Y氏と古典的怪奇

重弘茉莉

Y氏と古典的怪奇

 季節は秋。木々の紅葉が進んだこの山に分け入る男が一人。


 Y氏は山歩きが趣味であった。

 山歩きをしている間は、ヒステリックな妻や勤めている会社の上司から受けるパワハラを忘れられるからだ。


 Y氏は半日ほど山を歩いて回ると、綺麗な小川を見つけた。

「よし、ここら辺でキャンプにするか。」


 小川の近くの開けた場所を見つけると、Y氏は背負っていたリュックサックを下ろした。

 てきぱきとテントを組み立てると、夕飯の準備に掛かる。


 小川から水を汲み、ガスバーナーに火を点けて鍋を乗せる。

 鍋には小川から汲んだ水を並々といれ、鞄からレトルトカレーを取り出してそのまま鍋に入れる。

 飯ごうで炊いたご飯を皿に盛ると、湯煎で暖めたレトルトカレーを掛ける。


「おいしそうだ。」

 Y氏は綺麗な空気と雄大な自然を堪能しながら、夕飯を食べ終えた。

 夕食後に濃い紅茶を2杯ほどを楽しむと、テントに入って寝袋に包まる。


 夜も深くなった頃、Y氏はバシャバシャという水音で目を覚ました。

 動物でも来たか、とY氏は考えて音を立てないようにテントからそっと出る。


 どうやら水音は近くの小川からしているらしい。

 このような場所での野生動物の観察も楽しいものだ、と足音を忍ばせて音がする方へ近づく。


「ん...?」

 暗闇に目が慣れ、音を立てている者の姿が見えてくる。


 人が居た。それも髪が背まであり、体つきから裸の女のようであった。

 こんな山奥に自分以外に人が?女が1人で?こんな夜遅くに水浴び?

 Y氏はこれらのことを考えると、「あれは人ではないな。」と結論付けた。

 そして人ではない何かに遭遇し、恐怖しながらも彼は冷静であった。


 幸い、こちらはまだ気づかれておらず、その女は先ほどから変わらずに水浴びをし続けている。

 よし、とY氏は振り返り一歩を踏み出した。


 ポチャン


 間の悪いことに、Y氏は小石を蹴飛ばしてしまい、石が小川へと落ちてしまう。

 その瞬間、水音がピタリと止まり、川のせせらぎ以外聞こえなくなる。

 まずい、と直感的にY氏は思った。

 そしてゆっくりと振り返ると、女が居なくなっていた。


「へっ?」

 なんとも気の抜けた声を出して、そのままの体制で視線を前に戻す。



 女が立っていた。

 それもY氏と鼻を突き合わせる格好で。


「ひっ」

 そこで初めて女の顔が見えた。髪はぬらぬらと濡れて月明かりを返し、その間から覗かせた顔は恐ろしいものであった。目は飛び出して垂れ下がり、眼球がゆらゆらと揺れている。口からは異常なほど長い舌が垂れていた。


「オ...マエ..ミ...タナ」

 女は小声で何かをつぶやきながら、その細く青白い手でY氏の首を絞め始める。

 Y氏は首を絞められながらもがいた。「助...け...て、だ..れに..も言わ..い..から...」


「ダレ...カ...ニ...シャ...ベッタラ...」

 女は首を絞めながらも小声で喋り続ける。そしてY氏は段々と意識が遠くなっていく。


「...ヲ...ツ..レ...」

 Y氏は女の言葉を聞きながら、意識を失った。



 日が昇った頃、Y氏は小川のほとりで目を覚ました。

「夢じゃ...ないよな...?」そう思いながら川を覗くと、首に手の後が残っている。

 昨晩の恐怖が蘇り、急いで荷物をまとめると一目散に帰宅した。


 その後の1週間は、寝ても覚めてもあの女のことを思い出して恐怖していた。

 夢でうなされる毎日であったが、人間というのは不思議なもので、Y氏は段々と恐怖を忘れていった。



 恐怖の夜から2ヶ月ほどたったことである。いつものようにY氏の妻がヒステリーを起こし、それをY氏がなだめるといった日常が起きていた。しかし、いつもと違ったのがY氏が妻のヒステリーを抑えた後、話題として出したのがあの恐怖の晩の出来事であったという一点だけであった。

 最初は普通に聞き流していた妻であったが、話が女が出てくるところまで来ると話の調子に合わせて深くうなずき始めた。


「...ということがあってさ。」

 Y氏の話が終わっても妻は同じリズムでうなずき続ける。


「いや、落ちはこれで終わりなんだけど...」

 Y氏が声を掛けても妻はうなずきを止めない。それどころか、妻のうなずきは段々と酷くなっていく。もはやロックバンドが行うヘッドバンキングようだ。


「おいっ!」

 Y氏は妻の様子がおかしいことに大声を出す。


 妻は動きをピタリと止める。そして伏せていた顔を上げると、妻の顔があの女の顔になっていた。


「ひぃ」


 Y氏はあの晩の恐怖が蘇り、立ちすくんでしまう。


「ツ...レテ...ク...」

 女はそうつぶやくと、Y氏を無視して玄関から外に出て行った。

 その背を見送ると、Y氏は腰が抜けてしまい、妻を追いかけることができなかった。


 次の日、Y氏は妻が電車に飛び込んで自殺したことを知った。

 あの話をしたから連れて行かれたんだ...俺のせいで。とY氏は深く後悔をした。


 Y氏の妻の葬式が執り行われた。そこには当然、妻の両親も出席していた。

 葬式の時、Y氏は親族の前で妻の両親から激しく罵倒された。また、少ないながらも妻の生命保険が下りたことを知った妻の両親は、Y氏に娘を失った慰謝料として全額渡すように要求した。

 その瞬間、Y氏の中でなにかが壊れた。妻の両親に慰謝料の件を3人で相談したいとおびき寄せて、女の話を聞かせる。


 次の日、妻の両親が2人で首を吊っているのが見つかった。


 Y氏は次に、自身にパワハラをしてきた上司に大事な相談があると言って、女の話を聞かせた。


 その晩、その上司は近くのビルから飛び降りた。



「...そしてそこから、妻の生命保険のお金を使って投資をし、ここまでの地位を築けたのです。」

 Y氏はそう締めくくり、お昼の生放送のインタビューを終えた。

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