第4話 正しさなんて、トロくさい

 皆殺しは物足りないほど早く終わった。

 会場にはかつて人間だったもののパーツが散乱している。カノンはそれをモニター越しに見下ろしながら、ゆっくりと操縦桿を押し込む。

 明星が動く。歩いてくれる。

 カノンの思い通りに。逆らうことなく。歯向かうことなく。

 会場の外にどかんとツイン・アイのバイザーごと頭部をぶつけると、ガラガラと鉄筋コンクリートの構造壁が崩れ去り、お昼の世界がカノンを待っていた。事件が当然のごとく通報されたらしく、足元に赤色灯を回転させたパトカーが何台も集まり、ビル群のそばにはマスコミの報道ヘリが飛んでいた。警察は牧野に髪を踏まれた時に助けてくれなかったし、マスコミは本当のことを世間に伝えてくれなかった。タッチパネルを操作。ミサイルが7発発射され、少し獲物を探してウロウロした後、きちんと目標を見つけ出して辿り着いてくれた。かわいい。爆炎のにおいがコックピットの中に染み込んでくる気がした。

 街がどこまでも広がっている。終わりなんてあるのだろうか。地上15メートルから展望するパノラマは永遠に続いていきそうに思えた。こんなに果てしないのに楽しかった思い出なんてどこにもない。アイドルになる前の自分が思い出せない。霧島カノン以外の自分に心当たりがない。心は改修され尽くして、感情は揮発してどこかにいった。だから簡単にカノンは、大勢の人間が避難している途中の非常階段をF.M.Gでふっ飛ばした。

 さらに明星の歩を進め、ビルのコアにいるはずの未避難者に手を伸ばしたところで、心臓が大きく跳ねたような衝撃がシートに伝わってきた。モニターが一瞬のフラッシュホワイトの後に爆炎を映し出す。

 攻撃された?

 操縦桿を引いて、振り返ると前方のメインストリートに戦車隊がわらわらと集まってきていた。すごい。横並びになっているだけならいざしらず、その都市迷彩色の戦車群はお互いが接触し合うほどにひしめき合っている。その砲塔がすべてカノンの乗る明星に照準を揃えていた。降伏勧告はなかった。カノンはF.M.Gで戦車群を掃射したが、爆散させても大破させても戦車は後方から味方の残骸をキャタピラでごりごりごりと踏み越えながらやってきた。さすがに指先が震えて操縦桿の操作を誤り、ビルにF.M.Gを撃ってしまったが、なぜかそこからも爆発音がした。髪を振り乱してそちらへ視線を投げると、非常階段に1Fから7Fまでびっしりと戦車が、子供が詰め込んだ買い物カゴの中の玩具のように密集していた。そこに至ってようやくカノンも理解した。自分は悪魔と契約した。夢を叶える代わりに力を使うと。力を使って人間が夢を叶えることこそ悪魔の歓びなのだと。だが、もちろん、人間はカノンだけではなく、ほかの誰かだって契約していておかしくはない。空を飛ぶ飛行船の巨大ディスプレイから総理大臣が笑顔でLIVE中継している。ご安心ください、国民のみなさま。『敵』は速やかに我が絶対の国防力によって取り除かれます。ご安心ください――悪魔と契約する人間は一人じゃない。それはあのやたら人間くさい悪魔も言っていた。気をつけて、と。今思えば、あの悪魔は本当にカノンのことを心配してくれていたのだと思う。

 イカサマまみれのジェンガのようになった戦車階段から集中砲火を浴びて、コックピット内をレッドアラートで真っ赤にしながら、カノンは座席の下に手を伸ばす。そして一冊の白革の本を取り出した。題名は無い。

 あの日、カノンに訪れたのは悪魔がくれた力だけじゃない。


 ○


 渋谷の事務所を出た後、カノンは天使に出会った。

 彼女は人混みの中で誰かを探すようにきょろきょろとあたりを見回していたが、まさか自分を探しているとは思わなかった。だから彼女に腕を鷲掴みにされて「見つけた!」と近くのマクドナルドに連れ込まれてからしばらくは、何が起きたのかわからなかった。悪魔とお近づきになったことがバレたのかと思ったが、実際にそうだった。2Fの窓際二人席に座らされ、白いもふもふのコートを椅子にかける彼女を見上げていると、自分には姉がいたのだろうかと不思議な気分になる。

「悪魔に会ったよね?」

 最近寒くなったよねとか、朝ごはん食べたとか、そんな2,3の様子見のあとに白いセーターの彼女はそう尋ねてきた。カノンはいいえと答えた。彼女はがっくりと項垂れる。

「これはどっちが悪いんだろう。わかってて聞いた私が酷かったかな」

 多分。

「ごめんね。もう知ってるの。あなたは悪魔と契約した。……その力、どうするつもり?」

 さあ。カノンはマックシェイクを啜った。味がしない。人間じゃなくなったとかそういうことじゃなく、何か、耐え難いものが舌から味蕾を根こそぎ引き抜いていったようだった。

「……私もこの仕事、久々でね。正直言ってどうしていいのかわからない。あなたの……その、事情を知っていればとても軽率なことは言えないし」

 彼女は組み合わせた掌を解けない知恵の輪のように悶えさせていた。ちらり、とカノンを見やり、

「それでも……その力を使えば、どうなるか……私は見てきたし、あなたも理解してると思う。それは誰も幸せにしない。どんなにつらくても……それを使うのは『ズル』なんだよ、カノンちゃん」

「そうでしょうね」カノンはフライドポテトをケチャップの海に沈めた。執拗に拷問にかける。かけ続ける。

「それで、どうするんですか? べつに道具があるわけじゃないから、取り上げたり壊したりできないですよ。願うだけでこれは叶うんだって悪魔の人が言ってました」

「そう、だからこそ、私は説得に来たの」自分の言っていることが少しも信じられないような拙さで、彼女は言った。

「それを使えなくするには心を壊すしかない。でも、……悪魔はもう心が壊れてる人をつけ狙うからね。その方が『改心』される可能性が低いから」

「もしそうなら、安心しました。自分がもう壊れてるって、誰かが認めてくれるのって、すごくいい気持ちですよ。天使さん」

 天使は怯えるような目つきになったが、すぐにそれを振り払うように視線を逸らした。そして、

「もう、……戻れない?」

「誰がわたしを戻してくれるんですか?」

「…………」

「まだ使ってないのに釘を刺しに来るなんて、天使って、人間のこと少しも信じてないんですね。べつにいいですけど。その通りだし。わたしに戻ってほしければ、わたしを苦しめた人たちを皆殺しにしてその頭をここに雁首並べて揃えてみせてくださいよ。それならわたしも手を汚さずに済むし」

「カノンちゃん……」

「言葉だけ並べてやめろなんて、図々しいと思いませんか?」

「……すごく、つらいよ。誰かを傷つけるのは。絶対、忘れられなくなる。あとで絶対、やめておけばよかったって、思う。それでも……やるの?」

 カノンは答えず、2Fの窓から広がる町並みを眺めた。もうすぐお昼時の世界は、忙しなく流動している。誰も誰かを見ていない、永遠のすれ違いを繰り返し続けている。カノンはそれを見ながら言った。

「わたしを傷つけて来た人たちは、少しもつらそうじゃなかったですよ」

 天使を見、

「で、……言葉以外にあなたはなにができるんです?」

「……本当は、こんなのを見せたりしちゃいけないんだけどね」

 天使はハンドバッグの中から、一冊の本を取り出した。白革の無題本。それを名刺のようにテーブルに差し出しながら、それを自分が書いたものであるかのような焦燥をにじませて見る。

「この本、薄いでしょう? 30ページしかないの」

 カノンはそれを手に取って、開こうとした。待って、と天使がそれを制する。

「これには、これからのあなたの未来が記されている。……それが薄いってどういうことか、わかるよね」

 天使は間を置き、

「この本に書かれた運命は変えられない。でも、この本を始めなければ……悪魔の力を使わなければ、この本がめくられることはない。始まらない物語のまま、終わる。終われる――だからここが、最後の分水嶺。あなたが普通でいられるかどうか、の」

「……怖気づいて力を使わなくたって、わたしが悪魔に人生相談したのは変わらないですよ」

「言ったでしょ、カノンちゃん。この力は取り上げたり、壊したりできない。使わなければ、存在しないのと同じ。だから……ううん、わかってる。

 やめないよね、カノンちゃん」

 カノンは答えなかった。天使は曖昧に笑い、

「わかっちゃうんだなあ。本気なんだって……そうだよね、許せないよね。なかったことになんて……できないよね」

 天使はカノンを見、

「だから、せめて、この本をお守りに持っていって。そして力を使ってしまったら、……覚悟を決めて、これを読んで欲しい。そしてちょっとでも、ほんのちょっとでもいい、後悔したら……そこでやめて。やめていいんだって、続けたって報われたりしないんだって、それをあなたに伝えたいから……私はこれを、カノンちゃんに託します」

「……天使さん」

「ごめんね、私、あなたを助けてあげたい……本当になんとかしてあげたいのに……私には手助けしかできない。悪魔みたいに便利な道具、持ってないから……アドバイスしか、できない。……ごめん、ね」

 天使がカノンの手を取った。びくっとカノンの肩が震える。それを見た天使の眼に同情と苦痛が溢れる。カノンが嫌がるまで、天使はずっとそうしていた。長い間。

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