第13頁 What can I do?

 マリーナはとある部屋の扉の前を行ったり来たりしていた。メルベスの寝ている部屋の前だ。中からはフィオナとの話し声が聞こえ、メルベスは目を覚ましているのだと分かった。マリーナは何度かノックをしようと試みたが、思い切れずにウロウロと歩き回るに終わってしまうのだ。彼女は大きく息を吸い込み、頬を叩いて目を閉じる。

「……いいえ、マリーナ。やるべき事と思ったのなら、それはやるべき事なのよ。大丈夫。嫌いな食べ物を飲み込む瞬間と同じよ。やってしまえば、楽なものよ。」

 マリーナが覚悟を決めて、目の前の扉に拳を近づけたその時、突然扉が開いたかと思うと、穏やかな表情のフィオナが現れた。マリーナは驚いて、盗んだ飴を隠すように手を後ろに回した。

「どうかなさいましたか?」

 フィオナは別段怪しむ様子もなく尋ねた。本来、これは誤魔化すのにうってつけの幸運なのであるが、正直で不器用な女にとっては、焦燥に火をつける火種にしかならないのだ。

「えっ!?いや、その……。」

 マリーナはかなり長い間言葉を詰まらせていたのだが、フィオナは苛立ちも急かしもせず、ひたすら言葉が出るのを待っていた。この「時間」は、マリーナにとっては有り難いものとなった。

「──メルベス様と、お話出来ますか?」

 やっとの思いで吐き出した言葉だが、フィオナが目を泳がせるので、マリーナはまた不安に駆られてしまった。取り消そうかとも考えたのだが、その前にフィオナが笑顔を浮かべたので、その必要はなくなった。

「少しお待ちくださいませ。」

 フィオナはそう言うと、扉を叩いて再び入っていった。今度は声が漏れてこないので、ひっそりと話しているのだろう。マリーナはこの間、額の汗を拭った。


 しばらくして、フィオナが部屋から出てきた。笑ってはいなかったが、その表情には柔らかい光が宿っており、マリーナはすぐに交渉の結果を察する事が出来た。

「どうぞ。」

 フィオナはにこやかに笑うと、扉をふんわりと開けたまま去っていった。マリーナは軽く礼を言うと、恐る恐る扉に手を掛ける。


 メルベスはベッドの上にいたが、体を起こして窓の外をぼんやりと眺めていた。幾分か顔色も戻っていたが、その代わり目は真っ赤になっていた。メルベスはマリーナが入ってきても反応はせず、ただ動かずに黙っていた。マリーナは先程拭ったのが水の泡となる程に、新たな水を噴き出させていたが、気を強く持って口を開く。

「あの……、メルベス様。」

 この言葉で、ようやくメルベスはマリーナを見つめた。

「何だ?」

 相変わらず声音は冷たかったが、しかし、嫌悪から来るものでは無い事はすぐに分かった。これはマリーナを大変に安心させた。

「先程は、申し訳ございませんでした。」

 険しい表情で些か目を潤ませるマリーナに、メルベスは驚きはしなかった。ただ黙って、彼女を見つめていた。

「私が出過ぎた為に、お怪我まで……。」

 マリーナは泣きだしそうなのを堪えるあまり、言葉の出口を塞いでしまった。するとメルベスは、少し体勢を崩しながら新たに出口を作った。誰の為であったろうか──?

「力になれぬと遠ざけられた。それでもお前は向かったな。何故だ?」

 マリーナは彼を見る事もままならず、消え入りそうな声を絞り出した。

「私は、とあるお方に誓いました。必ず目的を果たし、そして、帰ってくると……!」

 メルベスは相槌も打たずに聞いている。

「結婚の引き延ばしを、あの方は受け入れてくれたのです。私には、勝手な事を申し出ただけの責任があります。ただ見ているだけでは、役に立てないのでは、意味が無いと……!」

 ぷっつりと切れたメルベスの腕が目に入り、マリーナの言葉は失われた。役に立てぬ所か、より悪い結果を招いてしまったのだという事実が、形として残っていたのだ。マリーナは自らの発していた言葉に、そして抱いていた意志に、自信を持てなくなっていた。

「役に立ちたかった……。そう言いたいのか?」

 メルベスの問いに返事をしようにも、マリーナは声を出せなかった。体が震え、寒気を覚えていた。胸の鼓動が鼓膜を揺さぶった。


「お前の言う“役に立つ”とはなんだ?」


 メルベスの更なる問いかけが、マリーナには不思議と響いて聞こえた。彼女は思わず顔を上げる。

「剣を持って立ち向かえば、役に立つのか?怪物を退治すれば、役に立つのか?仲間の制止を振り切れば、役に立つと言えるのか?」

 マリーナは何も言えなかった。絶望を感じたからでも、己の愚かさを知ったからでもない。ただ、目の前の男の言葉に、道を指し示す一筋の光を見たのだ。



「人というものには、必要とされる場面とされない場面が、どうしても付き纏う。誰にでもな。私にであっても、不要とされる時はあったし、これからもあるはずだ。」


「世界というものは上手く出来ている。その時必要な人材さえ揃えば、どんなに少人数でも成功するし、把握しきれない程大勢であっても、なんとかやっていける。だが、そこに1人でも不要な人間が割り込むと、築き上げたものは一気に崩れ去ってしまう。まさに今回がそういった状況だ。」



 メルベスは、一旦話すのをやめた。それはマリーナの様子を伺う為であったが、彼女は特に打ちひしがれてはいないようだったので、そのまま話を続けた。


「しかし、だ。世界は本当に何の役にも立てない人間を、いつまでもこの世に残してはおかないはずだ。お前が今を生きている。それだけで、お前がしんに不要な人間ではない事が証明出来ると、そうは思わないのか?」

 マリーナは自然と目を見開いていた。何か、熱く眩しいものが、体中を駆け巡る感覚に襲われた。心做しか、話し続けるメルベスの顔つきが和やかになっている気がしていた。

「私は国を統べるには不必要な人間だった。だが、父と2人で小指をちぎり、バルサートの頼りである事は紛れもなく、私が必要とされた事柄だ。“自分に何が出来るのか?”、それを見極めて初めて、選び貫けるものがあるのだろう。」

「私に何が出来るのか?」

 マリーナは考え込みながら、噛み締めるように呟いた。メルベスは身を屈めると、鋭く、しかし柔らかくマリーナの目を覗き込んだ。

「それは貴様にしか分かるまい。ただ、長い目ではなく、時には刹那の選択をしても、私は構わないと思っている。所詮、貴様は貴様でしかないのだ。何者にも変わり得まい。」

 マリーナは答えは出せなかったものの、心に蔓延っていた何かがスッといなくなったような気がして、落ち着いていられた。

「ありがとうございました、メルベス様。」

 これこそが、そんな彼女の嘘偽りない、心からの感謝であった。メルベスは冷めた目つきで視線を逸らすと、再び窓の方を向く。いつの間にやら、太陽は山に身を預けようとしていた。その景色をぼんやり眺めていると、メルベスがいつまでそこにいるのか、と聞いたので、マリーナは慌てて出て行った。



 食卓に、シーラとオーシャルが揃って着いていた。マリーナは2人に声を掛けると、シーラが、フィオナが外で誰かと話をしている事と、デメルザが見つからない事を伝えた。数分後、フィオナは慌ただしい様子で戻ってくると、アトメティアを後にする事について話し出した。

「実は、少し穏やかではなくなってきまして、北のツァルター王国へ辿り着くには、少し時間が掛かりそうです。今から説明する事をよく聞いてください。」

 フィオナは地図を取り出すと、3人に行く道を教え始めた。




 デメルザ・ドゥリップは、丘の上へ行く階段に座り込んで、黄昏に染まるアトメティアを眺めていた。その目には、どこか恐怖の色が滲み出ているようだった。

「さて、行かなきゃかな。」

 デメルザは立ち上がると、コートの裾を翻して、階段を上って行った。

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Dark Clouds 詠村 ハミア @Idel

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