第21話 千秋 くまの子と今日も本を作る。

 いつものように縁側で本屋さんを開いていると、てくてく歩いてこぐがやってきた。

 くまパーカーに赤い手提げ。いつものスタイルだ。くまパーカーはクリーニングから返却された所なのでさっぱりしている。

 

 こぐが初めてやってきたときは暑そうに思えたくまパーカーだと、今の時期だとちょうどよさそうに見える。それでふと千秋は時間の流れを感じた。


「赤ちゃんは元気?」

「……」

 こぐは無言でうなずいた。

 

 つい先日、生まれて約ひと月たった赤ちゃんを連れてコンビニオーナーのおじさんの奥さんが戻ってきたのだ。千秋の家の大人たちもお祝いをもって挨拶にいったばかりだ。

 なにこのベビーラッシュ……少子化どうしたのよ? と、ミサコおばさんはぼやいていたが、立て続けの出産祝いに財布にダメージをくらった以外は特に思うところはないらしく、ふにゃふにゃした赤ん坊をみて目を細めながら帰ってきた。

 

「赤ちゃんて可愛い?」

「……」

 やっぱり無言でうなずく。


 こぐのおじいちゃんとおばあちゃんは、生まれたばかりの小さないとこをこぐが慎重に可愛がるほほえましい様子に胸を撃ちぬかれたらしく、コンビニの常連を捕まえては嬉しそうに語り続けた。よって、十数年前に家出していったきりのマイちゃんが突然戻ってきたというニュースは地域の中では高速で過去のものにされる。高齢者の多いこの地域では赤ん坊の誕生より重大なトピックは無いのだろう。

  

 自分の帰還を必要以上に騒がれることを案じていたマイちゃんにとっては追い風になった赤ちゃんの誕生だが、同時に実家での同居はありえないと決断する出来事ともなった。


「あの兄貴とあの親との同居してる上に赤ちゃんの世話まで乗っかるんだから、お義姉ねえさんの負担を考えるとね~」

 というのが、この前ミサコおばさんに今後の計画の話し合いに来たマイちゃんの判断だ。

「あたしがお義姉ねえさんの立場なら、突然家出してきた小姑が子連れで帰ってきたとかストレスでゲロ吐くわ」


 コンビニオーナーのおじさん一族は生来にぎやかなのが好きな人たちだし、これからのこともあるんだから無駄な出費を控えるためにも家にいなさいと言い含めたようだが、マイちゃんの決意は固かった。

 店舗部分のリノベーションに取り掛かる前に、住居にあたる離れを先に整えることで話を進めているらしい。

 ということはすなわち、やっぱりこぐは近い将来千秋の近所から去ってしまうことが決まってしまった形になる。そのことに寂しさを覚えないでもないけれど、しかしその日は子供の感覚では当分先だった。

 それまではいつも通り遊ぶのがいい。


 

 マイちゃんに一緒にカフェをやろうと誘われた日の夜、ミサコおばさんはそれこそ動転して千秋の母さんやお祖母ちゃんにどうしようどうしようとうろたえて縋りついていた。

「何よあんた、告白された中学生みたいになってるけど」

 呆れたように母さんんはツッコんでいた。


「とりあえず共同経営は揉めやすいみたいだから、万一の時に備えて資産の配分をどうするとかなんとか、そういうことだけは前もって話し合っときなさいよね」

「え、そこ? それだけ? なんなの? お姉ちゃんいつもみたいに『あんたはまた夢みたいなこと言って!』とかそういうこと言わないの? あたし多分人生最大で夢みたいなこと言ってるんだよっ? 難癖つけないのっ?」

「……難癖つけてほしいならつけるけど?」

 私のことを一体なんだと思ってるんだという目で、母さんはミサコおばさんを見つめた。人の夢を頭ごなしに全否定するような人間だと思われていたことが若干不本意だったらしい。


「だってカフェだよ? 古民家改造したカフェだよっ? しかもブックカフェだよっ? そういうのヒロコ姉ちゃん一番バカにすんじゃん!」

「別にバカにはしてないけど?」

「いーや、あたしが学生の時にぼろくそに貶して笑ったよ」

「あんたそりゃ、田舎の文学少女上りが絵に描いたような文系の彼氏作った挙句そんなこと言い出したら、普通の人間なら恥ずかしくっていたたまれなくなるわよ」

 黒歴史をほじくり返されてミサコおばさんはぐっと黙る。悔しそうに「だから文学少女じゃないし」と言い返すのが精いっぱいだった模様。


 母さんは、マイちゃんがみなさんでどうぞといって手渡しした焼き菓子の入った缶を開けた。中に入っているのはさっきミサコおばさんの離れで食べたものと一緒だ。

「まあ、マイちゃんは喫茶店経営のノウハウがあるみたいだし、あんたより中身の詰まった人生を送ってきた分しっかりしてそうじゃない。イシクラさんよりその辺は安心よ」

 焼き菓子をつまんでポリポリかじった母さんは驚いたように目を丸くした。

「やだ、美味しいじゃない」

 美味しいといわれて、姉妹の会話には参加しない方針を貫いてゴルフの中継なんかを見ていた父さんも手を伸ばした。母さんの言葉に同意するようにうなずく。

「こういうお菓子とコーヒーが出てくる店が近所にあるの、いいと思うけれど?」

 マイちゃんこういう才能もあったのね~……と、母さんは感心したように呟いた。


 

 「突然の大きな幸せが舞い込んできた時、人はその幸せを前にして急に臆病になる。」

 と、千秋がミサコおばさんの本棚から抜き出してよんだ本の中にそんな一説があった。面白かった映画の原作小説だ。


 ミサコおばさんはまさしくそんな状態になってしまったらしく、マイちゃんへ返事をするのを数日先延ばしにしていた。


「マイちゃんがなんであたしなんかと一緒に店をしようと思ったのか全然わからない……」

 といつもの毒吐きぶりをどこかにやってうだうだ悩み、部屋に転がっていた。本当に学園の王子様に告白されたごくごく普通の女の子みたいな態度で数日過ごしていた。


 

一応マイちゃんなりにミサコおばさんを共同経営者に選んだ経営戦略上の理由はあるらしかった。


「ミサコちゃん、本屋さんで働いてたんだから本には詳しいでしょ? あたしカフェ経営についてはそれなりに自信あるけど、本についてはさっぱりだし。一応作家だったのに、笑えるよね~」


「ブックカフェやりたいってのにもそれなりにワケがあるんだよ。ほら、ここら辺ってうちらくらいの年齢の人が一息つけるようなとこがないじゃん。こう、一人になれる場所~みたいなところが。そういうのを作りたいんだよ。あんまりこう、だれもかれもウェルカムって作りにすると、うちの親とか兄貴とかみたいのも来ちゃうじゃん? 客をえり好みするような気取った店にはあんまりしたくないんだけど、井戸端会議の場所にはしたくないんだよね。冷たいことを言うけど」


「本がたくさんあるとそれだけでなんとなくデカイ声で騒ごうって気持ちが静まるじゃん。それもなんか小難しそうな本だったりすると特に。だからそういう、本についてのディレクション的な部分を頼みたいなって思ったの。今ミサコちゃんのこの部屋見せてもらって確信したし、気取りすぎてもなくて敷居も低すぎない、この部屋くらいの感じがちょうどいいの」


 マイちゃんは、フランクな言葉づかいでミサコおばさんが自身がこれから手掛けるビジネスのパートナーにぴったりだと説明しているだけなのだ。が、プロポーズに酷似した誘い文句にミサコおばさんは大いに混乱をきたし、恋煩いのような状態に陥ってしまったのだ。



「あれがマイの悪い癖なんだよ」

 その日から数日後の登校中、ミサコおばさんの様子がおかしいと千秋が伝えると、ふうっ! と息を吐いてからこぐは言った。

「普通に順序よく『こういう理由であなたと一緒にお店をやりたいんです』っていえばだれも何も混乱しないのに、なんの説明もなく『一緒にお店をやろう!』でしょ? 昔からああなの。だからみんなドギマギして振り回されるの。タチ悪いんだよ……」 

 

 マイちゃんのことになると口数が増えるこぐは怒ったような表情で呟く。それを聞きながら千秋は〝小悪魔″という言葉を思い浮かべた。いや、驚かせたり翻弄させて自分の思い通りにしてしまう魔女ってところだろうか。マイちゃんは人魚になって街に出て、小魔女になって帰ってきたのか。たくましいことだ。有名な童話のように海の泡になるよりはよかったのかもしれない。


「こぐは、ミサコちゃんとマイちゃんがお店やるとどうなると思う?」

「……」

 こぐは無言でしばらく斜め上あたりを見つめる。その時はくまパーカーはまだクリーニングから戻ってきていないので、眉間に軽くしわをよせるこぐの目元を見ることができた。

「マイ、運を引き寄せる変な力だけはあるからなんとかはなると思う」



 結局ミサコおばさんはうだうだしばらく悩んだ挙句、千秋の母さんの「あんた一生チェーンのカフェの店員で終わるか、失敗したって夢だったブックカフェやるか、どっちの人生を取るの?」という一言でやっとこさ決意したのだった。


「ふつつかものですが……」

 と、本当にプロポーズを受ける人のようなセリフでマイちゃんに返事をしたものだから電話の向こうで思いっきり爆笑されていた。



 そういう経緯があったため、ミサコおばさんとマイちゃんは時間を作っては店づくりのための行動を始めている。役場にいったり、書類の作成したり、お化け屋敷の空き家何度も訪れたり、業者さんと話をしたり……今までゴロゴロしていた期間のエネルギーを放出する勢いで駆け回りだす。まるで三年寝太郎のごとし。



 あわただしい大人たちの人生に並走する運命の千秋とこぐれは、とりあえず今は本を作る。そろそろニャー太シリーズの新刊を出さねばならい。千秋はそんな使命感に燃えていた。


 思えばこぐが初めて姿をみせてからのこのひと月、千秋書店の本が一気に増えた月でもあった。そろそろクッキー缶が満杯だ。


 こぐがやってくる少し前、ヒガンバナが咲いていたころには、うちは田舎なのに河童も座敷童もいないしタイムスリップもしそうじゃないしお話になりそうなことが何もないなんて、大人なら「虚無」と言い表しそうな思いににとらわれていたのが嘘みたいだ。


 そう考えるとおかしくなって、千秋はへへっと笑った。

「どうしたの?」

 こぐが不思議そうに尋ねた。千秋は色鉛筆でニャー太の絵を描きながら説明する。


「あのね、こぐが来る前にねおばさんと一緒にしゃべってたんだよ。うちは田舎なのに妖怪とかお話になりそうなものがなにもないなって。でもこぐが来てから色々お話みたいなことが起きたなって。なんだ、お話みたいなことって結構簡単におきるもんだなって、そんなことを考えてたらちょっと笑えたの」

「……」

 こぐも優しそうなくまさんが、森の中で動物たちにお菓子をふるまっている絵を描きながらつぶやく。


「前、みふゆさんにも言ったけど、ここ、なんにもなくないよ?」

「ん?」

「こんな本屋があるの、たぶんここだけ」


 

 コンビニオーナーのタカシおじさんの家にやってきた直後、慣れない家でおとなしくするのも気疲れし、見知らぬ場所を足の赴くままに探検していた。

 裏道、あぜ道、獣道……。子供時代の母親が通っていたかもしれない道を歩いているとうっかりどこかの庭先に迷い込んでしまい慌てて建物の陰に隠れる。


 縁側には母親と同い年ぐらいの女の人と自分と同い年くらいの女の子が、なんだか妙な会話をしていたのが聞こえてくる。ここは田舎なのに不思議なことはなにもおきないとかなんとか。


 迷い込んだおうちのことをタカシおじさんに話すと、けろっとあっさり「あー、ミサコんとこのちあちゃんだろ」と明かしたのだった。そのミサコという人が、母親がなにかと懐かしそうに話していた本屋さんごっこのみいちゃんであることは、おじさんのおしゃべりの内容から想像がつく。


 主張が強すぎてそれまで着る気にはならなかったくまの着ぐるみみたいなパーカーを、その時になって着てみた動機ははっきりしない。

 母親の昔話という物語の世界へ接近するには、相応の格好が必要だと本能が告げたのかもしれない。



「?」

「だから、なんにもない田舎じゃないよ。すくなくともあんたとあんたの本屋があるもん」


 キンモクセイの咲くころに千秋の家にやってきたこぐが何故くまパーカーを着ていたのか、その理由をこの段階の千秋はまだしらない。なので、こぐが言わんとすることがいまいち伝わらない。

 

 けれど「あんたとあんたの本屋がある」という一言は素直に嬉しくてはにかみながら、ありがとう、と言ったのだった。

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千秋の本屋と無口なくまの子。 ピクルズジンジャー @amenotou

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