第3話 先生、触手は人間に入りますか?

 コンビニの店員に、「あまりトイレで叫ばないで下さい。叫ぶならカラオケ行って下さい。それか死ね」と軽く注意されたあと、俺は大学に無事到着した。今日はサークルの集まり(正確に言うと飲み会)があるのだ。就活用に買った地味な腕時計で時刻を確認する。少し遅れそうだが、まあこのくらい許容範囲だろう。


「あ、高崎さ~ん」


 こぢんまりとしたキャンパスを歩いていると、とてとてと小走りでこちらにやってくる女の子がいた。サークルの後輩、佐藤だ。


「なんだ、佐藤か」

「なんだとはなんですか。失敬です」

「そうか?」

「そうですよ。可愛い後輩じゃないですか、可愛がって下さい。具体的にはジュースおごって下さい。オレンジジュースがいいです」

「調子に乗るな」


 俺は歩調を速める。遅れた佐藤が慌てて追いかけてきた。


「あっ、ちょっと、速いですって。置いてかないでくださいよ」

「うるへえ。寄るな、さわるな、近寄るな」

「また子供みたいなこと」


 佐藤が苦笑いを浮かべる。栗毛のショートボブが彼女の思いを追従するかのように揺れた。


「というか寄ると近寄るって意味が重複してますよね」

「確かに。じゃあ言い直そう。寄るな、さわるな、単位を落とせ」

「最後が無駄に悪意満載なんですけど!?」

「実に気のせいだ」

「いやいやいや!」


 それから佐藤は俺の台詞がいかに極悪非道かを滔々と説明しだしたが、それはさておき、俺は触手のことを思い返していた。

 あの触手は一体なんなのだろうか。俺の脆弱な精神から生み出された妄想ではない……? うん、ないな。ないない。そろそろ現実的に非現実を直視しよう。しかし何故に触手? そして何故に仕事を斡旋する? わけがわからねえ。触手ってエロ本とかそういうテリトリ限定の存在じゃないの?

 

「――聞いてますか、高崎さん!」

「ん? ああ、聞いてる聞いてる。また円高になったな。これ以上続くと輸出産業がもたないから、確かにお前の言う通り、更なる政府介入を本格的に検討するべきだろうな」

「あしらい方があまりに古典的かつ適当!」

「気のせいだろ」

「そんなこと言ったら、世の中の大半は気のせいで説明出来ますよ!」

「気のせいだろ」



「つまりは、我らが高崎君はまた落とされた、というわけか!」


 塚本が俺の悲惨な就活状況を豪快に笑い飛ばす。酒も入っているからだろう、陽気な苦笑が周りに響く。


「……いや、笑い話じゃないから」


 俺は憮然として溜息をついた。塚本はまだ大学院に進学するからいいが、こちとら絶対零度の戦線で体を張っているのである。


「まあまあ、大丈夫だって」


 赤い顔をした塚本は俺の背中を勢い良く叩く。バシッバシッと軽快な音が鳴る。鳴るったら鳴る。痛い。体育会系の塚本は気の良い奴だが乱暴なのが玉に瑕だ。


「なんとかなるって、なんとか」

「……そう信じていたらここまで来てしまったんだ。もうその言葉は信じられない」

「いやまー、大丈夫だって」

「根拠は?」

「勘。なんとなく」

「なんだよ、それ」


 釈然としない焦燥感をカルアミルクで飲み下す。うちのサークルには「とりあえずビール」という悪しき風習は存在しない。ビバ・カルアミルク。俺は甘党だった。


「んー、じゃあ、ほら、あれだよ、あれ」

「だからなんなんだよ」

「ほら、あれだよ。ねっ、久木さん、わかりますよね?」

「ああ、うん。まあわかるよ」


 俺と塚本の遣り取りを傍観していた久木さんは、穏やかな笑みを口元に浮かべて答える。


「ほらみろ、偉大なる先代部長のお言葉だぞ!」

「高崎君なら、なんだかんだでちゃんと納まるところに納まるよ」


 久木さんはのんびりと、そう言う。


「ねえ高崎君、たとえばの話だけど」

「はい、なんですか?」

「年に一度だけ現れて、なんでも願いを叶えてくれるサンタクロース。なんと今年はあなたの願いを叶えてくれることになりました。さあ、どうしますか?」

「あっ、それって――」

「なんだ、もしかして知ってる?」


 俺の反応をみて、久木さんの口元がほころぶ。


「はい。あれ、いい話ですよね」


 読んだことがある。有名なSF作家のショートショートだ。


「うん、あれ、好きなんだよね」


 久木さんは嬉しそうにはにかむ。


「でね、大丈夫。高木君はなれるよ、最初の青年に。その権利を名前も知らぬ少女に譲った青年に」

「そう、ですかねえ」


 自信がない。そんなときが来ても、俺は自分のちんけな欲望のために願いを使ってしまう気がした。


「そうだよ。なんかねえ、高崎君は結局他人のために頑張れる人だから」

「はあ」

「褒めてるんだよ? 一応」

「はあ」


 面映ゆい。塚本はうるさいが、久木さんは人が良すぎた。


「ちょ、トイレ行ってきます」


 俺は席を立つ。「あ、高崎さんが逃げてる~」と佐藤の酔った声が背中に降りかかる。違う。逃げてない。戦略的撤退だっての。


 というわけで俺はトイレに行く。引戸を開けた。


 さて、ここでクエッション。


 Q:トイレには何がいるでしょう?

 A:触手


「こんにち「だが断る」


 俺は引戸を閉めた。


 ふう。……酔ってるかな。足取りはちゃんとしてるんだけど。


 このまま戻ってしまおうとも思ったが、やはりトイレに行きたい。膨れ上がった欲望を解放したい。もう一度引戸を開け「こんにちは!」


 ぶわっ!


 触手が恐るべき速さで俺をトイレの中に引きずりこむ。ここで俺のホースがなんちゃってビールをぶちまけなかったのは、一重に俺のホースが特別製であったからだと強く主張したい。


 触手はぐねぐねと元気良く蠢き、俺をきっちりと拘束していた。


「待て。話せばわかる」


 俺は必死の説得を試みた。いくら特別製といえども限界が近い。生理現象には勝てなかった。


「離せ! 離してくれ!」

「最後まで話を聞いてくれるなら」

「違う! その前に離せ!」

「駄目です! また逃げちゃうかもしれないです!」

「いいから離せよ!」


 なんのためにトイレがあると思ってんだコラ! 排泄するために決まってるだろ!

 俺は禁断の手を使うことにした。具体的に言うと、ホースを股ぐらから取り出した。ポロっとな。


「ひゃうぇあ!」


 触手が乙女な悲鳴を上げる。


「な、な、な、なあああああああああああああああああ!!」


 触手はぐねぐねとのたうちまわる。ついでに拘束が解ける。俺はこれ幸いとホースから発射した。無論、便器に向かってである。


「隠して下さい! 見せないで下さい!」

「ここはトイレだ。俺には健康で文化的な排泄をする権利がある」

「目の前に女の子がいるんですよ! 気をつかってくだしゃいよ!」

「あ、噛んだ」


 触手のくせに。


「ええ、噛みましたよ! 噛みましたとも! それが何か問題でも!?」


 口ないじゃん。テレパシー的なアレなのにどうやって噛んだんだよ。


「というか性別あったのか……」

「ありますとも。レディーです。現役バリバリのレディーです!」

「現役のレディーはバリバリなんて言葉を使わないと思うが」

「使うんです!」

「左様ですか」

「左様です!」

「……んじゃ」


 用を済ませた俺は、さりげなくかつ鮮やかにトイレからの脱出を試みる。


「だから待って~~!」


 が、駄目だった。触手のくせにしつこかった。


「手を洗ってないじゃないですか!」

「そこかよ」


 外の流しでちゃんと洗うつもりだったわ!


「そして何より流さないで下さい!」

「使用後にトイレを?」

「わたしの話をです! わざとですよね!」

「どちらかと言わなくてもわざと」

「やっぱり!」

「さっぱり」

「……うにゅらぁ~~~~~~~!」


 触手が奇声をあげてのたうち回る。先生、今のは何語ですか。はい、あれは触手語です。和訳すると「ディス・イズ・ア・ペン」になります。先生、和訳できてません。


「もういいから話を聞いてよ!」

「また今度な」

「親が子供の駄々をなだめるための常套手段!」

「やはり触手には効かないか……。人外だしなあ」

「そういう問題じゃなくて――」


 そして触手は衝撃の一言を放った。


「というか、そもそも、わたし、人間ですから!」

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