【解決編Ⅲ】彼が二流小説に動じない理由


 怪奇堂かいきどう うそぶきの新作発売から間を置かずして、世界は地獄絵図と化した。

 外は――血と、煙と、眩い光と、火柱。

 以前まで生活していた場所と同じとは、とても思えない。

 一体、何がどうなったのだろう。よりにもよって、こんな破滅願望垂れ流しの二流小説によって、みんな頭がおかしくなったとでも言うのか。

 にわかに信じがたい話だ。これがインタビューで怪奇堂が言っていた「言霊」の力だとするならば――


 大衆による破滅的な行動は、日に日に広がっていった。

 世界各地での暴動、狂乱を抑えることは誰にもできなかった――と言うより、誰も抑えようとすらしなかった。

 言葉に縛られているかのように、恐怖小説に書かれているおぞましい(けれども稚拙な)行動を繰り返すのだ。

 その元凶たる人気小説家は、遺作となった本作の「あとがき」にこう記している。


――皆さん。今こそ、再びバベルの塔を築き上げる時です。

――かつて、世界中の人類は全て同じ言語を喋っていました。そして、天まで届く塔をつくり、主である神に相まみえようとしたのです。

――しかし、主はそれを許しませんでした。自身の所有物である人風情が、自らの領域を犯し、自分を貶めることなどあってはならないと。

――罰として、言語、思想は数多にされ、我々は通じ合うことを禁じられました。それと同時に、塔を築くことも不可能となったのです。

――その後の人類の姿はどうでしょう。争いは止められず、平等など夢のまた夢。隣人を愛する力を失い、七つの罪が産まれ、この世界は、あらゆる負の感情の坩堝となったのです。

――今ならば。僕の呟きにより、人の心が一つとなった今ならば、世界を再生させることが出来るかもしれません。

――さあ、自分の意志を開放するのです。皆が仲睦まじく生きる理想郷へ……


 その結果が、このザマか。

 神とやらに挑戦した結果が――こうして再び『大洪水』を引き起こすことに相成ったわけだ。

 彼は一体何になりたかったのだろう。

 まあ、考慮しても仕方がない。ろくでもない前科を持った犯罪者が、自分の力とやらに気付き、勝手気ままに暴走し、結果として自滅したまでのことなのだ。

 

 本当、余計なことをしてくれたな。


 地獄絵図のなか、私は一人で毒づいていた。


・ 


 このはた迷惑な騒動が始まって、二週間後が経過した。

 各メディアが連日、必死に世界の終焉を報じていたが、終わりごろにはそれもピタリと止んでいた。

 私はずっと家の中に籠っていたが――非常食も尽き、いよいよ飢え死にすると分かると、命を捨てる覚悟で外へと出た。

 その時には既に、狂人達が通り過ぎた後だったのは、不幸中の幸いだった。


 外には――鳥のさえずりも、風のざわめきも、何もなかった。


 などという表現は、いささか気障キザすぎるか。

 実際は鳥も風もいたし、そんな世界は私にとってはいつも通りなのだから。

 しばし、食べ物を求めて街中をさまよっていると、背後から腕を取られた。

 振り返ってみると、そこには若い女性がいた。

 必死に口を開けて、何かを語ろうとしている。しかし、私には彼女の言っている言葉が分からなかった。

 そして反射的に――自分の言語で謝罪をしてしまった。

 対する彼女は、両手で親指と人差し指の輪を作り、それを2回チョンチョンと合わせた。


 その後、私は彼女と行動を共にした。

 話を聞く限り、彼女も怪奇堂の「呟き」が感じ取れず、周囲から不思議がられていたらしい。

 彼女の周りも皆、今回の騒動で狂ってしまい、自分だけが残されたため、同じ境遇の人物を探したところ、私を見かけたということだった。

 彼女の状況は、恐ろしいまでに私と酷似しており、巡り合わせの妙を感じずには居られなかった。


 どちらが先という事もなく、私は彼女と手を繋いだ。不安に思う心も、やはり一緒だったということか。

 いつ、復興が為されるのかも分からない。そもそも「言霊」による悪行がいつまで続くかも分からない。


 周りは相も変わらず、いつも通りの沈黙が広がるばかりだ――


 二流小説が重版される理由 ~完~

 

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