第5話
みんないつもは我先にと争って自分に挨拶して一方的に話しかけてくるのに、やはり今朝はどこかよそよそしい。いやこれで良いんだ、と玲於奈は言い聞かせた。
すでに高校二年生。今更友達ができるとは思えないが、それでも構わなかった。真の友達と呼べる存在を外で見つけたのだから。
でも彼女のことをまだよく知らないところがたくさんある。もっともっと知りたい。そんな欲求が心の底のどこかであったから、思い切って働いている姿を見たいと言い出した。
土曜の夜、駅で彼女に抱きしめられた感覚がいまだに残っている。思い出すたびに全身が熱くなる。これは果たしてみんなが「私の偶像」に抱いていたのと同じものだろうか? と玲於奈は自問自答した。
教室に入ると、いつもの取り巻き達が「ごきげんよう……」と挨拶してきた。みんな元気がない。その中の一人がこう切り出した。
「あの、一昨日はごめんなさい。私達、レオ様のためにと思ったのに傷つけるようなことをしてしまって……」
「いいよ、もう」
その素っ気ない一言が冷たい刃になって突き刺さったらしく、取り巻き達はまた泣き出した。それを見た玲於奈の心が締め付けられる。まだ私の偶像に囚われているのか。一層のこと幻滅しました、の一言をぶつけて離れてくれた方がマシだったのに。
玲於奈もまた泣きそうになったが、みさきの顔を思い浮かべて我慢した。
*
放課後。玲於奈はプールの方に向かった。周囲は防塵シートが張り巡らされていて中は全く見えない。途中で何人か職人たちに出くわしたが、みんなこんがりと日焼けしている。炎天下の中ずっと工事していたのだから大変だっただろうな、と玲於奈は思った。
みさきが日曜日の間に職長と話をつけてくれたおかげで見学の許可は降りている。玲於奈はまずその職長を探すことにした。「とりあえずこのおっさんを探して」とご丁寧に職長の顔写真(去年の忘年会で撮影した時の写真らしく酔っ払って赤ら顔になっている)をスマートフォンに送ってきてくれたが、あいにくスマートフォンは校内に持ち込めないので、出かける前に脳に焼き付けた記憶を頼りに探しだす。
プール入り口付近に立てられた掲示板にふと目をやる。そこには施工体系図が張り出されていた。発注者と施工者、下請け会社の名前と各社の工事担当がひと目でわかるようチャート化されたものである。
解体工事の担当のところにある会社名に、玲於奈の目が釘付けになった。
「㈱桑野組……?」
みさきの名字は「桑野」である。もしかして経営者と血縁関係にあるのだろうか、と玲於奈は思った。
「よう、もしかして
後ろから声をかけられた玲於奈が振り返ると、写真通りの人物がそこにいた。
「はい。最相玲於奈です。はじめまして」
「こちらこそ。みさきから話は聞いている。今ちょうど中で工事をやっているところだ。入りな」
「よろしくお願いします」
玲於奈は職長からヘルメットを受け取り、後をついてフェンスの中に入っていった。
プールはすでに影も形もなくなっていて、瓦礫の山と化している。二台の油圧ショベルが低いエンジン音を奏でながら作業をしている。一台は瓦礫をバケットですくいダンプに積み込んでいて、もう一台は残りの部分を圧砕機で壊しにかかっていた。
壊している方の重機の中に乗っているのはみさきだった。作業着にヘルメットという出で立ちが、やはり玲於奈の思い描いていた以上によく似合い、さまになっている。
みさきは真剣な面持ちで、しかしどこか楽しげな様子で二本のレバーを巧みに操り、もはやプールのどこの部分だったのかわからない大きなコンクリート片を掴み取る。
バキバキッ、と音を立てて破片が砕け落ちるのを見た瞬間、玲於奈の胸の中で一陣の風が吹き抜けたような感覚が起こった。
エンジン音と破砕音で聞こえなかったものの、運転席のみさきは「よーし!」と叫んでいるように玲於奈には思えた。
「どうだ?」
「やっぱり、間近で見ると迫力がありますね……それに、ショベルを動かしているみさきさん、何だか楽しそうで」
「そうか。あいつは腕も良いし、本当に助かってるよ」
「ところで会社名は桑野組ですよね。みさきさんと名字が同じですけど、社長さんの親族なのですか?」
「ああ。社長の娘さんだ。といっても養子だけどな」
「養子ですか」
中学を出てから公立の定時制高校に通いつつ働いていた、ということは本人からすでに聞かされている。それに一人暮らしをしているとも言っていた。
養子とはいえ社長の娘なら中学を出てすぐに働かなくても困らないはずなのに、実家に住んでもいいはずなのに。そこには何か深く複雑な事情があるのだろう。しかしだからといってこれ以上、本人が口にしていないことをさすがに他人から聞くわけにはいかない。
いずれにせよ、みさきの家庭事情に比べたら恐らく自分の悩みなどとてつもなく矮小なものではないかと思うようになり、にわかに恥ずかしさを覚えた。
コンクリートの塊はどんどん潰されて小さくなっていく。運転席のみさきは活き活きとしながらレバーを動かしている。
「そういえば昨日、みさきから電話でお嬢ちゃんのことを聞いたが、すごく楽しそうでな。まるで恋人ののろけ話みてえだったぜ」
「こ、恋人って……」
玲於奈の頬が火照りだすのを見た職長は大声を上げて笑った。
「それだけお嬢ちゃんのことを気に入ってるってこったな。ウチは男連中ばかりだからよ、気の許せる同性の友達が欲しかったんだろう。ま、これからも仲良くしてやってくれな」
玲於奈は大きくうなずいた。
油圧ショベルのエンジンが止まって、みさきが運転席の中から出てきた。
「よっ! ちゃんと見てたか?」
「みさきさん、すごくかっこよかったですよ!」
「へへへ」
みさきは照れ笑いした。
玲於奈は積み上がった瓦礫を一望してみた。生徒からは汚いと不評で自分も嫌で仕方なかった古いプールが消滅し、ここから新しい温水プールができるのかと思うと楽しみで仕方がない。
「もう、完全になくなっちゃいましたね」
「どうだ、すっきりしたろ? このぶち壊してやった感が気持ち良いから働き甲斐があるんだよ」
確かに、玲於奈にとっても砕け散る瞬間は見ていて気持ちの良いものだった。
「後は瓦礫を運び出してから更地にして。そこからようやく建設工事の開始だ。解体工事は生まれ変わりの第一歩ってとこだな」
「生まれ変わり……」
みさきが何気なく発した一言が、玲於奈の脳天を激しく揺さぶる。数学の難問の解法を発見した時のような高揚感が洪水のごとくやって来た。
「生まれ変わるには、今あるものを壊さなきゃいけないんだ……」
玲於奈は拳を握りしめて、みさきの顔を見据えた。今まで見せたことのない鋭い目つきで。
「おおう、どうした急に怖い顔して……」
「お話があります」
*
土曜日。朝は小雨だったものの、昼から夕方にかけてどんどん雨量が増していき、ついにはバケツをひっくり返したような土砂降りとなった。
それでも仕事を終えたみさきは作業着を雨水で濡らしながらもいつものように「夜来香」に向かった。今晩は玲於奈との約束があったが、大雨ごときでキャンセルできない理由があったからである。
午後六時五分前、みさきと玲於奈は「
「まずは入りましょう」
玲於奈が先陣を切って出入り口をくぐった。
「いらっしゃいませ!」
「すみません、六時に予約していた最相ですが」
「はい、十二名ですね。奥の座敷へどうぞ」
玲於奈とみさきが入り、その後ろに続いて少女たちがゾロゾロと入店してきた。髪型や持ち物、服装からして全員が良い所の家の育ちであることを思わせる彼女たちは庶民的な中華料理店である「夜来香」の雰囲気にミスマッチで、先客たちは思わず箸を止めて物珍しそうに彼女たちを見た。
宴会用の座敷席に上がり、テーブルの奥側の短辺のところにはみさきと玲於奈が、少女たちは両サイドに半々に分かれて座った。
「本日は二千円コースでお伺いしています。個別で追加注文もできますのでその時はテーブルのボタンを押してください」
店員は説明したが、なぜか戻ろうとしない。みさきは恐らく自分の「いつもの」を待っているんじゃないかと考えた。
「飲み物は後で頼むからはじめてよ」
「あ、わかりました」
店員が戻っていくと、まずみさきが挨拶した。
「今日は雨の中来てくれてありがとう、って本当はこの子が言わなきゃいけないんだけど」
この子、という馴れ馴れしい単語に真っ先に反応した少女が険しい顔つきになる。彼女は聖泉女学院の裏門の花壇までみさきを案内したサイドテールの髪型の少女である。
「あなた、プールの工事に来ている業者の方でしたわね。いったいレオ様とはどういう関係ですの? それなりに親密なようですけどどうやってお知り合いになられたのかしら?」
彼女の口調にはたっぷりとトゲが含まれている。
「それは今から説明しようとしていたところ。先月のはじめにこの店で知り合って、たまたま現場の女子校に通っていることを知ってからは友達付き合いしている」
友達、という単語を聞いた瞬間にサイドテールの少女のこめかみがピクッと動いた。
「あの時花を見たい、と言ったのはレオ様に会いたい口実でしたのね」
「騙した形になって悪かった」
険悪な空気がどんどん濃くなっていく。年下相手に事を荒立てたくないみさきは下手に出て挨拶した。
「あ、名前は桑野みさきといいます。学生どうしのお食事会にお邪魔させてもらう形で申し訳ないですけど、よろしくお願いします」
少女たちは敵意に満ちた視線をぶつけてくるだけで一言も返さない。彼女たちは玲於奈の取り巻きの中でも最も熱心な者たちばかりだった。
「レオ様。この前のお詫びがしたいからとお夕飯のお誘いがあった時は嬉しかったですけど、何もあなたのご友人の趣味に合わせてアンティークなお店にしなくてもよろしかったのですよ?」
サイドテールの少女はご友人、という単語に嫌味たらしくアクセントをつけた。古臭い店に連れてくるなと遠回しに言っているのだが、みさきに責任転嫁することでレオ様の咎にしまいとする心遣いは伺えた。
「ごめん、どうしてもこの店じゃないとダメだったんだ」
沈黙を保っていた玲於奈が口を開いた。
「みんなとは長い付き合いです。お詫びもありますが、私という人間についてみんなに正しく知ってもらいたいという意図もあってこの食事会を開かせて頂きました。一人二千円のコースの代金は自分が全部払います。もしも物足りなければ個別注文で追加してください。その分は自腹になっちゃうけど」
「そんなことしなくても、言ってくだされば私がもっと良い店に連れて行ってあげましたのに」
「私という人間を知ってもらうには、この店しかないんだよ」
サイドテールの少女がまだ何か言おうとしたところで、コースの最初のメニューである
「テラチャーハンを持ってきてください!」
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