最終話「おふたりさま」

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 冬の原付は寒い。

 着膨れするぐらいに厚着して、彼のアパートに向かった。

 途中、クリスマスイブのキラキラした夜を尻目にして、その後に続く郊外の暗い道路を走り、彼のアパートに到着した。

 部屋の明かりはついていない。

 ……まだだよね。

 時計を見ると二十三時。

 バスやタクシーで帰ってきていたら、到着して一通りの片付けも済んでいる時間だと思った。

 ちょうどそのころに着けば迷惑もかけずにいい頃合だと思っていた。

 でも、まさかまだ帰ってきていないなんて。

 まさか、駅から歩いているとか……。

 寒いけどもう少し待ってみようと思た。

 スクーターのエンジンを止める。

 静まり返った夜。

 こことは違って、さっき通った町は夜が明けるまでキラキラにぎやかな状態が続くんだろう。

 今日はそういう日だから。

 そんなことを考えているうちに、近くで足音が聞こえた。

 ちょうど街頭からの灯りにその人影が重なり、一瞬目の前が暗くなる。

「鈴……?」

 与助くんだった。

 考え事をしていたせいだろうか、ぎりぎりまで足音に気づかなかった。

「おかえり」

 制服姿の与助くんにそう言った。

「え、もしかして待ってたの?」

「うん、三時間ぐらい」

「ごめん」

 私は嘘をついてみた。

 彼があまりにもひどい顔をしていたから。

 今までみたことがないほどに憔悴した顔をしていたから。

「本当はさっき来た」

 彼は少しだけ笑った。

「歩いて来たの?」

「ああ……ちょっと歩きたくて」

「こんなに寒いのに」

 私は彼の手を握り、そして体をくっつけた。

 お互い冷えている体だ。

 冷たい感触しかしなかったが、すぐにその奥にある体温を感じることができた。

 そのまま私は彼の胸に顔を埋めた。

 うん、彼の制服からはお線香の匂いがする。そうだ、大切な仲間のお葬式に行っていたんだ。

「部屋に入る?」

 彼が少し遠慮気味に聞いてきた。

「あたりまえ、寒いでしょ」

 私は彼の胸に顔を置いたままそう答えた。

 与助くんの部屋はストーブだ、あのキラキラ反射するもので囲って上で焼いたりできるやつ。

 私はいつもの様ににやかんに水を入れ、その上に置いた。

 ストーブを点けたばかりで部屋は寒い。

 だからコートは着たまま、ストーブの前に体育座りをしていた。

 顔は熱いのでちょっと後ろに仰け反る。

 なんだか猫になった気分だ。

 実家の猫がそういう風にしてまでストーブに当たっていたのを思い出す。

 彼はシャワーを浴びていた。

 反射板、変にゆがんだ私が写っている。

 与助くんは同期の人とちゃんとお別れができたんだろうか。そして彼はどんな人だったんだろうか。

 部屋着になった彼が私の隣に座る。

 ストーブの目の前で体育座りする私たち。

 ストーブの暖かさをはんぶんこ。

「お疲れ様」

 私はそう言うと懐の中から缶コーヒーを取り出して渡した。

「うわ、ロング缶の甘ったるいの……」

「文句言わない……暖かいの飲んで糖分とって温まった方がいいよ」

 彼はしばらくその缶コーヒーを懐に抱いていた。

「寒いの?」

「シャワーじゃ温まらなかった」

「そう」

 私は体操座りの彼に後ろから抱きしめるようにして体を密着させた。

「暖かいの飲んで、体の中から暖めたほうがいいよ」

 カポッという気持ちのいい音を出して彼はプルタブを空ける。そしてぐいっと飲む。

「甘っ」

 彼はそう言って顔をしかめて……しかめたまま固まった。

「甘いなあ」

 そうして黙った。

 私は体をもぞもぞっと動かして彼との距離を更に縮めた。

「なあ、なんで人は死んじまうんだろうな」

 振り絞るような低い声で彼が言った。

「あいつは、救いようのない馬鹿で、使えねえ奴だったんだけど、なんで死ななきゃいけないんだ」

 弱々しい声。

 私が聞いたことのない声。

 思わず彼の頭を膝立ちして後ろから抱きかかえた。

 彼は声を出すことなく泣いていた。

 ――泣いちゃだめなんだ、約束したんだ。

 そう何度も言った。泣くのをこらえながら。 

「与助くん」

「……」

「頑張ったね」

「……」

「大丈夫、ここには私しかいないから」

 彼は口を閉じたまま、体を震わせ、搾り出すように唸った。そして口を少しだけ開くと、まるで川の水が溢れるように嗚咽した。

 彼は子供のように、ところどころ言葉に詰まりながら話を始めた。

 彼の感情が溢れた時は頭を撫でて落ち着かせようとした。そうするとうなり声のような嗚咽が止まり、また話を始める。

 イノヘーさん。

 馬鹿な人たちと馬鹿なイノヘーさん。

 そんな人たちといっしょに馬鹿をする与助くんの姿が浮かんだ。

 私の知らない与助くん。

 新兵教育隊の十八歳、遊撃課程で二十歳の与助くん達が元気よく「レンジャー」「レンジャー」言いながら走っている姿だ。

 苦しんで悲鳴を上げる与助くん。

 イノヘーさんを中心に馬鹿みたい大笑いする与助くん達。

 私の知らない、魅力的な与助くんがそこにはいた。

 私の膝にすがる様にして体を丸める彼。

 この大きな体が子供のように丸まって私の膝の上にちょこんと乗っているように感じた。

 私はその短い髪の毛でちくちくしそうな頭を撫でていた。

 泣きだしたときには背中を優しく叩いた。

 膝は彼の涙でしっとり濡れている。

 晶に素直になれって言われた。だから遠慮することなく彼を待つことができた。

 彼も素直になってくれている。

 お礼言わないといけない。

 私のいとしいママに。

 それに、こんなに素敵なものを彼は与えてくれた。

 ケーキはだめだったけど。

 最高のプレゼント。

 私の知らない小さな彼。

 こんなに魅力的な彼を知ることができて。 

「ありがとうございます」

 声にならなかった。

 与助くんの涙が移ったのかもしれない。

 顔も写真さえも見たことがないけど、今はイノヘーさんにありがとうと言いたかったから。

 私は唇をそう動かし、目を閉じてイノヘーさんのご冥福をお祈りをする。

 そして涙が微かな音を立てて彼の背中にぽたぽたと落ちていた。

 ゆっくりと。

 大切な時間を噛みしめるように。 


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缶コーヒーからはじめよう。 崎ちよ @Sakichiyo

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