第4話 触手はトイレ担当


「あ、聞いて下さいよ高崎さーん」


 トイレから出るなり、赤い顔した佐藤が俺を呼ぶ。どうやらだいぶ酔っているようだ。あいつは酒癖がよくない。気づかなかったふりをする。


「おい、呼んでるぞ」と塚本が言う。

「俺は何も聞かなかった。佐藤? 誰それ? そんな名字生まれてから一度も聞いたことないけど?」

「明らかに無理あるだろ」

「……認めるにやぶさかでない」

「高崎すわぁ~~~~ん」


 佐藤がまた大きな声で俺を呼ぶ。


「ほら、頼むよ。うっさいし」

「今完膚無きまでに本音が出たな貴様」

「まあまあ、実際そうでもしないと酔った佐藤は止まらないからしかたないだろ」

「…………はあ、何故俺が」


 諦めて腰を上げる俺に対し、塚本が苦笑する。


「人望だよ、人望」

「欲しけりゃくれてやろうか?」

「遠慮しとくわ。佐藤も怒りそうだし」


 少し離れた佐藤の席まで行くと、早速嬉々とからんでくる酒乱一名。


「ねえねえ、ねえねえ、高崎さん!」

「なんだよ」

「聞いて下さいよ。というか聞けよ!」

「あー、はいはい。なんでござーましょ」

「わたしですねー、昔ですねー、病弱だったんですよ!」

「左様ですか」

「左右です!」


 左右でどうする。もはや右も左もわからないだろう佐藤は饒舌に喋る。


「もー、ほんろ体弱くて入院とかもしてましたしー。あれですよ、しかもなんか一時退院の時とかトラックに轢かれちゃってー」

「いや待て、何故生きている」


 そこは普通死んでいるだろ。


「奇跡ですね。てへっ」

「佐藤如きがてへるな」

「んだと、高崎のくせに佐藤を馬鹿にするなこらあああああああ!」

「急にキレるんじゃねーよ、対処しにくい」


 それから佐藤は、佐藤という姓がいかなる由来によるものか、そして佐藤の姓を持つ人間が日本においていかに活躍したかを呂律の回らない舌で語り始めたが、それはさておき、俺は先程の触手との会話を思い返していた。



   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   



「――そもそも、わたし、人間ですから!」


 触手の発言は、俺が持っていた人間の定義を大きく揺るがした。震度七は固い。ヴェートーヴェンの第九が頭の中で爆音再生される。


「ふふ」


 笑みが零れる。


「ふふふふふ」


 いやはやはや。なあ聞いたかいボブ。ああ、聞いたぜケビン。あの触手って人間なんだってさ。へーそうかい。人類ってのも随分進化したもんだな。全くだぜ、HAHAHA!!


「ふふふ。ふはははは」

「あの、だ、大丈夫ですか……?」


 くつくつと笑う俺に触手が声をかける。


「ありえないから」

「は?」

「触手が人間とかありえないから。触手に目があるか? 手があるか? 五臓六腑が、四肢五体が、感覚、感情、情熱があるとでも言うのか? おいおい、冗談は存在だけにしてくれよ」


 まあ自分で言っといてあれだが、最後の三つはありそうだな。


「……私はいたって真面目です。わたしは、人間です」


 触手が固い声で主張する。


「正確に言うなら元は人間、今は触手です」

「悪の秘密結社に改造されちゃったとでも?」


 組織から身を隠すためにトイレに潜伏中ってか? 確かに盲点だけど、もっと別に場所があるだろ。


「いいえ、違います。わたしは願いを叶えるために触手として働いているんです」

「願い?」

「そうです、願いです。触手になって働けば、その労働に応じて願いが叶えて貰えるんです」

「それは、その……」


 にわかに信じがたい話だなオイ。悪の組織のほうがまだ現実味があったよ。


「ちなみに私は今年で八年目です」

「八年目!?」

「ちょっと大きい願いが多すぎて。てへっ」

「触手如きがてへるな」


 というか微妙にくねくねされてもわからんわ。


「まあそんなわけでして」


 会員カードのような紙片を渡される。待て、どこから出したのだ触手よ。


「何これ?」

「これがあれば触手の採用面接を受けられます。方法は簡単。これを持って、面接を受けたいと念じながらトイレに入るだけ」

「何故トイレ!?」

「それは今年度の私の受け持ちが男子トイレ清掃だったので、男子トイレに干渉する権限しか持ってないからです」

「貴様それでもレディーか」


 というか、だからトイレでばっか遭遇してたのか。一度トイレ出ると追ってこなかったし。


「しかたないんです……。受け持ちは毎年ランダムに決められるからしかたないんです……」

「融通きかないのな……」


 お役所的な触手業界か。何その現実と非現実のわけのからないブレンド具合。


「――まあそれはともかく」


 触手はぐねりと身をよじる。


「どうです高崎さん、あなたも触手になりませんか?」



   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   



「――さん、高崎さん!」


 む、誰だ。俺の回想を邪魔する奴は。もちろん佐藤だった。


「ちょっと高崎さん、私の話をちゃんと聞いてます?」

「ん? ああ聞いてる聞いてる。野党が消費税の増税に反対なんだろ。まあ確かに増税はしてほしくないし困るけど、反対するならそれに見合った具体的ビジョンも同時に提示しないと駄目だよな。反対するだけなら猿でもできる」


 佐藤の詰問に俺はきっちりと答えてやる。


「え、何この余りある既視感!?」

「デジャヴだろ」

「それカタカナにしただけ!」


 相変わらず佐藤はうるさかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る