(最終話) 香澄のカウンセリングレポート(完)

      『心に傷を残した少年の心理および行動記録(完)』


 私が今回心に病や傷を抱える少年と接して、大学の講義では決して得ることが出来ない大切なことを学ぶ――人が生きる上において、だ。

 私の経験を踏まえて説明すると、私もアメリカへ留学した当初は見慣れる土地に馴染めるか不安だった。だが運良く私は友達や知人に多く出会うことが出来た――他愛のないことで言い合える親友のメグやジェニーをはじめ、心から信頼出来る知人で恩師のケビンやフローラという存在にも恵まれた。

 しかしトムは私とは逆のようで、リースとソフィーが亡くなった後、自分の本心や弱音などを誰にも言うことが出来なかったようだ。その結果心の中で闇が少しずつ広がっていき、最終的に孤独という地獄へ引きずり込んでしまう。仮に私も留学時に良き友人や知人に恵まれていなかったら、トムと同じような症状を発症していたかもしれない。

 

 精神科医で心理学者のアルフレッド・アドラーが残したに関連した内容として、「人は一人でも生きていけるか?」というものがある。確かに一定の食料や水を確保出来れば、数週間から数ヶ月は生き延びることが出来るだろう。

 しかしアドラー自身は「人は一人では生きていけない」と唱えており、人は支え合っている存在だからと述べている。今こうして私たちが交通機関を利用したり調べ物が出来ることも、すべて他者による支えがあってのこと。それについては私も同意見だ。

 ここで改めてトムという少年を例にしつつも、「なぜ人は自ら命を絶ってしまったのか?」という論点に置き換えてみようと思う。


        『人はなぜ自ら命を絶ってしまうのか?』


(一) 自分のことをため、心の悩みを抱えたまま生きていくことになる。その結果不満が爆発してしまい、自傷行為や自殺などの行動に移してしまう。


(二) 仮に自分の周辺に悩みを打ち明けられる人がいたとしても、ケースもある。表向きは何ともないとみられることも多いため、ある意味(一)よりもやっかいなパターン。


 私なりの見解として、トムは(一)(二)ともに該当していると思われる。仮に自分が心から信頼出来る人がいれば、たとえどのような苦難や困難に遭遇しても、一緒に力を合わせて切り抜けることが出来るのではないだろうか? 

 なおここで一例として挙げたとは、家族や兄弟など血の繋がっている関係に特別限定するものではない。友達や恋人といった、本人と血縁関係にない者でも構わないのだ。


 だが困難やトラブルに遭遇した時、自分以外に頼れる存在がいなければ? その時人は少しずつ恐怖や孤独に侵食されてしまい、最終的に今回のケースのように発狂し自らを傷つけてしまうだろう。


 さらにそれだけではなく、もまた必要なのだ。私の母国日本と比較をしてみても、ここシアトルではカウンセリング制度が充実している。ちょっとした悩み事があった場合においても、数回ほど相談するだけで改善されることも多いのが現状だ。

 しかし今回のように心の傷や闇が深ければ深いほど、本当の気持ちを伝える機会や選択肢が失われてしまうのかもしれない。近いようで遠く、また遠いようで近い人の心――それが人間の本質なのだろうか? 

 

 また今回新たに発見したこととして、人の感情や心を理解することは実に難しいと思い知らされる。口先で“分かっているわ、あなたのつらい気持ち”と言うことは誰にもでも出来る。

 だが相手のことを本気で心配するのであれば、口先だけではなく相手の『心』に触れる必要がある。いくら口先だけで心配していても、相手の心の傷や闇が深ければ、その声は届くことはない。それはただの自己満足で終わってしまい、ただの偽善になってしまう。


 残念なことに私がそのことに気がついた時には、すでにトムは人生の幕を自ら下ろしてしまった後だった。どんなに親友や知人らに励まされても、一つの『命』を救うことが出来なければそれは何の意味ももたない。

 人は色んな経験を積むことによって、は出来る。トムのように何かの目標に向かい結果を残すことが出来れば、それが大きな考え方を変えるターニングポイントになるだろう。しかし必ずしもそのような事例が当てはまるわけでもなく、自分の性格を変えることは容易ではない。


 ここで再度トムを例にあげてみよう――本来の少年は無邪気で明るい性格なのだが、不慮の事故によって両親が他界したことにより、そしてその日常がすべて壊れてしまった。突然襲いかかる不幸な事故によって、その心は少しずつ荒れ果ててしまう――以前は何事にも前向きかつ無邪気に取り組むポジティブな性格も、無口で内向的なネガティブな性格へと変わってしまう。

 むろんトムの家庭環境や友達の有無なども多少影響がするが、不慮の事故についてはどうしようもない問題だ。ある程度心理学の知識があれば、人の性格や傾向などを知ることは出来よう。


 しかし知っているからと言ってそれが問題解決に至るかといえば、そう簡単にはいかないのが現状だ。今回の経験において、私はいかに自分が浅はかで愚かな考えを持っていたことを思い知らされた。


 結局人は、何らかの悩みや心の病・障害を持った人と心を通わせることは出来ないのだろうか? それとも相手が自ら心を閉ざし、距離を置いてしまうのだろうか? もしくは繊細すぎる心や感受性が、悪魔の誘惑やささやきに耳を傾けてしまうのだろうか? 

 芸術の分野において一種の才能を開花させようとしていたトムには、私たち凡人には見えない何かが見えていたのか? それとも私たちには聞こえない声が聞こえていたのだろうか? その答えは、以前謎のままだ。……いずれにしても、トムは『命の天秤』にを選んでしまったことは間違いない。


 今後私はこのことを教訓にして、自分の出来る範囲内で一人でも多くの人の“心”を救っていきたいと思う。言葉にすればただの一言なのだが、それを実行に移し成功させることがこの上なく難しい。

 また私自身未熟であるため、もしかしたら再度同じ過ちを起こしてしまうかもしれない。だが可能な限りそのような悲劇を起こさせないように、相手の心の揺れ動きに注意しながら人と接していきたいと思う……]


   今回のカウンセリング対象者および治療結果を以下に記載。(敬称略)


患者名……トーマス・サンフィールド(小学生)

年齢……九歳→一一歳

病名……逆行健忘ぎゃっこうけんもう・PTSD(別名心の傷)トラウマ・うつ病・軽度のアスペルガー症候群

症状……喜怒哀楽の感情欠落・他人への興味が薄れる・自暴自棄じぼうじき脅迫概念きょうはくがいねん

協力者や友人……マーガレット・ローズ(親友) ジェニファー・ブラウン(親友) ケビン・T・ハリソン(知人・ワシントン大学現教授) フローラ・S・ハリソン(知人・臨床心理士) エバンズ医師(少年の担当医)キャサリン・パープル(少年の担当看護師) ブルース・ホワイト(サンフィールド家の友人・ワシントン州警察の警部) アレクサンダー・バーナード(知人 ベナロヤホールの支配人)

故人……トーマス・サンフィールド(患者) リース・サンフィールド(患者の父親)

ソフィー・サンフィールド(患者の母親)

教育実習生(カウンセラー)……高村 香澄

診断結果……極度の精神衰弱・心神喪失によって自分を見失ってしまい、幻想や妄想に取りかれたことによる自殺。一時は症状が改善したと思われていたが、亡き両親への想いが心に強く残る日々が続く。最終的に少年を救うことが出来なかったため、今後の治療は続行不能。


                                    完

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命の天秤 月影 夏樹 @six4ydct

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