第29話 エピローグ

山間から綿菓子を思わせる入道雲が幾つものぞき、冷たい風が流れている。目の前には長い登り坂が続いていた。アクセルを踏み込む。車は抗議するように重いエンジン音を響かせ坂を登っていく。助手席では妻が呑気に転た寝し、後部座席で娘が携帯ゲームに夢中になっていた。

 彼女がいま、夢中になっているゲームのタイトルは失念したがお友達を集めるゲームだったと思う。自分の作った仮想の町にお友達を探し集め、住まわせるゲームだ。このソフトの目玉はゲーム機の通信機能を利用して街の中や人の多い所でゲームソフトを起動させておけば同じソフト同士が通信し、お互いのアバターやアイテムを交換し合うと言う物だ。交換するアバターには簡単なメッセージや音声も添付できる。彼女はゲーム内でお友達を探したり、町を作ったりする事より、主に通信によってお友達を集めていた。ここは全く人気のない山の中だ。街中なら解るがこんな辺鄙なところでは通信相手も居ないだろうに。

 変だ。この違和感は何だ。この表現しがたい嫌な気配は何だ。それは後部座席でゲームに夢中になっていた娘の一言から始まった。

「パパ!お友達が来たよ。ダママだって。不思議な名前よね」携帯ゲーム機のモニターを覗きながら娘は叫んだ。答えようにも答えられる状態ではなかった。声が出せないのだ。口を開けても金魚のようにぱくぱくと口を開けるだけの状態になっている。ステアリングを握る手にベタベタと嫌な汗が滲んでくる。その手を交互に服に拭いつける。アクセルを踏む足が鉛のように重く徐々に沈んでいった。アクセルペダルから足が離れない。まるで誰かに足を押さえつけられているような感覚だ。車は坂道にも関わらずじわじわと加速を続けていた。コーナーの

連続する坂道を必死で車をコントロールしていた。

「この子、変な子。歌ばっかり歌っているのよ」娘の一言が終わるか終わらないうちにどすんと勢いよく肩口を押さえ込まれたような衝撃がきた。肩口の衝撃は体中に広がり痺れるような重さで体が思うように動かせない。体の変調に危機を感じ、車を路肩に寄せようとしたが体が動かない。車を道沿いに走らせるだけで精一杯だ。冷や汗が顔と言わず体中から吹き出してくる。横目で助手席の妻を見る。幸せそうな顔で微睡んでいる。ルームミラーで後部座席を確認するが娘の姿は視界から外れて見えない。ゲーム機から流れる歌だけが車内に響き渡っていた。

 ゴツッと軽い衝撃がステアリングや車体から伝わってきた。車は坂を登りきり下り始めていた。車が加速する。必死でステアリングを握りしめ車体をコントロールする。左足は僅かに動かせる程度だ。ブレーキペダルが遠い。ブレーキペダルまで足を運ぶことが出来ない。サイドブレーキを引こうと試みたが左手はステアリングに張り付き動かせない。アクセルに置く右足は重く悪寒を伴い体中にのしかかる重みでジワジワと沈んでいき車は加速してゆく。車が加速するにつれ視界は狭まり景色は溶けるように流れ去っていった。体の自由が効かなくなって

来ている。次々にコーナーが目の前に迫ってくる。死に物狂いでコーナーを切り抜ける。車のコントロールは乱れ、右に左に加重がかかり、限界を超えかけた荷重移動にタイヤが悲鳴を上げている。娘や妻の身を案じている余裕がない。時折、路肩へ後輪が脱輪する衝撃が伝わって来た。

 車を崖下へ転落させない事で手一杯だった。連続するコーナーを何とか凌ぎきって直線コースに入り一息つけたが状況は最悪だった。体の自由がまったく効かない。何とかしなければと策を巡らし、右へ、左へ視線を移動させる。舗装はしてあると言え道は細く山にへばり付くような道だ。片側には深い谷が口を開けている。気がつけば空は薄暗く濁った紫色に染まり夕暮れ時の明るさしかない。時間はまだ正午を過ぎた頃なのに。急変しやすい山の天気とはいえこんな空模様は経験をしたことがない。異変を観察する間もなく次のコーナーが迫ってきた。

 バンバンと運転席側のドアから叩く音がする。誰かが車ボディを手のひらで叩いている。馬鹿な、このスピードで走っている車を誰が叩くと言うのだ。前方に細心の注意を払いながら脇目でドアの方に一瞬視線を移す。ちらりと見えたモノに冷たい驚愕が体中を貫いた。何だアレは!一瞬しか見ていないのに細部まではっきりと覚えている。

 真っ黒な人の形をした煤煙のようなモノがドアやサイドウインドウを叩いている。サイドウインドウには油染みた手垢まみれの手形が無数に張り付いている。コーナーが目の前に広がる。渾身の力を込めブレーキペダルへ足を伸ばし、ステアリングを切ろうとするが体が動かない。あきらめずに体中の力を振り絞る。外では相変わらずバンバンと音がしていたが、気にしている余裕など全く無い。音が止んだ。だが、かまっている暇はなかった。目の前に迫るコーナーを切り抜けようと必死で体を動かそうしていた。突如フロントガラスいっぱいに子供じみた笑いを浮かべる老婆の顔が映し出された。

 時間が止る。子供のように見える老婆の顔をどれ位見ていたのだろう。目を背けたくても視線が離せない。老婆の顔におぞましい笑みが浮かぶ。凄まじい衝撃に頭からフロントガラスに激突する。浮遊感が体を包む。後部座席でゲーム機から流れる子供の歌声が聞こえいる。鈍痛で消えゆく意識の中で娘は・・・妻は・・・名前を叫びたかった。最後の想いは叶うことなく車は谷底へ沈んでいった。


「おはよ。ねぇねぇ。昨日のあのテレビ見た。怖かったよね」

「見た、見た。ドライブの話が一番怖かったよね」

「あの女の子のゲームってディア・フレンズだよね」

「私、持ってる。ほら見て!見て!」

「私もぉ!」

「えーっ。美奈。ゲーム機もってきたの。先生に見つかると没収だよ」

「だってえ、後一人で百人あつまるの!夏希とお友達交換するの」

「ホントだ。いいなぁ。私まだ五十人位だよ。レア友が見つけられないよぉぉ」

「ディア・フレンズのお友達は九十九人までじゃなかった」

「ねぇ!早くお友達交換しよ」

「うん。いいよ」

「やったぁ!百人目ゲットぉ!」

「・・・ダママって子。本当にいるんだよ」

「うそぉ!」

「嘘でしょう」

「私、その話聞いたことある」

「私の友達の知り合いの子のディア・フレンズにダママが来たらしいの」

「ほんとかなぁ」

「で!どうしたの」

「それで!それで、どうなったの?」

「内緒だよ。誰にも言っちゃだめだよ。その子ねえ、神隠しにあっちゃって、行方不明なんだって」

「えぇー。怖いよー。嘘だよね?」

「ダママを呼ぶ呪文があるんだっけ」

「隠しコマンドだよ」

「どんな呪文・・じゃないコマンド?」

「百人目のお友達のアバターのメッセージを開いて、ペコン・ベボン・・・だったかな入力するらしいのだけど」

「止めなよ。何か起きたら怖いよ」

「パコン・ブボン・・・」

「えっ。誰、あなた誰?」

「この子知らない」

「見たこと無い子だわ」

「何年生、どこのクラス?」

「何時の間にいたの」

「パコン・ブボン・ダママ」

「何、この子変。何、言ってるの」

「あっ・・・それ、それ。ダママの呼び出しコマンドだよね・・・」

「やだぁ!気持ち悪い」

「あれぇ美奈がいない」

「先に行ったのかな?」

「さっきまで夏希の隣にいたよ」

「あの変な子もいなぁい」

「ねぇ・・・もしかしたら・・・」

「誰かが歌っていない。ほらどこからか歌が聞こえる」


 いつのことだか おもいだしてご~らん。

あんなこと こんなこと あったでしょう・・・。

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$ パコン\ブボン\ダママ @mifudon

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