拝啓、愛しのグウェンドリン

田所米子

拝啓、愛しのグウェンドリン

 大切な友人であり、義理の姉でもあるグウェンドリン。あなたのもとを去ってからもう一年も経ったのですね。いかがお過ごしでしょうか。アンジェリカは、父や母は元気ですか? 

 両親は娘でもあるわたしなどよりも、あなたのことを気に入っていましたから、心穏やかにお過ごしのことと思います。

 わたしがこうしてペンを取ったのは、あなたに伝えたい事があるからです。これが、あなたに送る最初で最後の手紙になるでしょう。


 二十年も前の、村の学校の入学式。あなたに初めて会った日。あの日のことを、今でも憶えています。

 あなたは質素な紺のワンピースを着ていましたね。流行とは縁のない生活をしている田舎の人間でも、一目で時代遅れと分かるものでした。他の子供は、晴れの日に相応しい礼服を着ていたのに、です。

 わたしだって、似合っていたかどうかはよそに置いておくとしても、その日のために揃えた一張羅を纏っていました。

 あの赤のチェックのピンクの晴着は、わたしの癖が強い赤毛には似合わなかった。ワンピースの裾を不安げに握り締めるあなたを見つけるやるやいなや、わたしはこう思ったのです。あの子にわたしの服を着せてあげたい。一つ断っておきますが、これは子供には似つかわしからぬ慈悲や、子供らしい無邪気だが残酷でもある同情心から出たものではありません。ただ純粋に、この服はわたしよりもあなたに似合うと思ったから。

 ピンクはあなたのブロンドとブルーの瞳を引き立てるためにある色なのよ。

 わたしが幾度となくあなたに囁き、あなたはそのたびに微笑んでくれたこの言葉を、わたしはもうあなたに伝えることはできない。……ごめんなさい。話の筋が逸れてしまいましたね。

 とにかく、ひとりみすぼらしい恰好をしていたあなたは、酷く悪目立ちしていました。入学式の後も、ずっとです。

 それはあなたの愛らしさのせいでもあったでしょう。あなたが来るまでは村一番の美人だったフィオナより、入学式で最も華やかな恰好をしていたイーディスより、あなたは輝いていました。

 皆が皆、あなたのことを息を殺して見つめていたのですよ。わたしは、そんな者のひとりでした。

 しかし、わたしは好奇心からあなたを気にしていたのではありません。

 あなたは、不幸にも両親を喪い、唯一の身内である大叔母に引き取られたばかりのよそ者でしたね。また、あなたの後見人でもある女性の評判は、決して良いものではありませんでした。

 そのせいでしょうか。あなたに注がれる視線は氷のようなものでした。わたし以外に、あなたと親しくしようとする子供はいなかった。

 わたしにとっては幸運なことでした。たとえひと時の間でも、あなたを独り占めできたのですから。

 あるとき、あなたは「どうしてわたしと友達になってくれたの?」とおっしゃいましたね。

 栞にするためにふたりで四葉のクローバーを探していたときでした。 

 十歳だったわたしは口ごもったすえに、適当にごまかしました。あなたに本当の想いを伝える訳にはいかなかったからです。

 そんなことをすると、あなたに軽蔑されてしまう。当時のわたしの最大の恐怖は、あなたに嫌われることでした。

 この手紙を書いている現在のわたしには、恐れることなどありません。あんな事件を起こしてしまったからでしょうか。それとも、もう二度とあなたに会えないから? 

 今にして思えば、わたしが最も恐れたことはあなたと会えなくなることだったかもしれません。

 正直にお伝えします。わたしはあなたのことが好きでした。

 あなたを一目見た瞬間から、あなたが心に焼き付いたのです。幼かった私の初恋――唯一の恋でした。 

 気づいていなかったでしょう? 

 わたしはあなたの良い友人であり続けようと、必死で努力していました。

 しかし、わたしを唯一無二の親友と信じる、あなたとの友情を裏切り続けていたのも事実です。

 十四歳の夏の日、こっそり家を抜け出して流星群を眺めたことを覚えていますか? 

 あなたは、素敵な人と恋をして幸せな家庭を築きたいと願っていましたね。わたしは、あなたの隣で、あなたの願いが叶わないようにと願っていたのです。

 あなたが、どこか誰かのものになるなんて、考えたくもなかった。

 あなたは、両親と生まれたばかりの弟を病魔に奪われました。ただひとりの身内である大叔母には、半ば使用人のような生活を強いられていましたね。あなたの少女時代は、家庭の温もりとは縁遠いものでした。

 そんなあなたの、家庭に憧れる気持ちは充分に承知していたのに。

 あなたの幸福を邪魔しようとしたわたしは、なんて薄情な友人なのでしょう!

 ……流れ星がわたしの祈りを聞き入れなかったのは当然のことです。しかし、あなたの願いも叶えられませんでしたね。

 それから数年後、美しい女性になったあなたには、想いを寄せる青年が数多く現れました。その頃には、あなたはすっかり村に打ち解けていましたね。あなたの心根の清らかさも、皆が知ることでした。

 あなたが村中の青年の意中の人になっても、ちっとも不思議ではなかったのです。むしろ、当然のことでした。

 しかし、わたしの心は荒れ狂いました。あなたを奪われる予感に、日々怯えたものです。

 ――そして、その時はついにやってきました。

 あなたは、頬を薔薇色に染めながら、どうしても話したいことがあるの、と打ち明けてくださいましたね。

 あなたの愛らしい唇が紡いだのは、わたしもよく知る人物への恋心でした。

 よりによって、あなたはわたしの兄を選んだのです。

 いったい、どうして?

 あなたの唇をわたしの唇でふさげば、憎らしい言葉を聞かずに済むのかとも考えていたのですよ。もしくは、それが許されることならば、わたしは兄をこの世から消し去ってしまいたかった。

 ……わたしには、愛するあなたを悲しませることなんてできません。結局、わたしはあなたたちの恋の橋渡しになることに了承しました。

 兄も、憎からずあなたを想っていました。兄には、あなたを想うことが許されていました。

 わたしの努力の甲斐あって、あなたちは恋人同士になり、やがて将来を約束する仲になりましたね。

 わたしの両親も、あなたのような娘を迎えることができるなんて、とあなたたちの結婚を喜びました。

 あなたと兄の婚約が明らかにされたとき、たとえ一瞬でも浮かない顔をしたのは、わたしだけだったでしょう。

 結婚式の日の、あなたと兄の唇が重なった瞬間。

 わたしの胸は張り裂けそうでした。これが神の罰かと思ったものです。

 わたしは、表向きはにこやかにあなたたちを祝福しながら、内心では兄を呪っていました。

 新婚生活の場である新居の向こうに、あなたたちが消えた時の絶望は、とても言い表すことができません。

 あなたを手に入れた兄が憎かった。

 わたしだって、堂々と、恥じることなく、花嫁衣装を纏ったあなたの隣に並びたかった。わたしのほうがあなたのことをたくさん知っているのに。

 毎日、そんなことばかり考えていました。兄が不幸な事故に巻き込まれ、身重のあなたを残して死ぬまでは。

 葬儀の日、あなたは泣きじゃくりながらもわたしを気遣ってくださいましたね。

 あなただって辛いのに、わたしばかり泣いていてごめんなさい。わたしがこんなに取り乱しているから、泣くに泣けないのでしょう。ふがいない姉でごめんなさいね、と。

 そんな必要はなかったのですよ。わたしは、むしろ嬉しかったのだから。

 あなたの大叔母は数年前に亡くなっていました。

 天涯孤独の未亡人であるあなたは、夫の実家に身を寄せるしか生活の手段がない。

 まして、あなたは子供を身ごもっていた。わたしの両親は、義理の娘と生まれてくるだろう孫を捨て置くことなど出来ない相談だと思っていました。

 あなたは、これ以上の重荷になる訳にはいかない、とためらっていましたね。

 ですが、わたしの説得によって、義理の両親やわたしとの同居に踏み切った。

 あなたの熱意には負けたわと苦笑しながら、優しく膨らんだ腹部を撫でるあなたは、聖母そのものでした。

 これから騒々しくなるわよ。あなたはうるさいのが苦手なのに。迷惑を掛けるわね、ともおっしゃっていましたね。

 とんでもない!

 あなたとの生活は、わたしにとっては天国そのものでした。幾度となく夢想した日々が現実になったのですから。

 月満ちて、姪のアンジェリカが生まれました。あの子が生まれた日のこともよく憶えています。

 決して、忘れることはないでしょう。

 わたしは幸せのあまり死んでしまうのではないかと思いながら、あの子を抱き上げたものです。

 わたしは子供が苦手です。しかし、あなたと兄の娘であるアンジェリカは特別でした。

 あなたと同じハニーブロンドの、天使のようなアンジェリカ。あなたによく似た顔立ちのあの子の、ヘーゼルの瞳。兄と――わたしと同じ瞳。

 あの子が、他ならぬあなたとわたしの間の子だという幻想に浸ることができたから――愚かしい妄想であることは承知しています――あの子が可愛かった。

 年を経るごとにあなたに似ていくあの子を通して、わたしが知らない幼き日のあなたを夢想する日々は、幸福そのものでした。

 ですが、ふとしたことで、わたしの幸せに不穏な影が差しました。

 村一番の美貌であるあなたが、財力はあるが人望は皆無の地主に目を付けられてしまったのです。

 あの男は三番目の妻を亡くしたばかりでしたが、数十年の付き合いのある愛人を囲っていました。それなのに、あなたが寡婦であること、身寄りがないことに付け込んで、四番目の妻にしようとしたのです。許しがたいことでした。

 父も母も、日ごろから横暴な地主への鬱憤を溜めていた村の人々も、手を尽くしてあの男を追い払おうとしました。一番不安だったのはあなただったでしょうに、それでも気丈に振る舞っていましたね。

 しかし、ある夜更けに、わたしは聞きました。あなたが悲痛な声で、兄の名前を呼んでいたのを。

 ……あなたは、兄の死後も兄のものでした。決して、わたしのものにはならなかった。

 取り付く島もない貞淑なあなたにあの男は業を煮やし、あの暴挙に出た――両親の留守を見計らい無理やり家に押し入ると、アンジェリカを人質に取った。それから、身を任せるようにあなたに強要したのです。

 そのとき、わたしは自室で読書をしていました。しかし、あなたの悲鳴が聞こえたので、何事かと急いであなたの部屋に向かったのです。もしものためにと、台所から包丁を一丁失敬して。

 最初に目に飛び込んできたのは、あなたにのしかかるあの男の醜い背中でした。それから、アンジェリカの、嗚咽を堪えながらもあなたを気遣う健気な姿を見つけました。

 わたしの大切なあなたたちに、危害が加えられていた。ずっと一緒にいられると思っていたのに、奪われてしまうなんて。わたしは、兄にあなたを奪われても、黙って見ていることしかできなかった。指をくわえて傍観するだけなんて、もう二度としたくない。

 精一杯の力を込めて、あなたを組み伏せている獣に刃を振り下ろしました。

 あの男などにたやすくあなたを渡すものか、今度こそあなたを奪われまいと、それだけを考えていました。

 そう。わたしはあなたを助けるためにあの男に手を下したのではなかった。わたしはあの男が妬ましかったから殺したのです。

 アンジェリカの泣き声で我に返ったわたしは、無我夢中で村から逃げ出しました。

 あなたに、アンジェリカに、父と母に迷惑が掛からないようにするためにです。

 それからのことはよく覚えていません。いつの間にか、遠い遠いところに流れ着いていました。

 わたしは今、おそらくあなたは名前も知らない街の、ひっそりとした宿屋にいます。

 しなびたミートパイを夕食に齧りながら、この手紙を書いているのです。これがわたしの最後の晩餐となるでしょう。

 ……欠片を零さないように気を付けていたのに、こんなところに油染みが。最後までみっともない手紙でごめんなさい。でも、優しいあなたなら笑って許してくださることと思います。でも、あなたに送る最後のものが油染みではわたしは地獄で笑いものになってしまいますから、あともう少し悪文を綴る我儘をお許しください。


 わたしの愛しいグウェンドリン。

 わたしはあの男を殺してしまいました。でも、どうか気に病まないで。

 あれはあなたのためにしたことではなく、わたしの自己満足なのだから。 

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