こっちへおいでよ……

佐都 一

こっちへおいでよ……


あれは90年代のはじめ、昭和が平成にかわって一年がすぎるころのできごとです。


わたしはそのころ、とあるおおきな公共事業にたずさわっていました。


バブル景気の絶頂期ですから、仕事自体は順調そのものです。

ですがあるとき、作業をストップしなければならない事件が起こりました。


わたしの担当する地域で、子供たちが連続して行方不明になったのです。


誘拐なのか集団家出なのか、それとも子供たちによる狂言なのかはわかりませんが。

バブルの浮かれ気分とは裏腹に、物騒な事件も多かった時代ですので、神経質にならざるを得ません。


上司の命令もあり、わたしは地元の警察と自治体の有志による捜索隊にくわわることにしました。


その地域には山へとつながる広い森があり、そこがどうやら子供たちの遊び場になっていたそうです。

わたしのチームは森を中心に捜索することになりました。


森のなかを進んでいくと、木々はどんどん鬱蒼としてきて、昼なのに妙に薄暗くてなんだか気持ちのわるい感じです。

もし狂言だとしてもこんなところに子供たちが隠れるわけはないし、誘拐だとしたらこんなところに潜む犯人は相当アタマのおかしなやつだなんて、そのときはどこか他人ごとのように考えていたのを覚えています。



そのとき、

ふいに、足を滑らせました。


暗くて足元がわからなくなっていたんです。

あっ、と思ったときにはもう、斜面のしたのほうまで転がり落ちてしまいました。

途中で木に激突するようなこともなく、枯葉のたまったところにうまく落ちることができたみたいで、不幸中のさいわいでした。


「おーい、大丈夫かー?」と、上のほうから捜索隊のメンバー。

「大丈夫です、ケガもしていません。どうしたらいいですか?」

「そこへは回り込んでじゃないと行けないんだわ。動かずに待っていてくれ」


薄暗い森のなかでむやみに動いてさらに行方不明者が出ても迷惑です。

「わかりました、お手数かけます」と返事をし、ちょうど腰掛けるのによさそうな石の段差に座って待つことにしました。



しかしこんな森のなかでひとりになるというのは、心細いものだなあ。

そう考えると、つい、わけもなくうしろを振り返ったりしてしまいます。



「あっ!」思わず声が出た。


靴だ……。


子供の靴が、片方だけ落ちていました。


ぞわぞわぞわあっ、と全身が粟立ちます。


からだがこわばって動けない数秒間ののち、わたしの心のなかに「他にもなにか手がかりになるものを探すべきだ」という、つよい使命感がふつふつとわきあがってきました。


周囲をよく観察してみると、わたしが先ほどまで座っていた石の段差は、木の板でふたをされた古い井戸だったことがわかりました。


もしやと思ってふたに手をかけてみると、ずずず、ずずずず、と簡単にひらきます。


奥をのぞきこんでみても暗くてわかりません。


小石をひとつ投げ込んでみると、かわいた砂に着地するような音が聞こえるだけで、水の音はしません。

この井戸は枯れている、とわかりました。


ライターの火をつけてみると、古い井戸には似つかわしくない真新しいロープが垂れさがっているのを見つけました。


ぐいぐいと引っ張ってみるとかなり頑丈に固定されているようで、わたしひとりがぶら下がっても切れそうにありません。



「こっちへおいでよ……」



とつぜん、自分以外の誰かの声がしました。

あわてて振りかえりましたが、誰もいません。



「こっちへおいでよ……」



もう一度きこえました。

こんどははっきりと、古井戸の底から聞こえてきました。


幻聴だと思いたかった。

ですが子供の靴がそばに落ちていた以上、この井戸のなかに、なにかあると思ったほうが正解でしょう。


捜索隊のメンバーがここに来てくれるのを待ってもよかったのですが、一刻もはやくなんとかしないと、という使命感に背を押され、わたしだけで井戸のなかへ入ることにしました。



ロープにぶら下がり、ちょっとずつ降りていきます。

さいわいそこまで深い井戸ではなかったようで、すぐに足が着きました。


ふたたびライターを明かりにして井戸の底を観察すると、大人でもかがめば入れるくらいの横穴があいているのを見つけました。



「こっちへおいでよ……」



また、あの声。

最初はびっくりしたものの、このときのわたしはもはや普通の精神状態ではなかったんでしょうね。

すなおに声が聞こえるという事実を受け止めていました。


腰をかがめて穴に入り、そのまましばらく進むと、すぐに立って歩けるほどの広さになりました。

天然の洞窟なのだろうか、それとも戦時中の防空壕跡なのだろうか。

そんなことを考えながら、とにかく歩きました。



進んでいくと、道がふたつにわかれていました。


どっちに進めばいいのかわかりませんでしたが、ひとまず右の道へと踏み出します。


すると……



「そっちじゃないよ」



うしろから声が聞こえました。


声にしたがい、左の道へ行くと、こんどは


「こっちへおいでよ……」と、また聞こえます。



恐怖心はもちろんありますが、それ以上に、はやく子供たちを助けてあげたいという思い、

それから、この謎を解明したいという気持ちも多少はありました。



そうこうして進んでいくと、ついに行き止まりになりました。




おかしいな、やっぱりさっきの道が正解だったのかな?




そう思って引き返そうと、わたしが振りかえった瞬間!




真っ青な顔をしたばけものが浮かんでいました。



ばけものは、その大きな目でこっちをじっと見つめています。



わたしが何も言えずにいると、ばけものは、足のように生えた無数の触手をこちらへと伸ばし、はっきりとこう言いました。
































*「ぼく ホイミン。

  いまは ホイミスライムだけど

  にんげんになるのが ゆめなんだ。



     第一章 王宮の戦士たち



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