第6話 悪魔の器
クレアの銃口はシエラに向けられた。
「少尉・・・何を?」
レオーネはあまりに唐突な事に驚いている。
「敵が迫っている。数から言って、勝てる見込みが無い。貴族の娘を捕虜にしている事実が敵に知れれば・・・貴族側が本気になる可能性がある」
クレアは狙いを定めた。その事にレオーネが口を挟める事では無かった。声の出せないシエラは向けられた銃口に怯えるしか出来なかった。
「悪いけど・・・死んで貰う」
クレアは引鉄を引こうとした。
(止せ)
その時、クレアの脳に女の声が響き渡る。
「くっ・・・なんだ?」
クレアは一瞬、どこから聞こえたとも解らない声に戸惑う。
(私はその娘の中に宿る者)
「また・・・どこから?」
クレアは周囲を見渡すが、シエラとレオーネしか馬車の中には居ない。
「どうなっている・・・何が」
「悪いが、その子を殺すのは止めてくれないか?」
クレアの頭に響く声。
「誰だ?」
クレアは馬車の中で怒鳴りつける。
「しょ、少尉?」
何が起きているか解らない様子でレオーネが声を掛ける。
「お前には声が聞こえないのか?」
クレアは彼女に怒鳴る。
「い、いえ・・・何も・・・」
「聞こえない・・・幻聴か」
クレアは少し戸惑いながら冷静さを取り戻す。
「幻聴では無い。女よ。聞け。私はお前らが言う悪魔だ」
クレアは再び頭の中に響き渡る声に苛立つ。
「悪魔だと?一体・・・どうなっているの?」
クレアの突然の怒声にレオーネもシエラも驚いている。
「ふふふ。あれだけ冷静だった癖にこの程度の事でそんなにも慌てるとは、お前もまだまだヒヨコだな」
頭に響く声は笑った。
「くそっ・・・笑うなっ」
クレアは怒りながら手にした拳銃を構え直す。
「やめろ。その子を殺しても何もならないぞ?」
「悪いけど、今はそんな戯言を聞いている暇は無いわ」
シエラに狙いを定め直す。
「ふむ。焦るな。この危機を乗り切ればよいのだろう?」
頭に響き渡る声はそう言い放った。
「へぇ・・・何か秘策でもあるの?」
クレアはとりあえず、拳銃を下ろした。
「私が目の前に迫る軍勢を追い払えば良いのだろう?容易い」
「言ってくれるわね。相手は最低でも1個中隊は居るわよ?」
「数の問題では無い。相手が怯えて逃げ出すようにするだけだ」
シエラはそう言うと、馬車の外へと出ていく。クレアとレオーネも一緒に外に出る。まだ、戦闘が続いているようで銃声が響き渡っている。
「銃声の感じからすると、まだ、互いに様子見って感じね」
クレアは戦闘の様子を伺った。
散発的に起きている銃声は戦闘が本格的では無い事を示している。見通しの悪い森の中では互いの戦力差があろうと、相手の状況が不明な為に戦闘が本格化するには時間が掛かる事が多い。
「双方に距離があるなら都合が良い」
「それで・・・どうするの?」
クレアがシエラに尋ねる様子を見て、レオーネが不可解な顔をしている。
「レオーネにもその声が聞こえるようにしてくれない。何だか、私が一人で喋っているように見えているみたいで気持ち悪いわ」
クレアはレオーネの様子を見て、シエラに言う。
「気にするな。複数の思念に合わせるのは私と言えども難しいのだよ」
シエラはそう告げると両手を前に伸ばす。
「魔法と言うのはな・・・人間の体に宿る我々の力を引き出す事で生まれる」
シエラの両手が光り出す。
「な・・・呪文詠唱無しで魔法の発動だと?」
クレアは慌てて、拳銃を構える。この事態にレオーネも小銃を構えた。
「慌てるな。この魔法でお前らを助けてやるんだ」
シエラがそう告げた瞬間、両手の光が天へと放たれた。
「な、何が・・・」
クレアは空を見た。その時、突如として、黒い雲が生まれ、稲光が走った。
「しょ、少尉・・・空の様子が・・・」
レオーネもその急変に驚いている。
その瞬間、雷鳴が轟いた。激しい地響きが起きる。
「少尉、雷が次々と!」
レオーネの驚きと共に幾筋もの雷が落ちるのが見えた。
「あれが魔法だと?」
クレアは茫然とその光景を見た。
「そうだ・・・人間はまだ、魔法の本当の力を知らない。いや・・・知ってはいけない。そろそろ、我々を解放して欲しい。そう願っていたところなのだよ」
クレアの頭に響く声はそう告げる。
「解放・・・どういうこと?」
「元々、我々はこの世界とは違う世界から、お前達に強引に連れ出されてな。そして、お前らの身体に封印されたのだよ。この世界では肉体を持たぬ我々の存在は器から離れた瞬間に消滅する。その恐怖から、人間の中に宿り続けねばならなかったが・・・それも数千年に及べば、さすがに覚悟も出来るというものだ。我々を人間の器から解放して欲しい」
雷が落ち続ける中でシエラは冷静に語る。
「なるほど・・・意味は解ったけど・・・それは貴族を殺してって事?」
「つまるところ・・・そうなる・・・る・・・な」
声の響きが酷く詰まったようになる。
「なんか、言葉が聴き取りづらくなったわよ」
「あぁ、そろそろ、こうして器を乗っ取るのも限界のよう・・・」
そう言い残して、シエラはその場に崩れ落ちた。
「しょ、少尉?」
突然、崩れ落ちたシエラにレオーネが驚く。
「ふん・・・あんだけ雷が落ちたら、敵も後退をしているでしょうね。我々もここから離れる。シエラを馬車に乗せて」
戦場から離脱する事に成功したクレアの部隊はそのまま、原隊へと復帰する為に移動を続けた。
クレアは馬車の中で未だに意識を取り戻さないシエラの寝顔を見ていた。
「少尉、さっきのは・・・シエラがやったんですか?」
馬車を操るレオーネが不安そうに声を掛ける。
「シエラ・・・と言うより、中に宿っている悪魔がやったみたいね。まさか、本当に悪魔が居るなんて・・・思っていなかったけど・・・」
クレアは少し自嘲気味に答える。
「悪魔・・・我々が戦う貴族にはあんな化け物じみた力を皆、持っているのですか?」
レオーネの顔には不安が滲み出ていた。
「そうかもね・・・ただ、あの悪魔達も率先して、人間に力を貸そうとしているようには思えない。貴族が魔法の力を失いつつあるのもそのせいかもしれないわね」
「悪魔が人間から離れたがっている?」
「所詮は人間の器に囚われているだけだからね。苦痛なんでしょ」
クレアは軽く笑いながら皮肉っぽく言う。
「シエラは・・・我々に協力してくれると言う事なんでしょうか?」
「中の悪魔が言う事が本当ならね・・・暫くは監視を強くしなさい。万が一、裏切られたら・・・私達じゃ、手に負えないわよ」
クレアはシエラの寝顔に冷酷な瞳を向ける。それは恐ろしい化け物を見る目だった。
二日の道程でクレアの部隊は原隊への復帰をした。彼女に命令を下した上官は捨て石のつもりで送り込んだのが露骨に解る表情をしてクレアを迎え入れた。
クレアは撤退を続ける部隊の殿を務める事になったが、敵も大きな痛手を受けたのが効いたのか。追い掛けてくる様子は無かった。
「また、後方へと戻り、再編ねぇ・・・」
クレアは退屈そうに言う。彼女は万年筆のキャップを閉めて、開いていたノートを閉じる。
「さて・・・シエラ・・・いや、その中に居る悪魔・・・本当に私達に協力をしてくれるのかしら?」
その問い掛けにシエラはポカーンと呆けた顔をしていた。
クレアは微かに嘆息する。
「あなた・・・シエラよね?」
その問い掛けにシエラは首を縦に振る。
「なるほど・・・どうしたらまた、交渉をして貰えるのかしら・・・聞いているかどうか分からないけど・・・このままだと、あなたを信用する事は出来ないから。それだけは覚えておいて頂戴」
クレアは意味の解らないシエラに向かってそう告げると椅子から立ち上がる。
「昼食の時間ね。来なさい」
こうして、クレアは前線の後方にあるハイルダントと言う小さな町に到着した。ここは街道沿いの町ではあるが、とても小さく、宿屋も無いような場所だった。ここに部隊が到着した理由は当然、将兵の休憩と再編成であった。
町長の家にクレアは呼ばれた。そこはそこそこ広いダイニングがあった為にそこで会議が開かれるからだ。
ライオネル中佐と参謀、大隊長達が一堂に会する。
「クレア少尉、ご苦労」
ライオネルがそう声を掛けるとクレアは返礼する。
「それで・・・君には悪い事をしたと思っているが・・・前線で何か情報はあったかね?」
ライオネル自身にもクレアを捨て駒にしたという自覚はあるらしい。
「情報ですか・・・」
一瞬、シエラの中に居る悪魔の事を思い出したが、それは伏せておくことにした。
「敵が大規模魔法が使える可能性についてですが・・・充分に考慮すべきだと思われます」
クレアの言葉に全員が凍り付く。
「それは・・・根拠のある話か?」
「いえ・・・ただ、貴族達の持つ力はかつて、それだけの威力を有していたという話を聞きましたので」
「話・・・だけか?確証は無いんだな?」
ライオネルは念を押すように尋ねる。
「確証はありません。あくまでも可能性が高まった程度です」
「そうか・・・解った。君はその筋の知識が深いようだ。これからも情報収集に力を入れてくれ。それと我々も確認をしていないのだが、君は中隊規模の敵を一瞬にして殲滅したという話もあるのだが、戦闘詳報にはあまりその様子が書かれていないので、教えて欲しい」
戦闘詳報など、公式な記録に繋がる資料なので精確に書く必要はあるが、小隊規模となると指揮官に課せられる仕事量は半端が無いので、大抵はおざなりになっている事が多い。
「承知ました。これからは注意深く観察をします」
これでクレアの仕事は終わった。
クレアは会議室から出ると、深い溜息をつく。
「次の戦闘はどうなる事やら」
クレアの心配事はその一点だけだった。すでに前線は大きく崩れ、貴族側に勢いがついている。火力面などで優勢であっても、全体の勢いとなると別である。まして、貴族側には革命軍側からは到底、考えきれない大規模の破壊力を有した魔法があるとなれば、革命軍側の勢いが弱まる事は必至だった。
「正直、ここで再編成しても元には戻らない。いっそ、他の部隊と一時的に合流しても良いと思うけどね」
そんな独り言を言いながら町を歩く。この町は通りこそ舗装されていないが、それなりに店が並び、このご時世にしては賑やかな所だった。
「ふむ・・・野菜とか品揃えが良いわね」
足の早い葉物野菜などが新鮮な状態で店先に並ぶ事は珍しい。
「あぁ、それはこの地域で獲れる奴だからな」
店の主人が笑顔で答える。
「なるほど。しかし、思ったより前線に近い町なのに豊かなもんね」
「ははは。ここはあまり価値が無いらしてく、貴族にも革命軍にも無視されていたからね。こうして、軍隊が来たのは初めてだよ」
「そう・・・」
そんな店の主人から果物を買って、クレアは自分の部隊へと戻った。
馬車の中にはシエラとレオーネが居た。
「お留守番の駄賃よ」
クレアはレオーネに林檎を投げ渡す。
「レイジスの実ですか。久しぶりですね」
「都会じゃ、なかなか手に入らないからな。それでシエラに変化はあったか?」
クレアはシエラを見ながら尋ねる。シエラは何か本を読んでいた。
「いえ、偶然、部下が退屈紛れにと本を持って来たので、読ませています」
「本か・・・この町に本屋でもあるのか?」
「いえ、ここに居た貴族の邸宅から取って来たそうです」
「なるほど」
国民の大半は文字を読む事が出来ない。その為、本は限られた者だけが読める特殊な物であった。
「さすが、貴族だけあって、本は読めるわけね・・・何を読んでいるの?」
クレアがシエラにそう問い掛ける。
「下民の娘が貴族の男と結ばれる話だ。くだらないな」
そんな声が聞こえた。クレアとレオーネはシエラを凝視した。
「こいつ・・・声が?」
レオーネは傍に置いていた小銃に手を伸ばす。
「慌てるな。お前・・・シエラか?」
クレアは冷静に彼女に問い掛ける。
「ふむ・・・違うな。今、シエラは寝ている」
その答えに一瞬、クレアは呆然とする。
「本を読み始めて、退屈になったのかそのまま、寝てしまったようだ」
「意識が無くなったから、あんたが出て来たってわけね」
「その通りだ。まぁ、それも結構難しいのだがね」
「力を使うって事?」
「あぁ・・・人の身体を使い、尚且つ、声の出ない口から声を出すってのはかなりの力だよ。下手したら、この間の雷の魔法並だ」
「へぇ・・・そうなの。それで、わざわざ、そこまでして、出て来たって事は何か言いたい事があるんじゃない?」
「そうだな」
シエラは本を横に置き、立ち上がった。
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