第十二夜 無事蛙
○~○~○
関東地方のとある県、その最北端に「七ツ闇」という町がある。
その中心部の丘の上、そこにはかつて神社があった。
だがその神社、時代とともに忘れ去られてしまった。
そしてすっかり廃れて、今は町で唯一の診療所へと変わっていた。
神社を改良したその診療所、その名を「七ツ闇クリニック」という。
だがその診療所には近所の子供以外は誰も寄り付かない。
そのクリニックには昔からある噂が絶えなかったからだ。
その噂いわく「あの診療所には物の怪がでる」というのである……
○~○~○
前編「山吹の章」
🌸
「先生お邪魔しまーす!」
今日もまたクロコがやってきた。いつも妙な格好ばかりしてくるが、今日はシンプルな黄緑色のレインコートだ……と思ったらフードに耳のような大きな目がついていた。
「今日はまた変わった格好ですね……」
クロコはフードの奥で、ニッコリと嬉しそうに笑った。
「カエルのレインコート見つけたんです。可愛いでしょ?」
そう言って、お揃いの黄緑色の傘をくるりと廻した。雨の雫がピシャッと白衣にかかったが……まぁ気にしない。
「先生、今日も患者さん来てないんですか?」
「まぁ今日はあいにくの雨ですからね」
クロコはジトッとした目で疑わしそうに私を見つめてきた。ハイ、ウソですよ。雨が降ってなくても患者は来ませんよ。と愚痴りたくもなるがここは我慢だ。
「何度も言いますが、患者さんがいないことはいいことなんです。七つ闇町の皆さんが元気に暮らしている証拠ですからね」
クロコは返事をするのも面倒そうに大きくため息をついた。
🌸
「それより先生、今月もたくさん請求書、来てますよ」
クロコはドサッと郵便物の束を机に広げた。どんなに節約してみても、請求書が減らないのはなぜだろう? 各種税金と社会保険、水道光熱費、それだけでもドサッとあるのだ……ドサッと。
「分かってます、今月もピンチなのも分かってます」
「まぁ毎月のことですけどね」
なんて嫌味を言いつつも、クロコはさっさと請求書を開封し、どういうルールか知らないがさっさと分別し、いつもの黒手帳にさらさらと記入していった。
「ホントいつも助かります」
うん。その姿を見ているだけで私はなんだか安心してしまう。たぶん今月も何とかなるだろう。彼女は優秀な会計係なのだ。
と、そんな私の心を見透かしたのだろうか?
「先生、油断は禁物ですよ!」
厳しい一言が飛んできて、私は背筋をただした。
🌸
「ところで先生、そろそろ対策を立てた方がいいと思うんです」
記入を終えた手帳をポケットにしまいながら、クロコはそんなことを言い出した。ちなみにレインコートはずっと着たままだ。たぶん気に入っているのだろう。
「対策、ですか?」
「はい。対策です」
なんだろう? 話の筋がさっぱり見えてこない。また病人を増やす物騒な作戦でも思いついたのだろうか? でもちょっと雰囲気が違う。なんだか今日のクロコは自信たっぷりな雰囲気がある。
「なにかいいアイデアでも?」
私がそっと聞いてみると、クロコは勢いよく胸を張った。
「フッフッフッ、山吹先生。よくぞ聞いてくれました。分かったんです。足りなかったのは宣伝です! 情報発信です!」
「意味が分かりませんが……」
クロコは待ってましたとばかりに、レインコートの中から大きなカバンを引っ張り出した。勢いよくカバンの蓋を開くと、書類の大きさの紙の束を取り出し、デンと机の上に乗せた。
「なんです、コレ?」
「フフフ、診療所のポスターを作ってきました! まぁ見てください」
そう言って、クロコは一番上の一枚を渡してくれた。
🌸
どれ……そのチラシ。
まずタイトルはこう。
【病気になったら七つ闇クリニックへGO!】
うん、なんとも元気のあるタイトルだ。特にGO! がなんだか勢いのある字体になっていて、なんだか楽しいことが待っていそうな雰囲気がある。
その下に続くキャッチコピーは……
【優しい先生がいつでもあなたのお越しをお待ちしております】
お、いいじゃないか!
優しい先生と言うのが、またいい感じだ! これなら病気じゃなくても、このクリニックに行ってみようか、という気になるかもしれない。
その下には、ニッコリと笑うたぶん私の似顔絵(少女漫画風に目が大きく、その大きな目の中にキラキラとした星がいっぱい書いてある)、が爽やかに笑顔を浮かべている。
その口元から漫画のような吹き出しが膨らんで、こう書いてある。
【スタンプに応じて、お得な特典が盛りだくさん!】
ん?
ここにはさすがに引っかかる。
お得な特典?
🌸
「クロコ君、この特典というのはなんですか?」
待ってましたとばかりにクロコはカバンからもう一つの紙の束を取り出した。こちらはカードサイズだ。
「ジャーン! スタンプカードです。スタンプに応じてクーポンやプレゼントがゲットできる仕組みなんです!」
さらにレインコートの胸元からカードを引っ張り出した。それは厚紙にマス目を書いたシンプルな作りだが、ちゃんと紐を通してあり、首から提げられるようになっていた。
「スタンプカード……これは商店街やスーパーのアレですね?」
「そうです! あのスタンプカードです!」
私はそれを見つめる。
これは……確かになかった発想かもしれない……しかし、病院でこれはアリだろうか?
ちょっと不安にもなる。
だがこれこそが攻めの経営というものかもしれない……
🌸
「どうです? 山吹先生。これなら毎日通院したくなるはずですよ」
「そんなもんですかねぇ?」
とはいえ、私はまだ半信半疑だ。だが秘かに期待している自分もいる。
これが当たれば毎日行列が出来るかもしれない。
「そんなもんです! 女の子もおばさんもこういうのには弱いんです! だから、かわいいハンコも作ってきましたよ!」
クロコはそう言ってハンコを取り出した。たぶん手作りの木彫りのスタンプ。
一生懸命は伝わるんだけど、なんか不安もある。
「ねぇねぇ先生、さっそく押してみてくださいよ!」
そう言ってクロコが自分のスタンプカードを差し出す。
私は机の引き出しから事務用のスタンプ台を取り出し、ポンとインクをつける。
スタンプを待つクロコがなんとも嬉しそうな顔をしている。
「こんな感じでいいですか?」
『ポン』
記念すべき一つ目のスタンプを押してみた。
特に練習もしていなかったが綺麗に押せた。
さすが私というべきか。
ちなみにかわいい『狐』のイラストのスタンプだった。
「どうです、山吹先生? なんかいいでしょ?」
「ふむ。なんだか……その、楽しいですね。いい作戦な気がしてきました」
うん。本当にそんな気がしてきた。
この作戦うまくいくかもしれない!
🌸
「でしょう? さらに、このポスターを町中に貼るんです!」
「町中に! いいですね。善は急げ。ひょっとしたら、明日には患者さんが行列を作るかもしれませんね!」
「そうですよ! 明日は町中で大騒ぎです!」
うん。久しぶりに希望の光が見えてきた!
「ということで、そろそろガキどもの来る時間ですから、あたし帰りますねっ!」
そう言って、クロコは一枚の小さな紙をさりげなく机に乗せた。
「なんです、コレ?」
「もちろん請求書ですよ。紙代と絵の具代、手間賃は請求してないんだから、感謝してくださいよ」
「手間賃、ってこれまさか全部手書きなんですか?」
「もちろんです! 色も塗って、大変だったんですからね」
クロコはニッコリ笑って立ち去ってしまった。
「クロコ君……ありがとう、本当にありがとう!」
🌸
が、そんな感動の余韻に浸る間もなく……
「センセー、遊びに来たよっ!」
やってきたのは近所のガキどもだ。坊主頭で元気だけが取り柄のマサヒコは今日もランドセルをぶん回している。
「……こんにちは」
そのマサヒコの影にいるのは妹のアキナちゃんだ。
「先生、お邪魔します」
礼儀正しいのはトシオ君。彼は服装もきちんとしているし、なかなか聡明な感じの子供だ。
「先生、お腹空いたぁ」
最後の一人はチエミちゃん。活発な女の子で、少々ガサツな所はあるものの、料亭のお嬢様なのだ。
このいつもの四人、クロコと同様、用もないのに毎日毎日病院にやってくる。どうもここを集会場かなにかと勘違いしている節があるのだが、私は黙って受け入れている。
🌸
「やぁ皆さん。今日もおやつを用意してありますよ」
私はいつものように彼らにイスをすすめ、戸棚からお菓子をセレクトする。今日のおやつは……
『ベイブスターラーメン』
定番中の定番にして進化を続けている駄菓子だ。まぁ味や大きさなどいろいろとセレクトする余地はあるのだが、今回は定番サイズの醤油味をピックアップした。
ちなみに五個の個包装になっており、自分用に一つ切り取り、残りをまとめてチエミに渡す。こうすればケンカしないだろうし。
「あ、オレコレ大好き!」とマサヒコ。
「ボクはコレ初めて食べます」とトシオ君。
まぁ、彼はセレブだから知らないのも無理はない。
「えー、トシオ君食べたことないの?」
とチエミがトシオの横にサッと座る。彼女はトシオ君に気があるらしく、ちょっとした話題でも積極的に絡んでいくのだ。
「ええ。見たことはあるんですが……お湯をいれるんですか?」
「このまま食べるのよ。けっこう美味しいんだから!」
私は自分の分をポリポリとかじりながら、彼らの話に静かに耳を傾ける。
🌸
「あれぇ! 先生、このポスター何?」
と、マサヒコが目ざとく机に乗せていたポスターを見つけた。
「それはこの病院のポスターです。クロコ君が作ってくれましてね」
「えっ? 師匠が!」
ちなみにガキどもはクロコのことを師匠と呼んでいた。彼女が妖怪のことに詳しく、いろいろと教えてもらえるからだ。
「はい。なかなか上手でしょう?」
「ちょっと先生のこと美化しすぎみたいだけど。頭、ボーズじゃないし」
容赦ない言葉はチエミだ。
「オレなら先生の代わりに妖怪の絵を描くけどなぁ、そうしたらもっといっぱい人が来ると思うんだよなぁ」
マサヒコは大まじめにそんなこと言っている。そんなもの描いたらますます人が離れるだろうに。それどころか下手をすれば妖怪の客が増えるかもしれない。
まぁマサヒコの話は聞かなかったことにする。
「山吹先生、このポスター、どこに貼るんですか?」
そう言ったのはトシオ君。
「今、考えているところです。とりあえず目立つところに貼りたいんですがね」
ガキどもに相談してもしょうがないのだが、トシオ君だけは別だ。彼のクールな思考だけは信用できるから。
「それなら町内会館の掲示板がいいですよ。あそこの掲示板は大きいし、町の人たちも結構見てますから」
🌸
「え? そうなんですか?」
私はつい聞き返した。うん、やはりトシオ君は有能だ。
「ええ。ボクの家はメガネを売ってるんですけど、セールやイベントの時はあそこにチラシを貼っているんです。けっこうお年寄りの方たちがそれを見て来てくれてますよ」
おお! それはいいことを聞いた。しかもお年寄りが見るというのがズバリだ。何と言ってもここは漁師町、若者たちは馬鹿みたいに健康だから病院に用がないのだ。お年寄りなら格好の……おっとっと。私はカモという言葉を飲み込む。
「では、まずはそこに貼ることにしましょう」
「なぁなぁ町内会館ってアレのあるところだろ? それならさ、オレたちも今から行ってみようぜ! あの噂も確かめたいしさ」
そう言ったのはマサヒコ。なんだか妙に盛り上がっている。
「そうだよね! 噂になってるし!」
「うん、そうしようよ! 先生も一緒なら大丈夫だよ」
ガキどもの方でもなんだか話がまとまったようだ。なぜか私もその中に含まれているようだった。
本当はまだ営業中ではあったのだが……まぁ少し位ならいいだろう。
🌸
ということで十分後……
【 七つ闇町内会館 】
雨にも関わらず、ガキどもをぞろぞろと連れて、私は町内会館にたどり着いた。
🌸
ちなみにこの町内会館では町の人たちのための健康診断なんかを行っており、ここに来るのは初めてではない。
「そういえば、今まで気にも留めなかったですが……」
その掲示板は一畳ほどの巨大なものだ。今貼ってある案内は、迷い猫探しと、迷い犬探し、あとは中央にデンと伊万里骨董店のポスターがあるくらいだった。
(さすが伊万里君ですね……)
だがこの掲示板、ガラスケースはついていないので、どのポスターもしっかりと濡れてシワシワになっていた。だがまぁ、仕方ない。
「ではさっそく……」
私は迷い猫探しと、迷い犬探しと、伊万里骨董店のポスターを外してササッとスミにずらした。代わりに持ってきたクリニックのポスターを真ん中に持ってきて、四隅を画鋲でとめた。簡単に取れないようにグッと押し込んでとめた。
「よし! これでいいでしょう」
ニッコリと笑って振り返ると、ガキどものちょっと冷たい視線が刺さったが、気にしない。
ビジネスはいつだって弱肉強食なのだ!
🌸
「では、帰るとしましょう」
「その前にもう一つやることがあんの!」
とマサヒコ。そしてガキどもは会館の裏手に行ってしまった。
会館の裏手は小さな庭のようなスペースだ。低い柵で囲まれており、柵の向こうには砂浜があって、そのまま海につながっている。ガキどもはその片隅に集まって何やら騒いでいた。
「やっぱり本当だったね」
チエミがなんだか興奮した様子で話している。。
「ええ、ホントに子ガエルがなくなってますね」
そう言ったのはトシオ君。そしてスマートフォンを取り出し、なにやらパシャッと撮影した。
「いったい何の話です?」
覗き込んでみると、彼らが取り囲んで見ていたのは『カエルの石像』だった。
御影石を掘って作られた、かなり年季の入った石像。一抱えほどの大きさがあり、海の方に向けて設置されていた。
🌸
ちなみにこの七つ闇町にはカエルの石像があちこちにある。
そのどれもが海を向いて設置されている。
石像の名前は『
健康診断にも来ていたタカオ船長などは、遭難しかけた時にカエルの鳴き声に助けられた、なんて話をしていたことがあった。
たぶんそのタカオ船長が供えたモノだろうが、今も石像の前にはコップ酒とお団子が供えられていた。
「これはブジカエルですね、それがどうかしたのですか?」
それに答えたのはトシオ君だった。
「このカエルの石像だけは背中に小さなカエルが乗ってたんです。その子ガエルがいなくなってる、って学校で噂になってたんです」
「それで確かめに来たの! ホントにいないよね」
とはチエミちゃん。
「誰かが持って行ったんじゃないですか? それか気のせいか」
「それが、その子ガエルは別の石像じゃなくて、親ガエルと一緒に彫ってあったらしいんです。だから削り出さなきゃならないはずなんですけど、断面を見る限り、そういうワケでもなさそうです」
トシオ君はそう言ってまたパシャっと撮影した。
🌸
「あの、話がよく分からないんですが……」
「先生、つまりは妖怪ってことさ……」
渋い声で答えてくれたのはマサヒコ。それから胸ポケットに指を入れ、ダテ眼鏡を取り出してスッとかけた。それだけでなにかガラリと雰囲気が変わる。そしてカエルの石像に歩み寄り、その背中にそっと手を当て目を閉じた。
「イキナリどうしたんです? マサヒコ君?」
「シー……先生、静かにしてっ……」
私の裾を引っ張り、そう言ったのは意外にもアキナちゃんだった。アキナちゃんは真剣な様子で兄・マサヒコを見つめている。
「うん。かすかだけど……なんか妖気を感じる……」
マサヒコは眼鏡の奥でそっと薄眼を開き、なにやら耳を澄ませた。
いや、何かの気配を感じ取ろうとしているかのようだ……
なにか私まで緊張してきた。
🌸
「ねぇ、なんか感じるの? この石像から……」
チエミちゃんも緊張感たっぷりにマサヒコに声をかけた。
マサヒコはちょっと白目になって、重々しくゆっくりとうなずいた。
「やっぱりこの石像も妖怪なのかな?」
トシオ君までも期待のまなざしをマサヒコに向けている。
するとマサヒコは少し困ったような、でも優しげで素敵な笑顔を浮かべた。
「物言わぬモノノ怪の声を聞き、ヒトにそれを伝える……それがボクの役目……でも今は聞こえない……なぜなら、彼らはとても小さな声だから……」
マサヒコは決めゼリフのようにそう言って、石像から手を放した。
これは……完全に自分に酔っているようだった。
🌸
が、酔わされたのは周りのガキどもも同じだった。
「マサヒコ君……かっこいい!」とチエミちゃん。
「お兄ちゃんかっこいい!」とアキナちゃんまで。
そして私はため息をつく。子供は雰囲気にのまれやすいからね。やっぱり見えたつもりになっているだけだろう。だって妖怪たちときたら、無口な奴はほとんどいないし、大抵は声だって大きいんだから。
「でもいったい子ガエルはどこに行ったんでしょう?」
トシオ君がそう言うと、マサヒコはまっすぐ海を指さした。
「たぶん海じゃないかな……妖気の流れっていうのかな、なんか、そんな気がするんだよね」
これ以上付き合っているとロクなことがなさそうだった。
「はいはい。妖怪なんていませんよ。それより戻りましょう。風邪をひいてしまいますよ」
私はポンと手を叩き、彼らを引き連れてとりあえず診療所に戻ることにした。
後編「クロコの章」
▼
山吹先生がコンビニの袋をぶらさげ、傘をさして戻ってきた。
どうやらさっそくあのポスターを張ってきたらしい!
うん。これなら患者さんが増えるかも!
特に山吹先生の似顔絵……かっこよく描けるまで何回も書き直したから!
「ということでまた来ました! 先生おつかれさまっ!」
「おや、クロコ君。先ほどさっそくポスターを張って来たんですよ」
「へへ。実はあたしもあちこち貼ってきました」
そう。先生たちが出かけている間、私もあちこちの掲示板や電信柱にポスターをいっぱい貼り付けてきたのだ。その数全部で50枚以上、全部手書きするのは大変だったけど、これで病院にお金が入ってくるようになるなら安いものだ。
それになにより先生が喜んでくれたし!
「それで、ささやかながらクロコ君にお礼をと思いましてね」
先生はコンビニの袋を持ち上げた。
「クロコ君の好きなお揚げ二枚入りのカップうどんと、さらに豪華お稲荷さん付きですよ」
お稲荷さん!
うう。やっぱり山吹先生は優しい!
「ということで晩御飯にしましょうか」
「はい! 明日から大忙しですからね!」
▼
はぁ……今日はお揚げを堪能した。先生はうどんのお揚げを一枚あたしにくれた。つゆの染み込んだあの熱々のお揚げのおいしさときたら! そしてあのお稲荷さん。コンビニおそるべし。あの甘さ加減がまた絶妙だった……
それから先生がお茶を淹れてくれた。それを二人で飲みながら、明日の計画についてちょっと話をした。
「あまり行列が長くなると、お年寄りにはつらいかもしれませんね」
と先生。考え事をするときは、顎を指先でつまむ癖があるのだ。その姿がなんとも頼もしい!
「ですね、先生。予備の椅子を用意しておいた方がいいかもしれません」
あたしは『予備のイス』とメモ帳にササッと書き込んだ。なんかこういう話はすっごく楽しい! 先生と一緒に病院がどんどん良くなる感じがするから。
「そういえばスタンプカードは足りるでしょうか?」
「まずは50枚用意したんですけど、足りなかったらすぐに追加できますっ!」
もちろんカードも全部手書きだ。いろんな色を使って、定規できっちりとマス目を引いた自信作だ。
「さすがですね、クロコ君。とりあえずそれだけあれば、準備は十分でしょう」
そう言う先生もすごく乗り気だ。
「そうそう、スタンプの押し方、もう少し練習した方がいいですかね?」
「そうですね、患者さんたちも、綺麗に押してあった方が嬉しいと思いますよ!」
「そうですね。そういう事なら練習した方がいいかもしれません」
「コレ、一枚練習用に使ってください」
それから先生はちょっと袖をまくってスタンプの練習を始める。
「あ、ちょっと曲がりましたね」とか「少しかすれましたね」なんていいながら二人で練習を続けた。
▼
その練習をしばらくしているうちに、すっかり陽が暮れてしまった。
「先生、そろそろ帰りますね」
「おや、もうそんな時間ですか。そうですね、明日は忙しくなりますからね。外はまだ雨ですかね?」
「ええ、まだ降っているみたいです」
あたしはカエルのレインコートに袖を通し、傘をとりだした。診療所の扉を開けると、やっぱり雨がシトシトと降っていた。
と……玄関のすぐ横に大きなカエルの石像があった。
一抱えもある大きな石像だ。
「あの……先生?」
「なんです、クロコ君?」
「こんなところにカエルの石像なんてありましたっけ?」
思わずそう聞いてしまった。こんなところにあるわけないのに、あまりにも当たり前のようにそこにあったから。
「カエルの石像ですか?」
先生も玄関まで出てきた。そして照明スイッチをぱちりと入れた。
「これ……なんだか『無事蛙』の石像みたいですね……」
先生がそう言ったとたん、石像の輪郭がぐにゃりと揺れた。硬い石がヌメヌメとした柔らかい質感にかわり、石の灰色は鮮やかな緑色にかわり、大きな目がパチリとまばたきした。
そしてあたしは思わず悲鳴を上げた!
実は……あたしカエルが大の苦手だったから!
▼
「まぁまぁ、驚かせてしまってごめんなさいねぇ、ゲコリ」
とそのカエルがしゃべった。かなりおっとりした喋り方で、声の感じも優しい。がやっぱりカエル。それに変な語尾も気になる……。
「ひょっとして、あなたは町内会館にいたあのカエルですか?」
「ゲコリ(たぶんハイと置き換えれば良さそう)。実は掲示板のポスターを見てやってきましたのよ、ゲコリ」
そういって巨大カエルはペコリと頭を下げた。
「あの山吹先生、知り合いなんですか?」
「いえ、そういうワケでもないんですが、今日の昼に町内会館で見かけましてね。付喪神様でしたか」
先生は平然としたものだ。どうやらカエルは苦手じゃないらしい。
「それで、どうかしましたか?」
「実は先生にご相談がありましてね、ゲコリ。そうそう自己紹介がまだでしたわね、あたくし『無事蛙』と申します、ゲコリ」
「ええ、存じてます。この町の守り神様ですからね。よかったら中に入りませんか?外は雨ですし」
無事蛙は吸盤のついた指を広げ、イエイエと手を振った。
「あたくしカエルですので、雨の中の方がいいんですのよ、ゲコリ」
なんだか妙なことになってきた……それはともかくとしてあたしと先生は玄関にしゃがみ、この無事蛙の話を聞くことになった。
▼
「あれはおとといの晩のことです、ゲコリ。夜になりましてあたくし、タクの息子と海岸に行っておりましたの」
おととい、と言えば……直撃は避けたけれど、台風が近づいていて、雨と風と雷がひどかった日だ。
「たしか暴風雨だった日ですね」
「ええ、そうです、ゲコリ。あたくしたち、そういう日は海岸に行って、大きな声で鳴くことにしていますの、ゲコリ」
「なんでまた、わざわざそんな日に?」
あたしはそう聞かずにいられなかった。だって海岸にいるのは危ないもの。どう考えたって。
「それがあたくしの仕事だからですわ、ゲコリ。そう言う日は船が遭難しやすいんですの、ゲコリ。だからあたくしたちの声を頼りに、無事に港に戻ってきてもらうためですわ、ゲコリ」
初めて知る事実! このカエルたちは人間の役に立っているのだ! まぁその声が本当に届いているのかはギモンだけど。と思ったら、先生はポンと拳を手のひらに打ち付けた。
「そうでしたか……タカオ船長の話は本当だったんですねぇ」
先生はしみじみとそう言った。
▼
「船長の話ってなんですか?」
もちろんあたしは聞いたことがなかった。
「タカオ船長という老人の話です。彼はずいぶんと昔に、カエルに助けられたことがあるという話をしていたんです。なんでも嵐の夜に、方向が分からなくなって船が遭難しかけた時、カエルの声を聞いたそうなんです。その声を頼りに、なんとか港に戻って来れたと話していたんですよ」
ちなみにタカオ船長というのは、六十代のやたらとマッチョなおじいさんだ。話したことはないけど、見たことはある。笑い方も話し方も豪快な、町ではちょっとした有名人なのだ。
「たぶんその方ですわ、ゲコリ。もう何十年とあたくしたちに毎日お供えをしてくれてるんですのよ、ゲコリ」
「それはともかく、息子さん、波にさらわれたとか?」
先生は慌てたようにそう言った。が、無事蛙はまた指を大きく広げて、イエイエと手の平を横に振った。
「そうじゃないんですのよ、ゲコリ。あたくしたち、基本、石ですからそうそう雨風には負けませんのよ、ゲコリ。そうではなくて、鳴き終わって帰る道の途中で、息子の姿が消えたんですよ、ゲコリ」
「あの、それは……どういう意味でしょう?」
と先生。すると無事蛙は大きくため息をついた。
「あたくしの息子、ひどい方向音痴なんですの、ゲコリ」
ああぁ……なんかいい話だったのに急に残念なオチが付いた気分だった。
「方向音痴……ですか」
「方向音痴……です、ゲコリ」
なんとも重苦しく、いたたまれない雰囲気だった。
あたしとしては、声を大にしてこう言いたかった。
「あんた無事蛙でしょ! 本人帰れてないじゃん!」
▼
まぁそれはさておき……
「つまり迷子探しを手伝えばいいんですよね?」
と山吹先生。たぶんこの無事蛙がタカオさんの恩人だと分かってうれしいのだろう。まぁそうでなくても、困っていれば人間だって妖怪だって助けてあげる、先生はそういう人なのだ。
「こんなこと、お願いしてすみません、ゲコリ。ただ言葉が通じる人がなかなかいないもので……」
「そんなこと気にしなくて大丈夫ですよ。私が探してきますから、あなたは自分の場所に戻って待っていてください」
「なんとお礼を言ったらいいか……ゲコリ」
「じゃあ、ちょっと捜しに出かけてきますね」
先生はそう言ってちょっと部屋に戻り、黄色の雨合羽を着こんできた。もちろんあたしもカエルのレインコートを羽織った。
「先生、あたしも一緒に行きます!」
「分かりました。よろしくお願いします」
こうして先生と二人、雨の中を『無事蛙』の捜索に出発した。
▼
あたしたちはとりあえず、町内会館まで歩いて行った。外はすっかり陽が暮れて、夜になっている。町内会館も無人だから、あたりは真っ暗だ。
「この裏手に無事蛙は、その置いてあるというか、まぁ住んでいるんですよ」
裏庭に回ると、低い柵の向こう側から短い砂浜が伸びて、そのまま海につながっている。特に障害物もないし、距離も近い。この短いコースのどこで迷子になるというのだろう?
「そう言えば、昼間、マサヒコ君が海に向かって妖気を感じる、なんて冗談言ってましたね」
先生は海の方を指さしながらそう言った。海は真っ黒い墨を流したような色、月明かりもないので砂浜も真っ黒にしか見えない。
「ま、やっぱり見えませんよね」
どれ。ここはあたしの出番!
あたしは目に妖気を集中させた。こうすると妖気の流れを追うことが出来るのだ。問題はちょっと目が赤く光っちゃうことなんだけど、今日は傘を差しているから先生に見つからないで済みそうだ。
さて……しばらく目を凝らすと、足元から海へ向かって、緑色に光る線がぼんやりと見えてきた。太い線と細い線の二本。それはカッコをつなげたみたいに、ぴょんぴょんと海へと伸びている。それから太い方の一本はまっすぐ足元まで戻ってきている。これは母ガエルの妖気の流れだろう。
(もう一本の方は、と)
それは確かに途中まで一緒に戻ってきていた。が、途中でスルスルと横にずれて……なんと隣の家の庭に入っていった!
(なんで?)
▼
が、その行く先をわざわざ告げるまでもなかった。
というのも隣の家からかすかに鳴き声が聞こえてきたからだった。
「どうやら隣の家にいるらしいですね」
「でもずいぶんと声が小さいですね。弱っているのかも」
「とにかく行ってみましょう」
あたしと先生はすぐ隣の家に向かった。こちらは平屋の小さい家だったが、ちゃんと庭もあるし、エンガワもあった。
表札には『高尾』と書いてある。どうやら先生の話していたタカオ船長の家らしい。だが今は留守のようだった。
「あのー、こんばんはぁ」
先生がそっと声をかけた。やっぱりいない。先生がチラッとあたしを見たので無言でうなずいた。侵入しましょう、という意味だろう。
それでそっと敷地の扉を開けて、声のする裏庭の方に歩いて行った。
裏庭には網やガラスの浮きなどが放置してあった。
「ケロ……」
小さな声がした方へゆっくりと歩いていくと、網に絡まった小さな蛙の姿があった……。
「多分、アレですよね」
とあたし。先生は無言でうなずいた。近くで見てみると、そのカエルは網でがんじがらめになっており、仰向けでぐったりと伸びていた。ちょうど口のあたりにも紐が絡まっている。
「あの、もし見えるなら……助けてケロ」
語尾は母親のゲコリと違ってちょっとかわいい感じだったが、やっぱり苦手なことにかわりはなかった。
▼
それからあたしと先生で子ガエルに絡みついた紐をほどいた。たぶんタカオさんの大事な道具なので、切らないようにほどいていくのはなかなか大変だった。しかも子ガエルはそうとうジタバタしたみたいで、こんがらがり方もハンパじゃなかった。
「ありがとう、ケロ」
「いや、いいんですよ、それより大変でしたね」
先生はそう言いながら、まだ絡んでいる網をグッと引っ張った。子ガエルはまた変な格好によじれた。
「いてて……最初は口にも絡まって声も出なかった、ケロ」
「でも干からびてなくてよかったですよ」
「……怖いこと言わないでケロ」
そんな話をしながらなんとか子ガエルを網から解放した。
「ホント助かりましたケロ」
子ガエルはペコリと頭を下げた。子ガエルとは言っても実際は猫くらいの大きさがある。解放されてみると、あのヌメヌメとした感じがやっぱり苦手だった。ということで、あとは先生に任せることにした。
「先生、あたし先にいって母ガエルさんに伝えてきますね!」
▼
町内会館の裏では、母ガエルがおろおろと息子の帰りを待っていた。
「あの……タクの息子は?」
「安心して。ちゃんと見つけたから。隣のタカオさんの庭でね、網に絡まって動けなくなってたの」
あたしは母カエルにそう伝えた。
「まぁまぁそうでしたか! ゲコリ。このたびのこと、なんとお礼を言っていいか、ゲコリ」
「いいわよ、別に。迷子探しじゃ、報酬ってわけにもいかないからね……」
まぁ今回は残念ながらタダ働きだ。
なんて思っていたら、意外にも母ガエルから意外な申し出を受けた。
▼
「ふふふ、ゲコリ」
優しい含み笑いの後のゲコリ……かえって不気味に聞こえたが、大事なのはそのあとだ!
「……実はちゃんと考えてあるんですのよ、ゲコリ。クロコさん『ガマの油』ってご存知?」
「もちろん!」
もちろん知っている。あらゆる傷や病気を治す万能薬、それもかなり貴重なものと言われている。そう言われてあたしも初めて気づいた。
なんだ、いいもの持ってたじゃない!
「ガマの油ってわたくしたちカエル妖怪の汗のことなの、ゲコリ。でもね、これがちょっと特殊で、汗を流すには道具がいるのよ、ゲコリ」
「それ、聞いたことある! たしか鏡を使うのよね、カエルに鏡を向けると汗が出てくるって」
「そう! でもね、ただの鏡じゃダメなんですのよ、ゲコリ。ちゃんと妖怪が写る鏡じゃないとだめなの、ゲコリ。だから、もしそんな鏡を手に入れたらその時はアナタにガマの油を……」
フフフ……あたしは微笑む。
それからもう一度、フフフ!
「あたし、それ持ってるっ!」
あたしはポシェットから、先日手に入れた『雲隠れ』を封印した手鏡を取り出した。
▼
しばらくして先生が子ガエルを脇に抱えて町内会館に戻ってきた。
「ふぅ、やっぱり重いですね」
先生はそう言って母ガエルの背中に子ガエルを乗せた。子ガエルはもぞもぞと動いてピッタリの位置に納まった。
「ありがとう、ケロ」
「山吹先生、本当にどうもありがとうございました、ゲコリ」
二人でペコリと頭を下げた。
「いえいえ。こちらこそいつもありがとうございます。あなたたちはその鳴き声で七つ闇の町の人たちを助けてくれていたんでしょう?」
「ボクは雨が降るとなんだか嬉しくなって謳っているだけだケロ」
子ガエルは母ガエルと同じく指をピンと開き、イエイエと手を横に振った。ちなみに母ガエルも同じくイエイエしている。
「そんなお礼を言われるほどのことじゃありません」
「そんなことありません。あなたたちに助けられて感謝している人がいましてね。この町内会館の隣に住んでいるタカオ船長もその一人です」
「いつもお供え物をくれるお爺さんですね、ゲコリ。感謝しているのはむしろわたしたちのほうです」
その言葉を聞いて先生は柔らかく微笑んだ。
「……私はね、そういうことがなんだか嬉しいんですよ」
母カエルと子カエルはじっとその大きな目で先生を見つめている。
濡れてるのは雨のせいか涙のせいか。
しばらく瞬きもせずにじっと見つめていたのだが、二匹はやがてゆっくりと石に戻っていった。
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「なんとなく、一件落着しましたね」
とあたし。
「ハイ。子ガエルも見つかったことだし、帰るとしますか」
「そうですね!」
あたしたちは診療所への道を並んで歩きだした。雨はまだシトシトと降っている。なぜか頭の中でカエルの唄がずっと流れていた。先生と二人並んで歩く夜道。たまに傘どうしがぶつかったけれど、そんな距離も楽しい雨の帰り道……
になる、はずだったんだけど。
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「おぉー、先生こんばんは!」
町内会館を出たところで呼び止められた。
カットしたジーパンにポロシャツ、傘もささずに麦わら帽子をかぶっている、やたらと体つきのいいおじいさんがそこにいた。
「こんばんは、タカオ船長」
先生が傘と一緒にペコリと頭を下げた。
あたしも同じようにペコリと頭を下げた。
「先生、今日は美人さん連れてデートかい?」
美人さん! もうそれだけであたしはタカオさんのことが大好きになる。でもそれでなくてもタカオさん、大きな声で、皺だらけの笑顔で、すごくいい人みたいだった!
「初めましてタカオさん、クロコです」
「クロコちゃん、初めまして。みんなにはタカオ船長って呼ばれてるんだ。ところで先生、今日は会館に用事かい?」
「まぁ、お参りですね。ここの無事蛙に」
「そうかぁ、ありがとうねぇ。ここの神様にはみんな助けてもらってるからね」
「はい。大事にしていきたいものですね」
「まぁねぇ、子供たちは妖怪だって騒いでるけどもね」
そう言ってワッハッハッとまた豪快に笑った。
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「それはそうと、先生……あちこちにポスター貼ってましたな?」
「ええ、まぁ。皆さんに親しんでいただこうと思いましてね」
「そうかぁ、それ逆効果かもしれんねぇ。子供たちが騒いどったよ、モノノ怪クリニックがどうとかこうとか」
「あの、どういう意味でしょう?」
タカオ船長は答える代わりに、指先でちょっと指し示した。
くるりと右に首を向けるとそこには大きな掲示板がある。
「ひぃ……」
思わず声が漏れた。
あたしの書いたイラスト、その絵の具が雨で溶けだしていた。そしてかっこよく描けていた先生の顔が、すっかりホラー漫画のような顔に代わっていた。
「あの、先生、ごめんなさい」
思わず謝った。だってこれではまるきり逆効果。まるでお化け屋敷のポスターみたいだったから。それでなくてもモノノ怪クリニックなんて呼ばれているのに。
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「ね、すっかり怖いことになってるでしょう?」
タカオ船長もそう言ったが、山吹先生は何とも思っていないようだった。
それどころかニッコリと楽しそうに答えた。
「いいんですよ、これで。話題になればこっちのもの。怖いもの見たさに来る患者さんもいるかもしれませんしね!」
「アッハッハッ、先生もたくましいのう。まさに『カエルの面に水』じゃなぁ」
あっ!
まさかタカオ船長にオチを持って行かれるとは……
おわり
モノノ怪クリニック 第弐集 関川 二尋 @runner_garden
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