第4話 休息
クレアの部隊は僅かな休息を得ていた。
数か月、最前線に居たためにこれだけのんびりと休めるのは久方ぶりだった。中には兵学校を出て、初めての休養となる者も居る。
「少尉、今回の休息はどれぐらいで?」
部下の一人が尋ねて来る。
「さぁ・・・補充兵が来るまでだから、三日ぐらいはあるんじゃない?」
「三日ですかぁ」
残念そうにする若い兵士。
「あんまり休ませると、臆病者になるからね。あんたらみたいのはとっとと最前線に送った方が良いわ」
「酷いですよ」
兵士は笑いながら去って行く。それを見送る事も無く、クレアは与えられた部屋へと向かう。そこは役場の執務室だった場所だ。その一室にベッドが持ち込まれ、士官用の部屋として活用されている。
「私の可愛い仔猫ちゃんは居るからしら?」
彼女は部屋を覗き込むと、怯えたようにしている一人の少女が居た。
「ちゃんとお留守番が出来たようね」
貴族の娘。シエラを眺めながらクレアは笑顔で近付く。ちなみに、シエラが逃げなかったのは、手に手錠をされて、ベッドに縛り付けられているからだ。
「まぁ、声も出ないのに逃げ出そうなんて思わないわよね」
クレアは手錠を外す。
「さて、ここは最前線よりかなり奥に入った街だって事は解るかしら?」
シエラはコクリと頷く。
「多分、次も最前線へと送られるわ」
シエラは不思議そうな顔をする。
「何故解るのって顔ね?簡単よ。まず一に、革命軍には遊ばせておく程、将兵に余裕はない。二に・・・私が、強いからよ」
シエラは紙に何かを書き始めた。
-強い?ー
それを読んだクレアは大笑いをする。
「そうよ。強いのよ。残念だけど、周囲の評価はそうみたいでね。私自身、そんな事を思った事は無かったけど・・・そのお蔭で、常に最前線にばかり送り込まれているわ。今回はまだ、マシな方だっただけ。それでもあんた達が攻めて来るから・・・」
クレアは少し恨めしそうにシエラを見る。
「まぁ・・・恨み節は好きじゃないわ。元々、革命軍は数の上で、貴族に遥かに劣るわけだから・・・誰彼と忙しいもんよ」
クレアはボヤきながら椅子に座る。
「さて・・・早速、人体実験をしてみようかしらね?」
彼女はそう言って、鞄から何かを取り出す。
人体実験という言葉にシエラは怯えたように部屋の角へと逃げる。
「安心しなさい。痛くはしないわ」
クレアはニヤリと笑いながら振り返る。そして、立ち上がった。
シエラはただ、クレアを凝視するしか無かった。
「ふふふ。怯えて・・・じゃあ、やるわよ」
クレアは右手を差し出した。
ピー
微かな電子音が鳴った。クレアの手には魔力計が握られている。
「ふむ・・・声が出て無くても、微かな魔法の発動はあるわね」
クレアがノートに何かを書き記してある間にシエラもノートに書く。
ー何なんですか?ー
「あら・・・簡単よ。言葉が発せない段階で貴族はどの程度、魔法が使えるかを確認しているのよ。我々はまだ、魔法の発動メカニズムを解き明かしてないからねぇ。これが解き明かされると魔法に対抗する手段が出来る可能性があるからね」
クレアは当たり前と言った感じに言い放つ。
-魔法の発動メカニズム?ー
シエラは不思議そうに尋ねる。
「そうよ。そもそも、貴族様達は解っているのかしら?自分達がどうやって魔法を発動させているのか?」
クレアに問われ、考え込むシエラ。
ー神様から与えられた力を体内で増幅する。それでも足りない場合は術式や儀式、道具を使って増幅する事で大きな魔法を発動が出来ると学校で習いましたー
シエラの答えにクレアは笑う。
「それは我々でも知っているよ。だけど、それは多分、一般的な教育に過ぎない。魔術学院ぐらいになれば、その辺の研究も進んでいるんじゃないかと思うのよ」
クレアは魔術学院について触れる。それは貴族の中でも一部の優秀な人物しか入る事を許されない学校である。ここは教育機関と言うより、研究機関であり、貴族にとって、最も重要な魔法に関して、研究がなされている。
-魔法学院の事は解らないー
「解っているわよ。その年齢じゃ、魔法学院に入れないだろうし、それぐらいの才能がある子は一人でヒョコヒョコ、最前線に来たりしないわ」
クレアに見下されたようでシエラは不満そうに頬を膨らませる。
「まぁ・・・これから、あなたの身体を使って、色々と調べさせて貰うけどね」
クレアはニヤリと笑う。その笑みにシエラはビクリと身震いする。
部隊の休息はただ、兵士を休めるだけじゃない。装備の補給や更新も行われる。
数カ月の前線任務に就いた後は大抵の兵士の銃器は寿命を迎えている。
「新しい銃だ。壊すなよ」
兵士達は使い慣れた銃を補給部隊の兵士に渡し、新しい銃を受け取る。
古い銃は工廠へと運ばれる。そこで修理が施され、再び、配備がされる。
新しい銃を受け取った兵士達は嬉しそうにしている。それが新しい戦闘の為の準備である事は解っていても、真新しい装備を受け取ると自然と笑みが出てしまうものだ。
「あと、新しい軍服も配布されるからな。今度のは迷彩が施されているぞ」
補給部隊の下士官が大声で兵士達に告げる。
兵士達にも衣替えは存在する。基地や駐屯地に常駐する部隊は自らそれらを管理するが、遠征している部隊は基本的に自らの装備を全て自分で持って動く事が求められる為、服に関しては夏と冬で入れ替えるようになっている。
「迷彩って変な柄だよなぁ。これで目立たないのか?」
兵士達は新しく配布された迷彩柄の軍服に戸惑う。それらは緑色や茶色の縞模様になっており、それまでの濃緑一色の軍服に比べて派手に見えた。
「お前、ちょっと、そこの茂みに入って来いよ」
兵士達はふざけて茂みに隠れたりすると、その迷彩柄の効果を知る事になる。
兵士達にとっての休息はこれ以外に街中にある娯楽施設に通うなどぐらいしか無い。彼らが家族の元に帰るには兵役が終わるか、死んだ時だけだ。
新しい兵士や下士官も配備された。
「ちっ、今回の補充は外れだな。全部、真っ新だ」
兵士の一人が新しく配属された兵士達を見て、笑いながら言う。
「仕方がないさ。戦線は拡大する一方で、使用済みは足りないばかりだから」
「仕方がない。新兵を鍛えるのもベテランの仕事ってな」
こうして、僅かな休息は過ぎていく。
四日目の朝、クレアの元に命令書が届いた。
「まぁ、予定通りと言うか・・・もう少し休みが欲しかったかしら」
クレアは命令書に目を通す。
「三日後の1300時までにイタル基地まで移動。第301連隊の指揮下に入れか・・・。移動だけでもギリギリじゃない」
クレアは命令書を鞄に詰めて、立ち上がる。
「さぁ、シエラ・・・行くわよ」
シエラも立ち上がる。彼女もクレア達と同じ迷彩服を着ていた。
「まぁ、軍人ってわけじゃないけど、行軍に連れて行くにはこれしか無いからねぇ。銃は持たせられないけど、私の傍から離れなければ、大丈夫だから」
シエラは不安そうにコクリと頷いた。
クレアは部下達に対して、昼までに出発の準備をするように命じた。
僅かな休息が終わり、兵士達は新しい戦場へと向かう為に必死に荷物を纏める。
その間にクレアは輸送部隊の司令部と掛け合い、部隊の輸送を願う。
幸いにも同じ目的地の輸送部隊があった為に護衛と言うことで運んで貰える事が決まった。ただし、全員は難しい為に乗せ換えしながらの移動となる。
昼になり、クレアは部隊を引き連れ、待機していた輸送部隊と合流する。街の外で待機していたのは荷馬車を中心にした輸送部隊である第2213輸送中隊であった。
「お願いします」
クレアは輸送部隊の中隊長であるラムダ大尉に挨拶をする。
「おぉ、お前さんが噂の女士官さんか。よろしくな」
かなり気さくな感じの指揮官だった。
「この馬車に乗りなさい」
クレアはシエラと共に指揮官用の荷馬車に乗る。指揮官用とは言っても、そこにも輸送物資は積載されており、何とか大人4人程度が乗れる場所が空けてあるだけだ。他の馬車にも当然ながら物資が満載されており、兵士はオマケのように乗るしかなかった。
「そんなお嬢ちゃんも兵士かい?」
ラムダ大尉はシエラを見て、驚く。
「いえ、彼女は孤児だったのを拾っただけです。身寄りもないようなので、こうして、私の傍に置いて面倒をみているだけですよ」
クレアはシレッと嘘をつく。
「それは可哀そうだな。後方に孤児院とかがあれば良いが、この混乱で孤児院も運営費が無くて、困っていると聞く。まぁ、最前線に向かうけど、せいぜい、気を付けてな」
ラムダ大尉は心底、心配そうに言う。
「お気遣いありがとうございます」
クレアはこの手の人間が苦手だ。
戦地で人の良い人に会うと、見捨て辛くなるからだ。
戦争という状況下では優しさは時に罠となる。
良い人と同じ戦場には居たくない。
部隊はゆっくりと行軍を始めた。
「なるほど・・・世間には疎かったが・・・そんな事になっていたか・・・」
一人の男が円卓に用意された席に座り笑いながら書類を読んでいた。
「グリモア卿・・・あなたが研究に没頭されている間、革命軍は勢力を伸ばしておりまして・・・」
横に座る男が告げる。
「ふむ・・・確か、すぐに終わらせると聞いていたはずだが?」
グリモア卿は少し楽しそうに尋ねる。
「申し訳ありません。貴族軍側の平民がかなり革命軍に寝返っているようでありまして・・・」
「そりゃ、そうだろう。同じ平民同士なんだから・・・」
グリモア卿に言われて、男は俯く。
「まぁ、良い。数年、魔法研究をしてきた成果を知るにも都合が良い。どれ、私が前線に出よう」
その言葉に円卓に居並ぶ者達が驚く。
「し、しかし、グリモア卿・・・ここは卿の手を煩わせる程では・・・」
「ふん・・・それは成果を出している者が言う言葉じゃぞ?ネイサン」
グリモア卿は笑いながら立ち上がる。
「では、すぐに出陣の準備をしないとな」
貴族軍と革命軍が熾烈な争いを続けるグラナド地方。
ここは元々、伯爵の爵位を持つ貴族が所有していた領土だったが、革命軍の攻勢にまともに抵抗する事無く、逃げ出した事で革命軍が手に入れた場所だ。
「貴族軍が南側へと侵攻をしようとしている。これを食い止めないと、南端に位置する第3001監視拠点が孤立するぞ」
グラナド地方に展開する革命軍の前線司令部では日夜、会議が行われている。この数週間、貴族軍側の攻勢が強くなってきた事に彼等は対応を追われていた。
「こちらの補給がまだ、乏しいのが問題だな。やはり、急激な戦線の拡大が問題か・・・貴族軍側が戦わずに引いたのに乗じて、突き進んだのが裏目に出ているな」
「それは仕方がないだろう。我々は短期決戦で突き進んでいたからな。ここで足踏みになる事まで考えていなかった。まぁ、あまりに見通しが悪かったわけだが」
この司令部の最高責任者の少将は目の下に隈を作りながら、必死に考えを巡らせていた。
特にこの革命軍の領地でも突出した形になっているここは防衛するにしても不利な事が多かった。それは貴族軍側にも解っているからこそ、ここに攻撃を集中しているわけだが、それでも思ったように戦果を出せていないのは貴族の戦争下手と平民兵の戦意の低さだ。
機関銃が唸る。
何かの一つ覚えのように突撃をしてくる貴族軍側の平民兵は激しい銃撃に倒れていく。地面に突っ伏した兵も頭を掠める銃弾に怯えて、その場から動けない。そして、彼等の指揮官である貴族は魔法が使えるにも関わらず、最前線には出ず、後方から望遠鏡でその様子を眺めているだけだ。
「平民共の動きが悪い。もっと、前に進まないか?」
彼は次々と倒れる平民兵の事など気にする様子も無く、紅茶を飲みながら部下に告げる。
「はっ。前線指揮官に命じます」
このような光景は貴族軍ではよくある事だった。
銃が戦場に出て来るようになってから、貴族は後方へと陣取る事が当たり前になり、やがて、貴族が戦の指揮を執る事も減っている。この事が革命軍の拡大を招いた事を当の貴族達はまだ、気付いていない。
結果として、最前線で血を流し続ける兵士達には強いストレスが掛かる。
「進め!進め!止まるな!」
怒鳴る士官。銃口を向けられ、強制的に前へと進められる兵士達。彼等自身は元々、ただの農民だ。貴族が戦をする上で徴兵しただけに過ぎない。金で雇われている職業軍人の士官とは違う。
「くそっ、ヘンドリクスの野郎。こっちが農民だと思って、馬鹿にしやがって」
怒りは怒鳴り散らす士官へと向けられる。
同じ戦場でも、立場の違いで命の価値が変わるとすれば、怒りも膨れ上がる。だが、それらは地元に残した家族の事を思って、皆、我慢をしている。
貴族軍は未だに火縄銃などの古式銃が使われる有様の中で、革命軍との圧倒的な火力の差に兵士達も勝ち目がない事を知っていた。そして、それは相対する革命軍も解っていた。
機関銃座に陣取る革命軍の兵士は疲れたように注油タンクに機械油を入れていた。
「あいつら・・・命を無駄にしているとしか思えないけど、何で、何度も突撃して来るのかなぁ?」
油を入れている銃手は隣の弾薬手に尋ねる。
「まぁ、家族を人質に取られているようなもんだからなぁ。それに後方には貴族も居るわけだし。前に出るしか無いだろう」
「地獄だな」
「そういう事だ。俺らは早々に革命軍に解放されて良かったかもしれないが・・・ここに来て停滞しているからなぁ。これからどうなるやら」
長引く戦争は皆に不安を起こさせる。それは有利であってもだ。
毎日、誰かが死に、誰かを殺す。そんな異常事態にストレスを抱えないわけが無かった。
毎日のように姿を現す貴族軍。
塹壕に入った革命軍の兵士達はいつものように撃退準備に入った。
兵士達は呆れたように、それでも気を抜けば、万が一に敵が塹壕に飛び込んで来たら殺されるかも知れないという一抹の不安と共に銃を握る。
姿を見せた貴族軍。
いつも通り、彼等は前進を始めた。突撃を開始するタイミングも革命軍は解っている。それまで相手を引き付ける。銃弾を無駄にしない為だ。
その時、下士官の腰に提げていた魔力計が警笛を鳴らす。
「なに?」
彼は慌てて、魔力計を見ると数値が振り切れん勢いだった。
「魔法・・・凄い魔法が発動している?」
彼はどうするかを悩んだ。そもそも、見える範囲に貴族の姿は無い。
「くそっ・・・このオンボロ機械め。壊れたか?」
彼は罵りながら魔力計を捨てる。
「構うな!全員、いつも通り、死体の山を築いてやれ」
「はい」
兵士達は魔力計の警告音を気にしながらも、目の前に迫って来る敵に銃口を向けた。
一瞬だった。誰もが何が起きたか解らなかっただろう。
光が彼等を包み込んだ。
その眩い光が全てを包み、消えた時、そこに革命軍の姿は無くなっていた。
あまりに眩い光の前に倒れ込んだ貴族軍の将兵達もその事に驚いた。
その場に居た数百人の革命軍部隊が消滅して、10キロに渡って、前線に穴が開いたのだ。
眩い光は前線だけじゃなく、後方に陣取った司令部でも確認された。だが、その光の正体も何が起きたかも知らせる者は革命軍には残って居なかった。
突然の出来事に怯える貴族軍の将兵達だったが、彼等は恐る恐る敵が消滅した敵陣地へと踏み込んだ。
革命軍の前線司令部である第4軍総司令部は突如として敵が前線を大幅に突破した事に気付き、慌てた。すでに前線後方にある都市へと敵は攻勢を始め、守備隊は壊滅的な損害を受けていた。
「バカな・・・1時間も掛からずに前線が殲滅した事になるぞ?」
愕然とする総司令官のバルザック少将。
「原因は不明です。この前線からの生き残りが居ません」
「そんな事があるのか?600人余りの人間が一斉に消えるなんて事があるのか?」
少将の言葉に司令部は沈黙した。愕然としていた少将だが、すぐに気を取り直す。
「とにかく、今、シュタイントレイルを失えば、敵を勢い付かせる事になる。イタル基地の予備兵力を投入しろ。全てだ。後方戦力を全て投じて、前線を戻す」
「はい」
少将はあまりに不可解な前線崩壊に大きな不安を抱えつつ、現状への対処へと没頭する事にした。
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