始まりの日
石造りの都は華やかだ。平和でもある。
しかし人の密度に対して活気があるようには見えない。
ここのところ王家の不穏な噂もあった。富が流失し足元が危ういのではといった憶測がまことしやかに流れており、住人の顔にも翳りが見える。
そんな俯き気味に道行く人の頬を、はらりと何かが掠めた。
「あら雨かしら……タンポポだこれええええぇぇ!」
誰のものとも知れない叫びが、空を見上げた者から次々とあがった。
都に届くと、レオはタンポポで幾つもの塊を作る。
大地を埋め尽くしていた花から人々を掘り起こして塊に乗せ、次に花で布を編み人々を覆った。
「お、おおぉ? な、なんと柔らかで極上の寝心地よ……」
――皆、眠れ。
レオの口から、人ならぬ声が発せられる。
過去に戻ることはできないが、我らが見ることを忘れてしまった、精霊と共にありし日の時代を夢の中で共有しよう。
人々はタンポポの寝床に包まれ眠りについた。
夥しい眩い黄色の帯が吹き上げ、藍色の空へと水に滲むように溶けていく。
タンポポが大地に川を作って押し流し、風は巻き上げた花で人々をふわりと包んだ。家々や城の上にも降りしきり、街を静かに覆い尽くしていく。
瞬く間に夜の帳が下り、その一点が、黄昏時のごとく黄金の光に染まる。
レオ自身も、祖の力による夢の中を共にまどろんだ。
かつて精霊の森から、人の国を作ろうと立ち上がり導いた者が居た。
それが初代の人の王である。
彼と手を取り合った精霊が国とする大地を定めたとき、そばに偉大な精霊が顕れ、治める地を祝福した。
それこそが祖であり、人の王としてふさわしい勇気を評して、
そんな遠い遠い過去のことが、まるで眼前に息づいているように、命に満ちていた。それでいて儚くも、綿毛のように飛び去って行く。
タンポポ吹雪の見せる、温かく優しい夢だった。
*
*
*
夜が明けて、目覚めた魔法使いたちは何が起きたか分からないようで、呆然と起き上がると辺りを探すように見回す。
魔法使いたちは互いの顔を見合って、顔に張り付いていた涙に気付いて拭い、異変に気付く。
彼らの影に、形を失いかけていた精霊が立ち、空を仰いでいた。
それは、どの場所でも同じだ。
都でも夢に呑まれた人々がタンポポ布団から起き上がると、見覚えのない、それでいて身近な姿がある。己の精霊なのだと感じられた。まだ人々が精霊だった頃の夢は、元始の記憶を呼び覚ましたのだろうか。レオを見る、暗い影の一部へと追いやられていた精霊が、人の目にも映るほどの力を取り戻していたのだ。
「なんと、これだけの精霊が、私たちの側に!?」
人々は仰天したが、喜びよりもその思慕を映した面に神妙な気持ちとなる。
傍らの精霊に促されるように、人々は空を見上げる。
そこに――六対の翼を持つ姿を認めた。
幾重もの花びらを重ねた巨大タンポポが連なり形作られた、眩い翼だ。背から生えた六対は円を描き、花開いたようだ。それが全天を支えるように広がって見えた。日差しを全て掻き集めかのごとき黄金の輝きで、辺りを染め抜いているのだ。
精霊たちの根源そのものといった祖の姿は、どんなに離れた場所に居ても、すぐ頭上で瞬くようであった。
「なんたる、力強さだ」
「然り、然り」
どんな精霊よりも眩く刺すようでありながら、全てを包み込む優しさに満ちている。どこまでもどこまでも揺蕩いながら、城をも包む。
「おお、この力。あの力強い輝きと翼、あのお姿は……間違いない、始原の祖!」
城から空を見上げた王は、血の気が失せた白い顔で叫ぶ。
「なんということだ。我ら王家は御名を忘れさり、伝えることを怠った……ああ、我が精霊よ、よくぞ見放さずに耐えてくれた。おかげで、真の名を思い出せる」
王は、本来の力を取り戻した精霊に願い、民へと真名を伝えた。
――ダンディライオン様――!
その声を大気の精霊が人の隅々にまで伝え、レオは応えるように頷いた。
満足気な笑みからは煌きの精霊が零れ落ち、辺りは雨上がりの晴れの日のように瞬く。
「まっ、眩しい!」
人々はあまりの輝きに手を翳す。それは事実目が痛いというだけではない。これまですっかり忘れ去っていた祖の慈悲を目にし居たたまれなくなったのだ。
人々は自ずと首を垂れる。
祖の力が行き渡ったことを告げる様に、すうっと大地を覆う花は消えた。
タンポポが消え去った地面に、魔法使いも次々と膝を折る。
「……祖を祀り、問い続けた我らにさえ、見せて下さらなかったではないか」
「ああ我らは、失意のうちに、堕ちてしまったというのに。信奉の心を失った今、なぜですか……」
魔法使いたちは悲痛な心の内をさらけ出す。
「……なぜ、なぜなのですか。今になって、なぜぇ!」
代表は地面を拳で叩く。それまでの苦悩の深さが表れていた。
項垂れ悲嘆に暮れる代表の頭に、レオは手を翳す。
そこには黄冠が乗っていた。
レオが心で幾千の手を翳すと、人々は頭にタンポポを戴く。
この時ばかりは老いも幼いも良きも悪き者も関係なく、祖の慈悲を受け取った。
なぜ魔法使いがタンポポを配るようになったのか。
祖の祝福の再現だ。
人々が独立の際に賜った祖の祝福を忘れんがため。
己の足で歩くことに決めたから振り返らないというならば、祖も寂しくはあれど見送っただろう。
けれど人々は故郷への思慕だけは携えて行ったのに、忘れてしまった。
言葉が失われたのは、忘れてしまっていたからだ。
遠い昔の絆を。
なぜ歩き始めたのかさえ見失い、いつか精霊たちが旅立ったようにすり替えてしまった。
求めつつ得られないと嘆き、間近な生活にのみ目を向け、世界から目を背けてしまっていながら。
祖は、憐れんでいたのだ。
ここから人は旅立ったのだということ思い出させるなら、伝えるのは始原村の者でなければならなかった。
レオを通じて、祖は今一度、黄金の標を翳したのだ。
レオは、大精霊が小さな精霊を介して伝えたことの意味を噛みしめていた。
僕の力は変わらない、変える必要がない。
当たり前だ。
世の源である祖の力を、変えられようはずがないではないか。
初めから精霊たちは、必死にそう伝えてくれていたのだ。
ただ深く沈んだレオの心には届かなかっただけで。
「長いあいだ、悪いことをしたね」
レオの言葉を受け精霊たちの落とした雫が、大地に歓喜を彩る。
精霊の全てを愛でる祖の深い愛情が、この地に甦ったことを喜んでいた。
魔法使いたちは、膝をついたまま茫然自失として眺める。レオと同じく彼らも、失われつつある精霊の力に失望していた。しかしそれは、人々が耳を塞ぎ、目を背けたためだということを知った。
流れる涙をそのままに、彼らは地に伏せる。その彼らの周りを、ぽっぽっと黄色の花が咲き縁取っていった。
「許された……」
魔法使いたちは滂沱の涙を、タンポポに落とす。それは悔恨であり、安堵でもある。
彼らは諦めていた。魔法の根拠である精霊が応えないことを。
すっかり忘れてしまったのは己を顧みるのが怖かったからであるというのに。
「我らをお許しになるというのか。なんと慈悲深い……祖の御心は、常に、我らの側にあったのだ。それに気付こうともしなかった我らをぉ……」
祖は、なんの力も与えはしない。ただ寄り添うだけだ。黄金の輝きと共に、数多の精霊と寄り添うために。袂を分かれたが、人も元は精霊であることを示すのみ。
レオは呟く。
「使えなくていいんだ。ただ、そこにありさえすれば」
人がどのような未来へ進もうとも、このタンポポは、祖が常に共に在るという証なのだから。
Fons elementum《フォン・エレメントゥム》~不遇な精霊魔法使い 桐麻 @kirima
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