結末 現代の魔法使いの喪失

 ひとりの老人が死んだ。

 概ね世間はそう考えている。

 だが、と曜十郎の日誌を眺めながら、理解は及ばないものの翔一郎は光景を想像してみる。

 生薬を竹炭に混ぜ湿布として泥土で固めてみたり、針を打って電気を流す、という程度なら、まだ効果を理解せぬまでも民間療法の範囲だが、カエルのあと足の爪やコウモリの皮膜の毛、処女の経血、童貞の初精などをも人間の医療の材料として大まじめに研究していたとなると正気や常識を疑うべきなのだが、遠藤曜十郎という人物の実績に照らしてみれば、どこでどのようにつながるか余人には全く見当もつかないが、或いはあの祖父ならば。

 そう思うのが身内に身贔屓だったとしても、それはそれでと翔一郎は思う。

 遠藤曜十郎は本来医師を目指していなかった。

 彼は尋常小学校で刷り込まれるように教えられた公民教育の中の天孫降臨の真実にこそ興味があったらしい。

 神がヒトと交わるためにはヒトの肉体が必要であるはずで、では神とヒトとの差はいつどのように生じたものだったのか。ということが曜十郎の最初の衝動だったらしい。

 多くの子供を学校にあげられる程度にそこそこに裕福だった曜十郎の父は自分の子供に日記の習慣をつけ、曜十郎もそのまま習慣として受け継いだ。

 翔一郎も習慣として日記をつけている。子供の頃はできるだけたくさん書くことが出来事の証明すなわち様々な事件に巡り会えたことの証明で、それこそが価値ある時間を送ったことの証明のように感じられたわけだが、父が亡くなり絶筆し、長男裕一郎が生まれて再び日記をつけるようになって思ったことは、古い日記はたとえ飛び飛びだったとしてもそれなりに読む価値がある、ということだった。

 父緋一郎が亡くなったあとに翔一郎は父の残した日記を焼却処分しようとした。

 最後は狂人と大差ないようになった緋一郎が何を書き記していたかしらないが、望んで見るものでも見せられるようなものでもない、そう思っての事だった。

 曜十郎に殴られた。思いのほか腰の入った拳によろめいた翔一郎に驚いたのは、むしろ曜十郎の方だったらしい。

 意外ではあったが、曜十郎は翔一郎の癖を小突くことはあっても、衝動で殴ることはなかった。

 曜十郎が隠居する少し前に齧りつくように何かを読んでいた記憶がある。何か機嫌が悪かった曜十郎が、しばらくして晴れやかな様子だったのを思い出すと、なんとなく父の日記を読んでいたのではないかと思い至った。

 とは言え、日記なぞ他人が読むことは考えに入れられているものでもなく、或いは目に触れた時のためか、略号や記号が多すぎて、曜十郎が何をやっていたのかどうしたのかの具体的なところは、結局ほとんど翔一郎には理解できなかった。

 恐らくは参照資料を示すだろう記号がいくつも並び、日記を読み解くには別資料が必要らしいということまでわかったところで、翔一郎は一段落つけることにした。

 學習院という訪問客が示し語ったことは決して大仰ということもないらしい。

 手に余る。

 口にしたことはないが、口にもできないが、翔一郎にはひとつの記憶がある。

 いくつの時の記憶か曖昧であるのだが、翔一郎の母、梅が自殺未遂をした時の事だった。

 血まみれで倒れ伏した母の首は千切れていたように思う。

 梅が海外で死んだ時からある時までしばしば悪夢にうなされたものだったが、ことによると曜十郎の日誌或いは作業記録にその記述があるかもしれない、そう思いつき、探しかけ、やめた。

 恥ずかしいし、バカバカしい。

 そういう風に思うことにして、蓋をする。

 いずれここの物品を精査してなにかの成果を得るのは自分の役割ではない。

 少なくとも、社会的地位と家族の安寧を投げ打つ価値はない。

 翔一郎は祖父の遺品について改めてそう思った。

 何もなければ自分も祖父の死をただの世間によくある老人の死、としてみなしていただろう。

 そうあれ、と翔一郎は願っていた。

 だが、或いは現代の魔法使いの喪失に自分は遺族として立ち会ったのかもしれない。

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ある老人の死 或いは現代の魔法使いの喪失 小稲荷一照 @kynlkztr

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