嘘松アーニャと夢色異世界

ピクルズジンジャー

第1話

 アーニャがトラックに跳ねられて異世界へ旅立ってから何年になるだろう。

 今でも私は折に触れて奇妙な友達、アーニャのことを思い出す。


 アーニャというのはもちろん仮名、もともとは同級生がつけた心無いあだ名だ。本名は21世紀の日本生まれの女の子としては極めてありきたりな名前である。ただしみんな彼女のことを陰でアーニャと呼んでいた。


 小学生でもないのにクラスに学級文庫があった年度だから、おそらく私たちが中学の二年だったころ。

 読書好きの担任が張り切って作った本棚の中に『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』というインパクトのあるタイトルの本が並んでいた。それを見た、普段本を読まないようなある女の子がクスクス笑いながら「なんか○○みたいじゃね?」とアーニャの名字を呼んだのだ。それを聞いていた同級生たちの大半は(普段その意地悪な子を敬遠している人たちまで)なるほどあいつは確かにアーニャだ、嘘つきアーニャ、と納得したそうで、本名が忘れ去られるほど浸透してしまった。

 つまり今から私が語ろうとしているその子は度を越した嘘つきなのだった。


 「そうで」と伝聞調になるのは、私がその時点ではアーニャの人となりを全く把握していなかったからである。

 意地悪な子がアーニャと命名した時、アーニャと違う小学校出身で中1の時にも違うクラスにいた自分にはそういった事情が分からず、クラス中が「クッ」と噛みしめる奥歯と腹筋に力を込めて笑いをこらえてるような時にただポカンとしていただけだった。アーニャと呼ばれた子は意地悪をされたにも関わらず涼しい顔で学級文庫に無い本を読みふけっていたので、強い子だなと感心していた。


 中一の時に軽いいじめに遭っていた私には当然のように友達はいなかった。私をいじめていた主犯格とは合同授業でも一緒にならない遠くのクラスに隔てられたことに勇気を持って登校したものの、ふとした瞬間にくじけてしまいそうなそんな毎日をすごしていた。家から持ってきた本や学級文庫の本(『嘘つきアーニャ』も勿論読んだ)を読んで休み時間をやり過ごしていた時、アーニャが背後から声をかけてきたのだ。


「『姫騎士シリーズ』好きなの?」


 『姫騎士シリーズ』とはそのころ女子と一部の男子を中心に人気のあった女の子向けライトノベルのシリーズだ。常に勝気で腕っぷしも強くてついでにおっぱいが大きいお姫様が冒険を繰り広げるついでに各巻でいろんなタイプのイケメンキャラ(時に美女や美少女)に求愛されるという娯楽色の強い物語で、ヒロインのお姫様はおっぱいの大きさから各巻かならずエッチな騒動に巻き込まれる(ただし一線を越えることはない)というのが売りになっていた。決してそれだけではない小説だったのだが、そんなものを学校で読んでいることがバレたら教室内のカースト下落は避けられない。故に私は焦ってカバーをかけていた文庫本を慌てて閉じたのだが、アーニャは平然とこう続けた。


「それ、エロ本みたいに言われてるけどストーリーは普通に面白いよね」

 

 私は無言でうなずいた。今でも誤解されているがこのシリーズの作者は後に大人向け小説に進出して別ペンネームでエンターテインメント系文学賞を受賞するくらいだからストーリーそのものはハラハラドキドキの連続で本当に面白かったのである(悲しいことに『姫騎士シリーズ』は黒歴史扱いされてるが……話がそれた)。 だから前日の夜に読み切れず学校に持ってくるという危険行為を犯してしまったのである。そしてエロ方面だけじゃない『姫騎士シリーズ』の良さを知っているクラスメイトに遭遇するという衝撃から、姫騎士シリーズに出てくるイケメンキャラで誰が一番好きかだの、面白いけどあの巻のあの展開はないよね、等と一方的に語り続けるアーニャのペースを諾々と受け入れた。

 それがきっかけでそのまましばらく休み時間を一緒に過ごし、一緒に下校したり本を貸し借りするような仲になったのだった。


 友達がいない辛さが身に染みていた私には、たとえ曰くのある女の子だったとしてもアーニャの存在は心強く、ありがたかった。

 LINEを交換して、メールのやりとりもするようにもなった。私はLINEのマメな交換が得意ではなかったので、そこでもやっぱりアーニャの呟きを延々垂れ流される状態になっていた。アーニャは返信や既読の有無で機嫌を損ねるタイプでなかったのが幸いだ。

 

 「友達」といってもよい仲に進展したころ、アーニャがアーニャと呼ばれるに至った原因を思い知らされることになる。他愛もない嘘をつきはじめたのだ。

 

 最初は二人とも好きな漫画家のサインを持っている、アイドルのだれそれは遠い親戚だ、だの、自分は霊感があるので黒くて長い髪の女をよく見る、だの、その程度のことだった。

 ちょっと困惑したが「なるほどこれが『アーニャ』の理由か」と頷きつつ、残念な気持ちになるのは否めなかった。アーニャは私には嘘はつかないんじゃないかなと、友情という概念に対する思い込みがあったせいだ。


 アーニャの嘘は一日一日、少しずつ濃くなってゆく。

 人気のイケメンユーチューバーと実は内緒でつきあっている。出版社につとめている親戚があたしの書いた小説を出版してくれることになった、イラストは人気絵師のナントカだ。一番突拍子のないものは、うちの家はある有名な戦国武将を先祖にもつ旧家でお正月には一族が一堂に介する。そこで去年次期当主の座につくことが約束されている男の子と婚約させられた……とかいうものだ。

 『嘘つきアーニャ』の本を書いた方は、友人の虚言に慣れて嘘の出来不出来をジャッジできるほどの批評眼を手にいれたらしい。そういった、嘘を面白がれる境地にいたることは私にはできなかった。ただただ困惑し、そして承認欲求まみれで見え見えの嘘をあびせかけられることが段々苦痛になってきた。


 そのころ運よく私はクラス内の地味でおとなしい女の子たちのグループに声をかけられた。私と同じように本や漫画が好きなオタク気質で、柔和な性格の子たちだった。私はすぐさまその子たちと打ち解けた。以降、アーニャとは時々ふとしたタイミングで深夜アニメの感想を交わす程度の仲になった。

 中学時代の友人とは今でも付き合いがあり、そのうち一人とはおそらく親友と呼んでいい間柄にある。アーニャの嘘にほとほと参っていたころ、真っ先に声をかけてきた子だ。なぜ私にあの時声をかけたのかと尋ねたところ、こう答えてくれた。


「だって、アーニャの犠牲者をもう見たくなかったもの」

 

 彼女はアーニャと同じ小学校出身で、アーニャが起こした騒動をよく知っていた。放課後女子トイレの鏡に向かって願い事をするとトイレの花子さんがかなえてくれる、ただしそれが四時四十四分だったら血まみれにされて殺される……という、いかにもありそうだけど本当はアーニャが創作した学校の怪談を真に受けた女の子が激しいパニックをおこしてしまったからだ。噂の大元であるアーニャは親呼び出しの上激しく叱られたのだという。

 花子さんに好きな男の子のことでもお願いしようとしていた女の子が、しかし自分が鏡に合わせて手を合わせた瞬間が四時四十四分だったと知った時の恐怖とパニックに陥る瞬間、彼女はそれを間近でみていたのだという。

「もうあんなのは勘弁してほしいよ。今でもトラウマなんだから」


 アーニャとの付き合いはそれきりになるかと思っていたけども、そうでもなかった。アーニャは細々とLINEごしに話しかけてくることがあった。でもそれらもほとんどがアーニャの他愛もない嘘で埋め尽くされ、次第にチェックすることすらしなくなった。それでもアーニャとのつながりは断ち切らなかった。自分がアーニャを見捨てたという負い目という傲りがあったせいだろう。


 アーニャが学校に来なくなったのはそんな頃だ。

 病欠かな、と、最初は気にも留めなかったけれど、三日休み、五日休み、気づけば二週間くらい経っていた。さすがに不安になり、私は久々にアーニャにLINEで連絡を取ってみた。学校休んでるけどどうしたの?


 アーニャの返信はこうだった。

 

「久しぶり。実は学校に行けなくなったの。トラックにはねられて異世界に転生したから」

「信じてもらえないと思うけど、でも本当」

 

 私はガッカリした。ついにアーニャの嘘つき癖はついにここまでになったのだ、と。


 私は即座にアーニャの連絡は無視をした。それなのにアーニャから連絡が入ったとスマホは通知をひっきりなしに鳴らす。あまりにもうるさいので放り投げたスマホを拾いあげ、古いものからざっと目を通す。


「トラックにはねられたらヨーロッパみたいな森の中にいた」

「スライムに襲われかけたとき、すごく格好いい戦士に助けられた。助けられたあと『丸腰でこんなところウロウロすんじゃねえ、死にてえのか』と叱られた」

「そのあと足をくじいているのに気づいた戦士があたしを背負って最寄りの魔法使いの家まで連れて行ってくれた。その魔法使いもすごく格好いい」

「魔法使いがあたしを見て驚いた。あたしの額に『魔王を倒す伝説の勇者の紋章』現れていたからって」

「その時持っていたスマホのカメラモードで自分の顔を映したら本当に花みたいな紋章が浮かんでいた。それに顔まで別人になっていた。今のあたしはすごい美少女だよ」

「今はその魔法使いに魔法の基礎を習っている。初歩の魔法でもあたしには難しくて今までかかった。心配かけてごめん」


 ざっとこんな内容だった。私は心底あきれた。学校休んでまで、なんてまあ、ドリーミーな物語をこしらえていたものだ。

 

 私の心配を返せ! と文字を打ち込んでから一呼吸して一旦削除し、再度打ち直す。


「今異世界にいるとしてもなんでこれ送れるの? 異世界ってWi-Fiあるの」


「Wi-Fiはなくても魔法がある」

「あたしのいた世界と連絡とりたいからWi-Fiみたいな電波出せます? って師匠に頼んだら魔法でなんとかしてくれた」

 

 これには思わず吹き出してしまった。


「師匠万能だね?」

「世界一の魔法使いだから」

 アーニャはしれっと送り返す。


 それ以降、アーニャの異世界通信は不定期に送られてくるようになった。電気の魔法を習得したのでスマホが充電できるようになったことを知らせてきてからは毎日通知が入るようになる。格好いい戦士と魔法使いの師匠と冒険の旅に出たこと、初めてモンスター退治をしたこと。旅先で優しい王子様とダンスを踊ったこと(この王子様も後に冒険のメンバーに加わる)……等々。

 私はその報告に目を通し、気になったことだけ一言二言返信していた。そんなに格好いい人たちなら一回くらい写真に撮って送ってよ、という意地悪な返信には、額に不思議な紋章がある美少女が構えるカメラにむかってイケメン三人が照れたり笑顔だったり思い思いの表情をしてみせる画像が送られてきた。皆ゲームの3DCGのような現実感のない美形ぞろいだったがうらやましい気持ちはみじんもわいてこない。ただアーニャに対してうっすら怖さを抱いたくらいだ。


 この画像送付がきっかけでアーニャはがんがん画像をおくるようになる。異世界の風景に異世界のモンスター、異世界のかわいいファッション、異世界の美味しそうなスイーツ、そしてイケメンたちのプライベートショット。

 一時期は画像ばっかりになり、軽い気持ちで「インスタやれば?」と返してみた。当時の私たちのクラスでは例の意地悪な子が所属しているグループの女子たち以外は閲覧はしても投稿してはならぬ、その禁を破って可愛い写真やキメ顔の自分、盛りにもったプリクラなどを投稿しようものなら問答無用で笑い者にするという暗黙の了解があった覚えのあるInstagram。でもゲームのスクショのような画像ではアーニャだとバレないだろう。


しばらくしてからリンクのはられたメッセージがやってくる。見れば取得したばかりのInstagramのアカウントで、一度見たことがある画像がずらりと並んでいた。


「今日から画像はこっちでやるね」

 呆気にとられる私にアーニャはそう答えた。


 私たちをとりまく環境とはかけはなれた素敵でおしゃれな画像で溢れるインスタの中で若干CG感の漂うアーニャのキラキラ画像は意外と違和感がなかった。アーニャのキャプションを読めない外国人が素敵なアートだと思ったのか無邪気にイイネをつけていく。

 私はなんとも言えない気持ちだった。

 

 当初私はアーニャは夜な夜な引きこもった自室で夢のような妄想異世界ライフを送り続けているのだと信じていた。あの画像はきっとボカロのキャラクターにダンスをさせるようなCG技術を応要したものだろう。それにしては素人ばなれしてるけれど、毎日家で時間をもてあましていたらプロレベルの作品だって作れるようになるのかも。

 だから、何月何日からアーニャが家に帰ってないが詳しいことを知っている者はいないか、その日アーニャを目撃した者はいないかと情報を求める趣旨の一斉メールが学校から届いた時は驚いた。恐怖に駆られて慌てて返信した。こういうことになってるけど今どこにいるの? お家の人もきっと心配してるよ?


「大丈夫、親には連絡しとくから」


 アーニャの返信はそっけなく、なんならちょっと怒っている風でもあった。そのあと怒涛の異世界通信が垂れ流され、私の心配は押し流されてゆく。


 その夜はアーニャがどこにいるのか、悪い大人に騙されて無いか、異世界通信のどこかに誘拐されたアーニャのSOSが潜んで無かったか……と心配であまりよく眠れなかった。

 が、次の日の学校は平穏そのものだった。例の意地悪な子が「また魔法学校に転校したんじゃね?」とアーニャの「家出」をひといじりしたくらいだ。


「あの子の家出騒動にはみんな慣れてるんだよ」


 親友はうんざりした様子で呟いた。小学校の高学年あたりからアーニャは何度となく行方不明騒ぎを起こしていたのだという(そのうちの一つが魔法学校への転校騒動。隣の県のターミナル駅でウロウロしていることを保護された)。


「こんなに長いのは初めてだけどね。まあそのうち出てくるんじゃない?」

「あの子の親が大変だよね。毎回毎回可哀想だったよ」

ベタな流れではあるけれど、私は頭にオオカミ少年の寓話を浮かべずにはいられなかった。


 眠れなかった夜を過ごしたことが悔しくて、その日の夜には「魔法学校に転校したことがあるんだって?」とまた意地悪なメッセージを送った。


「そうそう。昔短期留学してたんだ。だからかな、師匠によく『基礎ができてる』って褒められるの。最近はドラゴンも吹き飛ばせる究極魔法を覚えたんだ」  

アーニャはその程度の意地悪ではビクともしない。私はため息をつき、その夜は眠った。


 家にはいないし学校にも来ない、でもとりあえず元気に生存しているらしいアーニャ。

 そんなあの子が夜な夜な夢みたいな物語をこしらえ、夢みたいな画像を作り、私にだけ送りつけてくる。その姿を想像するとワアアアア!っと叫んで机に突っ伏したい気持ちになった。自分も当時ノートに物語を書き始めていたせいだろう。私はアーニャみたいに見え見えで恥ずかしい物語は作らない、もっと本格的で世の中の人を夢中にして立派なハードカバーの本になって本屋や図書館に並んで、それを読んだ私みたいな子供が生きてるのも悪くないなって感じてくれるようなそんな物語を作ってみせる……と意気込んだ自分もしょせんアーニャと同程度の存在だと知らされるのは恥ずかしくて辛い。

 

 アーニャが学校に姿を見せなくなっても毎日は過ぎてゆく。

 

 時々暗く沈んだ表情のアーニャのお母さんが学校を訪れる様子が目撃されたけど、どんな意地悪な子もそこには触れなかった。アーニャはいつの間にかいなくなった不登校の女の子として処理される。不登校じゃなく失踪したことすら忘れられていそうだ。

 きっとみんなアーニャのことなんか忘れるんだろう……そう思う私のスマホはアーニャの異世界通信を受け取り続けていた。


 

 アカウントを取ったはいいがメッセージをやり取りする相手が私ひとりだったせいで楽しくなかったのだろう、長い間ほったらかしにしていたTwitterをアーニャが利用し始めた。私たちが進級したくらいのことだろうか。


「あたしたちの物語を吟遊詩人くんがみんなに伝えた方がいいっていうから」

 

 それがアーニャのTwitter再進出の理由だった。吟遊詩人くんとは旅の途中で仲間に加わった文科系の美青年である。

 アーニャが異世界に転生した経緯や旅を始めた理由、その日までの簡単な旅路が報告された後は、「山越えきついよ~」だの「子供のドラゴン可愛いよ」とかリアルタイムで冒険の模様が実況されていく。もちろん自撮りを使った「彼女とデートなうにつかっていいよ」も忘れない。

 アーニャのTwitterアカウントをフォローしていたので、その様子が逐一TLに表示されていくのに参ったが、いつの間にか「そうか、今日はダンジョンを探索していたのか」とか「伝説のアイテムを手に入れたのか」とか「今日のアーニャは町ですっころんで戦士の彼氏にきわどいパンツを見られたのか(割とアーニャはそういうラッキースケベな事態を引き起こす)(ちなみにそのころからアーニャは異世界についたばかりの時に助けてくれた戦士の彼氏と両想いになっていた。とはいっても付き合っていない。つい憎まれ口をたたきあってしまう仲である)」とか、アーニャの旅の模様を素直に受け入れている自分に気づかされていけないいけないと頭を左右に振り払ったりもした。


 それにしてもアーニャは魔王を倒す伝説の勇者だったはずだが魔王退治はどうなったのか? なんだか海でバカンスとかそんなことばかりしてるけど(もちろん清楚でありながらちょっとほんの少し露出の多い水着姿での自撮りは忘れない)(ていうか海でのんきにリゾートができるような平和な世界なら勇者いらないんじゃあ)? 

 

 おっくうな受験勉強に煮詰まった夏休みの夜にそんなことを聞いてみたら突然、異世界のアーニャは魔王にさらわれてしまった。


「魔王城とらわれ中」

 鎖のついたぶっとい首輪をはめられた美少女アーニャの自撮りがtweetされてきたときにはさすがに椅子から転げ落ちそうになる。そして爆笑した。

 立て続けに魔王の写真も送られてきた。魔王は蝙蝠のような羽をはやしたビジュアル系バンドにいそうなやせぎす美形である。よく魔王が写真撮るのを許したな。

 そこからひと夏はさらわれたアーニャが愛の力で魔王を改心する壮大なストーリーが始まってしまった。私は放置されている戦士の彼氏や世界一の魔法使いに王子様に吟遊詩人君がどうなったのかが気になったので、勉強の息抜きがてら質問をしてみた。


「あたしもみんなのことが気になってるけれど、でも魔王城にいる間はみんなのことが感知できないの」

 アーニャの答えはこれである。私は戦士の彼氏がちょっと可哀そうになった。明らかにアーニャは新たなお気に入りキャラの魔王との虜囚ライフを楽しんでいる。


 後に「魔王城虜囚編」と名付けられることになる囚われのアーニャの一巻は、戦士一行がなんだかんだで魔王城に乗り込みアーニャを救い出すことで終わる。魔王はアーニャに未練を残しながらどこかへ飛び立っていった。

 そういやアーニャは究極魔法を習得したんじゃなかったっけ……? と質問しようとした時には、逃げた魔王を追う一行の新たな物語が始まってしまう。


 

 アーニャはSNSのアカウントには鍵をかけることはなかった。

 見るのが実質私ぐらいだったので鍵をかけようがかけまいが一緒だったのもあるだろうが、本当はもっともっとたくさんの人たちに自分の異世界ライフを知ってもらいたかったのだろう、吟遊詩人君が言っていたように。


 各種イケメンたちに愛されながら異世界を冒険し続けている体で語られるアーニャのアカウントは、ある時からTwitter住民の目に留まり「イタいアカウント」として一気に拡散されてしまう。バズったおかげで一気にフォロワー数が万単位になってしまった(私はこの時に鍵をかけた。リプの履歴からたくさんの野次馬が私のアカウントを覗くようになったからだ)。

 その結果、どこかの匿名掲示板でアーニャの稚拙な異世界実況と妄想臭のきつい画像を眺めてこそこそ笑う人が集まるヲチスレと、「気持ち悪い!」「不愉快!」「視界に入れたくない!」と怒る人たちが集まるアンチスレが立てられるまでになる。アンチスレはあまりにもガチな人が多くてついていけなかったが、実を言うと私もしょっちゅうアーニャのヲチスレは覗いていた。そして住民たちの容赦ないツッコミに留飲を下げていた。アーニャの異世界通信について語れる仲間を欲していたのだ。でたらめな展開に対する揶揄や批判はアーニャには言えないがひたすら痛快だった。

 アーニャの異世界通信はヲチスレを含めて娯楽として完成する、私はそんな尊大な結論を手軽に得て、満足していた。

 

 私には意外なことだったが、ごくわずかであっても純粋なファンの声がアーニャの下に寄せられるようになった。アーニャが定期的にのせるイケメンたちの画像のおかげだろうか。この人たちは純粋にアーニャの「CGを使ったクリエイター」としての腕を称賛しているようだった。天才とまで持ち上げる人もいる。

 意地悪なヲチ民や正義感にかられたアンチの人もアーニャがつかうイケメンたちの画像の元データなどは突き止められなかったようで、現実にはあり得ない人やものをいかにも存在している風に描いてみせる技術においてはしぶしぶであっても技量を認めている風ではあった。

 アーニャはあくまで自分が旅の途中で撮った写真であると言い張り続けていたが、褒められるのは気分がよかったのだろう。フィクション扱いされてもそういう声はちゃんんと残す。

 時にはアーニャの自撮りにも称賛の声が飛ぶようになる。称賛の声にはアーニャ自身が積極的にお礼をするようになる。

 

 そんな炎上と祭が一緒になった大変な状況下でも、アーニャは鍵をかけなかった。

 しかしある時事件が起きる。


「アーニャ学校こないで何やってんの?」

 

 戦士くんとの自撮りを載せたtweetにこんなリプがつく。

 あの子をアーニャと呼ぶのは私たちのクラスの生徒だけだ。糞リプを寄越した子のアカウントを確認すると、案の定意地悪なあの子だと知れた(その子はその子で個人情報ダダ洩れだったのだ)。

 アーニャのアカウントは最初期のうちに発見されて、こっそり閲覧されては笑われていたらしい。今までは黙って見ているだけだけだったけどついに我慢ができなくなったのだろう。


「おばさん困ってるし家に帰れば、アーニャ?」

「アーニャ整形激しすぎ」

「アーニャのCG技術ヤバすぎ」

「アーニャ高校行けなくなるよ? 魔王倒してる場合じゃないよ?」


 アーニャのtweetにその子たちの仲間による糞リプはぶら下がる。当然フォロワーは「アーニャって何?」とざわめく。そこからアーニャの個人情報が拡散されるまでは早かった。

 アーニャが評判の嘘つきなこと、ただの中学生であることが一気に知れ渡る。アーニャがようやく鍵をかけた時にはもうアーニャに関する一連の出来事や個人情報は「【悲報】Twitterで異世界冒険記の連載中の嘘松 同級生に凸される」と冠されて複数のまとめサイトに取り上げられていた。


 ちなみにこれがアーニャの異世界通信が「アーニャサーガ」と名付けられきっかけだったりする。。


 

 夏の終わりにふさわしい大型花火に私たちの学校は騒然としていた。

 新学期が始まると全校生徒がアーニャの冒険ストーリーをネタにしてはぶっと噴き出すし、美少女アーニャのキメ顔らしい上目遣いの自撮り写真は「アーニャポーズ」として定着しうちの中学限定の鉄板ギャグとなった。実際のアーニャを知っている生徒には破壊力抜群だったのだ。

 とはいえアーニャフィーバーはネットでもリアルでもひと月ほどで収束した。いかなる優秀な踊り子といえど、鍵をかけてしまえば沈静化せざるを得ない。現実には新たなネタが生み出され古いネタは飽きられ顧みられない。


 しかしそのころ、私がSNS経由で行方不明のアーニャと連絡を取っていたことが明らになり教師陣から軽く説教される事態に発展してしまう。

 

 ○○さんが行方不明になっていることはお前だって知っていただろうにどうして黙っていたのか、親御さんの気持ちを考えたことがあるのか? 黙っているのが本当の友情だと思うのか?


 担任の先生から正論をぶつけられては私もうなだれるしかない。ひたすらごめんなさいを唱えるばかりだ。喉元まで込み上げてきた「私はアーニャに帰ってこいって言ったんです」の思いは必死に飲み込む。きっと話が余計にこじれるだけだろう。


 ところで○○さんはどこにいるんだ? お前は本当は知っているんだろう?


 これには首を左右にふることしかできなかった。だって本当に知らないのだから。

 教師たちはなんどもなんども問い詰めたが知らないものは知らない。アーニャが本当にどこにいるのか、Wi-Fiに接続できるような都合のいい異世界に本当にいるのか、アーニャの親御さん以外なら私が一番知りたいはずだ。


 私がついに泣き出したので教師たちもそれ以上の追求はしなかった。おとなしくて成績がほどほどにいい元いじめられっ子の経歴がプラスに作用したのかもしれない。

 しかしアーニャの親御さんに詳しい話をしなさいと、担任とともにアーニャの家を訪れることになったのだった。


 思えばアーニャの家へ行くのは初めてだ。

 どうってことのない普通の家だけど、部屋の中が雑然と散らかっていた。生活感のある雑然さではなく、心ここにあらずな雑然。

 間近でみるアーニャのお母さんも、心がここにない様子だった。そりゃそうだ、一年近く娘が行方不明でそのうえネットで炎上しているんだから。


「あの子からは以前、連絡があったんです」

 私がアーニャからのLINEがきてからのあらましをなんとか語り終えた時、アーニャのおばさんはそう言った。

「トラックにはねられた弾みで異世界に行ったとかなんとか夢みたいなことを……。娘が言うはねられた現場にも言ってみたんです。国道沿いのコンビニの傍です。先生はご存知でしょうけれど見通しがよくて事故なんて起きるようなところじゃないでしょう?」


 そこは私たちの中学の生徒がよく利用するコンビニの一つだ。アーニャはその日の夕方、理由も告げずふらっと出て行ったのだという。アーニャのそういう行動はよくあることだからおばさんも気に留めなかったのだそうだ(あの子の行動をいちいち気にしていたら神経がもちません)。


 おばさんはアーニャからそれを聞かされた次の日、コンビニを訪れてその日事故が起きなかったかと尋ねてみたらしい。運のいいことにその日のレジを担当していたのが、アーニャが行方不明になったまさにその時にレジのシフトに入っていた人だった。おかげで話はわりあいすんなり進んだという。

 レジの人は確かにお弁当を買ったトラックの運転手が店を出てしばらくたった後にドオン! というすごい音がしたのを聞いたらしい。慌ててレジから外に出ると、トラックを停止させた運転手が血相を変えてドアを開けてフロントの方へ走ってゆくところだった。レジの人と運転手は血相を変えてトラックの前後やトラックの下を見て回る。

 ところが、奇妙なことにドオン! という音と衝撃のもとになったものはどれだけ探してもみつからなかったという。トラックも無傷でへこみすら見つからない。


「女の子が飛び出してきたのが見えたんだけどねえ……。まあ気のせいならよかったよ」


 運転手さんは腑に落ちなさより安心が勝った微妙な笑顔でそう言ったという。

 なんだか狐につままれたみたいとしか言いようのない出来事で、お互い苦笑いをしながらレジの人はトラックの運転手を見送ったそうだ。警察には連絡しなかった。だって轢かれた人もものも見つからなかったのだから。


「本当に狐か狸に化かされたなって思いましたよ」

 

 そういったのだという。

 店長さんはものわかりのいい人でその日の防犯カメラが録画した映像をみせてくれたそうだ。本人の言葉通り、あるタイミングでカウンターの中から駈け出してゆくレジの人の映像が映されていたらしい。


 でも、それだけだ。


 アーニャの痕跡はそこからぷっつり絶えてしまったことが明らかになっただけだ。


 埃っぽい和室で出された麦茶を飲みながら、私はどんどんうすら寒くなってゆく。アーニャは本当に異世界に旅立ってしまったのか。嘘じゃなかったのか、アーニャの癖に。


「しばらく経ってから、娘がこんなものを送ってきたんですよ」

 

 私も教師も黙り込んでしまった気まずさをどうにかする意図でもあったのか、アーニャのおばさんは通販会社が使うような段ボール箱を取り出す。中には卵ほどの水晶玉が梱包材に詰められて入っていた。


「なんでもこれに向かってお祈りすれば体の不調をたちどころに治してくれるとか……」


 私はそれをみてあっと声をあげそうになった。それはアーニャたちがダンジョン探索のはてに見つけた秘宝の一つだ。インスタにだって載せているし、アーニャをかばって怪我した戦士くんをその水晶の力で治している。

 早速その画像を見せて説明すると、おばさんはぼんやり笑ってみせた。


「私も最近それに向かってお祈りしてみると、わりに体の調子がよくて……。あの子の父親は嫌がるんですけどね、この話をすると」

「今大病している親戚がいるんですけど、おまじない代わりに拝ませてみたんです……。何かの宗教に勧誘にきたと敬遠されたんですけど、一度その水晶の効果を知ってからは感謝しきりで……。こんな話、あなたに聞かせるようなことじゃないわね……」

「でも、あの人騒がせな娘がようやく人様の役に立てることをしてくれたんだなって……」


 うつろな声でぽつぽつとおばさんは語った。


 それからすぐ私たちはアーニャの家を後にした。担任は深刻な表情で、何か変わったことがあればすぐに言うようにとだけ言った。警察沙汰にした方がいいが、どこまで踏み込んでいいのか考えあぐねている表情だった。

 

 アーニャのことはそれからずっと不問にされた。担任は警察や児相に持ち込みたかったみたいだけども、アーニャのおばさんがそれを望まなかったらしい。歯がゆそうな教師はそれから何度がアーニャの近況を私に尋ねた。鍵垢のなかでアーニャは相変わらずのんきな冒険を繰り広げている。その一方で自分に悪意あるアカウントはブロックしまくっていた。とにかく元気だとだけ担任には伝えた。それにしても魔王退治はどうなったんだ?


 アーニャが実は行方不明の中学生である一件がネットでも知れ渡るとすぐさままとめられ、「アーニャ 行方不明」「アーニャ トラック 転生」は検索してはいけない言葉として一時的に有名になった。

 

 アンタッチャブルな一件としてネットの片隅で記録されるはずだったアーニャの物語。

 私も受験が忙しくなり、アーニャの物語は息抜きで接するようになった。戦士君を好きになった伯爵令嬢との三角関係にアーニャは悩んでいる。後に「トライアングル編」と名付けられるストーリーだ。アーニャはまた魔王退治を忘れている。


 

 高校に入学し、新生活が始まり、マンネリ化したアーニャの物語に飽きた頃、LINEでアーニャから突然あらたなリンクが送られてきた。

 開いてみたらそれはイラストや漫画を投稿するSNSに投稿された、アーニャと戦士くんのいちゃついた毎日をつづった四コマ漫画だった。紙にペンで描いたものをカメラから投稿したらしき稚拙な出来栄えだがそれゆえにゲームのスクショのようないつもの画像よりも説得力にあふれている。久しぶりにのけぞった。

 過疎っていたアーニャのヲチスレを覗くのと、住民たちも当然沸き返っていた。アーニャ復活か、それともアーニャを名乗るものによる悪質な愉快犯か。


 愉快犯でないことは私にはわかった。その絵のタッチはアーニャの落書きによく似ていたから。


「ちょっと手が空いたからやってみたんだ」


 何やってるの? という私からの問いに対するアーニャの答えはそれだけだった。多分、鍵垢内でtweetするだけでは承認欲求が満たされなくなったのだろう。なにせそこでのアカウント名が「アーニャ」だったのだから。アーニャはついに開き直ったのだ。

 

 それから毎日のように、作者自身をヒロインにしたいちゃいちゃ愛され四コマ漫画が連日投稿されるという悪夢が始まり、そのSNSの住民たちを騒然とさせる。おまけにアーニャは王子と吟遊詩人くんのBL的なサイドストーリーまで投稿し始めたのだ。それを見たときは口から変な笑いがもれた。あの二人いつの間にそんなことになっていたのだ? ……じゃなくて、


「やりすぎだよ!」


 私は耐えかねてつい久しく絶えていたリプをした。通常の冒険実況tweetやインスタ投稿に加えて漫画を二本ほぼ毎日のように投稿、明らかにオーバーワークだ。いつ冒険やるんだ? そもそもプロレベルの人がいるサイトなんだからいつもの異世界風景を投稿すればいいじゃないか。あれだけはアンチの人も認めるレベルなのに……と言いたかったけれど飲み込む。ともあれアーニャはけろりとしていた。


「なんで? あたしはあったことをただ報告してるだけだよ?」

「明らかにやりすぎ! 大体魔王退治はどうなったの?」

「魔王は地獄で英気を養ってるから大丈夫」


 とりあえずアーニャが魔王に飽きたのはわかったけれど何がどう大丈夫なんだ?

 理解に苦しむ私をおいてネット上は「アーニャ復活」に沸き返る。この四コマ漫画でアーニャのことを知った新規の人たちがアーニャの旧まとめサイトを訪れて驚愕し、再び拡散に努める。再びアーニャ旋風が吹き荒れる。

  

 ところが今回はアーニャに対する追い風があったのだ。アーニャの稚拙な漫画に魅せれれた女の子たちの中から、熱狂的なアーニャファンが表れたのだ。なかなか理解しがたいが、異世界からやってきた孤独で可愛い女の子がいろんなタイプのイケメンから求愛される展開はあるタイプの女の子の心の扉を強烈にノックしたらしい。かくしてアーニャや戦士君、魔法使いの師匠、王子、吟遊詩人君、魔王といったなじみのキャラクターの二次創作があふれかえる(明らかにアーニャより画力の高いイラストがいくつもあった)。

 そのほか新たに増えた新キャラクターを使ったオリジナルストーリーが作成され、アーニャの世界は更新されてゆく。全くアーニャの関係しない人物たちの物語まで語られだす始末。特に意地っ張りで素直になれない伯爵令嬢を主役にしたファンフィクションは独立した物語世界を確立したほどだ(その中で伯爵令嬢は世界を救う巫女の生まれ変わりだということが判明した。判明というか、ファンが勝手に作った設定なんだがアーニャが「そうなの! 私もそのことは最近知ったばかり。彼女も自分の使命に気づいて驚いていたわ」と気に入ってしまったので公式になった)。

 先ほど述べた「アーニャサーガ」の名称が本格的に使われだしたのもこの頃だ。最初はアーニャの稚拙極まりない冒険ファンタジーストーリーを揶揄した言葉だったはずなのに、いつの間にかアーニャを中心とした世界観でおきる登場人物たちの悲喜こもごもや歴史を語ったものという使い方をされ始めていた。


 需要あるのか? といぶかしんだ王子と吟遊詩人くんのBLにも反響があり、相乗効果で「アーニャ」の名前は知れ渡る。主に幼いアーニャファンたちは、昔からあったアーニャのヲチスレ、アンチスレに乗り込み、ネットの片隅でアーニャ大戦が繰り広げられるという馬鹿馬鹿しい出来事まで勃発。みんなアーニャに巻き込まれてゆく。


 

 唖然としている中、私の高校生活は順調に進んだ。友達にも恵まれ、部活に打ち込み、初めて恋をして失恋も経験した。本や漫画も楽しんだが、とくになんてことのない毎日を滋味豊かにつづった随筆や小説、旅行記や軽く読めて笑えるエッセイなどが好きになった。ファンタジーはアーニャからの異世界通信と日々拡大してゆくアーニャサーガで十分だ。

 時々風のうわさでアーニャのお母さんがなんらかの教祖様になったなんて情報が耳に入ったけれど、聞かなかったことにした。アーニャにも伝えていない。

 

 私たちが19歳になる年度、ついにアーニャと戦士君が結ばれたのを報告した時が第二次アーニャブームのピークだっただろう。アーニャのファンや信者たちは(一体どこまで本気にしているのか)祝福し、アンチたちはキメエと大合唱。その様子をつづった小説をR-18タグで投稿したのだからますますキメエの声は高まる。私だってドン引きだ。

 ただしその小説の内容が「処女の妄想臭い」「中学生が書いたみたい」で片づけられるものだったから、気持ち悪い漫画やtweetを連投するおかしな都市伝説もちの不気味なアカウントから「なんかちょっと、可哀そうな子」にまで落ちてしまう。

 かくして自己顕示欲に負けたアーニャブームは再び沈静化した。アーニャサーガの語り手たちは、自分がかつて異世界に転生した少女の物語に一喜一憂したことをわすれ黒歴史として口をつぐむ。

 

 私はこのままアーニャが自己顕示欲と承認欲求を手なずけて、どこかで幸せにくらしていればとそう思うことで思考停止していた。大学生活はそれなりに多忙だったのだ。アーニャのことに頭と時間を割いているスペースはない。


 ……と思ったらなんと、アーニャの漫画やtweetをまとめたものが書籍化されるというとんでもない事態がおきてしまったのだ。寝耳に水だった。

 いくら出版不況だからってあんなものを出版する会社は何を考えているのか、青少年に悪影響だ! アーニャアンチたちは怒り、残存していたアーニャ信者たちは聖典の出版に欣喜雀躍。沸き返るアーニャ界隈。選ばれしアーニャファンを覗いて唯一コンタクトを取れる存在となった私は久しぶりにリプをする。


「書籍化って、何考えてるの? 第一あんたどうやって出版社の人と話すすめるの?」

「何ってネットで。権利とか金銭とかそういう話は母さんに任せたから」

「母さんて……」

 怪しい石を拝ませる教祖様としての存在感を着々と増してゆき、町内に住むものとしてはもはや無視できなくなっているアーニャのお母さんのことを思う。

「あたしもそろそろ母さんに親孝行しようと思って……。でもあたし、そっちの世界に行けないでしょ? 本を出した時の印税とか売り上げとかを丸ごと母さんにあげれば老後の資金とかそういうのになるかなって」

 

 あんたの母さんはあんたが前に送った石のお陰で荒稼ぎしてるし、Amazonのレビューで星一つばかり投げつけられるのが決まってる本の印税なんか雀の涙にもならないよ!

 ……そう言いかけたけれど、すんでのところで飲み込んだ。「Amazonのレビューで星一つばかり」はアーニャを徹底的に傷つけるとギリギリで踏みとどまれたから。


 アーニャの旅の記録はこうして一冊の本にまとめられた。もちろんファン以外の評価は散々だ。

 おまけにイタい妄想ストーリーの作者が数年前に行方不明になった女子中学生の可能性があり、しかもその母親は霊媒師として活動しているという闇まみれの物語は週刊誌を呼び寄せた。週刊誌が動けばスポーツ新聞もテレビも動く。ついにアーニャのストーリーはネットの世界を飛び出した。私はアーニャの描いた拙いイラストがテレビで映し出され、ナレーターがアーニャの稚拙な愛の物語を朗読し、コメンテーターが深刻ぶった顔で「少女の心の闇が……」ともっともらしくつぶやくたびに再びウワアアアアっ! と叫びたくなった。


 怪しい霊媒師を母に持ち何かの犯罪被害者かもしれない少女の妄言を書籍化した出版社の非見識を責める声が殺到したせいか、それとも単に売り上げが芳しくなかったせいか、アーニャサーガの書籍化はそれだけで終わり、またもこの一件にはアンタッチャブルという空気を漂わせて今度こそアーニャブームは鎮まる。

 マスコミの去った町の様子を眺めて、やれやれとそっとため息をついた。わたしのもとにもインタビューを求める人が何人か訪ねてきて往生したのだ。

 


 大学を卒業し、内定をもらった会社で鬱になりかけつつもなんとか耐え抜き、学生時代から付き合っていた彼氏との結婚し、子供を産んで、私は主婦になった。

 

 アーニャは今でも逐一連絡をくれる。沈静化したとはいえアーニャは毎日かかさずtweetと漫画の投稿はかかさなかったのだ。インスタにも可愛いモンスターやきれいなドレス、素敵な風景を中心に画像があげ続けている。一体どこでどうやって手に入れたのか、ほぼ日手帳に異世界の美味しいカフェのことを色鉛筆のイラスト入りでメモした日記を写真で載せるようにもなる。アーニャサーガはまだまだ地道に拡大している。その執念と努力には素直に頭が下がる。私はついに物語を一つもかきあげることができなかったのだから。

 

 最近アーニャも戦士君との間に子供をさずかり、異世界ほのぼの育児エッセイマンガという謎のジャンルで活動するようになった。どういう経緯で手に入れたのかは不明だけれど、今では液タブで描いたフルデジタル漫画を投稿している。きっとなんでもしてくれる魔法使いの師匠がその辺をどうにかしてくれたのだろう。

 アーニャの描く育児描写は、まがりなりにも一児の母となった私には間違いばかりの粗だらけに見えた。きっとアーニャは出産も育児を経験していない。そのことはヲチスレでたびたびネタにされている。どこかの有名な育児エッセイから盗作しているのだろう、と。おそらくそれは正しいと思う。アーニャは絶対認めないだろうけど。


 ファンがほのぼのエッセイを求めていないと知ると、サブキャラでいちゃいちゃあまあま漫画を投稿し、魔王はどうしたという突っ込みが入ると突然魔王を主役にしたスピンオフが始まる。Twitterだって通常運転だ。アーニャは今日もそんな調子で異世界の様子を語ってくれる。泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロのように、語らなければ死ぬんじゃないかという勢いだ。


 ある年のお盆に家族と里帰りした際に、アーニャが消えたコンビニに立ち寄ってみた。アーニャが消えたと思われるポイントで久しぶりにLINEを送る。



「今、幸せ?」

 

「幸せだよ、なんでそんなこと聞くの?」


 間髪入れずに返信が来る。そりゃあそうだ、そう聞かれたらそう返すしかない。

 じゃあなんといえばいいのだろう。そもそも私はアーニャからなんという答えを引き出したいのだろう。わからない。


「私のこと、そこから見える?」


 もう一度意味のないメッセージを送る。


「見えるわけないじゃん」

 

 笑顔の絵文字つきでアーニャは返した。

 

 コンビニに入ってきた車がおかしな場所に突っ立っている私の前で止まったのであわてて移動した。



 小さい子がいるとなかなか読書の時間を確保するのが難しい。気づけば接している物語がスマホから気軽にチェックできるアーニャサーガだけなんて日もあって戦慄を覚えたりもする。

 時々アーニャは物語っていうバケモノに食われてしまったんじゃないかと想像してみることもある。そのバケモノはアーニャという語り手が欲しかったのだ。なぜか? この世に存在したいから、自分がそこにいることを知らしめたいから。アーニャはそのバケモノの腹のなかで溶かされていることに気づかず、スマホから物語を垂れ流し続けている……。


 そんなことを訳知り顔でとくとくと語ればアーニャきっとへそを曲げるだろう。アーニャは伝説の勇者なのだから。たとえ魔王退治のことを忘れている様子であっても。


 最近はインスタにも例の異世界ほのぼの子育てエッセイマンガを転載するようになった。強心臓にもほどがある。

 他の投稿とは明らかに異質で異様な内容に困惑する無数のインスタグラマーがざわつきだしたが、毎日投稿し続けただけあってぱっと見は可愛らしくなった漫画の絵柄に惹かれた人々が「素敵な旦那さんですね!」「お子さん可愛いですね」「うちも同じです~。子供って大変だけど笑顔をみてると疲れも飛んじゃいますよね」とコメントを残していくようになる。どうやらインスタ界の子育てママたちはアーニャの漫画を変わり種の子育てエッセイだと思い込むことにしたらしい。

 それを前に、これまでに一度も禍々しいアーニャサーガに触れることなく人生を謳歌してきたような優しくて満たされた人の多いインスタ界の善男善女が奴の承認欲求の餌になる現場はみていられぬとばかりにまた軍備を整えるアーニャアンチ&ヲチ民……。またアーニャ大戦がはじまるのだろうか。そういえばアーニャ大戦は繰り返されるたびに規模は大きくなってゆく。私は頭に映画「ターミネーター」のラストカットを思い浮かべた。


「夫と子供と一緒にダンジョン探索です~」

 アーニャの最新ポストは異世界の食材を使ったカラフルで可愛いお弁当の画像だ。魔王はどうした?


 アーニャの物語は今日も届けられる。私は今日もそれを読む。

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嘘松アーニャと夢色異世界 ピクルズジンジャー @amenotou

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