触手になろう!

ささやか

第1話 触手 in the 公衆トイレ


「社会なんて、社会なんて、糞喰らえだあああああ!」


 児童公園に、俺の絶叫が虚しく響く。時刻は深夜。偶々通りすがった残業帰りの中年サラリーマンから、(まあ、若いうちはそんなこともある。わかるよ)と同情と驚きの入り混じった一瞥を貰うだけで、他に何も起きない。事態は好転しない。暗転もしない。


「……もう消えてなくなってしまいたい」


 二月の風は余りに冷たく、心身共に凍てついていく。


「就職とかもう普通に無理だ。……どうせ俺は駄目人間なんだ」


 酒臭い息と吐いた言葉は優しく、だが鋭く自らの心を切り裂いた。


「そうだ、無理なんだ。どうせ俺は社会不適合者なんだ。無理に決まってる。特に志望もないし、特技もないし、大学時代だって適当にサークルやってだらだらと単位を取れる程度に勉強してただけで特別なことなんて何もやってないし、体力も知力も才能も根気も人格も長所もないし……、ああ、駄目だ。駄目なんだよ、畜生!

 そもそもあれだよ、あれ。最近の就職活動っておかしいだろ、いや絶対おかしい。テレビとかでも言ってたし。あっ、教授も言ってた。これはもう間違いないな。ほら、学生の本分は勉学だろ? なのに三年なんて一番脂の乗った時期に上辺だけの志望動機を必死に考えさせるなんて馬鹿げてるだろ。なんだよそれ。絶対おかしい。おかしいって。学生は企業の掌の上でいかに上手くピエロみたいにダンスが踊れるかが試されてさ、でも企業だって意味のないダンスを踊らせるように踊らされてるんだ。滑稽だ。無様この上ないな。でさ、優等生な模範的建前って言えば舌触りも良いけど、結局それって嘘じゃん。そんなこと本気で心の底から思って考えることの出来る奴らばっかだったら世の中もっと上手く回ってるって。というか死ね! 半分くらい人類死滅しろ!」


 握りしめていた缶ビールの残りを一気に煽る。炭酸も抜けぬるくなったビールは酷く不味かった。というかそもそもビールが嫌いだった。


「大怪獣が来て、世界を滅ぼせば全て解決するんだ! 早く来い! ……あーあ、生まれ変わったら高等遊民でいたい」


 ゴミ箱めがけて空き缶を投げる。カコンッ、と無機質な音を立てゴミ箱に届くことなく地面に落ちた。最高に最低な気分だった。悲しくなる。自分はゴミを捨てることすら満足に出来ないのだ。

 重い腰を上げて今度こそ確実に投げ捨てる。ふう、と溜息をつく。尿意を覚えた。ビールの飲み過ぎだ。ついでに公衆トイレまで足を運び、用を済ませる。

 どこにでもあるような公衆トイレだった。汚く、みすぼらしい。どうして公衆トイレというのはどれもこれも汚れているのだろうか。皆公共の物だと思うと、使い方が雑になるのだろうか。それとも年代物で設備が旧式だからそう見えるだけで、実は意外と清潔なのだろうか。それか何か他に理由があるのだろうか。


 そんな益体もないことを考えながら中に入ると、そこには触手がいた。


 触手がいた。


「きゃっ」


 女の声で可愛らしい悲鳴を上げた。


 うん、あれだ、あれ。一体どうやって声を上げているんだろう? 口ってあるの? 謎だ。実に謎だ。非常に興味深い……、って――


「わああああああああああああああああああああああああ!」


 触手だよ! なんかイソギンチャクみたいな触手が壁面という壁面から湧き出てトイレでうようよ蠢いてるんですけど! 大きさ? 中学生の腕くらい! 色? なんかアダルトサイトのようなピンク色!


「ば、ば、ばけ、いや、触手だああああああああ!」

「きゃあああああああああああ!」


 俺と触手の悲鳴が絶妙なハーモニーを奏でる。そりゃあもう奏でるったら奏でる。


 俺は走った。


 全力で走った。韋駄天を軽く追い越すような激しいスピードで逃げた。警官に見つかったら、職務質問自分錯乱病院搬送人間失格コース行きが間違いないくらい必死だった。なんか生きてる気がした。気分がハイなってきた。最低に最高な気分だった。


「人生って……! 素晴らしい……! っなわけねーだろ! なんで触手なんだよ、おかしーだろ!」


 あれだ、あれ。とうとう貧相な頭が、人生の荒波に耐え切れなくなって幻覚を見るようになったのだ。幻聴を聞くようになったのだ。だけど内容が触手なのは俺の想像力が貧困だからなのだ。きっとそうだ、そうなのだ。


 さあ、急いで我が家に帰ろう。俺の膀胱も限界が近い。



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