何が彼女らに起こったか?
いかろす
いちわめ
一年G組の教室に、死体が転がっている。
このユニークな情報は、尾ひれをつけながら疾風のごとく学校中を駆けまわり、朝早くから登校していた生徒たちへみるみるうちに届いていく。
それは巡りめぐって、登校してきたばかりの私――
「探ちゃん! 死体だって死体! 誰のかな!」
知人の声に「知ってる」と答えそうになって、今はマズいと思い言葉を飲み込んだ。その代わり、頭とか体の奥の方から吐き気が押し寄せてくる。
どれもこれも飲み込んで、私は教室へと歩を進め始めた。
校門、下駄箱、廊下、階段。さわやかな白い壁の建物内を進んでいく。建物はいつも通りなのに、人間だけがいつも通りではなかった。目的地に進むにつれて、形成されていく人垣。私立の女子高なのでそこら中にいる人々はだいたい女の子だ。朝から舞い込んだおもしろニュースに、右を見ても左を見てもざわついていた。わーきゃー言う声は姦しいなんて表現じゃ収まりきらないほどで、ハッキリ言って不快でしょうがない。今の体調も相まって、不快感は倍増し状態である。
そして――視線。女の子たちの視線が、私に集まっている。ちらりと覗く視線。ギロリと睨むような視線。なにかを求めるような視線。あざ笑うような視線。憐れむような視線。学園のアイドルとかそういった身分なつもりはさらさらないのだが、生徒たちはこぞって私を見つめてくる。
「探ちゃん来た!」「あなたが貞本さん?」「え、もう探来てるの!」「探ちゃんやめといたほうがいいよ!」「やべー貞本のあれタダで見れんのかよ!」「ショーの始まりだねぇ」
私のことを知っているっぽい人たちがなにやら口に出し始める。それに構わず、目的地である一年G組へとひた歩く。
途中、一人の女の子が腕を掴んで歩みを阻害してきた。たしかクラスメイトのなんとかさん。顔がかわいいので顔だけは覚えている、文字通りの美少女であった。
「なぜ止めるの?」
「……貞本さんは行かない方がいい」
彼女が深刻な面持ちで、ついには私の腕を抱きしめてまで止めようとしてくれている。腕に彼女の大きな胸が当たっていた。でかい胸はやはり柔らかい。あいにく胸の成長が遅い私は、イラっときたので雑にふりほどいた。
早歩きで廊下を進むと、人垣はなにかを察知してバラけ、通らせてくれた。おかげでスムーズにG組の教室前へと到着。吐き気は依然治まらず、頭の中はよくわからないものがぐるぐる回り続けている。おそらく、パニック状態に陥ってるのだろう。構わず、G組の中へと足を踏み入れた。
血だまりの中に、二人の女子高生が転がっていた。
それを見た瞬間、私は嘔吐した。
私こと貞本探は、そこそこの有名人であると自負している。死体が転がっているというニュースが走り回る最中で、いくつも視線が向いていたのはそういうことだ。
世間で名を轟かす名探偵、貞本小十郎。泣く子も黙る名推理で、いくつもの難事件を解決してきたとんでもないバケモノ探偵である。まあその分、事件との遭遇率も異様に高かったりするのだが。
察しのいい人間でなくとも、ここまで聞けばわかるだろう。私は、その小十郎の一人娘。天才探偵の一人娘なのだ。
探偵の娘が探偵になるという法則はないが、私はひょんなことから女子高生探偵――それも天才――として名を馳せてしまっていたりする。事件の解決に携わった回数も、この歳にして両手で数えられるくらいにはあったはずだ。
そんな私だからこそ、大衆は期待する。この学校で起きた、凄惨な人死にの解決を。
そして、私をよく知る人間――クラスメイトは、事情を知っているがゆえに引き止めてくれたのだろう。その良心を振りほどいて来てゲロってるのだから、言い訳のしようがない。
死体を見た経験は幾度かあるので、血だまりを見たくらいで吐くような私ではない。なら、なぜ吐いたのか。
血だまりに倒れる少女の片割れが、同居人にして我が家の養子――
セミロングの髪が、血に濡れていた。これまで幾度となく見つめ合った瞳は、瞼の奥に隠れている。目を開けてほしいと願っても、事象は動いてくれそうにない。
莉里香は、私の大切な人だった。大切な、家族だった。
整然と並べられた机。しかし、中心からいくつかのものがズラされ、人二人が倒れられる空間が形成されている。
そして、大量の血。おそらく、出血多量で死んでいるものと思われた。私の吐瀉物は一応片付けたので、鉄っぽい血の臭いばかりが鼻につく。しかし、死体特有の死臭はあまり感じられなかった。死後、そこまで時間が経っていないのだろうか。
「貞本さん、大丈夫?」
クラスメイトたちが慮ってか、私に寄って来る。なんとかさんに至っては、フラつく私の体を支えてまでくれていた。もう少し、莉里香以外のクラスメイトとも仲良くしておくべきかもしれない。
「ねえ、貞本さん。ちょっと聞いていい?」
なんとかさんが聞いて来る。ここまでしてくれる彼女の名前を知らないと言うのは、流石に失礼だろう。
「その前に、あなたの名前聞いていい?」
「あ、吉村です。その、大丈夫なんですか? 莉里香さん、一緒に暮らしてたんじゃ」
人死にの現場を前にして吉村さんこそ大丈夫なのかと聞きたくなったが、ここは我慢。
吉村さんの疑問はもっともである。同居人が目の前で死んでいるとあれば、多くの人間は感情のコントロールができす、パニックになるだろう。というか吐いたので、パニック自体にはなっている。
しかし私は、この状況を予測していた節がある。なればこそ、ここへ急いで向かって来た。最初の誰が死んだかという話題で、知ってると答えそうになったのだ。
この話題を口に出すのはまだ早いため、吉村さんには場慣れしているからと答えておく。吐いた後なので説得力に欠けるが、気分としてはもうどうにでもなれという感じ。
なぜ予測できたか。それは、莉里香の隣で死んでいる女にある。
床に倒れる彼女は、人形かと錯覚するほどに美しかった。生気を感じさせない、白すぎる肌。天高く伸びるまつ毛。美人の条件を整えた顔だ。まだ新しい制服には、鮮血がじんわりと染み込んでいる。
彼女は、クラスという小集団だけでなく、私の人生そのものにまで名前を轟かせてきた。今でも鮮明に思い出せる。莉里香が満面の笑みで告げたことを。
『転校生の終子さんとお友達になったんだ』
よかったじゃん。その時は、てきとうな反応をしてしまった。
貞本家の養子である莉里香は、もちろん私やその家族と同居していた。彼女が小学五年生のときから同居しているので、もう五年以上の時間を共にしてきている。それゆえに、彼女の変化は手に取るようにわかった。最近の彼女は、明らかに様子がおかしかったのだ。負のオーラをまとっていた、とでも言うべきか。
それが、終子と出会ってからの莉里香はなにか違っていた。背負っていた負のオーラは変わりないものの、なにがしかの変化があったのだ。名状しがたいなにかが。
そして、変化の終着点――それが、死。
血だまりの中で、横たわる二人。その間に、どんな感情が横たわっているのだろう。私がどれだけ目をこらしても見ることが出来ない。天才探偵の娘が見たって、それは変わらないのだ。死が織りなす背徳の美が、背筋に悪寒を這わせ、体内に吐気を巻き起こす。
今、どんな想いでこの光景に目を向ければいいのだ。私にどうしろと言うのか。
解決方法は、簡単だ。私の思考の中に、この教室で起きたことを開示する用意は十分にあった。腐っても女子高生探偵だ。
始尭終子。すべてはこの女に帰着する。こいつがなにをもってして、莉里香を追いやったのか。私の中で、ぐちゃぐちゃに絡まり合って正体不明となった感情が姿を現し始める。喜怒哀楽とか、そういった尺度で測れないなにか。閉じられた瞼の奥に潜む瞳は、私の家族のなにを捉えていたのか。
その時。終子の目が開いた。
「……は?」
自分の口から、間の抜けた声が出ていた。それを認識するのにも、時間がかかった。死体だと思っていた女が、起き上がったのだ。
透明がすぎる肌の色はやはり死人を思わせ、彼女がゾンビなのではという疑惑すら生み出そうとする。寝転がった態勢から、血だまりに手をついて起き上がる。そして、大きく伸びをした。
「ん~! はぁ。よく寝た。寝心地はかなり悪かったけれど」
教室内を覗いていた野次馬たちが目を剥いていた。この科学の時代に起きた死者蘇生の現場は、人々を阿鼻叫喚の嵐へと叩きこむ。教室周辺にいた人間は、恐怖の叫びと共に走り出した。中には歓喜の色を浮かべる者もいたが、圧倒的に多い恐怖人口に飲まれて遠くへ去ってしまった。
終子は、教室と自分たちを取り巻く現状を見やり、首をかしげた。そして、次に視線を眼下――血だまりへ。
「……い」悲鳴が上がろうとする。
「無駄よ」遮るつもりはないが、指摘はする。うるさいのは好きではない。
「……や~ん。なによ貞本さん。こちらとしては、今心底恐ろしい状況に巻き込まれているのだけど」
口調はスムーズにして冷静。恐ろしい状況とはどの口が言うのか。なにもかも、平生の始尭終子そのものであった。血に染まる制服に身を包んだ麗しき女子高生は、官能的とすら言える美をたたえ、吸い寄せられそうな瞳で見据えてくる。同じ人間で、同い年であるのかを疑いたくなる美貌だった。
この女が生きていたという事実がパニックを再発させようとするが、踏ん張って居直る。ここからが正念場。探偵であり、莉里香の家族である私が、やらねばならない。戦わねば、ならない。
「あなたと莉里香の行動は、すべてお見通しです」
-つづくよ-
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