讐女戦記 - Jenseits von Gut und Böse -

糾縄カフク

Frau barbarischer als der Mann.

 ――また仕損じた、と。

 メアリー・スーは内心でほぞを噛み空を見上げる。


 天上で聖歌を口ずさみ、天使の如き外貌で術式をぶち撒ける悪魔。

 ああそうだ悪魔だろうと幾度と無く反芻するソレ。忌まわしくもあの少女、いや幼女とでも形容すべき何かが構えるのは、私が父へ贈った祖国の銃プレゼント。なれどその何れもが既に亡く、嘆かわしき我が身も今や遥か、故国から離れ連邦の空にある。


「退避せよ!」

 そう簡素に告げる上官の声に憎悪を募らせ、しかして表情のみを殺しメアリーは踵を返す。軍人である以上は従わざるを得ず、と。いかに不服な命令であったとて、それが責務なのだと己に言い聞かせ。




 なぜかくも、かくもかくも認識に齟齬があるのか。

 メアリーは自らは正義であると信じ、されど一向に理解されない現状を胸に煩悶とする。祖国たる協商連合の救済。眼前にある自軍の危機。討ち滅ぼすべくラインの悪魔。――すなわち、亡父の仇。逆に言うなれば、このラインの悪魔さえ駆逐できれば、万事が一切解決し得る。今ここで積み上げられる幾百の死体とて、遠き未来に待つ億千の命には代え難いだろう。


 それらが何故、あの上官、ドレイク中佐には解って貰えないのか。自分に問題があるなら聞き入れよう。理由があるなら是非問いたい。だがあの仏頂面の上官は、意味深な視線でこちらを一瞥し、さも厄介だと邪険に示すだけでにべも無い。ならばと臆病者の誹りを受けぬ様、常に意気軒昂たる姿を見せているにも関わらず、それですら邪魔に思われている様で心から歯がゆい。


 せめて、せめて直属の上司が、あの優しく物分りの良い、タネーチカだったら良かったのにと思いもする。連邦の政治将校たる彼女は、祖国を失って以来、国境を越え初めてできた友人でもある。常に柔和な笑みを絶やさず、他人の声に耳を傾ける人道主義者。いわば粗暴なドレイク中佐とは対をなす人理の守護者。だからとメアリーは、自らの置かれた立場の不遇を嘆く以外に道が無いのだ。


 幾人もの戦友の死骸を踏み台に生き長らえ、ようやっとネームドに一当て出来る極めつけの惨状。手を伸ばせども声を張り上げども、それでも尚とどかぬ最後の一手。父を殺し、祖国を滅ぼした、幼女の皮を被った、あの悪魔へ向けられた銃口は、いつだって掠りもせず空を切る。




 ――何が自身に足りないのか。

 度重なる敗北の度に投げかけられる問いは、今や更なる焦りを帯び始める。あの悪魔はそこかしこに跳梁跋扈し、にも関わらず我々は決定的な勝利を何一つ手にしていないのだ、と。或いはそれは、これまで自らが歩んできた、無垢で純真で、ゆえに怠惰とも言える日々への呪詛にすら集約する。


 父の無事を希い、殊勝にも祈りを捧げ続けた過ぎ去りし日。だが今になって考えるなら、果たしてその祈りに幾許の価値があったろうと悔しまずにはいられない。


 ――祈りで銃を撃てるだろうか。

 ――祈りで敵を阻めるだろうか。

 ――祈りで父を守れただろうか。

 ――祈りで悪魔を屠れたろうか。


 答えは残酷に、そして当然の如くノンだ。

 メアリーが愚直にも祈りを捧げる最中、あの悪魔は着々と人を殺す術を覚え、嬉々としてそれを行使してきた。それがこの、純然にして歴然たる彼我の差だ。正に悪魔以外を恨むならば、麗らかに日々を過ごせし我が身をこそ呪えと言わんばかりだろう。私があれほどまでに祈り捧げた神は、あろうことか終末の喇叭をあのラインの悪魔に託したのだと。




 そうとまで分かるのなら。――すうと深呼吸をしメアリーは思い直す。

 そもそも、今自らが身を寄せる合衆国ステイツですら、突き詰めれば異なる神を滅して作られた血染めの国家だ。いや歴史を紐解くなれば、神と神の殺し合いこそが、今日ある版図の母とも言えよう。ならば、ならば。


 ――認めたくは無いが、であるならば。

 あの忌まわしき悪魔が、黄昏のライヒにとって憚かる事なき天使だとするならば。この地獄が神の与え給う試練だとでも言うのならば、よろしい、こちらにとて覚悟はあると。


 お前がそれで神を気取るなら、こちらには神を殺す用意がある。信ずる者は救われると嘯いて、我らを欺いたお前をノルデンの氷海に叩き落し、たとえ悪魔と交わったとても打ち果たそうと。お前が選んだ天使と共に、我ら厭う悪魔と共に。




 するとメアリーは悪辣な笑みを浮かべ、歯軋りしながら銃を握りしめる。

今日ここで散った十三名。そしてこれまでに散った幾星霜。ああ、あなたたちを忘れるものかと。そして祈る。神では無く、散っていった戦友たちに、心から誓う。


 ――私がアレを必ずや討ち滅ぼすからと。

 たとえどれだけの犠牲を伴おうとも、たとえこの身が朽ち果てようとも。


 ああそうだ。

 これから未来、アレが生み出す惨劇に比べれば、我らが払うべき犠牲などたかが知れている。


 況や魔弾の射手、かくあれかし。

 七発目の呪いも敢えて受けよう。なにせザミエルよ、私にとっての最愛は、既にあの冷え切った海の底に沈んだのだから。


「Avenzing Grace」

 ぼそりと呟いたメアリーは、友軍を追い霧の舞う連邦の空に消えていく。


 味方殺しの魔女。血染めのブラッディメアリー。

 かくて善意から生まれ出たもう一人の悪魔が、赤い旗の揺れる戦場に勇名を馳せるのは、もう暫く先の事だった。




 讐女戦記 完

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