鬱陶しい上村
jorotama
鬱陶しい上村
大嫌いな部長への嫌がらせに、鬱陶しいポーズで社員旅行の写真の背景として小さく写りこんでやると言うのは、子供っぽい馬鹿な提案だったかもしれない。
だけど
エジプトの壁画のように身体は正面を向け、顔は右真横。右腕は肩と肘を同じ高さに鶴の拳の如く持ち上げ、対照的に左の腕は身体に密着させて下におろし、ペンギンの気持ちでクイと曲げた手首の先は手のひらを地面と水平に。両の足は左右の膝をグイッとくっつけるように内股で「イヤーン」の形。
右横向きの顔の視線は絶対に神崎(こうざき)部長に向けてはいけない。また、ターゲットの写真に写りこむ時にはなるべくその背後、遠い位置で写りこむべし。
せっかく考えたポーズなのだ。全身が入らなければ詰まらないし、下手に視線を部長へ向けたりしたら嫌がらせが露見しやすくなってしまう。
「あくまでもこれは『偶々同じポーズで写りこんでしまっただけ』と言うスタンスでないとな」
俺の言葉に上村は力強く頷いて、さっそく部長の腰ぎんちゃくが向けるデジカメレンズの角度からベストポジションをはじき出すべく、貸切車両の後部へと急いで行った。
普段の上村は口数もそう多くなく真面目と言うより面白味の薄い男だ。
普通なら大の大人がやらかさないような事をやり出すのは、神崎部長に対して相当に鬱憤が溜まっていたからだろう。
まあ、ヤツの気持ちは分からないでもない。
上村は国立理工系学科出身、研究職を希望していたのに商品企画部なんて部署に配属されてしまった。
頭の出来は良くとも専門バカ。対人スキルが低いアイツが営業部並みに根回し工作が必要な企画部へ配置されたらそりゃ、相当なストレスが溜まるはず。
その上、企画部には神崎部長を中心とした学閥なんてものが存在した。
国立大出身の上村に比べりゃカスのような大学。俺の出身とどっこいの微妙な大学出の癖に、部長の身内びいきの強さのせいで、学閥の外の人間に部署内の居心地はすこぶる悪い。
要領の悪い方じゃない俺が下流に置かれる状態で、上村に至ってはパシリ扱い。
たいがいに頭にも来てたんだろう。
鬱陶しいポーズで背後に写り込む。……さほど実害もないこのささやかな復讐を、
俺? 俺はそんな復讐には参加しないよ。
え? だって二人でそんな事やったら、さすがにバレるに決まってる。
アイツもそんなくだらないこと、最初の社員旅行だけでさっさとやめちまえば良かったんだ。
そしたら偶々の偶然だったって言い逃れられたんだろうからさ。
でも、上村はツイてないし、要領が悪い。
商品企画の為の工学知識もあって、真面目にコツコツやる性格。ヤツに任せておけば開発部やラインの技術者に話を通すのも楽で、プレゼンの為の資料の準備にも不備はない。
部署内の仕事に信用を重ねれば、学閥がどうだってさすがに神崎部長もヤツの事を認めただろう。
なのに、上村は馬鹿なことに人事とツーカーの部長にバレバレだって知らないのか、未練たらたら毎年異動希望の提出をする。
そんなんされたんじゃ、部長だって面白いわけがないだろう。
しかも上村の要領の悪さは仕事の面だけじゃなく、私生活……結婚に関してもそうだった。
「オレ結婚する事になったんだけど、お前、披露宴に来てくれるかな?」
そうヤツが言い出した時には俺だってめでたい事だと思っていたよ。
学生時代の上村は女っ気の薄い学部で非モテだったって聞いてたし、嫁get出来て良かったじゃんって。
……でも相手が悪すぎる。
東海工場の事務の江崎優衣っつったら『自主接待要員』として有名なサセ子だろうが……。
本社総合職の独身男ばっか狙う地方ラインの派遣事務。分かり易すぎる彼女の狙いに引っかかる馬鹿なんてそうはいない。
たいていは、彼女が自主的に敢行する接待だけ美味しくいただいてとんずらするってのに、これだから女に免疫の無い理工系は……と、さすがに俺も呆れ果てた。
同期として上村の披露宴には出席したけど、俺を含めてこの会場に一体何人ヤツの『穴兄弟』がいるんだか。
いや……ほら、彼女顔は普通だけど、おっぱいはバイーンとデカいしさ……
部長の覚えは悪くとも、一応本社勤務の総合職正社員。いくらでもまともな相手はいるってのに、低学歴の派遣なんかと結婚してどうするんだか。
神崎部長も腰ぎんちゃくから彼女の事をどういう風に聞いたのか、披露宴のスピーチで何気に上村を馬鹿にした。
「本社の若い男性達が出張先での心の潤いが無くなるとガッカリしておりましたが、彼女のような魅力的な女性を妻に出来たのも、上村君の甲斐性があったからこそ」
───とかなんとか。
確かにガッカリしてるヤツもいるだろう。やっすい夕飯をおごるだけでサービス満点のご奉仕してくれる女がいなくなりゃ、出張費が風俗代分高くつく。
それなのに
人の言葉の裏を理解してない。
だから俺は上村に部長のスピーチが実は感じ悪い内容だったんだって、オブラートに包んで少しだけヤツに解説してやった。
もちろん優衣の男関係を知らない上村にその事をチクるなんて間抜けはしていない。
俺が言ったのは、上村が出張で欠席した別の同僚……神崎部長のお気に入りの披露宴のスピーチと今回のスピーチでどんだけの差があったかって事だけだ。
実際その披露宴に出た人間なら、今回のスピーチがどれほどあからさまに手抜きだったのかは嫌でも分かる。
さすがに上村も部長にムカついたんだろう。
しばらく鳴りを潜めていた鬱陶しいポーズでの写り込みが、その年の忘年会の席で復活してた。
社員旅行と違って部内での忘年会じゃ、部長との距離もそれほど取れない。やめときゃいいのに上村は迂闊なヤツだ。
そう言う隙を見せるとロクな事にならないんだ。
確かにアイツもついていないヤツだとは思う。
希望の部署に配属されず、部長と違う大学出だってくだらん理由で部署内の主流派から外れ、女馴れしないせいでビッチ女に捕まって……。
それでも結婚してすぐの頃には、アイツも幸せそうにしてたんだ。
でも上村の幸せはそんなに長くは続かなかった。
アイツが優衣との愛の巣だとか言って都内にマンションを購入し、二年の後、上村は仕事を
……いや、ヤツが辞めたのは自主退職って形だったけど、それを信じる人間なんて部内にはいない。
上村は、神崎部長のお気に入りがやらかしたポカの責任を負う生贄にされたんだ。
部署内の誰かが責任を被らなきゃいけない状態で上村がそれをおっ被せられたのは、アイツに『隙』があったから。
誰も一言も上村が責任を取れなんて言葉にしなかったけど、これまでアイツが部長の背後で取った『鬱陶しいポーズ』の写真が収められたミニアルバムがデスクに置かれ、その日から一切の仕事が回されなくなりゃ、いくら鈍い人間だって気づくだろう。
「なんでオレだよ? チクショウ……神崎のヤツ、オレの事とことん目の敵にしやがって。全部オレのせいかよ? あいつが
目の下に隈。人相が変わるほど窶れ果てた上村の姿に胸が痛まなかったわけじゃない。
でも、
人生悪い時には悪いことが重なるものだ。上村が仕事を辞めさせられた直後に優衣の妊娠が発覚したらしい。
しかも胎の子の父親はヤツじゃないって言うから最悪だった。
上村は高校生の時にかかったおたふく風邪が原因で種無しになり、だけどそれを黙って優衣と結婚したんだとか。
それを知らない優衣に妊娠の報告をされたアイツの心中を思うと、俺はなんとも言えない気持ちになった。
ビッチを嫁にしたヤツが馬鹿なのは確かだけど、上村が独身時代にコツコツ貯めた金を頭金に買った新築マンションの
上村にとってそれはまさに青天の霹靂だった筈だ。
既婚者相手、避妊に失敗したのはどのトンマか気になるが、月齢を考えりゃ俺じゃないから関係はないだろう。
普通こういう場合、不義の子供を孕んだ嫁が責められるのが当たり前なんだろう。だけど、優衣と優衣の親は種無しを黙って結婚した上村に逆切れをかましやがったらしい。
「アタシを騙したのね、この種無し男!」
仕事を失くして無職。しかも好きな女に裏切られた弱り目に祟り目。
そんな中、アイツは嫁と義両親に罵られ……罵られ……罵られ。
───上村は、首を括って自殺した。
公園の小汚い公衆便所のドアノブにロープをかけ、ブラリとぶら下がった姿で発見されたんだとか。
嘘か本当かトイレのドアの内側に、大きく『恨む』と一言、書かれていたなんて噂がたった。
参列した上村の葬式には上村側の親族は両親始め殆どおらず、異様な雰囲気が漂う会場で喪主を務めたのは堕胎済みのペタンコの腹をして、デカい胸の上に沈痛そうな表情を取り繕った優衣だった。
上村の同期の俺は当然葬式に出ていたし、直接の上司だった神崎部長もまた参列していた。
正直、ヤツが死ぬ一因を作ったのは部長である筈なのに、すごい面の皮の厚さだなって感心したけど、実際はそうでもなかったのかもしれない。
上村が死んで暫くすると、神崎部長はみるみるうちに窶れ始めた。
ピンと張った背筋は力なく丸まり、実年齢より若々しかった顔は
慶弔以外無遅刻無欠勤の神崎部長が、ある朝仕事に来なかった。
この頃体調の悪そうだった部長だから、そんなこともあるかと外回りの仕事に出かけた俺が帰社したのは定時を回る少し前。妙な雰囲気のオフィスに戻って聞かされたのは、神崎部長がその日の朝、事故で死んだという事実。
「通勤中にグモッチュ……電車の事故だってさ」
と、同僚が俺に言う。
隣県の自宅から通勤中、各駅停車の駅で急行の通過待ちの最中、部長はホームから落ち電車にはねられ死んでしまった。
このトコロ様子のおかしかった部長の死を自殺か事故かとひそひそする声もあったけど、遺書は無く、家庭は円満。仕事面や人間関係にも特に問題は見つからず、あれは事故だったんだろうとの結論に落ち着いたようだ。
さすがは本社勤務のエリート社員。神崎部長の葬儀は上村の葬式とはケタの違う大々的な規模で執り行われた。
大きな葬儀場に白い菊花で埋め尽くされた祭壇。
献花、花輪の数も半端ない。
蒼白な顔の喪服美女が部長の細君で、目もとを腫らした名門女子高校のセーラー服の美少女が長女。俯き加減で歯を食いしばる利発そうな小学生の長男らを見るに、話だけじゃなく本当に家族仲が良かったんだろうことが窺える。
葬儀会場には読経の声が流れ、ところどころから抑えきれない嗚咽の声が聞こえていた。
抹香の香り漂う祭壇にはきっちり蓋が閉められ中の見えない棺桶一つ。
大きく引き伸ばされた神崎部長の遺影は、いまどきの流行なのか、スナップ風の何気ない一枚だった。
喪服の細君が遺影を見ながら嗚咽混じり、写真を撮影した最後の家族旅行の思い出を語る。
遺影の中、ネズミー
部長がネズミー
上村の葬式はひと月前。
ぞわりと、頭皮が粟立った。
上村……まさか、お前なのか……?
空調の効いた葬儀場内、にわかに我が身を襲う寒気に震えながら、俺はハタと思いついて喪服の内ポケットから私物のスマホを探り出す。
ざわ……ざわ……ざわ……と、止まない寒気に震えながら席を立ってトイレへと向かい、震える指で手の中の小さな画面を操作した。
理性はアレをただの偶然と判じるのに、馬鹿馬鹿しい妄想が暴走するのを止められず、俺の指は画面の上を踊る。
キーを付けた画像フォルダを開き、つい先週に自画撮りした一枚を探し出して画面に触れた。
上村が恨んでいたのは自分を死へと追いつめた神崎部長だ。
掌の中の画面に開かれた画像は、趣味の良い壁紙と家具、カーテンに彩られた薄暗い一室。ダークブラウンのピローケースに頭を乗せた裸の男女が戯れながら身を寄せる様が写されていた。
室内の光源は、半分引かれたカーテンの向こうから差す昼の日差し。半開きのカーテンの狭間、マンションの一室から見えているのは青い空と隣りの建設中のマンションと灰色の街並みだ。この窓の外にバルコニーは無く、当然ながら誰かが写り込んでいるなんて事もない。
「んなわけ……ねぇよな……」
力が抜けて、俺は笑った。
あまりにも馬鹿馬鹿しい。何もかもが、間抜け過ぎる。
会社の人間が大勢いる場で中座してしまったけれど、自分が座っていたのはずっと後ろの席だ。誰かに聞かれたら仕事の関係の連絡をしに行ったとでも言えば大丈夫だろう。
ふう……と、息を吐いて弔事の席で閲覧するには相応しくない画像に再び意識を戻した俺は、たわわに実った形の良い優衣のデカパイを眺めつつ、この女ともそろそろ潮時だろうと苦笑いに唇を歪めた。
身体の相性はいいし、保険金で小金持ちになったせいで最近気前良くアレコレ奢ってくれる女だが、しょせんは低学歴の派遣上がり。
本命との婚約も間近い事だし、幸い向うの相手も俺一人じゃない。
画像を見るのにパスが必要なよう設定していても、こんな危ない画像はもう消した方がいいだろう。
優衣の浮気相手は何も俺だけじゃなかったし、そもそも神崎部長の背後に鬱陶しいポーズで執拗に写り込むなんて馬鹿なことをやらなければ、上村が職場を追われる事にはならなかった。
俺はただ、ヤツの為に鬱陶しいポーズを考えてやっただけだし、俺が生贄にされて職場をクビにならないように、奴には不利なちょっとした根回し工作をしたに過ぎない。
タッチパネルを操作して、俺は裸の男女が室内で戯れる画像をデリートした。
スマホの画面から画像が消える瞬間、二人の背後に開いた窓の向こう側、建築中のマンションの屋上に妙なポーズで写り込むけし粒大の人影があったような気がしたけれど、きっとあれは見間違いに違いない。
ざわざわと背中が寒気を訴えるのも、たぶんこれは昨日の長湯のせい。夕飯を食ったら薬でも飲んで早い時間に寝てしまえば、明日にはすっかり良くなる筈だ。
神崎部長の葬儀が終わり、場が開けると俺は風邪気味なのを口実に同僚らが開く追悼の飲み会を断り家路を急いだ。
休日の昼間の葬儀は明るい時間に終了した。
郊外の巨大葬儀場の周辺は高層建てのビルなど殆ど見当たらず、広い敷地のホームセンターや郊外型ショッピングセンターなどが立ち並ぶ。適当に拾ったタクシーに乗って向かった先は最寄りの地下鉄駅だ。
駅にはちょっとした地下街が併設されていて、家族連れや買い物客らでちょっとした賑わいを見せていた。こんな場所に一流のショップなど入っていない。微妙に垢抜けないディスプレイの宝飾店の商品を冷かしながら、俺は本命の彼女に贈る婚約指輪について思いを巡らせていた。
商品棚の手前は場所柄か若者向けのチープな商品が並んでいる。だがまさかこんなカジュアルな指輪を渡すわけには行かないだろう。
相手の親は大手企業のお偉方だ。
ある意味ここは将来の為の投資だと思い切って出す方がいい。もう少しだけ彼女の乳がデカけりゃ、このくらい出し渋ったりしないんだけど……と、内心に溜息を押し殺しながら、俺の視線は多少高額の商品が並ぶ店の奥の商品棚へと向かって行った。
嘘くさい笑顔を張り付けた店員は紫の髪の婆さん相手、店の一番奥で趣味の悪い巨大な色石リングのセールストーク中。
相場と流行のリサーチくらい出来るかと思ったが、さすがにこんな店では置いている商品もそれなりでしかないようだ。
ふと、さっきまで背筋をざわつかせていた寒気が消え失せている事に俺は気づいた。
神崎部長の葬式の雰囲気に中てられ馬鹿な妄想に憑りつかれたのが、日常感漂うこのしょぼい地下街の賑やかさに洗われでもしたのだろう。
「……帰るか」
口中に小さく呟き、商品棚から視線を外す。
チラと目の端、店内の防犯映像が目に入った。
ざわり……背筋が凍ったのは、その瞬間。
白黒の画面越し、喪服姿の間抜け面を晒す自分の背後、流れゆく人並みの向こう側、鬱陶しいポーズを決める一人の男の姿があった。
身体は正面、顔は右横を向いたその男……上村の目が、どんよりと濁った光を浮かべ、俺を
じ っ と 、 見 て い た。
鬱陶しい上村 jorotama @jorotama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます