初めて部下と恋バナしました。

 本社勤務になった大神おおかみは平日は東京、週末だけ地元に戻ってくると言う生活を送っていた。

 内勤扱いになった大神はシフト制では無く暦通り休みなのだが、美容師で大神の恋人である博愛ひろいは月曜休みで、しかも月曜が祝日の場合は繰り越して火曜が休みになる為、永遠に休みが合う事はない。

 そんな生活を始めて二年が経とうとしていた。

 金曜の晩に帰って来て、土曜の朝。

 起きたらもう博愛は仕事に出ていて、いつもの様にテーブルの上に書置きしてある。

 

 行ってきます。

 今日の晩飯は利明としあきの好きな物食いたい。


 博愛の美容室の二階にある彼の部屋に帰って来る様になってからも自宅アパートはそのままにしてあるが、もうほぼ出入りする事が無くて、アパート丸ごとクローゼットの様な物だった。


「買い物、行こ……。つーか、腰だりぃ……」


 三十路になった大神は週末にだけする濃厚なセックスに、三十五歳の博愛の体力はどうなってんだ、と苦笑する。会える時間が限られてるとは言え、あんな風に激しく抱かれたんじゃこっちの身が持たない。

 ふら付きながらも洗面を済ませて着替える。

 西日本を管轄して毎日忙殺されていた頃は自炊する暇も無くて、休みの日は生きた屍同然だった。

 美容院に行くのは仕事柄どうしても譲れなかったのだけれど、着替えるのも面倒臭くて部屋着のまま近所に通っていた。

 それが博愛の経営している美容室だったのだ。

 ただ、好きだと気付いてからも突然お洒落して行くのも恥ずかしく、何よりダサい格好で通う自分のオーダーを真剣に聞いて、施術してくれる博愛に惹かれた。

 キャリアだけで伸し上がった大神にとって仕事は戦場にも等しく、少しでも気を抜けば蹴り落とされるのではないかと言う焦燥を振り払う様に走り続けた十年だった。

 格好つけてないそのままの自分を見ても引かない、ちゃんと聞いてくれる、沖野博愛おきのひろいと言う男がいつの間にか好きになっていた。


「俺の食いたいもの……何作ろうかな……」


 週休二日で休みが取れる様になってからは流石に部屋着で外に出る事は無くなったが、コンタクトを入れるのはめんどくてメガネのまま近所のスーパーにでも行こうと部屋を出る。


 そう言えばそろそろ新作が店頭に並ぶ頃か、と思い立って駅方面まで足を延ばした大神は、前からチェックしていた店のショーウィンドウの前で立ち止まっている後姿に見覚えがあった。


眠兎みんと? 何してる?」

「っ!! 大神てんちょ……じゃなかった、部長!!」

「別に店長でも良いよ。部長とか、オッサンみたいだろ」

「で、でも、経営戦略部の部長ですから……つか、メガネかっけぇ……」

「ふはっ、何それ。お前、今日休みなの?」

「あ、はい。シフトがどうしても回らないから土曜だけど休めって深夜しんやさんが……あ、えっと勝木かつき店長が!」

「言い直さなくて良いよ」


 慌てて口に片手を宛がう芹沢眠兎せりざわみんとは部下である勝木深夜かつきしんやの恋人で、やっと今年の春大学を卒業して正社員になった。

 あの誰にも入れ込まない勝木から芹沢を好きかも知れないと相談された時は、地球が引っ繰り返るかと心配になったが、本気だとのたまうので話は聞いた。

 挙句、男同士のやり方を教えろだの何だのと、散々な目に遭わされた。


「上手く行ってるんだな、勝木と」

「あ、えっ……と……はぃ」

「お前今から暇なら昼飯、食わねぇ? 用事あるなら別に無理しなくて良いけど」

「い、行きますっ! やった、大神店長と飯とか久しぶりで嬉しいっす!」

「待て、その前にちょっと連絡入れる」

「はい?」


 大神はスマホを取り出し勝木の店の番号をタップした。


『お電話ありがとうございます――――』

「俺だ、勝木」

『部長? 何ですか? 今日休みでしょう、あんた』

「今、芹沢と一緒なんだが、ちょっと昼飯一緒するぞ。後からウダウダ言われたら堪らんからな。一応報告だ」

『……何であいつと一緒なんです? 変な気起こしたらあんたでも容赦しませんよ』

「そう言う事言うと思ったから態々電話してやったんだろうが。じゃあな」

 

 ったく、ネコ同士で何が起こるって言うのか。

 電話を切った大神に芹沢は赤面したまま「すいません」と謝った。


 近くのカレー専門店に入ってからも相変わらず仕事の話ばかりの芹沢に、いっぱしの販売員になったなぁ、と大神は感慨深いものがあった。

 

「眠兎は、さっきの店良く行くの?」

「あ、いや……あそこのボディいつもセンス良いから、時々見に行ってます。深夜さんもあの店はロケーション良く無い割に客足が途絶えないから、スタッフが相当良いんだと思うって言ってました」

「流石、。良く見てるね」

「うっ……すいません……。店ではちゃんと店長って呼んでるんですけど……」

「良いよ、別に。あの勝木がまさか男にハマるとは想定外だったけど」

「お、俺は大神店長が……意外でした……」

「ははっ、そりゃそうだな。自分の上司がゲイだなんて、そりゃビックリするよな」

「でも、大神店長の彼氏……沖野さん? でしたっけ? 優しそうな人ですよね」

「うん、優しいよ。大人だし、俺には勿体ない位良い男だと思う」

「大神店長は俺にとって憧れの人だったから、沖野さんが彼氏って分かって、すげぇ納得したって言うか……」

「俺はお前等の事聞いて、最初すげぇ不安だったけどな」

「え……」

「勝木は女と付き合ってても仕事一筋で、釣った魚こそ放置するみたいな所あったから。けど……杞憂だったみたいだな」

「そうなんですか? 深夜さん、結構ウザい位優しいですけど……」

「あっは! ウザいって! あの勝木がねぇ……」

「あ、今のは内緒にして下さい! 怒られちゃう……。でも、ちょっとコンビニ行くだけだって言ってんのに、ついて来ちゃったり……どんなに残業してもちゃんと一日一回は電話くれたりするんです」


 それは魂消たまげるね……。

 大神はその一言が口の端から零れるのをグッと堪えた。

 あの勝木が、一日一回電話するだけでも奇跡に近いし、コンビニに着いて行くなんてあり得ない。

 あの男、何がどうしたらそうなったのかと、付き合いの長い大神だからこそ面食らった。


「愛されてるねぇ、眠兎」

「あ、や、これは惚気とかそう言うんじゃ無くて……参ったな……」

「良いんじゃねぇの? あの男にも弱みが出来たって事で」

「弱み、ですか? 何か深夜さんは、殿様? 王様? あ、俺様? みたいな人ですけど……」

「俺様の割には、お妃様にベタ惚れだよな」

「でも深夜さんは元々ストレートだから……いつか、俺じゃ無い人を選ぶ日が来るかもしれない。だから、そん時は俺から身を引こうって決めてるんです」

「お前、それ勝木に言うなよ。殺されるぞ」


 と言うか、芹沢からそんな事言われたらあの勝木でも泣くかもしれん。


「分からなくはない、けどな。自分の方が好き過ぎていつか終わるんじゃないかって思うその気持ちは……」

「大神店長もそんな事思う事あるんすか……?」


 大神の恋人、沖野博愛には過去に十二年一緒に暮らした恋人がいる。

 美形で頭も良い小説家。そんな元恋人が大神を不安にしない訳はない。

 時間じゃないと頭で分かっていても、十二年と言う長さは大神にとって気持ちの重さに比例している様に感じられるのだ。

 自分を忘れる事はあっても、博愛が元恋人の事を忘れる事はないのではないかと思う。


「あるよ。いっつも不安だけど、もう手放すって選択は俺には無いから」

「かっけぇ……」


 お互いビジュアルも体型も保てる訳じゃない。

 ついこの前、博愛が眠っている間にカラーが抜けたのか白髪を見付けてしまった。

 どんなに若く見えていても、お互いどんどん歳を取って行く。

 それでも傍を離れるなんて事は、出来ない相談だ。


 さんざめく光や、身体を焼かれる様な熱だけでは手に入らない。

 不変的な愛――。

 なんて難しい事は分からないけれど、過去に勝つには今を生きるしかない。


「あ、今日ハンバーグでも作ろうかな」

「え、大神店長作ったりするんすか」

「今、勉強中? ハンバーグは結構上手く出来る様になったんだよ」

「俺も料理とかした方が良いのかなぁ」

「一緒に作ってみるか?」

「良いんすか? 俺、全然出来ないですよ?」

「何なら、勝木も呼んで四人で晩飯でも良いし。よし、買い物行くぞ」


 毎日を少しづつ積み上げて、恋をする。

 小さな当たり前で、少しづつ穿って行く。

 愛しい人の心を――。

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深夜の裏側 篁 あれん @Allen-Takamura

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