮮血と少女たち――凄惨と清純。不気味なコントラストが織りなすインモラルが、心のやわらかい部分を抉りだした。あたたかいものが、眼から零れ落ちていた。

「なぜ、泣いているの?」

「……その子は、わたしのすべてだったから」


 つづく

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