カリフラワーのシチュー

タルト生地

不思議なシチュー

 玄関で私をいつでも最初に迎えてくれるのは美味しそうな匂い。それに続いてお父さんのおかえりー、と言う声。

 醤油と出汁の香りに、帰り道で汗ばんだ体は空腹を思い出す。今日は和食だろうか。

 部屋に荷物を置いて、空になった弁当箱と一緒に食卓へ急ぐと、すでにテーブルに夕飯が揃っていた。

「おかえり、桜。今日は肉じゃがとほうれん草のお浸し、それと味噌汁。冷蔵庫にトマトもあるから食べたかったら切るよ」

 トマトもいいな、とも思ったがやっぱり気分が違ったから断った。それから炊き上がった白いご飯をよそい、いただきますを合図に2人きりの食事が始まる。

 ほくほくとしたじゃがいもや味のしみた人参が居残り勉強で疲れた体を労ってくれていた。

「美味しい」

「そうか、良かった」

 少しだけ嬉しそうなお父さん。そしてまたそれぞれ箸を伸ばす。


 お母さんは私を産んですぐに亡くなってしまったから、うちではお父さんがご飯を作る。

 長年作っているからか、娘の私が言うのもなんだが料理の腕は良いと思う。友達に話すと珍しいとか羨ましいとか言われることもあるが、私にはこれが日常だ。

 今日は5月20日。高校3年生になってしばらく経ち、ますます難しくなる授業や部活動で増える責任、埋まらない進路希望表なんかにも追われる中、今年もあの日がやってくる。

 2日後の22日。『カリフラワーのビーフシチュー』の日だ。




 翌日、友人の真由にそのことを話した。

「カリフラワーのシチュー? 桜んちそんなの出るの?」

 でも確実に明日の夕飯にはその、みんなは食べたことないものが夕飯に並ぶのだ。

 そもそも私がこれに気がついたのは最近、中学3年生くらいのとき。もうシチューなんて季節じゃなくなったくらいに、人参や牛肉に混じって異質な白い物体の入ったシチューが現れる。その日が毎年同じ5月22日だった。不思議なことにその日以外に食べるビーフシチューにカリフラワーは入っていない。

 そして毎年特に変わった様子もないお父さんに、何となく聞けないまま数年が過ぎてしまった。

 気になり始めたことは時間に比例して心の中で大きくなっていく。今年はいよいよ謎を解き明かしたいと密かに思っているのだ。

「気になるならネットで検索してみたら? 5月22日って。なんかそういう日なのかもよ。カリフラワーの日。みたいな」




 今日のお出迎えはケチャップの匂いだ。いつものように食卓に着くとお父さんと一緒にミートソースのスパゲティが待っていた。

「学校はどうだ」

「別に何もないよ」

「そうか」

「友達とは仲良くやってるか」

「うん」

「そうか」

 あまり広がらない会話の中、私はお父さんに質問をしてみた。

「ねぇ、サイクリングって好き?」

 急な質問に一瞬不思議そうな顔をしてから、私に答える。

「別に好きじゃないな……学生の時以来自転車なんか乗ってないしなぁ」

 サイクリングの日はどうもハズレみたいだ。そもそもサイクリング好きだからといってカリフラワーのシチューとどう繋がるのかわからないし。次の質問だ。

「そっかぁ。じゃあガールスカウトに行ったことは?」

「一体今日はどうしたんだ、ないよ」

 ガールスカウトの日もハズレ。

 他にもいくつか記念日はあったが質問さえ思いつかないので、諦めてスパゲティをフォークに巻きつける事に集中した。

 できれば使いたくはなかったが最後の手段、直接聞いてみるしかない。




 当日の夜、玄関を開けるのは何となく緊張した。久しぶりに会う友人と待ち合わせをしているときの感覚だ。

 少しだけ息を吐き、ドアを開く。

 そこにはやはりデミグラスソースの美味しそうな匂いが広がっていた。

 なんでもないのを装ってただいまと言い食卓へ行くと、カリフラワーの入ったビーフシチューが当然のように湯気を立ててそこにあった。やっぱりお父さんに変わった様子はない。

 いただきますと揃って言い、スプーンを沈める。カリフラワー以外は普通の美味しいビーフシチューだ。


「どうした? 何かあったのか? 」

 モヤモヤとした思考を切り裂いてお父さんが問いかける。原因はあなたが作っているのだ、と思いつつも私は意を決して疑問を吐き出してみた。

「ねぇ、何でカリフラワーが入ってんの?」

 反射的にお父さんが目をそらす。

「しかも毎年この日だけ。なんか理由があるの?」

 普段あまり感情を表に出さないお父さんが頭をポリポリとかき、目を泳がせる。明らかに動揺していた。

 それから少し考え事をしているような顔をして、ふうっと息を吐いて答えた。

「実はな、その、この日のシチューはな、母さんとの思い出なんだ」

 お父さんはいつもよりずっと優しく、少し切ない目で話し始めた。


「まだ付き合う前だ。俺がビーフシチューを好きなのを母さんが知ってな。作ってくれることになったんだけど、スーパーに行くとブロッコリーが売り切れてたらしくてな。代わりにこれでいいか、ってカリフラワーのシチューを作ったんだ」

 リビングにある写真を眺めながら、ゆっくりと話すお父さんは心なしか楽しそうにも見えた。

「お父さんは出てくるまでカリフラワーのシチューだって知らなかったからさ、正直面食らったよ。だけど、そのちょっと変なシチューを一緒に食べるのが楽しくてな。この子ともっと一緒にいたいなと思って付き合ってくれって言ったら母さん、そりゃもう喜んでなぁ」

 いつもは私に弱さを見せない声が、かすかに震えていた。

「その日から毎年、5月22日はちょっと変なシチューの日。もう20回ちょっとになるな。このシチュー食べてると不思議とな、母さんも一緒にいる気がしてくるんだ」

 お父さんは話し終えると、少し照れ臭そうにまたスプーンを動かし始めた。

 私も続いてもう一口食べる。

「美味しい」

「そうか」

 お父さんはいつもよりもう少し嬉しそうに言い、ぐっと唇を結んでから、

「母さんによく似てるよ」

 と言った。




 7月のある日曜日、太陽がジリジリと照りつける中で男は水を詰めたペットボトルに花、ビニール袋に線香とマッチを持って墓地へ来ていた。

 掃除をし線香をあげると、誰もいないその場所で男はしゃがんで語りかけ始めた。

「春香、久しぶり。最近忙しくて間空いちゃって悪かったな。寂しくなかったか? 実はちょっと話したい事があってな。前来た時にシチューのことを桜に話したって伝えたよな。あれの続きだ。桜な、あれから料理に興味が出たのか時間があるときは手伝ってくれてたりしてたんだけど、どうも熱があがったらしくて。この前の進路希望表に料理人になる学校に行きたいって書いてたよ。それでなんか勉強も頑張ってるみたい。ほんと、あの子は単純というかなんていうか……」

 声がくぐもる。男の頬に一筋、涙が伝った。

「春香、桜は、俺たちの娘は、立派になったよ。本当に立派になった。俺、まだまだ頑張るからさ、どっかで見ててくれよ」

 腕で汗と涙を拭い、荷物を持って立ち上がった。

「それじゃあ、またな。盆には桜と一緒にまた来るから」

 飾り付けられた小菊が夏の青い風に吹かれ、ひらひらと揺れた。

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