第6話 触手になろう!

 結局そのままダウンしてしまった佐藤をどうにかこうにか家まで連れていき、飲み会はお開きになった。一人とぼとぼと夜道を歩く。


「……寒っ」


 やはり二月の風は冷たい。就職は決まらないし、後輩の妹はなんか大変な感じで、春なんてこれぽっちも来る気配がない。きっと日本は南半球に移転してしまったのだ。また秋から冬になるに違いない。ガリレオも驚愕である。最低に最低な気分だった。


 冷えた指先を温めようと、コートのポケットに手を入れる。かさりと指先に当たる何か。気になって取り出してみると、触手からもらった例の紙片だった。


「触手、ねえ」


 触手。


 エロ的な諸々にしか登場しないあれ。

 俺の現実に登場した非現実的なあれ。

 なって働けば願いが叶うらしいあれ。


 俺はきっと駄目人間なのだろう。何もない。流れに従ってなんとなく生きて、適度に苦労した。自分の意思は曖昧で、気づけばなんもない。いや、何かあるのかもしれない。そう信じたい。だけど少なくとも俺にはわからない。見えない。さわれない。

 だから俺は色んなものが欲しい。凄く欲しい。けど、それは他人の力に頼っちゃ結局何も変わらないだろ。それじゃ駄目だ。相応の過程がなければ相応の実感も持てない。そんなものすぐに掌から零してしまう。だから、自分の意思で、自分の手で、欲しいものを掴みとらなきゃ俺は変われない。


 じゃあ、この幸運はどうするべきなんだ――?


 ……。

 …………。

 ……………………。


 俺は、一つ、覚悟を、決めた。


 その決意をこめ、一歩踏み出す。


 ――さあ、トイレに行こうか。




 ドアを開けるとそこはまさに面接会場だった。正面には男性が一人座っている。七三分けの髪型にメタルフレームの眼鏡。役人チックこの上ない。


「どうぞ、お座り下さい」


 男は芯の通った声で言った。俺は条件反射的に、「失礼します」と一礼してから椅子に腰かける。あ、なんか緊張してきた。


「どうも初めまして。採用面接官のリレリリです。酒木昂平さんですね」

「いえ、高崎新太郎です」


 誰だよそいつ。


 俺の答えにリレリリは手元の書類確認し、頷く。


「失礼。高崎新太郎さん」

「はい」

「おめでとうございます。合格です」

「…………へ?」


 唐突に合格を告げられる。え、ちょっと何その棚ぼた的急展開。というか初めての内定が触手かよ。


「あの、どうして……ですか?」

「期日内に面接に来るか否かが採用試験なのです。無論他にも諸条件はありますが、あなたはそれも満たしています。ですから合格です」

「はあ」


 実感ない。ハリウッド映画並みの現実感のなさだ。


「おめでとうございます、広村さん。面接は採用試験ではなく、具体的な労働条件を決めるためのものなのです。で、広村さん」

「いえ、高崎です」


 だから誰だよそいつ。


「失礼。高崎さん」


 リレリリは鉄面皮を崩さずに続ける。


「あなたの願いはなんですか?」

「それは――」

「願いの数や大きさに応じて、あなたの働く期間は変わります。また、願いが余りに現実性を欠く場合は無効とさせていただきます。不老不死とか、死者を生き返らせるとか、そういう類のものです」

「……あの、具体例を教えてもらえるとありがたいのですが。たとえば、お……私を紹介した触手ならどういう願いで、どれくらい働いているかとか」

「ああ、はい。いいですよ。プライバシーに反しない程度でよろしければ。えーっと、幹根っこはですね」


 だからお前それ絶対名前間違ってるだろ。ニワトリみたいだ。ニワトリなの? ニワトリだろ。


「大まかに言うと、彼女の願いは交通事故で一人が軽傷ですむように、そして自分は最低限死なないように、というものです。しめて十年といったところでしょうか」


 じゃあ、あと二年か。


「で、あなたを紹介したので、十パーセントオフで九年ですね」

「なんですそれ?」

「紹介制度です。従順な労働力を提供した者に与えられる特典です」

「紹介にそういう意味があったんですね……」

「無論です。そうしないと継続的な労働力確保が困難になりますから」


 どうりでしつこかったわけだよ。まあいいけど。


「他に何か質問はありますか? なければ願いをどうぞ」

「あの、この権利を誰かに譲ったりは……」

「できません」


 ばさりと否定される。


「あくまで合格はあなたに対するものであって、他の誰かではありません。難関大学の合格者が適当に誰かを連れてきて自分の代わりにこいつを入学させてくれてと頼んでも認められると思います? 認められないでしょう。それと同じことです。それで、他に質問はありますか?」

「あ、いや……」


 俺は言葉につまる。情けない。正直チャンスだと思っている自分がいる。降ってわいた幸運を使えば、俺だってまともな人間として評価されるようになる。欲しいものが手に入る。でもそれは違う。間違っているんだ。本当に欲しいものは、自分の手で掴まなければ簡単に手放してしまう。


 この幸運は俺だけのもの。だけどその幸運が必要な奴がいるんだろ。なら使えよ。そいつのために使ってやれよ。覚悟、したんだろ。カラカラに乾いた口を開く。言え、言うんだ!


「願いは――」

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