砂のからだを照らす星

笠森とうか

第一幕『星に手を伸ばす少女』

 ニツァレルティーアは十三歳の汚い孤児だ。

 彼女は自分の正しい年齢を知らない。二十までの数は辛うじて数えられるものの、物心ついたときにはもう一人きりだったから、ニツァレルティーアは自分のことを十六だということにして暮らしていた。

 この国では十六から飲酒が許されるから、そうしていた。体の大きな子供だったから、誰も彼女の飲酒を咎めるものはなかったし、だいいち、日々を暮らす貧民窟において法などあってないようなものだった。年齢を問われる機会も、せいぜいが娼婦代わりにニツァレルティーアを使おうとする無知な身の程知らずにかち合う時くらいなもので、およそ自分の生きた時間というものに頓着するということを知らずに育った。


 ニツァレルティーアの自慢は金に輝く頭髪だったけれど、忌々しい太陽のような色だと皆はいい顔をしなかった。

 どうやら産みの母も、彼女のそんな禍々しい不吉な色を嫌って道端に放り捨てたらしいが、それでも、ニツァレルティーアは自慢の髪の毛を長く長く伸ばし、それをひとつに纏めて高く結い上げ垂らしていた。彼女が下を向くと天蓋のように流れ落ちる輝きは、遠くからもそうとわかる格好の目印になっていた。

 金糸の合間から覗く濁った青の瞳も、ひび割れた指先も、靴を持たないゆえに分厚い皮に覆われた足も、ところどころ肉色の傷痕が走る薄褐色の肌も、ニツァレルティーアはわりあい気に入っていた。

 自己というものを、理由もなしに愛せる人間であった。

 自らは輝いていると、何の疑いもなく信じていた――薄茶に濁った泥水を飲み水と常飲し、粒子の細かな砂を浴びて身を浄める行為は、彼女にとってその自尊心を貶めるものにはなり得なかった。無知であるからこそ、もしかすると国で誰より幸せに暮らしていた。


 蝶よ花よと両親からの、どころか片親からの愛すら受けることこそなかったが、ニツァレルティーアはひとに愛されて成長した。

 貧民窟の親分からは掏摸のこつを教わったし、路上に座り込む襤褸切れのような不具の老婆からは男の騙し方を習い覚えた。生きるために必要なことは、都度誰かが気まぐれのように彼女に与えた。

 それは知識であり、知識は力だった。

 棒きれのような細腕にはついぞ暴力は身に付かなかったけれど、ニツァレルティーアは強く、逞しく、したたかに息づく命だった。

 「ティーア、」と誰もが彼女に声をかけたし――それは全くの見ず知らずのひとであることさえあった――ニツァレルティーアも大きな声で応えた。

 「なあに! おれに何か用でもあるの!」

 少年めいた、少し低いがよく耳に馴染む声はニツァレルティーアという人間を表すに相応しく、歌うように紡がれるそれはさながら星に手を伸ばすような響きを伴うものだった。


 「星、おれの星」


 ニツァレルティーアは、度々「星」という言葉を口にした。

 夢見る乙女のようなとろける舌触りを楽しむように、口の中で転がしては耐え切れず吐き出すように、音にした。

 彼女にとっての星は、持て囃される月でもなく、忌み嫌われる太陽でもなく、ただ静かにそこにあるきれいなもの、という認識だった。誰も知らないかもしれない一粒の光を、知らず己と重ねて勝手に親しみを覚えていた。

 ひとつふたつ消えたところで誰も困ることのない、誰にも気付かれないかもしれない、そこにあるきれいなもの。学舎に通った経験のないニツァレルティーアには、大切な星もあるということを知らなかったけれど、そんな些細なことは関係のないことだ。ニツァレルティーアにとっての星は、そういうものだったからだ。

 ニツァレルティーアの星は、空にまたたく煌めきであったし、落ちていた銀の鈴を括り付けた自前の頭髪であったし、美味い飯を作る馴染みの男であったし、時折聞こえる楽しげな楽団の音色であった。

 たからものはニツァレルティーアのもので、ニツァレルティーアは宝物ほしを「おれの」と呼んだ。王侯貴族のような傲慢さで、それを所有するのは自分であると主張した。それが許される、不思議な少女だった。

 何がひとの琴線に触れるのか、彼女にもよく分かってはいなかった。けれど、ニツァレルティーアは「許される」ということだけは分かっていた。それでいいと思っていたし、事実、それでどうにかなっていた。

 これまでも、これからも、ニツァレルティーアはそうやって暮らしていくつもりだったし、そのように暮らしていった。死ぬまでそれは、変わらなかった。


 ただ。

 ニツァレルティーアには理解できないことだったけれど、彼女が十三のこの年に、貧民窟を含む土地の管理者りょうしゅの首が、文字通り飛んだ。

 貴族によくある、暗殺というやつだった。

 代わりにと新たに赴任した領主は前任者同様、あまり貧民窟に興味を示さない性質だったから、どうでもいいことだった。天上人の動向など、下層の底で暮らすニツァレルティーアたちにはなんの影響も及ぼさないはずだったからだ。


 けれど、親なし子の貧しいニツァレルティーアはこのとき大きな転機に恵まれる。

 これは持たずして産まれた少女が他人のものを星と奪う中、初めて自ら星を産み落とすまでの物語。



 即ち―――ニツァレルティーアが、エセル・シュベルルトの子を産むまでの物語。


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砂のからだを照らす星 笠森とうか @tohcalenia

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