龍の指輪の物語

常夜

アルティアの丘で

第1話

 大人になるにつれて世の中のことがわかり、多くの人間は旅や未知のものに対する情熱が冷めていく。その熱を冷まし忘れてしまった人間か、もしくは世の中のことをあまり考えずに大人になった人間が冒険者になる。僕は後者のほうだ。

 冒険者ギルドが貼り出す依頼の種類には、色々なものがある。

 まだ人間が進出していない未踏破地域の調査や、異形とよばれる怪物の討伐、少々危険な地域の貴重な鉱物や植物資源の採取、商隊の護衛から、店を手伝ったり、逃げ出した猫を捕まえると言ったものまで様々だ。

 こうして一通り挙げてみると、前半はともかく、後半になるにつれて、子供の頃に読んだ冒険物語とは程遠い。かと言って、今更冒険物語に憧れることもないので、身の丈にあった、比較的安全で、食うのに困らない程度の仕事、依頼を選ぶことになる。


 こういう感じだから、他人に対して――冒険者をしている――というのは、気恥ずかしいものがあった。腕っぷしに自信があり、冒険物語のような依頼を受けているのならまだしも、僕に限って言えば薬効のある植物の採取、と言った依頼を細々と受けているのが現状であるから、冒険者だと名乗るのは気が引けた。

 その日暮らしで、根無し草のような生活というのも、気恥ずかしさに拍車をかける。集合住宅の一室を借りて、仕事で得た金のほとんどが食事と酒に消えていくのは、あまり他人に自慢できるような生活じゃない。

 かと言って、今の生活を気に入ってないわけでもない。昼間から酒を飲んで、好きな時に仕事をするという生活は、抗いがたい魅力に満ちている。

 十四歳の時に田舎から出てきて四年。冒険者になってから二年になる。それまでは、店の雑用や使いっ走りをしてなんとか金を稼いでいた。

 拠点にしているアルティアという都市の生活にもすっかり慣れてしまった僕は、朝起きてから銅貨が残り5枚しかないことに気付いた。昨日は銀貨が3枚ほどあったはずなのだが、昨夜、考えずに飲み過ぎたせいかもしれない。銅貨5枚では、食べることも飲むこともできない。

 慌てて都市の東にある森の中で採取をすることにした。


 アムストラと、エメリネという薬効のある植物は、冒険者の仕事を管理しているギルドがいつでも買い取ってくれる。と言っても、貼り出されている依頼に比べればもらえるお金は微々たるもので、僕のように腕に自信のない似非冒険者くらいしかやらないことだ。

 森の浅いところであれば、あまり大型の異形が出ることもない。それでも用心に越したことはないので、辺りに気配がないかを注意深く探りながら、植物の採取を行う。

 そろそろ昼も過ぎたくらいか。何も食べていないお腹からの抗議を無視しながら、生い茂る木々の隙間から空を見上げる。雲行きが怪しい。きっともうすぐ雨が降る。

 採取した植物を売って、そのお金で酒を飲もう。街に引き返そうとして森を出たところで、丘の上に女の子が座っていた。同じ歳くらいだろうか。でもその佇まいはどこかあどけなくて、女の子という言葉が似合っていた。

 長い金色の髪を後ろにまとめて、まるでピクニックでもしているかのようだ。女の子は右手を目の前に持ってきて、その手の甲をじっと見つめていた。キラリと女の子の手が光った。指にはめた指輪を眺めていたのか。

 なんとなく、女の子のほうに足を向けていた。どう見ても冒険者には見えないし、森の近くは、たまに異形が出てくることもある。

 なんて声をかけようかと迷いながら近付いていくと、女の子が僕に気付いて振り返る。


「こんにちは」


 ぱっちりとした青い目で微笑んでくる女の子を見て、思わず顎に手をやった。チクチクとした感触を指先で感じてから、泥と汗でくたくたに汚れた自分の格好を思い出す。どうなるわけでもないけど、愛嬌のある女の子を前にすれば、そういうことを気にしてしまうのはしょうがないことだろう。


「ここで何を? ピクニックにはあまり向かないところだと思うけど」


 それを聞いて女の子はころころと笑う。


「ピクニックじゃないわ。雲行きが怪しいし、それにお弁当も持ってきていないのよ? 薬草を取りにきたのだけど、薬屋の人から危険な獣が出るって聞いて。ここまで来たのに心細くなってしまって、どうするか迷っていたの。私はリアって言うの。あなたは?」

「アゼルだ」


 女の子の服は、ブラウスと淡い青色のスカートで、どう考えても森に入るのには向かない。それに、森の浅いところは比較的安全だと言われているが、それでも異形が出てこないとは限らないのだ。


「それにしても、入らなくて正解だった。危ないから諦めたほうが良い。とても危険な場所っていうわけでもないけど、ナイフや剣が使えないのならお勧めできない」

「そう、やっぱり危ないのね」


 気を落とした表情で、女の子はそう言って腰を上げる。スカートについた草を払って手にした大きめの鞄を肩にかけた。リアの背は僕より、頭ひとつ分ほど小さい。


「薬草が必要なのか? アムストラとエメリネなら、今取ってきたばかりのもを持っているけど、必要だったら売ってもいい」

「本当に? 薬屋には在庫がなくて困っていたのよ。これで買えるかしら。一応、困った時には使いなさいって、多めにはもたされたのだけど」


 リアが鞄の中から袋を取り出して、手の平の上でさかさまにする。22枚の金貨と、10枚ちょっとの銀貨が落ちてきた。金貨の枚数を見て驚いた。まだ会ったばかりの知らない人間の前で大金を見せびらかすなど、不用心にもほどがある。


「アムストラが12株、エメリネの葉が7枚あるんだけど、銀貨5枚でどうかな?」

「本当に? 全部買いたいのだけど良いかしら? 売ってくれるのならとても助かるわ」


 相場の二倍の値段を言ったのにも関わらず、リアは嬉しそうにはしゃいだ。田舎から出てきたばかりのように見えた。街に住み始めたばかりのころは、物の値段がわからなくて少し苦労したことを思い出す。とは言ってもそれなりに用心していたので、この女の子のように騙されることはなかった。


「ごめん冗談だよ。相場だと、大体銀貨2枚と、銅貨20枚か30枚程度なんだ。田舎から出て来たのか? 街で買い物をするときには気を付けたほうが良い」


 丸い大きな瞳で、きょとんと僕を見つめてから、リアは笑みを浮かべる。


「まぁ、じゃあ騙されるところだったのね。親切にありがとう。そうね、この街には三日前に着いたのだけど、それより雨が降りそうだわ、もう帰るところなのよね?」

「ああ、帰るところだ。薬草は……街に着いてからのほうが良いかな?」

「ありがとう」


 街まで続く草原を歩きながら、遠くにある畑や家畜をぼーっとながめる。別に景色を楽しんでいるわけではない。何か話したほうが良いと思いながらも、身近にいる女性と言えば、同業の冒険者くらいで、女の子らしい女の子と何を話せば良いのかと、悩んでいた。

 そんな風にしていると、横を歩くリアが、にこにことしながら口を開いた。


「北西の山から来たの。マゼイラっていう村なんだけど、きっと知らないわよね。母親が薬師をしていて、冬が長くて、薬に使えるような材料もあるにはあるんだけど、アムストラやエメリネの葉、他にも必要な素材がなかなか手に入らなくて、だから、街まで買い物に来たの」


 知らない村だ。冒険者でありながらも採取しかしない僕にとっては、村の名前など数えるほどしか知らない。


「今回が初めてだったのか?」

「ええ、今までは父親が来ていたの。でも猟で足を怪我をしてしまって。帰るころには治っていると良いのだけど。私も薬師を目指しているから、簡単な調合はできるの。熱冷ましに効く薬、打ち身に効く薬、切り傷に効く薬とか。でも、たくさんあるから全部は覚えきれてなくて、まだ見習いなのよ。アゼルは薬草を採るのが仕事なの?」


 お金の面からあまり薬というものに縁がない僕は、色々と便利な薬があるのだなと思った。専門的な知識というのは、何にしたって覚えるのに時間がかかるし、とても難しそうだ。


「……なんていうか、冒険者だ。でも薬草の採取なんかもする感じかな」

「まぁ、冒険者さんと話すのは初めて。そういえば腰に剣が差してあるわ。なんで気が付かなかったんでしょう。旅をするのでしょう? とても強いのかしら」


 冒険者らしい冒険者ではない僕だが、大体は薬草採取と雑用をしているなどとは言いたくない。悪い龍を退治して、囚われたお姫様を助け出す。そんなことを考える顔で、リアが僕を見ているような気がしたせいかもしれない。


「少しは旅も、するけど。まぁ、この街を拠点にしている感じかな」

「そうなのね。色々なところに行くのは楽しそう。私、アルティアに来たときとてもわくわくしたもの。お店も人も多くて、色々な品物があって……」


 次から次へと口が動くリアに相槌を打っていると、街の門が見えてきた。

 何を話せば良いのかなんて杞憂だった。

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