エピローグ
「いらっしゃいませー!」
紺地ののれんをくぐりガラリと引き戸を開けた黒ずくめの魔王を、この店の看板娘エリカが明るい笑顔で迎え入れた。
「ウシジマさん、今日はいつもより来るのが早いな!」
魔王がカウンターの定位置に座ると、湯呑みにお茶を注ぎながらエリカが親しげに話しかける。
「うん。今日も一組のパーティが僕を討伐に来るって話だったんだけどさ。
四魔将軍第一の砦で敗走したみたい。
座ってるだけなのも暇だから早く来ちゃったよ」
お茶を一口すすった後で、彼はカウンターの内側で大鍋をかき回すかっぽう着姿のおかんに声をかけた。
「ハルちゃん。いつものやつお願い!」
「まいどー!」
おかんは振り返ると金で覆われた前歯を見せてにかっと笑う。
「今朝な、ウシジマ君とこの新しい第三魔将軍さんがカクタウロスの肉をぎょうさん持ってきてくれはってん。
いつもは肉五切れのとこ、二枚サービスしとくで!」
おかんはどす黒いブロック肉を一口サイズに切り分けると、ソルタムを表面に塗り込み、大きな葉でそれを包んでオーブンに入れた。
「おっ! 悠斗君がランチの時間にいるなんて珍しいじゃない!」
三つほど席を空けたカウンターの隅でリワッコの唐揚げ定食を食べていた俺に、牛島さんが気さくに話しかけてくる。
「今日は土曜日なんで、会社休みなんすよ」
「あっ、そうかぁ!
僕が
“半ドン” なんて言葉、今はもう廃れちゃってるんだろうなぁ」
たわいもない会話をしている間に、カウンターの向こうから肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。
今日は土曜日ということもあり、店内に現世界のサラリーマンの姿はなく、
「はいよ! カクタウロスのガムナの葉包み焼き定食お待ち!」
カウンター越しに差し出された皿を牛島さんが受け取ると、エリカがほかほかの白飯と味噌汁、付け合わせのニュウナの佃煮を横に置いた。
「エリカちゃんのお給仕はいつもタイミング良くて気が利いてるよね!
いいお嫁さんになれそうだし、今度
牛島さんの軽い言葉に、箸でつまんでいた唐揚げを落としそうになる。
エリカを見ると、苦笑いの表情をこちらへ向けていた。
アイコンタクトの後、俺は一旦箸を置く。
「牛島さん、エリカは……」
改まって言いかけた俺の言葉は、おかんのガハハという豪快な笑い声でかき消された。
「ウシジマ君、エリカちゃんはあかんでえ。
なんたって、ウチの息子のコレやから」
小指を突き立ててニヤリと笑うおかんに、牛島さんがバツが悪そうな表情で薄い頭を掻く。
「ええ~!? そうなのぉ!?
もー、早く言ってよぉ!
オジサン余計なことしちゃうとこだったよぉ!」
おかんに先に言われてしまい、俺の恋人宣言は咳払いに変換せざるを得なくなった。
隣では、小指の意味はわからないながらもニュアンスを察知したエリカが赤くなっている。
「じゃあ何?
将来は二人でこの食堂を切り盛りすんの?」
「いや、俺会社勤めですし……」
そんなこと今まで考えたこともなかった。
俺は
エリカは
現状は、おかんのこの食堂が俺とエリカを繋げているに過ぎない。
「あと三十年は現役で行けそうやけど、息子夫婦と店を切り盛りするっちゅうのもなんやどっかのホームドラマみたいで楽しそうやなぁ」
カウンターに漂うぎこちない空気を粉砕したのはやはりおかんだ。
この調子であと三十年はおかんのペースに振り回されるということか。
「市立一中のマドンナだったハルちゃんの店にあと三十年も通えるなんて、僕は幸せもんだなぁ」
おかんが元マドンナとか、討伐対象なのにあと三十年生きるつもり満々とか、ツッコミを待ってるとしか思えない牛島さんのセリフを、おかんもエリカも華麗にスルー。
「では私もこれから少しずつおかんさんに料理を習わなければならないな!」
「ええで! エリカちゃんに
勝手に盛り上がる二人。
すでに目の前の定食に意識を向け、いそいそとガムナの葉を開く
「おかーん! アオアイの卵とじ定食ひとつ!」
「まいどー!」
「こっちお会計ー」
「はーい!ただいまー」
何はともあれ、おかんの店「パウバルマリ食堂」は本日も絶賛営業中だ。
うん。こんな日常も悪くない。
たまに異世界で勇者やりながら、食堂のおやじとして普段はカウンターの隅っこで新聞を読んでいる。
そんな人生もいいかもな――
<おわり>
おかんの味【パウバルマリ食堂】は、店主都合により休業します。 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari
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