嘘の花

夢煮イドミ

嘘の花

 だいたい七月から八月。

 気温は三〇度を超えるあたり。

 歩くだけでシャツの内側が汗ばみ、蝉の求愛は激しさを増す、そんな設定の季節。


「ねえ、どう、似合う?」


 横に座った未希がひらひらと袖を振っていた。彼女が笑うと、真っ白な犬歯がむき出しになる。

 薄桃色の浴衣は色素の薄い彼女の肌とほどよくマッチしているように見える。


「馬子にも衣装、なんて自分で使う時が来るとは思わなかったよ」


 蹴られた。左足のくるぶしの辺り。

 神社の境内はとても静かで、僕達は石段に二人きりで腰かけている。遠くからは子供も大人も入り混じった夏祭りの喧騒が聞こえてくる。ずらっと並んだ屋台に吊り下げられた提灯が、夜を眩く照らし出していた。


「じゃあ君は匕首に鍔だね」

「あいくち? つば?」

「似合わないってこと」


 言われて自分の装いを見直してみる。真っ黒な甚平は、確かに僕が着るには男らしさが強すぎる。着ているというよりも、着させてもらっているというぐらいの気分だ。

 難しい言葉を知ってるなと思ったけれど、最近は本を読むぐらいしかすることがないと言っていたからその影響だろうか。


「僕はいいんだよ。今日は未希が主役なんだから」

「そう? じゃあ主役を引き立てなさい」

「姫、本日のお召し物は大層お似合いでございます」

「くるしゅうない」


 おーっほっほっ、と漫画みたいな笑い方をする未希を見ながら、引き立てるというよりはおだてるって感じだな、と思ったけれど言わないでおいた。


「でもどうせなら美味しいものが食べたかったな。チョコバナナとか、わたあめとか」

「出そうか?」

「ううん、いい。食べても味しないもん」


 そうだね、返事をしてからくしゃみをした。紙袋を潰したような僕のくしゃみを未希はいつも笑った。

 けど今日は、不機嫌そうに頬を膨らませる。


「なに、寒いの?」

「うーん、少し」

「ダメだよ。夏なんだから、我慢して」

「そんな無茶な」


 抗議すると、未希はむくれていた顔を急に萎ませて、瞳を深海のように暗くした。


「また二人で、来たかったんだもん」

「うん」

「あの時が初めて……だったから」


 未希は深海から浮かび上がって水面から飛び出すとそのまま大気圏を突破、太陽みたいに顔を赤くする。

 初めて。初めてのデート。初めての恋人繋ぎ。初めての、キス。

 彼女はどの初めてのことを言ったのか。全てかもしれないし、まるっきり違うことかもしれない。


 風船から空気が抜けていくような音がした。大地と夜空を繋ぐ柱のように、光の筋が舞い上がっていく。


「あ、花火」


 未希の視線が、今にも花開きそうな種子に吸い寄せられる。









「――いたいっ!」


 未希が悲鳴を上げた。ゴーグルをひっぺがす時に髪の毛を巻き込んでしまったらしい。


 VRゴーグル、さっきまで彼女が頭につけていたそれを、僕は強引に取り上げた。

 自分のゴーグルも外すと、視界に映ったのは浴衣ではなく青白い病衣を着た未希と、僕達の体重でへこんだ病室のベッド。窓の外には灰色の空が広がり、しんしんと雪が降り注いでいる。


「なにすんのよ!」


 未希に胸ぐらをつかまれる。すっかり筋肉の落ちた腕のどこにそんな力があるのかというぐらいにパーカーの生地が引っ張られた。


「は? 意味わかんない。なに? 一緒に見ようって言ったじゃん。花火」

「うん、言ってたね」

「二人の思い出だからって、最後にって!」

「そうだね」

「だったら、なんで!」


 息を切らせた未希の小さな手を、自分の手で包む。指を一本一本ほどいて、引き離す。


「だってさ、知らないよそんなの。未希が勝手に盛り上がってただけじゃん」

「なによ、それ。そんなのって」

「最後って、なに」


 未希は元々大きい瞳をこれでもかというぐらいに見開いた。


「もう死ぬ気満々ってこと? やり残したこと全部片付けてすっきりしようって? でもさ、僕はあと何回だって二人で花火を見たい。わたあめもチョコバナナもりんご飴も焼きそばも食べたい。未希の浴衣姿が見たいし、花火を見ながらキスがしたい。全部したい。これで最後とかもう満足とか、勝手にしないでよ。花火が見たいなら夏まで生きてよ。十年後も二十年後もしわくちゃのおばあちゃんになっても一緒に花火見に行ってよ!」


 一息にまくしたてて、今度は僕が肩を弾ませる。

 未希はぱちくりと何度か瞬きをしてから、思い出したように僕の頬に手を添えて、

 叩いた。それはもう、いい音がした。


「……うるさい」

「うるさいって」


 よりにもよって返す言葉はそれなのかと、問い質そうとした口を、塞がれた。

 数秒の後に顔を離すと、未希はその柔らかい唇に指を当てて、


「絶対に、見せてよね」


 真っ赤に腫れた目で強がるお姫様に、僕はうやうやしく頭を下げた。





 チャイムが鳴る。終業式も終わり、この瞬間からが夏休みだとばかりに教室が騒がしくなる。窓から射し込む日差しは容赦がないが、クーラーが利いているおかげで室内は快適だった。

 どこに遊びに行こうかなんて話し合っている中に気になる物を見つけて、クラスメートの席に近づいた。


「夜に公園でやろうって話になってさー。え、欲しいの? しょうがないなー」


 彼は机の上に置いてあった花火の詰め合わせを開封する。夏になるとスーパーなんかで置いてあるやつだ。


「いいの、そんな地味なので。男なら派手なやつ持ってけよ」


 彼の申し出を断って、線香花火を二本だけ受け取る。

 多分、これくらい静かな方が、ちょうどいいだろうから。

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嘘の花 夢煮イドミ @yumeni_idomi

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