第2話

 ぽつりぽつりと、やがて少しずつ雨が強くなり始めた。


「降ってきたわ」


 残念そうなリアの声とともに街の門を潜り抜け、通りへと出る。

 リアは必要な材料をまだ集めきれてないらしく、もうしばらくこの街に滞在するらしい。

 騙されやすそうな性格に、何か問題に巻き込まれないかと心配になる。というのは考え過ぎだろう。一人でこの街に来たというし、たぶんそれなりにはしっかりしているのだと思う。

 薬草を売ってしまえば、それきりになってしまうことが、少し寂しい気がした。かと言って、理由もないのに一緒にいるのもおかしい。だから僕は、リアが心配になる理由を見つけようとしているだけなことに気付く。

 お腹が減っていることを思い出した。


「ここで手渡すのもなんだし、そうだ。お腹減ってないか? どこかに入ろうか」

「ええ、それはいいけど、でもお店はあまりわからないの。知ってる?」


 しっかりしているのだろうという評価を心の中で訂正する。やっぱり少し、抜けているのかもしれない。街の中には物騒な人間もいるし、女の子が会って間もない人間に行く先を委ねるなんて、あまり良いことじゃない。

 ひとつの店が気に入ったら、延々とそこに通ってしまう。通りにある、時々ひとりで入って食事をしている店に二人で駆けこむと、テーブルへと座った。いつもならカウンターに座るため、少し新鮮な気持ちになる。

 向かいに座ったリアは、鞄の中からハンカチを取り出して髪を拭いた。なんとなく目が離せずにその仕草を見ていると、リアが僕を見返した。


「あなたも拭く? ハンカチ持ってないの? 私が使ったので良ければ」


 リアはそう言って、小さな花の刺繍が隅に施されたハンカチを差し出してくる。


「いや、大丈夫だよ」

「風邪をひいてしまうわ、私に合わせて歩いていたから、きっと遅くなってしまったのよね」


 しゅんとするリアの表情に負けて、ハンカチを受け取ると、頭を拭いた。濡れてもどうということはないし、風邪を引いたら引いたときだと思ってしまう僕は、彼女から見たら無頓着が過ぎるのかもしれない。

 店員に注文したあと、鞄の中の薬草をテーブルの上に広げる。


「一応見てくれ。状態が良いかどうかとか、そういうのもあるんだろう?」

「わかったわ……そうね、問題ないみたい。ええと、銀貨2枚と銅貨……何枚って言ってたかしら?」

「銅貨20枚でどうかな?」

「ええ、もちろん。本当にありがとう」


 リアはお金を取り出して、僕の手の平に置くと、鞄から取り出した布に丁寧に包んで仕舞った。

 パンと、肉と野菜を煮込んだスープがテーブルの上に乗せられる。いつも頼んでいるものを頼んで、リアも同じものを頼んだ。


「温かい……」


 スープを口にして、そうリアが漏らした。服が少し濡れていることに気付いた。


「南は少し暖かいと思っていたけれど、雨が降ると寒いのね。アルティアの街も、冬は雪が降るの?」

「降るけど、そう積もりはしないかな。もうそろそろ肌寒くなるけど、雪が降るのはほんの少しの時期だ。北のほうなら、歩くのが大変なくらいに積もるんだろう?」

「そうなのよ。山で歩きにくいというのもあるけど、雪の中を歩くための靴があるくらいなんだから」

「それはすごいな」


 いつもはすぐ食べ終えてしまう食事も、こうしていると時間がかかる。この店を別れることになるだろうし、リアはもうしばらくすれば故郷に帰るだろう。冒険者の知り合いは、別の街に行ったり、遠い場所へ拠点を移すこともある。出会いと別れは良くあることだ。慣れているのに、もう会えないのは嫌だなと思う。

 お金を払う段階になって、リアが僕の手を制した。


「お世話になったから、私にごちそうさせて」

 自分で誘って、しかも相手は女の子なのだから、僕が払うとは言ったのだが、先にリアが二人分の金額を払ってしまう。店の外へと出ていくリアを追いかけ、そして店の前の屋根があるところで立ち止まった。自分の分を渡そうとお金を突きつけるものの、リアが口を開く。


「残念でした、もう私の財布は鞄の中に仕舞ったので、そのお金は受け取れないわ」


 渡そうとしているお金をそう言って受け取らず、笑いながらリアは続ける。


「今日は本当にありがとう。森の前で、とても悩んで、だから私お願いしていたの」

「お願い?」


 そう尋ねると、リアが右手を僕の前に掲げた。リアが丘の上で見つめていた指輪だ。青色にも緑色にも見えるような、小さな石が埋め込まれた指輪だ。


「これね、ただの指輪じゃないの。願い事が叶う指輪なのよ。薬草はあまり入荷しないって言われて、入ってきてもすぐ売れてしまうって言われて、森の中は危険だって聞いたりもして、どうして良いかわからなくて、困っていたの。それでね、助けてくださいってお願いしたら、そうしたら、あなたがいたのよ」


 自信満々に言うリア。リアの頭はおかしいのかもしれない。もしかして熱でもあるのだろうか。


「ただの偶然じゃないのか?」

「そうかしら。祖母からもらったものなの。心細かったし、お願いした後、足音が聞こえて、願いが叶ったんだって思ったわ」


 思い込みの激しい性格なのかもしれない。でもその内容はリアらしいと思った。きっと彼女にとって、大抵のことは――素敵なこと――になるに違いない。それがたとえ、くたびれた格好の、うだつの上がらない冒険者との一時的なやりとりであったとしても。


「役に立てて良かった。まぁこっちも薬草が売れたから、お互い様だ」


 ひとまずこれで、今夜の食事と酒に困ることはなくなったし、こんなに感謝されるのは久しぶりのことで、嬉しかった。異形の討伐依頼を完了したとしても、お金をもらって終わりということが当たり前で、こんなに面と向かって感謝されることなんてないのだ。


「ごめんなさい。数日誰とも話してなかったから、なんだか口がずっと動いてしまったの。冒険者さんも色々と忙しいのよね? 私、そろそろ泊まっている宿に戻ることにするわ」


 気付けば長い時間、店先で話し込んでしまった。


「気を付けてな」

「ありがとう、それじゃあ」


 小さく手を振って、雨の中を小走りに駆けていく。鈴の鳴るような声がなくなってしまったことに、騒がしいはずの街の中も、雨音も、全てが静かに聞こえた。

 雨に濡れながら、住んでいる集合住宅に向かう。途中で酒を買って帰らなければということを思い出した。

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