星雲。果てなき存在に願いを託す

本陣忠人

星雲。果てなき存在に願いを託す

「例えばさ、もし仮に。未来の事象について一つだけ分かるとしたら…あんたは何について知りたい?」


 地元の中学生にとっての課外学習の聖地。微妙な高さの山の展望駐車場―――その冷たい手摺に身体を預けた彼女は逡巡の色を隠してつまらなさそうに僕に問い掛けた。


 そして僕はと言えば、唐突に投げ掛けられた質問とその意図を上手くつかめずに、白い呼気と共に困惑の溜息を返す。


「えっと…それはつまり?」

「ったくもう…本当にニブいなぁ…」

「あぁ、ごめん」


 雑談下手かつ頭の回転が周回遅れの僕に対する呆れた声色の彼女。

 どうやら平均的な凡庸すら持ち得ぬ僕は身勝手に期待されて、自分勝手にも失望されたらしい。あーあ、生きるって大変だ。無能なら尚更である。


 そもそも僕達が寒空の中、快適な部屋を飛び出して不便な野外にいるのだって偉そうな態度の恋人の発案によるものだというにさ。


 事の発端は数時間前。

 愛しい女性の家でだらだら人生を無意味に浪費し、休日を余す所なく謳歌おうかしてた僕を見かねた彼女が思い付きのように――実に正しく思い付きを宣言した。


『今夜、星を見に行こう』


 基本的に不機嫌そうな表情を常時目元と口元に浮かべている彼女だが、その時ばかりはいびつな喜びに顔をほころばせた。


 そして、そのテレビのリモコンを手にしていなければ彼氏としてそれなりに心躍る瞬間なのかも知れないけれど、発言の元ネタたるアニメのEDテーマがブラビアからチャカチャカ聞こえる現状のせいか――何と言えば良いのか、人間的な浅さや思想なき流されやすさが先に立つ。


 けれど、僕の抱いた詮無き感情は人間関係という汚泥混じりの大海に流れ出ることなく黙殺され、結果として一旦自転車で自宅に帰り、車で再度彼女の家を訪れることになった。悲しいかな、流されやすいのはお互い様という訳だ。


 そうして準備もそこそこに漫然と日が暮れるのを待ち、街を離れて電線の切り裂いた夜空を抜け出した。僕達は天然の宇宙に飛び出した。


 かつて二人で観覧した人工の模造品プラネタリウムよりも暗く頼りない星空の下で缶コーヒーを口にして彼女は冒頭の台詞を述べたのだ。回想終わり。オーバー。ハハッ。


 やがて、夢の国が大好きな彼女は夢みたいに曖昧で朧気な発言の真意を説明してくれた。


「よくある茶飲み話じゃない? 宝くじが当たったらどうするとか、タイムマシンがあったら何がしたいとかさ…そういう類の話」

「それって会話が続かない時の常套句の様な存在に思えるけど」

「私の意見に反論しないで!」

「はいよ」

 

 何と! 質問されたにも関わらず言論が制限されてしまった。

 意見を求める癖に反証は許さない気のようだ。圧政による行政の機能不全が容易たやすく見て取れる。


 余りにも自分本位で邪智暴虐たる振る舞いにの僕は我が身可愛さに身を守り、先を譲る事を決めた。


「そういう君は? あるんだろ? 知りたい未来の情報がさ」


 基本人間なんて少なからず喋りたがり屋の側面を持っているものだし、他者に意見を求める時は大概自分の中に主張を保持していることが多い。

 ゆえに僕は正直まだピンときていない頭を――打算と延命の為に――懸命に働かせつつ返答を待つ。


 ぼんやりとした表情の彼女にならって隣り合って。漫然と空を見上げた時だ。右隣の女性はぼそりと零す。


「それが意外と、案外聞いたんだよねぇ…漠然と未来って言われても百年後なのか十年後なのか…それとも明日? なんなら一秒後だって未来であり、次の瞬間には過去な訳じゃない?」

「まあ相対性理論には詳しくないけど、僕の良く知る君が仮に十年後の日本経済について知ってもどうしようもない…って、いってぇ!」


 哲学に傾きそうな真面目なトーンだったので思わずふざけた僕に与えられる謂れなき暴力。これはDVですよ!ディーブイ!石で変形しないくせに!


「そういうアンタは? くだらないジョークを口にするくらいだ。哲学的かつ文化的な見地を含んだアカデミックでアーティスティックな意見を思い付いたんでしょうね?」

「ええ…ちょっと茶化して非難したくらいでそこまでハードルがあがるのかぁ……?」


 適当な調子で返した後に改めて知恵を絞る。


 彼女の挙げたジャンルについて――哲学も文化も学術も芸術もどれ一つとして僕如きに超えられるハードルには思えないが、それでも少し考えよう。


 我が身を冬の寒さから守る鉄壁のゴアテックス。その内側に膨らむ小箱を右手で握り締めてどうにか勇気を捻出する。

 ここ数回の逢瀬で出番のない存在だが、孤独な素数を超えて僕にスタンドアップの為の力をくれる…はずだ!


「そう…だな…。知りたいことはある…ような? うん、あるよ。知りたいこと」


 息も絶え絶えと言う訳でも無いが、言葉に詰まりながらも覚悟を決めた。


 しかし、彼女からは手厳しい返答。


「へぇ…以外。あんた、とは違うと思っていた」

「自分で聴いておいて何を言う」

「まあまあ、で? んでんで、君は何を知りたいの?」


 適当な慰めを口にする恋人に若干の怒りが湧くし、僕個人としても「本当にこれでいいのだろうか?」という疑問がむくむくと膨らむが仕方が無い。そうだ、仕方が無いんだ。


「僕は、十秒後の結果が知りたい…」


 こうなっては仕方が無いと自身を奮い立たせる。小箱を強く握り締める。指先に紙の感触。


「ふーん、流れ星でも降るのかな?」

「違うよ、プロポーズしようと思うんだ」

「誰に?」


 そんな事を小悪魔めいた顔であっけらかんと言ってのける恋人にはもう…バレているんだろうか? バレているんだろうなぁ……。


 気が進まないなぁ、気分が乗らないなぁ…。それもまた結びなのかぁ…?

 けれど、吐いた唾は呑み込めないし、発した言葉は取り返しが付かない。


 僕は破滅的な幸福に向けて一歩進む。


「佐渡先輩。前に職場の飲み会で結婚を焦ってるみたいなこと言ってたし、後輩としての度量をみ…っていいたいいたいいたいぃっ!」


 地の文を翻して腹の決まらぬ妄言を発した僕の首筋に噛み付く恋人。なんなの? 君は吸血鬼なの? 採血することで眷属を増やしたりすんの? 初耳なんで、勘弁して貰えます?


 僕が悪いとは言え、あんまりな対応にゲンナリするが、僕が原因なので実に正しく因果応報。


 こほんと咳払いで仕切り直し、改めて彼女の向き直り『指輪』の入った小箱を突き出して、気持ちを突きつける。


「大学の頃に出会ってから今年で七年、良い機会だと思う――僕と結婚して下さい」


 僕の不格好ながらも渾身のプロポーズ。

 その結果こたえは今から十秒後。


 そんな僕達の人生の解答けつまつが見つかるのは――これから『 』年後の話。




 

 



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