名演技

神田 るふ

名演技

 今から四年前、大学時代の恩師を囲んで久しぶりに当時のゼミ生たちと飲む機会があった。今から紹介する話はその宴会の場で聞いた話である。

「この前体験した、とっておきの話、したるわ」

 そう言って、関西出身のK君はとある“幽霊ホテル”の話をし始めた。


 私の地元はかつて新婚旅行ブームで湧いたことがある地方都市である。

 ブームに乗ってたくさんのホテルが開業したが、ブームの波が去るとそれらのホテルはあっという間に廃墟と化した。

 海岸沿いに立ち並ぶ朽ち果てたホテル群は不気味という他無く、その内の幾つかが“幽霊ホテル”として今でも噂になることがある。

 K君が仲間と肝試しに行ったのも、そのうちの一つだった。

 ちょうど今の時期、八月の下旬。

 K君は友人たちと一緒に幽霊ホテルと名高い、とあるホテルに肝試しに向かった。

 人数はK君を含め三人。全員男性。

 これだけ頭数を揃えれば其処を溜まり場にしているかもしれない暴走族にも後れを取らないと考えたらしい。 

 当日。

 車で向かったK君たちは近くのコンビニで駐車スペースを拝借し、其処から徒歩で例のホテルに移動した。時間は夜の十時ごろだったという。

ホテルに着くと、入り口に数人の男性がたむろっていた。

 さては暴走族か、それとも地元のヤンキーかと身構えたK君たちだったが、男性たちの身なりが極めて普通だったのを確認して警戒を解いた。

「あ。ひょっとして、そちらも肝試しに来たんですか?」

 先に集まっていた集団の一人が、親しげに声をかけてきたのでK君たちも「ええまあ」と笑顔で頭を下げた。

「僕たちもちょうど今来たところなんです。どうですか?一緒に回ってみませんか?」

 男性の問いかけにK君たちは一も二も無く飛びついた。

 実は、K君たち、実際のホテルを前にしてかなりビビッていたらしい。

 同行を申し出た若い男性のグループは三人、K君たちのグループと合わせて肝試しのメンバーは六人となった。

 ホテルへの進入口は度重なる雨風によって割れてしまった入り口正面左手のガラス窓を利用した。ガラスの破片に気を付けながら九人全員がホテルに入り、いよいよ肝試しが始まった。一階からスタートし、廊下を一巡して回ったら、非常階段を使って上の階に登って行き、最上階の八階を一巡したところでゴールというコースで全員が了解した。

 先着していたグループの一人が懐中電灯を手にして先頭に立った。その後ろにK君のグループが三人、続いて先着グループの残りの二人が並び、一列になって進んでいった。

 一階、二階、三階……。廊下を歩きながら各部屋の前を通り抜けて、上の階に上がっていく。

 二十分ほどで、屋上の八階に到着した。

 結局、何も出なかった。

 何事も起きなかったことに安心し、階下に降り始めたK君たちだったが、七階に降りた時、懐中電灯を持って先頭を進んでいた男性が何かに気づいた。

「あれ?開いてる?」

 懐中電灯の光が照らした先の一室のドアが開いていた。

 先程廊下を一巡した時には開いていなかったはずだ。

 思わずK君たちは顔を見合わせた。

行ってはいけないと誰もが悟っていたが、懐中電灯を手にした男性が部屋の方に行ってしまったので仕方なく後を追うしかなかった。

何時の間にか二番目に位置していたK君が、先頭の男性と一緒に恐る恐る部屋に入る。

 ドアの突き当りには窓が、入り口右手にはバスルームと思しき扉があった。

 そのまま入り口を抜けてベッドルームに入った時。


 二つ並んだベッドの間に、白いワンピースを着た女が立っていた。


 あははははははは。ははははははははははははは。


 K君たちが悲鳴を上げるよりも前に、女がゲラゲラと笑いだした。

 ぼさぼさの長い髪の間から、狂気に満ちた女の顔がのぞいてる。

 その女の足元に、何か白いものがもぞもぞと動いているのにK君は気が付いた。

 赤ん坊だった。

 一歳くらいの赤子が、K君たちめがけて、まっしぐらに這い進んでくる。

 K君はじめ肝試しグループの全員が絶叫を上げて我先にと部屋から抜け出し、ホテルから一目散に逃げ出した。

 ホテルから脱出したK君は逃げ去りながらホテルを振り返り、あの七階の部屋を目で追った。怖かったが、無意識に目が其処に行ってしまったという。だが、女の姿は確認できなかった。

 ほっとしたK君が視線を七階から玄関入口に降ろした。

 白くて小さい何かが、ずるずると入口に向かって這ってきていた。

 女の足元にいた、あの赤子だった。

「あかん!追って来とるで!このままだとあかん!」

 K君の大絶叫を聞いた他のメンバーたちがさらにスピードを上げ脱兎の如く逃げ出した。

 K君たち三人はコンビニに止めてあった車に転がり込み、K君の家まで猛ダッシュで逃げ去った。

 先着グループのことを考える暇はなかった。


「どうや。俺を含め皆があの霊を見てる。本物の霊に違いないで」

 K君は自慢げにそう語ってビールを飲み干した。

 私は、まあそういう話もあるかな、ぐらいの感想を抱きながら冷酒を舐めていた。


 それから現在に至る。

 今回の「カクヨム」の企画を見た時、私はこの話を思い出した。

 そこで、事実確認と執筆の許可を得ようと久しぶりにK君に電話を入れた。

 K君自慢の怪談なので、さぞ喜ぶかと思っていたのだが、どうも様子がおかしい。

「あの話、なあ。別に出してもかまわんけど……。実はあの後な……」

 K君は電話口で“あの話”の続きを語り始めた。


 昨年の十一月ごろ。

 K君は職場の同僚たちと酒を飲みに行った。他のメンバーは一次会で帰ってしまったのだが、まだ飲み足りなかったK君は一人二次会に行くことを決め、とある居酒屋にふらりと足を運びいれた。

 暖簾をくぐってカウンターに腰を下ろそうとしたK君が、奥のテーブル席にいる一行に気が付いた。

 忘れもしない。

 あの“幽霊ホテル”で一緒に肝試しをした先着グループの男性たちだった。

 元々、話好きで気さくな性格のK君である。「やあやあ、どうもどうも」とテーブル席に挨拶をしに行った。向こうのグループも覚えていたらしく、「ああ、あの時はどうも」と笑顔を返された。

「よかったら、一緒にどうですか」

 肝試しの時と同じように誘われたK君は、その時と同様、一行に加わった。

 テーブルにはあの時の三人と、もう一人別の男性、それから綺麗な顔立ちの女性が一人座っていた。

 席に着いてとりあえずビールを頼んで乾杯したK君は早速あの夜の出来事を話し始めた。

「いやあ、ほんま怖かったですよねえ。幽霊ってガチでおるんですねえ」

 熱心に当時のことを話していたK君だったが、テーブルのメンバーの様子が何やらおかしいことに気が付いた。皆、何故か含み笑いをしている。

 きょとんとしたK君に、あの夜、K君たちを誘った男性が申し訳なさそうな顔で頭を下げた。

「すいません。あれ、全部僕たちのお芝居だったんです」

「はあああああああああ!?」

 脱力しながら大声を上げたK君を見て、一同がすまなさそうな顔をしながら爆笑した。

 K君たちに声をかけた男性はTさんといい、当時、県内の某大学の演劇部を主催していた人物だった。その年の秋、学祭の演題でホラー劇をすることになり、自分たちの演技がどれだけ通用するか試したかったのだという。そういえば、あの夜、先頭に立っていたのはこのグループの一員、Iさんだった。最初から、あの部屋に誘導する手筈だったのだ。

「すると……あの時の幽霊は?」

「私です。私が演じてました」

 K君の問いかけに、同席していた美人の女性、Mさんが笑いをこらえながら手を上げた。


「なるほど。つまり、完全にしてやられたわけだ」

 K君も落ち込んでいる理由がわかって、私も電話口で失笑してしまっていた。

 だが、それでもK君の声は沈んだままだった。

「まだ、続きがあんねん」

 一呼吸おいてから、K君はその“続き”を話し始めた。


 結局、その肝試しの話ですっかりK君と元演劇部のメンバーと打ち解けてしまい、その後は楽しい宴会になったらしい。

 一時間程たった頃であろうか。幽霊役をしていたMさんが少々顔色を悪くしながら席を外した。トイレの方に足早に歩いて行ったMさんを見送りながら、K君にふと疑問が浮かんだ。

「いや、それにしても名演技でしたわ。あんなのほんまもんの幽霊にしか見えへん。でも、いちばんびっくりしたのは、あの赤ちゃんですわ。どうやって演技指導したんですか?」

 メンバーたちが、不思議そうな表情で顔を見合わせた。

「ええと、赤ちゃんなんて準備してませんでしたけど?」

 そう言って、Tさんが苦笑を浮かべた。

「いやいやいや。おりましたやん。Mさんの足元から猛ダッシュでハイハイしてきましたよ。俺、見たんですわ」

「流石にそれはないです。あんなところに赤ちゃんなんて連れてきたら危ないし、何かの見間違いでは?ああ、そうだ。I君、確か、ノートパソコンの中にあの時の映像データがあっただろう?せっかくだから確認してみようじゃないか」

 Tさんの言葉に笑みを浮かべながら、Iさんがカバンからノートパソコンを取り出した。

「演技の確認のため、何度も映像は見ました。でも、赤ん坊なんて映ってませんでしたよ?」

 Iさんが笑いながらパソコンを起動し、フォルダからあの夜の映像データを探し出してクリックした。

画面には斜め上から撮影された部屋が映し出されていた。カメラはあの時Mさんが立っていた場所の後方左斜め上に設置されていたらしい。カメラもMさんが点けたのだろう。やがて部屋の中央にMさんが現れ、演技の振り付けを練習し始めた。音は流れていない。映像だけ記録していたようだ。

ふと、Mさんの動きが止まった。K君たちが部屋の前を通り過ぎて八階に上がったことを確認したようだ。ドアを開けに行ったのだろう。そっと入り口の方に歩いていき、画面からMさんの姿が消えた。やがて、戻ってきたMさんが所定の場所でスタンバイに入った。

 ここまでは全く問題がない。

 K君以外の誰もが、リラックスして画面を眺めている。

 ひょっとしたら、本当に自分の見間違いだったのかもしれない。

 K君はちょっと恥ずかしくなりながら、画面を注視していた。

 画面に懐中電灯の光が入ってくる。

 K君たちが入ってきた。

 懐中電灯の光がMさんを見つけ、その直後、Mさんの迫真の演技を見たK君たちが驚き慌てる様子がはっきりと映像に映し出された。

「ん?」

 最初に声を上げたのはIさんだった。

 続いて、Tさん、その他のメンバーから「おや?」「あれ?」と呟きが漏れ始めた。


 何かが、ホテルの床を這っていた。


 薄ぼんやりとではあるが、小さくて白い何かが、四つん這いでK君たちの方に向かっているのがしっかり見て取れたのだ。

 逃げ帰ったK君たちを追うように、白い影はドアの方に向かっていき、そのまま見えなくなった。Mさんは見えていなかったのか、小さくガッツポーズをとるとカメラが設置してあった場所に向かい、その後、画像は終わった。Mさんがカメラを切ったのだろう。

 その後、K君とメンバーは何度も画像をチェックしたが、やはり白い影は映っていた。

「おかしいな。何度もチェックしたが、こんなの映っていなかったぞ?」

 固い声で呟きながら、Tさんはその場面を何度も再生したり、拡大させたりを繰り返した。他のメンバーは落ち着きを取り戻していたが、Tさんだけはやけに狼狽していた。

 ふと、一緒に画面を見ていたK君があることに気が付いた。

「こいつ、Tさんの方に向かって行ってません?」

 画面には最初に部屋に入ったメンバーを右端にして、K君、それからK君と同行したメンバー二人、そして、Tさんの五人が映っていた。K君の言うとおり、小さな白い影は最初はまっすぐ一直線に這って行ったが、やがて方向を左に変えて、Tさんの方に向かっていく様子が映っている。

 Tさんの顔が完全に固まった。

 K君はもちろん、座の一同が不穏な気持を抱いた時、Mさんが席に戻ってきた。

 慌ててTさんがノートパソコンを閉じた。

「ただいま。何、見てたの?」

「いや。演劇部時代の仮装の写真をKさんに見てもらってたんだよ」

 Mさんは中座した時よりはやや元気を取り戻した顔だったが、今度はTさんの顔色が目に見えて悪い。Tさんが目で「何も言うなよ」と発していたので、K君も他のメンバーも微妙な表情のまま頷いた。

「ふ~ん。そうなんだ。……ねえ、T君。そろそろ時間だし、皆に……ね?」

 ちょっと甘えたような表情をしながら、MさんがTさんの隣に座った。

「なに緊張してるの?今日、皆に言うって決めたじゃない。なんなら、私から言おうか?」

「い、いや。俺から言う。……あのさ。俺たち、結婚するんだ」

 メンバーから驚きの声と拍手が沸き起こった。思わず、K君も拍手してしまっていた。

 場に和やかな空気が戻ってきた。皆の顔に笑顔が浮かんできていた。

 Tさんを、除いて。

 未だ固い表情のTさんを、恥ずかしそうな笑みを浮かべながらMさんがつついた。

「ほら。もうひとつ、あるじゃない?」

「あ、ああ。実は、彼女」


 俺の子を妊娠しているんだ……。


 一同が、しん、と静まり返った。


 それから数日後、K君はTさんに連絡を取り、二人で例のホテルへと向かった。もちろん、昼間にである。

 以前と同じ入り口から入り、七階のあの部屋へと向かう。

 ドアの鍵は、閉まっていた。

「何故か、ここだけ鍵が開いていたんです。ここなら使えると俺や部員たちは大喜びしました。もちろん、撮影後に鍵なんて閉めていません。ビルの管理会社が気づいて直したのか、それとも、最初から……」

 K君もTさんも、そこから先の言葉が出てこなかった。


 結局、あの赤ちゃんは何者だったのだろうか。

 TさんとMさんに関係があったのだろうか。

 その後、TさんとMさん、そして二人の赤ちゃんはどうなったのだろう。

 K君に、その後の様子を聞いてみてくれないかと頼んだが、即、断られてしまった。

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