第5話 眠り姫
ごくり。のどが鳴る。俺は今まさに禁域を侵そうとしていた。慎重に、慎重に手を動かす。感触の薄さに気づいてはいけない。希望だ。希望を持つのだ。いや、違うか。今俺が持つこれこそがパンドラの箱。そして中に希望があるのだ。
びりっ。
力が入りすぎて大きく封筒が破けてしまう。ええい、ままよ。俺は中味を取り出した。
……。
…………。
……………………。
駄目、でした。そういえばありましたね、パンドラの箱に残されたのは、偽りの希望という災厄だという説……。
書面には定型文句が踊り、君は社会に必要ないよと黙示的に語っていた。不採用通知。準社会不適合者の烙印。ウルトラ憂鬱になる。きっと今ならビルから飛べるはず~♪
で。
このままでは危険だと判断した俺は、塚本を呼び出して飲みに行くことにした。加えて今日は塚本のおごりにすることを決定した。独断ではない。高崎脳内議会の賛成多数による公正な結果である。
という訳で、早速電話して事情を話す。
「大丈夫だって。まだ一社あるんだろ」
塚本の一声は能天気を通り越して頼もしかった。こいつの言うことは根拠もないくせに自信に溢れている。
「ほら、奇跡ってのは最後の最後に起きないと盛り上がらないじゃないか。だから大丈夫だって」
「俺が採用されることが奇跡前提かよ」
唇を尖らせて言うと、塚本は「すまん、すまん」と苦笑交じりに謝る。
「まー、そんで飲みに行くってことだけど、悪い、今日は無理だわ」
「なんだと貴様」
「いや、研究室で実験やってて、終日つきっきりで実験結果を計測する必要があるんだよ」
「あー」
抜けて来いよ! と言いたかったが、流石にそこまでは言えない。
「悪いなー。代わりに佐藤でも誘ってみたらどうだ? あいつ最近暇って言ってたから」
「それはちょっとな……」
後輩の女の子に愚痴を吐く男ってどうなのよ。駄目じゃない?
「別にいいだろ。佐藤なら」
「待て。お前の中の佐藤の位置付けやけに低くないか?」
「まあ細かいことは気にするなよ。それに一人でいると憂鬱なんだろ。ならこの際佐藤でもいいじゃん」
「だから何その佐藤の扱い」
「現実を見ろ。今のお前には、うるさい佐藤か一人で憂鬱のままかの二択しかないんだぞ。さあ、どっちを採る?」
「あー、えー、うー、……じゃあ、佐藤と飲みに行くで」
というかこんだけ騒がしく離したあとで一人になるとか反動が怖い。
「はい、決定」
塚本が俺の予定を決定する。
「んじゃ電話終わったら、連絡してみろよ」
「あとでメールしてみるわ」
「いや、そこは電話しろよ。普通にメールだと面倒だろ」
「はいはい。わかったよ、電話にするよ」
俺が適当に返事すると、塚本は「よろしい。それじゃまたなー」なんて、あっさり通話を切る。
俺はなんか拍子抜けして溜息をついた。しかたない。佐藤に連絡するか。メールですませようと思ったが、ついさっき言われたことを思い出し、電話することにする。
繋がらなかった。
駄目じゃん。
なんだ結局メールかよ、とポチポチとメールをうっていると、右手の携帯電話が突如強烈な自己主張を始める。誰だ。こんなうるさい着信音にしたのは。俺だ。
電話は佐藤からだった。
「はい、もしもし」
「あ、あのっ、佐藤ですけど……。高崎さん、ですよね?」
電話は苦手なのか、普段の佐藤と比べ随分としおらしい声だ。大丈夫。俺も苦手である。
「ああ、うん、俺だけど」
「すみません。ちょっと電話できない場所にいて。で、一体どうしたんですか? ……事故ですか? 事故ですね? 事故なんですね!」
訂正。やっぱこいつ、いつも通りだわ。
「落ち着け。どうして事故だと断定する」
「だって! だってですよ、普通に考えて高崎さんがわたしに電話するとかおかしいじゃないですか。あの高崎さんがですよ! 絶対裏があるに決まってます」
「や、まあ、裏があるといえばあるというか」
「ほらやっぱり! わたしは騙されませんからね! さあ白状して下さい!」
いつかこいつの脳内の俺がどんなものか、綿密に調査する必要があるな……。
「あー、なんというか、また不採用になったわけで。残り一社なわけで」
「…………」
「こう一人だと気分も沈むし、誰かと飲みに行こうかと塚本誘ったら、実験あって無理だから、代わりにお前に声をかけてみたりしたんだけど……」
「…………」
あの、急に沈黙するのやめてくれないですかね佐藤さん。
「というわけで暇?」
「え、や、まあ暇といえばこの上なく暇ですが」
歯切れの悪い返事。勢いで押し切ることにする。
「じゃあ飲もうぜ」
「いいですけど……、他に誰か誘ってるんですか?」
「いやまだ。でも誰か誘うかー。久木さんとか来てくれるかなー」
「久木さん、なんか最近忙しい言ってましたよ。学会の発表がどうとか」
「あーあーあー」
確かにそんなこと言ってたねー。
「ちなみに中条さんと宇津宮さんも駄目らしいですよ。なんか前の飲み会で、予定あるとか言ってました」
「まじか。じゃあ他は誘わなくていっかなー。所詮俺の愚痴飲みだし」
「ふっ、よろしい。受けて立ちましょう」
「無駄に威張るな」
佐藤のくせに。
それから場所と時間を適当に決め、通話は終わった。
「で、ですねー、うちのお母さんったら、こうですよ。『どうせ美香に彼氏なんてできないでしょ。ならせめて勉強くらいちゃんとしなさいよ』」
「お、おう……」
「どう思います!?」
「いや、まあ、酷いんじゃないかなーと」
「ですよねですよねですよね! うっさいっての。というかそれが実の娘に向かって言う言葉か! どんだけわたし信用ないんだよ!」
「や、まあ、ほら、親心っての? きっと佐藤のことがそれだけ心配なんだよ」
「だけど普通そこまで言います!? いくらわたしでも傷つくんですけど!」
「まあまあまあまあまあ」
ということで、飲み屋に入って大体三十分が経過。今回は俺が愚痴を吐くはずの飲み会は、佐藤が何杯かアルコールを飲むと、その趣旨と立場が逆転していた。コペルニクスもびっくりである。
どうやら佐藤も日々の生活の中で相当鬱憤が溜まっていたらしい。マシンガントークで愚痴を発射する。ねえ、でもやっぱりこれおかしくない?
「高崎さん聞いてます!」
「はいはい、聞いてるから。あ、そういえば電話した時すぐ出なかったけど、あれどうして?」
ずっと愚痴を聞いていると疲れるので、とりあえず話を逸らしてみる。
「あー、あれはですねー」
佐藤は赤ら顔で言う。語尾が伸びていることからしても、すでに酔っぱらっている。
「電車いたの?」
「違います違います。病院にいたんですー」
「病院? え、お前どっか悪いの?」
前の飲み会で、昔は病弱だったと言っていたことを思い出す。
「ああ、違います違います」
だがあっけなく俺の心配は否定された。
「わたしは元気です。バリバリ元気です。バッチグーです」
「じゃあどうして」
「お見舞いです。お見舞いー。妹に会いに行ったんですよぉ」
「妹いたんだ」
「双子ですけど」
初耳だ。
「まー、会うって言っても、ほんとただ会うだけですけどねー」
「どういうこと?」
「…………」
「佐藤?」
「……しーいずあすりーぴんぐびゅーてぃー!」
突然佐藤は一際大きな声で叫ぶと、そのまま机に突っ伏した。
「すりーぴんぐびゅーてぃーなのです……。わたしが、わたしのせいで……」
事情も知らない俺は黙る他なかった。慰め方なんて知らない。だから俺はただ黙って自分の杯を乾かしたのだ。
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