share-2 チェスト
もう衣替えを終えたのに、しまえなかった夏物が一枚ある。
それは、落ち着いて並ぶ秋色と冬色の衣服の中に挟まれているくせに引き出しを開ける度に強気に自己主張してくる。
夏の芝生のような鮮明なグリーンの生地、フロント全面にプリントされた黄色いピエロ。
まだ一度も袖を通していないこのTシャツは、この家に住む大学時代からの友人、
202号室に住んでいた人が退去してすぐの五月末、鞠の借りていたアパートが全焼した。
不幸中の幸いで、家にいなかった彼女自身は無事だったけれど全てをなくした彼女は明るく振る舞っていても今にも切れてしまいそうな細い糸のようで。
『シェ
彼女はあっという間に元気になった。
もちろん最初は無理に元気にしている感じもあったけれど、102に住む七つ下の大学生、三上くんに恋をして付き合うようになってからは本当に元気になった。
そんな娘の様子に安心したのか、彼女のお母さんがこのシェアハウスに住む全員に送ってくれたTシャツ。
それが、これ。
函館にある『ラッキーピエロ』というハンバーガー店のお土産品。
いつかの夜、みんなでリビングにいた時に鞠が突然配り出した。
『これ、ルームウェアにどうぞ!』
『三上くんは私と同じ黒ね、はい!』
『レオくん、明里さんはカリスマの白!』
『武田さんとカナコは……じゃじゃーん!』
『新色のグリーン!!』
破壊力抜群のピエロが笑っているようにも見えるそのTシャツ。
それでも、武田さんとお揃いだとドキドキしていると鞠がチラチラとアイコンタクトを送ってきた。だから思い切って彼の方に意識を向けたのだけど……。
彼は、間髪いれずに『これ無理でしょ』と苦笑いした。
直後、美容師のレオくんが『武田さんから無理入りましたー!』と居酒屋ノリで騒ぎだす。そのせいで、私たちのTシャツだけに『
武田さんがこのTシャツを着て、部屋から出てくる日はまだ来ていない。
他のみんながその場で着て見せた時でさえ、やんわり断り逃げていった。
それよりも前――鞠から三上くんと付き合うことになった報告を受けた日、酔っていたせいで思わず武田さんとのことを協力して欲しいと頼んでしまったけれど……。
最近、彼の前で自然に振る舞えなくなった。全身に変な力が入ってしまう。
「カナコ~!もうみんな集まってるよ!」
ノックの音と同時に扉の向こうから聞こえてきた鞠の声。
「今行く!」
そう短く答えてから、いつもと代わり映えしない薄手の黒いニットとジーンズに着替えた。
ちっとも挑戦しない私。
一歩も踏み出さない私。
鏡に映る自分を見てホロリ溜め息がこぼれた。
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