トワ 02


 薔薇の花をありったけ。

 俺の想いをこめた、真紅の薔薇を。


 彼の家は商店街にある個人経営の小さな花屋だった。店先には色とりどりのかわいい花が並び、小さくまとめられた花束もきれいにリボンをかけられて売られていた。

 狭い店の中には冷蔵ケース。ひんやりとしたそのガラスの向こうで、薔薇の花が沢山、まるで私を見てと言わんばかりに咲き誇っていた。

 真紅の薔薇を、ありったけ。

 そう言ったら、彼が馬鹿なことを言うな、と怒り出した。

「一体、いくらすると思ってるんだよ」

「知ってる」

 そこにはプライスカードが刺さっていて、一本500円、と手書きで書かれていた。真紅の薔薇はプラスチックの筒状の容器に差し込まれている。その数はざっと30本はあった。

 財布の中には何とかそれを買い占めるだけのお金を用意してあった。

「馬鹿なこと、するな」

「馬鹿なことじゃない。君に分かってもらうために」

 俺の言葉に、彼はうっと言葉を詰まらせた。

 教室でのちょっとしたひと悶着のせいで、俺たちは多少気まずい思いをしながらもなんとかこうして言葉を交わす関係になった。始めは挨拶から。少しずつ会話を仕掛け、それに普通に答えてくれるようになるまで、約一ヶ月。俺は頑張った。

 そして、あの日思っていたことを、ついに彼に打ち明けた。

 ──視線で俺を撃ち抜き、君がつけた傷口から溢れる血液が、君を想う気持ちの分だけその姿を花びらに変えたんだ。

 俺はあのときの思いを、今もしっかり覚えている。

 俺の想いを薔薇の花びらに変えて、君にすべて受け取ってもらいたい。

 それを聞いた彼はたっぷり5分以上、フリーズしていた。

 君の家で薔薇を買う。君に渡すために。

 初めて、彼の家に来た。今まで、チャンスがなかったわけじゃない。けれど、彼は一切俺を家に誘ってくれなかったし、俺も彼に嫌われるのを恐れて無理に押しかけることはしなかった。

 一緒に下校することになったのは、何日目だっただろう。普通に話すことができるようになってから、さらに数日後。

 帰り道、俺はさりげなさを装って彼の家に行きたいことを告げた。花屋って、どんな感じ? なんて、わざとらしく聞きながら。

 彼はなぜか、真面目に答えた。

「花が好きな人間には、一番辛い場所」

 その答えがとても不思議だった。花が好きな人間なら、花屋はとてもいい場所なのではないだろうか。だって、好きなものに囲まれている。

 商店街を入って、その中心辺りに彼の家がある。この商店街をしょっちゅう通っているのに、初めてそれが彼の家だと知った。もちろん、彼に恋するまで意識をしたことすらないのだから、当たり前かもしれないが。

 母親らしき人が、店の奥から出てきて、彼を見つけ、おかえり、と言った。彼は小さくただいま、と返す。そのあと、その人の視線が俺に向いた。

「友達?」

 彼が少し戸惑うような顔を見せた。友達、と言っていいのか迷っているかのように。

 俺は名乗り、同じクラスだと説明して、挨拶をした。彼の母親は嬉しそうに俺を歓迎し、上がっていけば、と声をかけてくれる。彼がますます困ったように眉を寄せ、結局母親に押し切られたかのようにうなずいた。

 俺は彼の後をついていき、店の奥から住居スペースに入った。階段を上がり、二つ並んだドアの片方を開けた彼が、どうぞ、と律儀に俺を招いてくれた。

 想像通り、彼の部屋はとても片付いていて、大きな本棚には沢山の本が並んでいた。その本の量におお、と声を上げると、彼は少し照れたように視線をそらした。

 いつも教室で文庫本を読む彼の姿ばかりを見ていたから、きっと本を沢山持っているんだろうな、とは想っていた。でも、さすがに目の前にするとなかなかの数に驚いた。

「本、好きなんだな」

「……話、しなくていいし」

 よほど人と接するのが得意ではないらしい。

「俺とは話してくれるのに?」

「それはっ、お前が、しつこく……」

 ぱっと俺を見て勢いよく言い始めたが、後半は声が小さくなり、またうつむいてしまった。

「うん、ごめん、しつこかった」

「別に、謝らなくても──」

 その言葉に、俺は笑顔になってしまう。人と話すのが好きじゃなくても、俺と話すのは迷惑じゃない、ということだから。

 しばらく黙ったまま立ち尽くしていたが、彼がようやく座れば、と言った。俺はそれに従う。彼も俺からわずかに離れて座った。また、沈黙。それに耐えかねたのか、

「何か、飲み物、持ってくる」

 と言って立ち上がった。

「いいよ。いらない」

 俺はその手をつかんで引き止める。彼は渋々また腰を下ろした。

「なぁ」

 俺は、自分の部屋なのに落ち着かない様子の彼に言った。

「薔薇の花、売ってよ」

「だから、無駄だろ、そんなの」

「無駄じゃない。俺の──」

「それが、無駄なんだ」

 きっぱりと言い切られた。さすがに、俺も傷つく。俺の想いが無駄だと一刀両断。がっくりと肩を落とす。

「違っ、そうじゃなく、て」

 慌てたように彼がうなだれる俺の前に近付いてきた。

「違う、えっと──花びらなんて」

 俺はゆっくりと顔を上げた。目の前に、彼の少し赤くなった顔があった。

「かわいそうだろ。花びらをむしりとるなんて」

「かわい、そう?」

「だって、あんなにきれいに咲いてる、のに。──あいつら、だって、生きてるんだし」

 彼の顔がどんどん赤く染まっていく。

「花は、どんなにきれいでも、いつか枯れるんだ。でも、それまでは、頑張って生きてる。──花屋なんて、辛いだけだ。だって、売れ残った花は、みんな、捨てられる。あんなに、きれい、なのに。だから、咲いてるうちは、ちゃんと最後まで、咲かせてあげたいって──」

 彼はうつむいていて、ぐっと膝の上で握ったこぶしに力が入っていた。一生懸命話しているのが分かった。いつもならこんなに沢山喋ったりしない。

 さっき、俺が何気なく訊ねたことに対しての答え。

 ──花が好きな人間には、一番辛い場所。

 そうか、彼は、花が好きなんだ。だから、枯れていく花や、売れ残って行き場のない花たちを見るのが辛いのだ。

 そう思った瞬間、俺は自分の衝動を止めることができなかった。だから、目の前で小さく震えながら真っ赤になっている彼を、思い切り抱き締めた。

「え、あ、な」

 彼は突然のことに混乱したように、声をもらした。それから、慌てて俺の身体を押しやろうとする。けれど俺はその腕にこめた力を緩めはしなかった。彼が暴れても、放すつもりはなかった。

「ごめん」

 俺の言葉に、彼が俺の身体を押しやる手を止めた。

「花びらのこと」

「あ、う、うん」

 俺はほんの少しだけ腕の力を抜き、彼の顔を見た。眼鏡に隠れた彼の目はいつもどおりきつく、鋭かったが、そこには戸惑いと羞恥が見えた。

「嫌なら、やめる」

「そ、そう」

「でも、俺は君が好きだ」

「────!」

 彼の顔がさらに赤くなる。耳まで真っ赤になっていた。

「だから」

 俺は片手を彼の顔に移動させた。そして、眼鏡を外す。

「目が見たい」

「目、は」

 彼が顔をそむける。

「見せて」

「目は──いやだ」

「どうして」

「…………」

 こちらを向いてくれない彼の顔を、引き寄せるために後頭部に手を移動させた。それに気付いた彼が、首を振ってそれから逃れようとした。

「ねぇ」

 俺が呼びかけても、彼はこちらを向いてくれない。

 俺は小さく溜め息をついて、彼の肩に頭を当てた。こんなに嫌がられるとは思っていなかった。俺はただ、あの日俺を撃ち抜いたあの目を、もう一度見たかっただけだ。鋭いけれど、とてもきれいな、あの目を。

 俺は彼の身体をぎゅっと抱き締める。もう彼は逃げようとはしていなかった。

 しばらくそのままでいた。

 どのくらい経ってからか、彼が震える声で話しだした。

「──昔、から、俺、目つき悪くて……怖いとか、嫌だとか、言われ、て」

 俺は顔を上げる。彼はまだ横を向いたままだったが、赤くなった目元にはうっすらと涙が滲んでいた。

「だから、きっと、俺の目なんて見たら、嫌いに──」

 それは。

 またしても、突然の衝動。だって、そうだろう。彼の言葉は、俺が都合よく解釈してもおかしくない意味をはらんでいる。

 このまま強く抱き締めて、放したくない。そう思った。けれど俺はその衝動を押さえ込む。

「嫌いになんてならない。だって──」

 俺は片手を彼の頬に添えた。無理にではなく、こちらを向いて欲しかったから、そっと。

「だって、俺はその目に撃ち抜かれたんだから」

 その傷口から真紅の花びらを。

「だから、嫌いになるなんてことは、ありえない。永遠に」

 彼がゆっくりと俺を見た。そして口を開く。

「花びらなんて、いらない」

 彼の声が、俺に響く。

「お前の想いを形にしてくれなくていい。──あれだけ見つめられてたら、それだけで」

 彼に撃ち抜かれたあの日から、ずっと。俺は彼を見つめ続けていた。それこそ、彼がその視線に戸惑い、手にした本を一行も読み進めなくなるほどに。俺はその視線で彼を縛った。

「それだけで、充分伝わる」

 彼のその言葉に、俺はようやく、溢れる衝動を解放した。彼を力いっぱい抱き締める。初めは身体を硬くしていた彼が、おずおずとその手を俺の背中に回してきた。

 撃ち抜かれた胸の穴が見る見るうちにふさがった。けれど、そこから溢れ出ていたはずの花びらはまだ次々と生まれ、今も俺の胸からその姿をはらはらと散らす。

 きっと、いつまでも止まらない。

 この想いを、そしてこの感情を。

 俺は永遠に忘れることがないのだと思った。

 彼の目に見えなくてもいい。俺の想いはいつまでも溢れ続ける。

 けれど俺には見える。今、この部屋は俺の胸から溢れた花びらでいっぱいになり、きっとこのままでは俺たちはその花びらに埋もれて窒息してしまう。

 その前に、俺は彼を救う。

 満杯の花びらに埋もれて、俺は彼に口付ける。

 視界は赤。

 次々にこぼれ散る、真紅の花びら。

 ひらり、と散るそれに押しつぶされ、息苦しく、喘ぐ。

 俺は唇を離し、彼の目を見た。彼は俺を見返し、小さく微笑む。

 花の香りに包まれて、俺と彼は、息を吹き返した。

 甘い香りがどこから漂ってきているのか、花に囲まれたこの家では、ちっとも分からなかった。


 了

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トワ hiyu @bittersweet

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