第3話
目が覚めて、四日ぶりくらいに髭を剃った。
着慣れた革の胸当てと、剣を腰に差す。昨日飲んだ酒の瓶がテーブルの上に転がっていた。鞄を肩にかける。途中、出店でチーズの乗ったパンを買って、食べながら冒険者ギルドへと向かう。
「採取屋、たまには討伐依頼でも受けたらどうだ? 腕がなまるんじゃないか?」
「遠慮しとくよ」
べルスという名の冒険者だ。べルスに限らず、冒険者ギルドで顔を合わせる人間のいくらかは、僕のことを採取屋と言ってからかってくることが多い。いちいち反応していてはややこしくなるので、適当にあしらって波風が立たないようにしている。それにそもそも、なまるほどの腕がない。
受付に向かうと、ルフィアと言う名前の、いつもの受付嬢が立っていた。
「街の中の雑用か、採取か、危険度が低い依頼で、何か良いのってあります?」
「そうですね、いくつか心当たりがあるので、少し待っててください」
依頼の紙の束をめくる姿を眺めながら、出来るだけ簡単で、報酬が高いものはないかな、などと都合の良いことを考える。
もしリアの言っていたような、願いを叶える指輪が本当にあるのならば、僕は何を願うだろうか。剣の腕だろうか。富だろうか。飲みきれないほどの酒だろうか。リアの顔が浮かんだ。良く笑って話す、愛想の良い女の子だった。楽しい時間だった。
「すみません、冒険者さんへの依頼っていうのは、ここで良いの?」
横から声がして、少し脇にずれる。受付は依頼を受理する場所も兼ねているため、話した内容からして今来た人は冒険者にとってはお客さんだ。
「アゼル……?」
見れば、リアだった。驚きすぎて一瞬、体に変な力が入ってしまう。昨日と雰囲気が違うとわかって、髪を上にまとめていることに気付いた。少し大人っぽい。リアが口を開く。
「昨日と印象が違うって思ったら、髭がなくなってるのね。でも知り合いがいて良かったわ。こんなところは初めてで」
「……そうなのか。それで、ここで依頼は出せるよ。何を出すつもりなんだ?」
「残りのほしい材料が、ブルーパスキノコと、ネリカの根なの。でもこれも一人だと難しそうで、護衛してくれそうな人を――」
リアが話している途中に、依頼の見繕いが終わったのかルフィアが話しかけてくる。
「アゼルさん、一応四件程見つけましたが、あとはどれが良いかを選んでください」
「ありがとう。ああ、でもせっかく選んでもらって悪いんだけど、この人は知り合いで、こっちの処理のほう優先してもらうことってできる?」
「ええ、良いですよ」
リアに受付の前の場所を譲ると、リアが僕を見つめてくる。
「良いの?」
「急いでないし、大丈夫だ」
ルフィアが用紙を渡し、リアが説明を受けながら依頼内容を記入していく。
「あの、護衛の相場って、どれくらいかかるのかしら」
「そうですね、期間や危険度にもよりますが、ブルーパスキノコとネリカであれば、幸いこの街から比較的近い森と洞窟で採取可能です。そこまでの護衛だと、日帰りで危険度も低いため、1日で考えると銀貨60枚。護衛を一人ではなく二人雇われる場合には、二倍にして金貨1枚と銀貨20枚になります。ギルドが仲介するので、追加で手数料として1割、銀貨60枚の場合は銀貨6枚を頂くことになります」
「そうですか。たくさん採りたいので1日で考えて、人数は……二人のほうが良いのでしょうか」
「獣や異形が出ることを考えると、できれば二人いたほうが安心かもしれませんが、一人でも特に問題は起きないでしょう。ちなみに、すぐ出発したいということであれば、隣にいるアゼルさんが受けれそうな依頼ではありますけど……」
そう言ってルフィアが僕のほうをじっと見つめる。
「できれば早めに、とは思っていて」
リアも僕を見る。護衛などしばらくしていないし、あまり腕にも自信がない。このあたりに出る獣や異形であればそうそう遅れを取ることはないが……。
「その、素材は東の森で取れるものなのか? ブルーパスキノコっていうのはたぶん見たことがないんだが……」
僕の質問に、ルフィアが口を開く。
「ブルーパスキノコは洞窟に生息してますね。東の森の中を北に少し進むと、洞窟があるのは知っています?」
「ああ、中に入ったことはないが」
「そこに行けば採取できます。地図を用意しましょうか。リアさんがわかっているなら大丈夫かもしれませんが」
「いえ、私も薬屋さんで聞いたくらいなので、できればそうしてもらえると。もし、アゼルが大丈夫だったら、護衛は一名ということにして、すぐ出発という形にしたいです。実は、明日この街から西に商隊が出るので、できればそれに間に合うようにして同行したいと思っていて」
これも何かの縁だ。受けよう。
「そうだな、じゃあリアの依頼を受けよう」
書き終わった用紙を、ルフィアがじっと確認する。
「問題ありません。期間1日、護衛一名、銀貨60枚、手数料6枚という形でギルドは受理します。地図の用意と、アゼルさんに依頼票を発行するのでお待ちください」
リアはお金をギルドに払う。しばらくして依頼票と地図をルフィアから受け取った。
「じゃあ、行こうか。急いでるんだろう?」
「ええ、あなたがいて良かったわ。知っている人のほうが安心だもの。ありがとう」
僕たちは東の門を抜け、昨日歩いた草原を森に向かって歩いた。
ネリカというのは細く背の低い木で、まぁ森の中であればそこら中に生えている。面倒だが、昔何度か採取をしたことがあった。
根というのは厄介なもので、草のように顔を出しているわけではないから、掘ってナイフで切り取らなければならない。それに少々根を切ったくらいで枯れるようなことはないが、ひとつの木の根ばかりを取りすぎると最悪の場合枯れてしまうため、たくさんの木から少しずつ採取しなければならないという決まり事がある。
「今日は晴れていて気持ち良いわね」
森に入る前に、両腕を横に伸ばしてリアが言った。昨日と同じ服の上から、ベージュ色のエプロンをつけている。根を掘る必要があるためその対策だろう。しかしその長いスカートの裾は汚れてしまいそうだ。
「雨も降りそうにはないな。森は浅いところだとそれほど危険性はないけど、僕が周囲を見張っているから、僕が逃げろと言ったら、一目散に森の外へと逃げてくれ」
「わかったわ。あの、今更なのだけど、アゼルは大丈夫? きっと冒険者の人って強いのだろうけど、怪我とかが心配になってきて」
「大丈夫だ」
「そう、じゃあ頼りにしてるわ。でも危なくなったら一緒に逃げましょうね」
普通は危なくなったら、護衛が最後まで盾となって、依頼者を逃がすものだ。
そんなことを思いながら、久しぶりの護衛依頼ということで、いつもより感覚を研ぎ澄まして辺りに注意する。ゆっくりと森に入り、ネリカの根をリアが掘る間、じっと森の息遣いを確かめるようにして周囲を見渡す。
「あの、大丈夫かしら」
「気配はないし大丈夫だ」
リアが不安そうに尋ねてくるので、安心させる。周囲を警戒しなくて良いという理由にはならないが、このあたりはほとんど危険がない。冒険者になって依頼を受けるようになった日々のことを思い出す。リアと同じように、自分もいつ獣や異形が出てくるのかと不安に思っていた日々を。
根以外にも、薬効のある植物があればついでに採取した。太陽が真上に来た頃に、ちょうどキリが良かったのか、リアが口を開く。
「十分に集めることができたわ。ところでお腹空いてない? お弁当、少し多めに作ってきたの。もし依頼を受けてくれる冒険者さんがいたら、一緒に食べるかなと思って」
保存に向く食料は常に鞄の中に入れていたが、好き好んで食べたいとは思わない。頷いて、森の外の見晴らしのいい丘の上で休憩する。
「今日はピクニックね」
そう言ってリアは自分の鞄の中から包みを取り出して広げる。
「さぁどうぞ、味は……わからないけど」
肉と野菜とチーズに、塩と胡椒で味付けされたオーソドックスなサンドイッチだったが、こういうものを久しぶりに食べたせいか美味い。
「アゼルは、ずっとこの街に住んでるの?」
「いや、この街には四年前から住んでる。その前は、ここから二日ほど南東に歩いたところにある小さな農村に住んでた。今はもうないけどね」
言った後に、リアの表情を見て失敗したと思った。村がなくなる理由など、それほど多いわけではない。異形と呼ばれる怪物に襲われて、文字通りに消えてしまった村というのは、それなりにあるものだ。最近では、自警団を持つ村も多くなったし、怪物が増える前に退治すると言った対策も取られているせいで、なくなるまでの被害にあう村は少ないものの、そういった話は多い。
「あぁ、別にもう今は気にしてない」
「そう、でも大変だったのね……」
僕のこれまでの人生を想像してか、しょんぼりとしていた。元気がなくなるとこういう表情をするのか。
「襲われたときのことはもうあまり覚えてないけど、なんとか街にたどり着いて、店の手伝いや頼み事を聞いたりなんかして稼いでた。十六のときに冒険者ギルドに登録して、今は二年ちょっとだ」
旅をしたことなんてないし、異形を英雄のように倒したこともない。そんなことを言ったら、リアはきっと僕のような冒険者の現実を、つまらないなと思うかもしれない。
だから本当は、酒場で自分の腕を自慢する人たちのように、何か良い作り話でもしたほうが良いのだろう。でも上手い料理のせいか、柔らかい太陽の光のせいか、少し力の抜けた僕はそのまま口を滑らせていた。
「今は雑用や採取依頼を受けることがほとんどだ。遠くへ旅をしたこともないし、大きな異形を退治したなんてこともないから、大変というより、退屈なことのほうが多いかな」
目を丸く開いてリアが口を開く。
「そうなの? こんなに賑やかな街なのに退屈だなんて、不思議ね。そうだ、私の村まで来てみない? 冬が近づけば、きっととても驚くと思う。きっと退屈なんてしないわよ」
旅をしたこともない、なんて言葉にはまったく興味を示さず、僕の退屈を不思議なことだと笑うリア。
「リアの故郷には、どれぐらいかかるんだ?」
「そうね、大体徒歩で二週間は見ておいたほうが良いかしら。西の街を経由していくから、そこで少しゆっくりしていくなら、もう少しかかるわ」
往復一ヶ月。街で過ごすならばあっという間だが、旅をするともなれば途方もない期間に思えた。
「雪がたくさん積もるというのは、少し見てみたい」
「ええ、長く住んでいると、もう見飽きてしまって邪魔だけれど。でも、とても綺麗なのよ。それに雪かきが必要になるの。男手があったら助かるわ」
リアが話すものは、全て素敵なものに聞こえた。声に魔法が宿っているような気がした。食事の礼を言ってから、洞窟にキノコ採取へと向かう。
森を少し奥に入り、北に向かって進む。地図通りに進めば迷うことはない。岩肌の山の斜面に、人が並んで四人は入れそうなほどの洞窟がぽっかりと口を開けていた。
初めて入ることもあり、先頭に立って慎重に歩く。洞窟内は、山の水が滴り落ちてくるのか、じめじめとしている。
目的のブルーパスキノコは簡単に見つかった。リアが採取する間辺りを警戒するものの、何事もなく終わる。洞窟の外に出ると、少し日が傾いていた。
「ありがとう、アゼルのおかげで必要な材料が全て揃ったわ」
「仕事でやってるんだから、気にしないでくれ」
「でも、ありがとう」
笑顔のリアを眺めて、明日故郷へ発つという話を思い出す。順調に素材が集まったのだから、その通りになるのだろう。
「リア、止まれ」
小声でリアに伝える。気配がした。後ろだ。リアを背後に隠すようにして、振り返る。目を凝らすものの、木々が生い茂る中で気配のもとを確認するのは骨が折れる。小動物かもしれないという考えを即座に振り払う。何か大きいものがいる。
「リア、少し離れて、もし僕が逃げろと言ったら、逃げてくれ」
「そんな……大丈夫なの?」
「大丈夫だ」
剣を鞘から抜き放ったと同時に、二メートル程はあろうかというオークが木々の間から姿を現す。黒に近い緑色をした肌を持ち、豚のような顔をした異形だ。後ろで息を飲む音が聞こえた。
「もっと離れてくれ」
後ろにいるリアにそう伝えてから、剣を構える。知性は低いし、動きもそれほど良くはない。目の前のオークは、冒険者から奪ったのか、銀色に輝く剣を手にして、こちらを睨むようにして近付いて来る。迫ってくる剣を受け止め、流す。
剣をそれなりに練習したことはあっても、ただそれだけで精神力が削られていく。激しい心臓の音が聞こえる。
オークは攻撃の手をやめない。蹴りや殴りを交えながら繰り出される攻撃に、だんだんと追い詰められていく。
「アゼル!」
「逃げろ」
このままでは、負ける。負ければ、リアを標的にするだろう。早めに逃がし、少しでも時間を稼ぐ作戦へと変更する。護衛とはそういうものだ。だというのに、視界の隅にはまだリアが立っていた。
「早く逃げろ!」
そう言った直後だった。オークの剣が僕の左腕に食い込んだ。悲鳴をあげようとする口を必死に食い縛りながら、オークの胸にめがけて、渾身の力をこめて剣を突き刺す。
左腕に食い込んだ剣を抜こうと動かしていたオークは、やがて全身の力が抜けたのか、地面に倒れた。
「アゼル、腕が!」
リアが走り寄ってくる。倒せるとは思っていなかった。運が良かった。分厚い筋肉を持つオークは、的確に刃を通さなければ簡単には倒れない。左腕が熱い。二の腕に深く食い込んだ剣を見る。
「待って、今出血を止めるから」
そう言って、リアはハンカチを取り出して、僕の腕を縛る。
「我慢してね」
リアが僕の腕に食い込んだ剣をゆっくりと抜いていく。焼けるような痛みに、声が出てしまう。
「すまない」
「何言ってるのよ、ごめんなさい。早くお医者さんに見せなきゃ」
オークに刺さった剣をリアは引き抜き、僕の鞘に仕舞う。肩を借りながら立ち上がると、血を失ったせいか、少しふらふらとした。
「医者は良い。血が止まれば大丈夫だ」
「だめよ、血だって完全に止まってなくて……早く戻りましょう?」
「でも、医者はお金がかかるだろう? その、なんというか、あまりお金ないんだ」
「そんなの、良いから!」
リアは僕の右手を握って、引っ張るようにして森を抜ける。朦朧としながらも、引かれる手に導かれた。
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