第5話 もうアンコールは届かない

 ビルには都市ガス配管が敷設されているし、空調機には可燃性ガスが充填されているものもある。オフィスにはシュレッダーにかけられる前の重要書類が詰まったダンボール箱もたくさんあるし、害虫駆除用のスプレー缶の予備ストックがケースごと倉庫にあったりもする。

 だから熱剣で薙ぎ払うと風船が割れるように簡単にビルというものは爆発していく運命にある。

 破裂した給水管からぶちまけられた水が爆発により蒸発し、周囲は薄い霧に包まれている。熱い霧だ。その中心で、カノンの明星は刀剣のように濡れていた。生物と機械が融合した設定をデザイナーによって表現された機体の中に、天使と悪魔と関わってしまったアイドルが乗っている。

 戦車群は壊滅させたが、今度は明星より2/3スケールの人型歩行兵器が6機登場して、小さな餓えたリザードマンのようにカノンに襲いかかってきたので、そいつらを殺しているところだ。F.M.Gもレーザーブレイドも当たり前のように敵の装備として搭載されていた。だから明星のモニターディスプレイに出力される映像はひび割れだらけになっていた。誰かの悪夢によって攻撃された傷は自己修復しないらしい。厳正で当然のルールだ。人間の嘘まみれの約束とは違う。悪魔は約束を守る。だからカノンの胸には悪魔の言葉が響いたのだ。人間の理屈でも、天使の同情でもなく。

 操縦桿を握りながら、ペンナイフでコックピット壁に貫通させた未来の記された題名の本を乱暴に引き千切った。見開きのすでに終わった過去のページが粉々になり、次のページが現れる。だがそれももうあと数ページしかない。視界の先に黒い機体が見えた。カノンの明星とほとんど同じサイズだ。

 あれがカノンを殺す設定になっているらしいことは、残りページ数からわかる自然な推理だった。映画館で蛍光腕時計の文字盤を見た時と同じ。だが今、主人公は自分であり、死ぬのも自分だ。カノンは機体設定画面をミニ・ウィンドウで呼び出し、機体の出力をBGMの音量でも上げるように最大値まで伸ばした。呼吸が荒い。ダンスやボーカルと違って、殺し合いというのは相手が好き勝手に動く。だから疲れる。いつまでもアンコールの止まらないLIVEのようだ。終わりについて考えていたら隙を突かれる。そして殺される。当たり前みたいに。

 破壊された街の路上に、普通のおばさんの死体が転がっているのがこんな時に限ってよく見えた。まるでそれをカノンに意識させることによって、あの黒いやつに殺されることの正当性を伏線として処理しているかのようだ。眼の動きまで神様の掌で転がされているとは、なんてスプラッターなんだろう。動力炉が断熱しきれていないのか、コックピットの温度が上昇し続けている。まるでサウナだ。開放された汗腺から体液が流れ続ける。絶体絶命というやつだ。カノンは悪魔に魅入られた者として無残に殺され、教訓話にさせられるのだ。アイドルだったときのように、誰かの都合を具現化するだけのお人形として。

「いやだ……」

 カノンは操縦桿を握り締める。憎い誰かも、救ってくれなかった誰かも、等しく皆殺しにした指に力がこもる。

 死ぬかもしれないと、確かにあの時、悪魔は言った。気をつけて、と。

 だが、カノンは生きると決めたのだ。

 黒い敵機がレーザーブレイドを構える。出力がカノンの明星よりも高いのか、刀身だけでなく周囲まで蜃気楼のように歪んで、敵機の姿も水草のように揺らめく。カノンの明星も右腕で熱剣を構える。左腕はとうにない。放熱の地獄と化した都市に二機の悪夢が向かい合う。

 悪魔は言った。天使が来るかもしれない。あなたはそれだけ特別だから。

 彼女はあなたに未来の記された台本を渡すだろう。悪魔にだって、それに刻まれた文章を書き換えることはできない。どんなに泣いても喚いても、思い通りには書き込めない。

 だから――


 黒い機体が動いた瞬間、カノンは串刺しにしてあった白革の本の残りページを破り捨てた。教訓話のようにその紙片を見てしまう愚も犯さなかった。カノンは生きたかったから。悪魔が言ったから。天使の言うことは正しいかもしれない。制御できない力によって、あなたはもっと苦しい思いをするかもしれない。死にたくなるかも。だからどうか誓って欲しい。僕が本当の悪鬼にならずに済むために――あなたの言うように、僕があなたの罠に成り果ててしまわないように――お願いだから、死なないで欲しい。


 絶対死なない、と誓ってくれるなら、

 僕はこの夢を、あなたにあげます――






 熱源不明の高圧蒸気がジェットタービンを回転させ、背面のスラスターから推進力を得た明星が脚底部のスピナーを撃転させながら猛進する。瓦礫と死体を木っ端微塵に踏みにじりながら明星が流星のように突き進む。敵機は動かず、待ち構えている。刀身のリーチの差で、明星が上段からの袈裟斬りでコックピットごと蒸発傷を浴びることは確定していた。それはカノンもわかっている。わかっていて突き進んでいる。アクセルペダルにロックレバーをかけて、操縦桿だけに集中する。機体の破損箇所から吹き込む隙間風がカノンの髪を弄ぶ。

 敵剣の射程距離に入る、その一瞬。

 カノンの明星は、下段に構えた熱剣を自分の右膝下から斬り上げた。膝部可動域の中心で切断された右足部は断面を蒸発させ液状化した鋼鉄を血のように撒き散らしながら赤い空へと消えていき、明星はバランスを崩して右側へと崩れ込む。それを追うように振り下ろされた敵機の熱剣は、そのまま明星が突入していればコックピットを両断していたであろうところを斜平袈裟に斬り抜けていった。明星の左側頭部がわずかに液化する。あとは簡単だった。

 右手に握り込んだ熱剣を、柄まで埋まるほど敵機のコックピットのある胸部に投擲。そのまま明星は無様に倒れ込み、右手左足のみ残るボディを横たえた。背後で、敵機が爆発する。動力の燃料系統に引火したのだろうが、横転時に失神していたカノンには、そんなこともうどうでもよかった。

 ディスプレイに頭を打ちつけ、血の滴る顔をうつむかせながら、カノンは眠っている。その顔から戦士の形相は消えていた。

 穏やかな、母親の腕に抱かれているような安心感を覚えた表情で、カノンは夢を見ていた。銃声が聞こえる。悲鳴が続く。それは悪魔がくれた夢だった。唇がやすらぎに緩む。





 ああ、本当だね。悪魔さん。





 悲しくなんて少しもない。





 心地よくしか、


           聞こえない――













                                                                    NEVER END

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核よりも熱く死ね 顎男 @gakuo004

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