第4話
街の診療所に到着する。
傷口を洗い、針と糸で縫われる。焼けるような痛みの上に、更に針が刺さる痛みが重なる。舌を噛み切らないようにと布を口の中に入れられてはいるが、くぐもった悲鳴が漏れる。あと一針ですからね、という医者の言葉に、顎に力を入れて耐える。
処置が終わりしばらくすると、医者に背中を押すようにされて、診療所の待合室に出る。
リアが待っていた。
「付き添いの方ですよね? 傷を縫合し出血も止まりました。冒険者なんでしょう? 傷がふさがるまでは安静に。痛み止めと、熱冷ましの薬は、この紙を薬屋に持って行って調合してもらってください」
医者が小さな紙をリアに手渡す。
「ありがとうございます」
僕が何かを言う前に、そう言ってリアは僕の手を取って診療所を出た。
街が静かだ。夜になっていた。
「その、金は?」
「もう払ったから、気にしないで。もともと、素材を買い集めるために持ってきたお金だったの。もう全部揃ったので、あなたの傷がちゃんと治るのなら惜しくないわ」
「そんなこと言われてもな」
「じゃあ、ちゃんと護衛してくれたお礼だって思って――」
ぐらりと、眩暈がした。
「大丈夫? お金のことはほんとに良いの。アゼルの家、どっちなの?」
「……こっちだ」
ゆっくりと無理をしないように歩きながら、見慣れた集合住宅が見えてくる。一階の隅の部屋の鍵を開けて、ふらふらする体を支えてもらいながら、なんとかベッドにたどり着いた。
「血を失っているから、たぶんしばらくはふらつくと思うの。あと……」
そう言ってリアは俺の頭に手をあてる。
「熱が出てきてるから、宿に戻って薬をとってくるわ。これくらいなら、私でも調合できるから」
医者に手渡された小さな紙を指に挟んで、リアの気配が消えた。
気付けば部屋に日が差し込んでいた。左腕の痛みはあるものの、昨夜よりは随分ましに思えた。それでも、動かそうとすると刺さるような痛みが走る。朧げに薬を飲まされた記憶はあるものの、昨日リアが部屋を出て行ってからの記憶がほとんどなかった。額に布が置いてあることに気付く。
「起きたのね、お腹すいてる?」
声がしたあと、リアがベッドの脇に近付いて覗き込んできた。
「腹は、減ってるかもしれない」
「よかった、スープ作ったの」
しばらくしてリアが、湯気の立つ皿を手に戻ってきた。スープを口に含みながら、頭の中を整理する。護衛の依頼を受けて、とんでもない失敗をしてしまった現実。
この左腕は元のように動くだろうかという不安。そして何より、リアには大きな借りができてしまった。きっとすぐには返せないだろう。そこまで考えて、外がもう明るいことを改めて認識した。
「おい、今日出発するはずじゃなかったのか?」
「そうだったけど、もう少しいることにしたわ」
どうしてまだこの街にいるのか。その理由は明らかだ。
「ごめん、僕のせいだ」
「自分で決めたことよ。勝手に看病してたの。依頼のほうは完了したことを伝えたから、報酬はギルドに行けばもらえると思うの」
「報酬は要らない。あと、治療の金も返す」
「良いって言ったでしょう?」
リアが強い口調で言った。少し、怒っているようだった。
「あの……親、もういないのでしょう? もう少し良くなるまでは、私ここにいるから」
そう言って、リアが僕の額に乗せてある布を、ぽんぽんと触れた。
親はいない。兄弟もいない。みんな死んでしまった。ひとりに慣れていた。人と関わらずとも、生きていけると思っていた。ひとりで生きていけなくなったとき、自分は死ぬのだと思っていた。
「あり……」
ありがとうと言いたくて口を開くものの、嗚咽にしかならなかった。
ふわりと、リアの手が頭に乗せられた。ぽんぽんと、頭を撫でられている自分はまるで子供のようで、何をしているんだという抗いたい気持ちが出てきたものの、すぐに掻き消えてしまった。手の平から感じる暖かさが、頭の中の凍り付いた何かを溶かしていくようで、気付けば涙が出ていた。
ようやく気持ちが落ちついたあとも、リアの顔を見ることができない。みっともない姿を見られたという恥ずかしさと、何を話せば良いのかという不安。しかしそれはいつもそうだったように、彼女の言葉が解決する。
「私も泣くわよ。泣くと、すっきりするのよね。たまっていたものが全部消えて、大事なものだけが残るの」
「いや、まぁ女の子なら、泣いても良いだろうけど……」
「あら、じゃあ私、もう泣いちゃだめね」
「どうしてそうなる」
「私はもう二十一だし、子って歳じゃなくなってしまったと思うのだけど……」
その言葉に、リアの顔を見る。おっとりとした雰囲気で、少し微笑みながら、その丸くて青い瞳が僕を見つめていた。
「そうは見えないな」
「どういう意味? アゼルだって、髭がなくなったあとはびっくりしたわ、だってかわいい顔をしてるんだもの」
「どういう意味だ」
「良い意味よ? 私のは」
ふふん、と言った顔をして、リアは窓の外を見た。
それから六日経った。痛みも取れてきて、左腕が動かしにくいことを除けば、問題はなかった。
今日、リアは故郷へと帰る。空が明るくなり始めたころ、眠ることが出来なくて、ぼんやりと室内を見つめていた。
故郷の住所を聞いた。金貨三枚の治療費と、一週間世話をしてもらっていた時の生活費は、少しずつ送金して返すということでリアに納得してもらった。随分と渋られたけど、薬草を売ったのだってお金はもらっているし、護衛の件も報酬はもらった。だから、うまくいったお礼としては、もらいすぎだとしか思えなかった。
どうしてこんなにこだわっているのだろう。もらえるものは、もらっておけば良いじゃないか。どうして自分は――。
立ち上がって鞄に必要なものを詰めていく。まだ封を開けていない酒瓶が目に入った。それに手を伸ばしかけて、結局そのままにしておくことにした。外套を掴んで部屋を出る。集合住宅の管理人の家はすぐ隣だ。玄関のドアを叩くと、目を擦りながら管理人の老婆が出てきた。
「アゼルかい、こんな時間に何だね」
「ちょっと旅に出る。もう戻らないから、あの部屋は解約してくれ」
「は? そんないきなり」
「良いだろう? 家賃は別に日割りにしなくても良いから」
それだけを言って、街の西門へと向かう。商隊の馬車が並んでいるのが見えてくる。大勢の人間が積み荷を確認している。金色の髪を探して歩いていると、門に近い方の馬車の脇に、見慣れた姿を見つけた。朝は少し冷える。灰色の外套を着たリアは、籠に入れた素材を荷馬車の片隅に乗せようとしていた。一人で運べる量なので、他の商人などに比べれば、荷物としては小さいほうだ。
ゆっくりと近付いている途中で、リアはこっちに振り向いた。
「おはよう」
最初に会った時と同じように、微笑みを浮かべていた。挨拶を返して、リアの横についたところで立ち止まる。
「見送りに来てくれたの? ありがとう。今、荷物を乗せたところなの」
何を勘違いしていたのだろう。辺りの商人たちの話している言葉や足音は聞こえなくなり、目の前のリアの顔が遠くなっていくような感覚に襲われる。きっと迷惑で、彼女は困ってしまうに違いない。
でも言わないと、もう二度と会えない気がした。本当に迷惑だったら、いくら優しい人間でも断ってくれるだろうし、それにもう、随分と迷惑かけたのだから、ここで少々リアを困らせても、大したことじゃないような気がした。いや、そうなのだと思い込む。
このまま運よく六十歳くらいまで生き続けて、今日言わなかったことを後悔し続けるんじゃないかという恐怖に背中を押される。
ようやく重い僕の口が開いてくれた。
「……商人たちはリアの故郷の村まではいかないんだろう?」
「ええ、そうだけど……」
「なんていうか、護衛に失敗してるから僕は信用もないだろうけど……」
「もう、まるで御伽噺の騎士みたいに守ってくれたのに、まだそんなことを言うのね?」
リアが僕を見上げる。
「じゃあ、その、騎士っていうのを、雇わないか?」
悩むように首をかしげる、さらさらとした金色の髪が揺れる。
「……御伽噺の騎士って、雇うのにどれくらいかかるのかしら。私相場に詳しくなくて、一度アゼルっていう人に騙されかけたのよ?」
少し意地悪な表情。そんなことを言うリアに乗せられてしまったのか、気付けば口が勝手に動いていた。
「うまく護衛出来たなら、キスのひとつでもしてほしい。助けたお礼はお姫様のキスっていうように昔から相場が――」
全部を言い終わる前に、リアの腕が首の後ろに回り、唇に柔らかいものが触れた。
「これは、この前の分ね」
そう、悪戯を成功させたように笑ったリアは、次の瞬間その白い肌を真っ赤にさせて、僕に背を向けた。偶然あの丘で会って、たまたま会話が弾んだのだと思っていた。良くしてくれたのは、彼女が優しいからだと思っていた。最初に騙されたのは、きっと僕のほうだった。
なんとなく振り向かせたくて、リアの右手を取ると、あの青色にも緑色にも見えるような、美しく輝く指輪がないことに気付いた。
「リア、指輪はどうしたんだ?」
振り向いたリアが、右手を見つめて、放心したように動かなくなる。
「大事なものなのだろう? 落としたのか?」
ここで落としたのだろうか。咄嗟に辺りを見渡すものの、それらしきものはない。
ぽつりと、リアが呟いた。
「良いの、アゼル」
「いや、でも、最後につけていたのはいつだったとか、覚えていないのか?」
ゆっくりとリアがこちらへ向き直る。
「願いが叶えば、消えてしまうの。そういうものなのよ?」
そう言ってリアは、指輪のあった箇所を撫でながら、僕に向かって微笑んだ。
アルティアの丘で 了
龍の指輪の物語 常夜 @mm-lab
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