第78話 留別


 眼前に転がる三つの死体と、再起不能っぽい廃人一名。


「将軍家に泥を塗りおって」


 心底軽蔑したようすで吐き捨てる千姫。


 壮絶な修羅場にいささかも動じることなく、酷評するメンタルの強さ。

 見習いたいくらいだ。


「それにしても、なにゆえ、いまになってお六の告発文が?」


 市姫暗殺を目撃したお六は、己の利を取って犯人を隠避したのに、いまさら告発?


 しかも、お六は、ずいぶん前に ―― たしか、寛永二年……おふくろが殺される前年に死んだはずだ。


 首をかしげる千姫に、忠輝は、


「父上(家康)が亡くなり、お六はお勝らとともに比丘尼屋敷に移った。お福は、なにかの折にお六が口をすべらすのではと危惧し、名家との縁組を調えて、お勝から引き離したのだ」 


 なるほど。

 同じ屋敷でずっと暮していたら、なにかのきっかけでバレる可能性がある。

 それに、ジジイがくたばったとき、お六はまだ二十歳そこそこ。

 一生うざいオババどもと、旧主の菩提を弔いつづける尼生活はキツすぎる。

 そのうえ、嫁ぎ先の喜連川家は、足利尊氏の次男・基氏を祖とする名門中の名門。

 お相手の義親は、まだ家督を継いでいなかったが、父は小弓公方・足利義明の孫で、母親も古河公方・足利義氏の娘・氏姫というピカピカの貴種だ。

 そんなオイシイ縁談が舞いこんだら、飛びつかないわけがない。


「だが、お六が思うたほど、喜連川での暮らしは安泰ではなかった」


「お六は、冷遇されたのですね?」


 無理もない。

 異常に高いプライドをもつ一族が、内心見下している徳川から、中古の女を押しつけられたのだ。

 それでもまだ、将軍の娘か、公家の姫でもあれば、我慢できたかもしれないが、お六の父は足利より格下の今川の家臣。歓迎されるわけがない。


「うむ。そこでお六は、日光東照宮でおこなわれた法要の場で、お福に頼みごとをしたのだ」


「頼みごと?」


「頼みというよりは、市姫のことで脅しをかけたというべきか。『例の件を暴露されたくなければ、喜連川に大加増を』と」


「嫁ぎ先で肩身のせまい思いをしていたお六は、加増の口利きをした功を振りかざして、家中で優位に立とうとしたのですね」


「それで、口を封じられた……」


「なにゆえお福は、すぐに口封じをしなかったのでしょう? なまじ生かしておいたせいで、このようなハメになったのではありませぬか」


 千姉ちゃんの疑問はもっともだ。


「お勝は敏い女子だ。姫と同時に供をしていた部屋子が死んだら怪しまれると、お福らも考えたのであろうよ」


 家康の法要のときは、すでに家光が将軍になっていたから、元側室が不審死を遂げても、権力を使ってもみ消せると判断したのか?


「なれど、告発の狙いがわかりませぬ」


「あれは告発文ではない」


 忠輝は苦々しい表情で否定した。


「あれは、お六が、おのれの功を誇示するために書いたものだ」


「功ですか?」


「ああ、日光に向かう折、夫の義親に渡したらしい。法要後、お六は、そのままお福らとともに江戸に向かい、将軍からじきじきに加増の沙汰を受けるつもりだったようだ。婚家が加増された理由を明らかにしておかねば、意味がないからな」


 そうか。

 加増決定後に、『これは自分が働きかけたおかげ!』と主張しても、『なに言ってんだ?』とスルーされてしまう。

 それでなくても、お六は婚家で冷遇されていて、まともに話を聞いてもらえなかったろう。

 だから、事前に文書で残す必要があったんだ。


 とはいえ、暗殺の顛末を詳細に書き残すなんて……お六もいびられて、相当追い詰められていたのかもしれない。


 でも、そうなると、


「でしたら、一連の策謀がもっと早くわかったのでは?」


 お六が告発文を書いたのは、おふくろの殺される一年以上前。

 そんな情報を得ていたら、親父だって、西ノ丸の警備を強化していたはずだ。


「ところが、夫との仲も冷えきっておってな」


 なんでも、夫の義親は、家康のお下がりを正妻として下賜されたことに、相当ムカついていたらしく、お六に渡された手紙も、開封すらしないで文箱の中に投げ入れたまま、忘れてしまった。


 その二年後、義親が二十九歳の若さで急死し、父・頼氏が遺品整理の際にその手紙を発見して、ひそかに大御所に提出したという。

 頼氏は、不本意な縁組で迎えた嫁のせいで、厄介ごとに巻きこまれるのを恐れ、『ムリヤリねじこまれた縁組で、いい迷惑っす! 自分の家にはいっさい関係ありませんから!』と、めちゃくちゃ強調したらしい。


 義親が死ぬ半年ほど前、家康の外孫にあたる蒲生忠郷が亡くなり、蒲生家は無嗣断絶となった。

 蒲生のような親族でさえサクッと改易になる現実に、喜連川家は「連座させられるかも!」と、かなりビビったようだ。


「お六は欲をかきすぎたのだ」


 親父が冷ややかに評した。


「お六は、お福が毒針を刺すところを目にしながら、主であるお勝に告げるより、お福らと取引したほうが旨みがあると判断し、側室となった。さらに、父上の死後は、名家の継室に収まった。それだけで満足しておればよかったものを」




(にしても……)


 どうするんだよ、コレ!?


 元側室ふたりと、将軍乳母が同時に死亡 ―― スキャンダル以外のなにものでもない。

 しかも、最高権力者大御所が死に瀕している最悪のタイミングで。


 怒涛の展開にいっぱいいっぱいのおれとはちがい、最初に行動を起こしたのはやはりこの男。


「森川」


 通常モードで呼びかけ、


「阿茶と英勝院の骸を、四谷の見性院に」


「はっ」


 部屋の隅にひかえていた腹心は、一礼すると部下たちを指揮して、手早く事後処理に取りかかる。


「見性院?」


 見性院というのは、かつて幸松親子を庇護していたバアチャンの名を冠した尼寺だ。

 

 いまから十六年ほどまえ、浮浪児対策の一環で、うちでは引き取れない女子の引き受け手として、穴山梅雪の未亡人・見性院を指名した。


 そのとき、『あなたを開基とした尼寺を造るから、そこで孤児を預かってほしい』との条件を提示し、あとは建設資金から宮大工の手配まで、全部親父に丸投げしてできたのが、四谷御門外の『徳栄山見性院勝岳寺』。


 ところが、いざできあがってみると、寺は、おれの構想 ―― 身寄りのない娘たちに読み書き・行儀作法・裁縫を教えて、呉服屋などの大店に就職可能なスキルを身につけさせる女子教育機関 ―― とはかけ離れた『くノ一養成所』と化していた。

(とはいえ、『女』を武器に活動させるのは、かろうじて阻止した)


 でも、あいつらの死体をそこに運ぶ意図がわからない。


「なぜ、見性院に?」


「阿茶らは、しばらく生かしておく」


「生かす!?」


 えぇ? どういうこと?


「ふたりは、わしの菩提を弔うため寺にこもり、高齢ゆえ、ほどなく落命するであろう」


「それは、阿茶らの犯した罪を、不問に付すということですか?」


 たぶん親父は、遺体を自分の息のかかった寺に隠して、いずれ時期をずらして死亡を発表し、自然死を偽装するつもりなんだ!

 

 たしかに、これが外部にもれたら、まちがいなく政権をゆるがせる大スキャンダルだが、あれだけ大勢の生命と人生をゆがめた罪を隠蔽するつもりか!?


「納得できませんっ!」


 おふくろはこの時代としてはかなりな高齢出産で ―― まさに命がけで、おれを産んだ。

 ようやくもうけた唯一の嫡男。

 なのに、将軍位は義弟の家光に奪われたあげく、殺されたんだ。

 それをなかったことにするだと!?


「母上の無念を思うと、そのような企てに与するわけにはまいりません!」


 あそこなら偽装工作などお手のものだろうが、そういう問題じゃない。


「そなたの言いたいことはわかるが、かような醜聞が世に伝われば、徳川の弱みをさらすこととなり、ふたたび世が乱れる」


 政権を守るためには、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍べ、と!?



 渦巻く激情をもてあまして、拳をにぎってうなだれていると、


「国松」


 千姉ちゃんが、両手でおれの手を包みこみ、


「父上とて、そなたと思いは同じ。なれど、為政者として、苦渋のご決断をなさったのです」


『もうそれ以上言うな』と、首を振ってみせる。


「姉上……」


 これまで幾多の不条理に耐えつづけてきた千姫。

 そんな姉貴に諭されたら、イヤでもうなずくしかない。


 そんなおれたちを見守っていた親父は、やにわに、


「お福は、わしに対する無礼により手討ち。また、その子・稲葉正勝はじめ子および兄弟すべて死罪とする」


 平静な口調で苛烈な処分を下した。


「三族に罪を科すのですか?」


『三族の罪』とは、犯罪者本人だけでなく、近親者にまでその罪を波及させるもので、父母、妻子、孫、兄弟も処罰の対象となる。


「お福は、あまりに殺しすぎた」


 お六と、もしかすると、その夫も?


「正勝は、曲直瀬道三を毒殺していますから、連座させるのもうなずけますが、そのほかの者まで……」


 お福には、正勝の下に息子がふたりいる。

 また、本能寺の変後、父・斎藤利三とともに惨殺された兄以外の兄弟は、いまも存命だ。


「なにを申す。お江や長丸、忠吉、秀康兄上はわしに近しいゆえ害されたのだぞ?」


「父上……もしや……」


 一説によると、本能寺の変を主導したのは、明智光秀ではなく、その重臣・斉藤利三だったという。

 一方、光秀は、鳥羽周辺で脱出した信長や信忠を捕獲する役割で、本能寺急襲部隊は斎藤が率いていたらしい。

 もしかすると、親父は、斉藤利三の遺児を誅することで、間接的に信長殺しの仇を取ろうとしているのか?

 一族のゴタゴタに巻きこんで、死なせてしまったお江のために。


 しかし、そうだすると、気がかりがひとつ。


「公方さまはどうなさるのですか?」


 家光がお福の子なら、三族に該当する。

 いくらなんでも、現役の将軍を死罪にするわけにはいかないだろう。


「家光か……」


 ぼんやりつぶやいた秀忠は、 


「いささか疲れた。手を貸してくれ」


 もともと悪かった親父の顔色はさらに悪化して、完全に血の気が引いている。

 忠輝は、兄の求めに応じて手を貸し、そっと寝具に横たえてやる。


「家光の、いや将軍位については、国松に一任する」


「わたしに?」


「本来、将軍位はそなたのものであったゆえ」


 親父は蒼白な顔で、かすかに笑った。


「徳川姓に復し、みずから将軍になるか、長丸を家光の養嗣子としたうえで、急病にて没した家光の跡を継がせ、そなたが後見役となり実権をにぎるか。さもなければ、従弟の徳松にゆずるか、好きにせい」


「……荷が重すぎます」


 急病で没するって、ようするに、ひそかに処せってことだろ?


 ガクブルするおれをしばらく無言でながめていた親父は、


「近ごろわしは思うのだ」


 穏やかな表情で、語りかける。


「そなたにとっては将軍位など、はじめから不要だったのではないかと、な」


「不要?」


「独立以来、そなたのようすは、柳生から報告を受けていた。

 孤児らと他愛のない話をしながら粗餐を喫し、百姓にまじって芋を植え、商人と値引き交渉をするかと思えば、三河の年よりどもにつきまとわれ、上野の宮さまがたとともに拾った貝に絵をつける。

 そうぞうしく、せわしないが、いつも多くの者たちに囲まれ、楽しそうだった。

 わしもお江も、なんとかそなたに将軍位を取りもどしてやりたいと思うていたが、ふと、はたしてそれは良いことなのか、むしろ国松には、このままの生活をつづけさせてやったほうがよいのではないかと、思うようになってな」


 しずかに語る父親の姿が涙でぼやけはじめる。


「はい、わたしは、将軍になどなりとうはございません。今の生活はまことに楽しゅうございます」


(ずっと……ずっと、見守っていてくれたんだ)


 前世の両親は、義務として衣食住を与えてくれただけで、最後までおれの心に寄り添い理解しようとしてはくれなかった。


 だが、今世の両親は、息子おれのしあわせを願って、懸命に闘ってくれた。

 この時代の最高の幸福 ―― 武家の頂点・将軍位を、不当に奪われたポジションを取りもどすために。


 それなのに、親父は、なによりも大事であろう徳川の男としての義務より、おれ自身のしあわせを考えてくれた。

 息子の本当のしあわせを。

 

「父上、わたしの種々の提案は、市井の者を間近に見たことが基になっております。

 父上が評価してくださったわたしの策は、ひとえに民に近い場所に、わたしを置いてくださったからこそ、思いついたのです」


「そうであったか……ならば……」


 やつれた顔に浮かぶ安堵の色。


 だが、つぎの瞬間、


「ただし、そなたはわしの、二代将軍の嫡男であることだけは忘れてくれるな」


 一転、峻厳な為政者の顔になる。


「そなたが嫌っておる祖父や又一らがこの泰平の世を招来したのだ。千や国松が、燃えさかる城の中で自害することのないようにと、乱世を鎮めたはこの徳川だ。その一族の者として、今後、世が乱れるようなときには、立ち上がってほしい」


「肝に銘じます」


「ところで、駿府の『陣屋』のことだが、長丸の母は今川氏真どののひ孫。わが父・家康は、幼きころ今川義元どのの庇護を受け、嫡子・氏真どのとは兄弟のように育った。その恩ある今川家の末裔すえを父祖の地である駿府に返してやりたいと思うて、アレをそなたに遣わしたのだ。子々孫々まで守りぬくのだぞ」


「家訓といたします」


(アレのどこが陣屋なんだよ?)と、いまさらながらブスくれたが、死相まみれで命令されたら、反抗もできない。


「そして、千」


 今度は、慈愛にみちた眼が千姫に向けられる。


「幼いそなたには、ずいぶんとつらい目に遭わせてしまったな」


「いいえ、いいえ、父上、さようなことは」


 涙目の姉貴が、気丈に答える。


「いままで苦労をかけたそなたには、今後心静かに過ごしてほしいところだが、御台所も大御台もおらぬこの城の女主人として、奥向きのことを託したい」


「その儀、しかと」


「忠輝」


 完全に遺言モードに入った親父は、つぎに、弟を呼び、


「わし亡きあと、そなたが徳川の最長老。頼むぞ」


「承りました」



 忠輝が、青々と剃りあげた頭をさげると、秀忠はわずかにうなずいて、大きく息をはいた。


「父上?」


「すこし休む」


 親父は瞑目したまま、そう告げて、ほどなく寝息をたてはじめた。



 そして ―― それが、親父と交わした最後の言葉となった。




 寛永九年一月二十四日(1632年3月14日)徳川秀忠 薨去。享年五十四。



 苦難にみちた人生を歩かざるをえなかった男は、ようやくさまざまなしがらみから解き放たれたのだった。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

粛清一直線のイケメンに転生しました 岩槻はるか @totopomu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ