第6話
「テラチャーハンを持ってきてください!」
「え?」
玲於奈の言葉に目を丸くした店員は完食に立ち会ったのと別人であり、最初は何かの冗談かと思っていた。しかし玲於奈が「実績はあります」と完食証明書を突きつけると「か、かしこまりました!」と急いで厨房に戻っていった。
「何ですの? そのテラチャーハンというのは……」
「見ればわかる。さあ、一品目が来たよ。食べて」
「わ、わかりましたわ。では、いただきます……」
少女たちは皆、生粋のお嬢様育ちである。庶民向けの中華料理店が出す料理は果たして舌に合うのかという懸念がみさき達にはあったが、美味しいという声が次々と上がって意外と好反応を見せた。さすがに創業五十年の老舗は伊達ではない。
「これはなかなか。さすがはレオ様が選んだ店ですわ」
などと前言をあっさり翻す程だった。
玲於奈は棒々鶏に一切手をつけず、みさきも水ばかり飲んでいる。少しずつ和んでいく場の雰囲気とは裏腹に、二人の緊張はピークに達していた。
二品目のエビチリソースが来てしばらくした後、とうとうそれはやって来た。
「お待たせしました、テラチャーハンでございます」
皿が重量感のこもった音とともに置かれると、テーブルがグラッと揺れた。皿の上に乗っている、文字通り山盛りになった総重量四キロのチャーハンを見た少女たちから悲鳴じみた声が上がった。
「こ、これはみんなで分け合って食べてもちょっと多いかもしれませんわね……」
「違うよ。私が全部食べるの」
「ひぃっ!?」
素っ頓狂な声を上げる少女たち。
「一度食べられているのでもうおわかりかと思いますが、改めて説明させて頂きます。一時間以内に食べきれたら無料ですが、できなければ罰金一万円を頂きます。途中でトイレに行ったり他の人たちが食べたりした時点で罰金です。よろしいですね?」
店員が確認を取ると、玲於奈は元気よく頷いた。
「それでは、只今よりカウントを開始いたします!」
店員がストップウォッチを押すや否や、玲於奈は「いただきます!」と手を合わせて、レンゲで山頂を崩しにかかった。
「あ、あ……」
「みんなよく見ときな。これが最相玲於奈だ」
みさきはエビを一口だけ摘んで、唖然呆然としている少女たちに言った。
しかし思いかげない展開が待ち受けていた。玲於奈のレンゲと口の動きが前回の完食の時よりも恐ろしく速いのである。レンゲでたっぷりとチャーハンをすくい取り、それを一気に口に入れては二回三回噛んだだけで飲み込み、その間にもう次の分をレンゲですくっている。
卑しく下品と謗られても文句の言えない食べ方だが、チャーハンの山は驚異的な速度で削られてる。これにはみさきも面食らった。
まるで三日間ほどエサにありつけなかった肉食獣が草食獣を捕らえて喰らうが如くの勢いだったがそれもそのはず、玲於奈はこの時のために朝食はおろか昼食も抜いてきたのだった。燃費の悪い彼女であれば一食抜いただけで行動不能になっていただろうが、精神力で持ち堪えて今この時を迎えている。
「このペースだともしかして……」
ストップウォッチを見た店員が冷や汗を流す。開始五分にしてもう半分以上がなくなっており、最速記録である十分を切るかもしれない。三品目の鶏の唐揚げを持ってきた店員たちも邪魔してはならないという雰囲気を感じ取って、料理を持ったままじっと見守っている。
側にいたみさきは玲於奈のレンゲを操る手を、油圧ショベルが建物を破壊する作業風景と重ね合わせた。これは言わば「玲於奈の偶像」という名の家を、そこの住民として暮らしてきた玲於奈が自ら解体する工事である。
玲於奈から申し出を受けた時の覚悟に満ちた目つき。それと同じ目つきでチャーハンを黙々と喰らう彼女の姿を見て、みさきは全身が痺れるような感覚にとらわれた。
少女たちはもう食事に一切手をつけず、「玲於奈の偶像」の解体工事をじっと固唾をのんで見守っている。目を反らす者は誰ひとりとしていなかった。
ついに皿の底が見えて、玲於奈はラストスパートをかけた。皿を持ち上げてチャーハンを口の中にかき入れる。まるでダンプが荷台を傾けて積載物を下ろすように。
皿とレンゲが丁寧に置かれた。誰がどこを見てもご飯粒が一粒も残されていない、見事な完食だった。
「食べきりました」
玲於奈は苦しい顔ひとつ見せずに店員に報告した。
「は、八分二十三秒! 新記録です! おめでとうございます!」
テラチャーハン完食の時に鳴らされる銅鑼の連打音が響き渡った。
ずっと間近で見ていたみさきはただひたすら感服しきっていた。
「あんた、早食いもできるんだね……」
「早く食べないとコース料理がなくなっちゃいますから」
「え、まだ食べる気?」
「まだごちそうさまでした、とは一言も言ってませんが」
「おま……」
この子の胃袋の中にはブラックホールがあるんじゃないだろうか、とみさきは身震いした。そう考えでもしなければ、もはや玲於奈の大食家ぶりは説明不可能である。
一方、少女たちはというと頭の中は真っ白になって固まっていた。清く気高いレオ様という理想像はぶち壊され、再開発で風景が変わってしまった故郷を見たような気分に陥っていた。
「こんな、こんな御方だったなんて……」
しかし少女たちの気持ちはその程度で揺らぐことはなく、すぐさま新しいレオ様像を再構築、復興させたのである。
「こんな凄い特技をお持ちだったなんて知りませんでしたわ!」
「一体何なの、この胸の高まりは……」
「これがギャップ萌え、というものかしら」
「レオ様を見る目が良い意味で変わりました!」
感嘆のため息と盛大な拍手が座敷を包み、拝み倒さんばかりの眼差しが玲於奈に向けられる。
「え……?」
意外な反応に逆に驚かされたのは玲於奈である。嫌われても構わない覚悟で臨んだのだが。
「こいつら、根っからのファンだな。見直した」
みさきが耳打ちした。
「思い切って腹を割って話して、素の自分を見せたらいい。そしたら絶対にわかってくれるから」
「はい!」
玲於奈は大きくうなずいた。
「あ、そうだ! 店員さん、カメラ持ってきて! 記念写真を撮らなきゃ!」
「はい、お待ち下さい!」
「あ。ついでに餃子三人前ど生ビール大ね」
みんなとともに記念写真に収まった玲於奈の顔は、今まで誰にも見せたことのない程に良い笑顔をしていた。
*
「終わっちゃいましたね」
「ああ、終わったな」
ようやく残暑の厳しさが一段落する目処がついた頃、プールは完全に更地になった。ここから先は別業者に引き渡して温水プールの建設工事が本格的に始まる。
機材の片付けと関係者への挨拶を終えて、後は事務所に帰るだけとなったみさきだが、職長に許可を貰って少しだけ時間を貰って玲於奈と話し込んでいた。
「今日でもう来なくなっちゃうのかと思うと寂しいです」
「おいおい、今生の別れってわけじゃないんだからさあ」
「あはは、そうですね」
あの大雨の食事の日から、玲於奈の周囲の環境は一変した。取り巻きの少女たちと一気に打ち解けてお互いに本音で語れるようになり、対等な友達として付き合うようになったのである。「レオ様」という呼ばれ方は相変わらずだったものの、今では単なるあだ名として受け入れられるようになった。ひきつけで倒れた下級生の少女とも取り巻きだった子たちと一緒に和解して、今では良き先輩後輩の間柄となっている。
まさしく雨降って地固まる、とはこのことである。
こうして全て丸く収まって玲於奈にとっては最上の結末を迎えたわけだが、みさきは手放しで喜べなかった。彼女はしゃがみ込んで更地を見つめつつ、大きなため息をもらす。
「どうしたんです?」
「この前、休憩の時にたまたまグラウンドに行ってみたら体育の授業があって、そこに玲於奈がいた。体操服姿が似合ってるなあと思った」
「は、はあ。それがため息の原因で?」
「これ、言っちゃっていいのかなあ。引いたりしない?」
「しませんよ」
みさきは更地を見つめたまま言った。
「その時、凄く楽しそうにお話してたよな、友達と。それ見てさ、胸が締め付けられる感じがしたんだ」
「え、それって……」
「ああ。あんたのお友達に嫉妬しちゃったんだよ。高校生相手に我ながら大人げなくて情けないわ……」
みさきはまた大きくため息をついた。秋の色を帯びた風が吹いて肉体労働で火照った体を冷やす。
「くしゅっ!!」
くしゃみが出てしまった。今日の最高気温は先日に比べて七度も低く、涼しいを通り越して少々肌寒い。思わず身震いするみさきの体。
急に暖かく柔らかい感覚に包まれる。その正体が後ろからぎゅっと抱きついてきた玲於奈だとわかると、たちまち顔に熱が帯びていった。
「ちょっ、何を……」
「私の一番はみさきさんですから」
「制服に汚れが移るからやめなって」
そう言い聞かせても玲於奈は離れようとせず、みさきも振りほどこうとしない。
玲於奈は耳元で囁いた。彼女もまた顔を真っ赤にしながら。
「みさきさん、大好きです。その……そういった意味で……」
「……あんた、酒飲んでないよね?」
「お酒は二十歳から、って言ってたじゃないですか」
みさきの冷えた体がどんどん熱くなっていく。
「シラフなのにこんな恥ずかしいことさせやがって……」
口では悪態をつきながらも、振り返って真正面から抱き直した。
「あたしも大好きだよ。そういった意味で」
「みさきさん……」
より強く抱きしめ合う。二人はお互いの心臓の鼓動を、想いが伝わった喜びを血流に乗って体じゅうを駆け巡る様を全身で感じ取った。
このままずっと温もりを感じとっていたかったが、唐突に職長の無粋な冷やかしの声が飛んできた。
「遅いから様子を見に来たんだが、やっぱりアツアツだなあ。お前ら」
「おいコラおっさん、空気読めや」
みさきは敬語を使わず冷ややかな言葉をぶつけた。
*
みさきの次の現場は、聖泉女学院の最寄り駅のすぐ近くにある二階建ての小さなテナントだった。
午前八時前に現場に到着して作業準備に取り掛かっていると、「おはようございます!」と元気の良い挨拶の声が飛んでくる。
「よっ、おはよ!」
みさきは片手を上げて挨拶を返した。相手は濃紺のセーラー服に衣替えした玲於奈だった。
玲於奈は駅のロータリーからスクールバスに乗り換えて登校するのだが、待ち時間を利用して毎朝みさきの所に挨拶に行っている。もちろん、下校時も電車待ちの間に挨拶と会話をする。
時間の都合上ほんの少しだけだが、それでも顔の見えない電話やメッセージよりも濃密なひとときだった。
二人がそういう仲であることを知っている職長は「まるで朝終礼みてえだな」と揶揄したが、理解はしてくれている。彼は毎朝と毎夕、玲於奈が現れたらニヤニヤしつつ、話の邪魔をしないように物陰に引っ込んでいくのだった。
「まだ取り壊しは始まってないんですね」
建物の周りには養生シートが設置されているが、油圧ショベルの姿はまだ見当たらない。
「まずは中にあるモノを全部どかさなきゃいけないからね。全部手作業だから大変だよ。あんたも手伝う?」
「じゃあ時給二千円で」
「出せるか!」
他愛もない冗談で笑うだけで活力が体中に漲っていく。
「早く取り壊すところが見たいです」
「おう、楽しみに待ってな」
スクールバスがやって来ると、玲於奈は行ってきます、と手を振ってロータリーの方に走っていった。
発車したスクールバスはテナントの前の道路を横切っていく。窓側の席で手を振る玲於奈に向かってみさきも手を振り返した。
また夕方、お疲れ様の挨拶を交わすのを楽しみにしながら仕事に勉強に勤しむ二人だった。
Demolish!! 藤田大腸 @fdaicyou
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